7
稽古がおわった後、夕方、瑞希は湊を誘って空き地へ行った。その道中にサクラのことを話したら、湊はあっさりと呑み込んでしまった。「そういうモノ」のことを湊もよく知っていた。
空き地は相変わらずの様子だったが、桜の花はほとんど花弁が散り、白い房だった物は細い枝の束になっている。そしてベンチにはサクラの姿がなかった。瑞希が触れようとしたあの日以来、現れていない。
「ここにいたのか?」
湊は瑞希が頷くのを見ると、背負っていたリュックを降ろして中を探った。取り出したのはのり塩味のポテトチップスだった。
「それ、湊さんが好きなやつですよね?」
以前湊自身がそう言っていたのを、瑞希は覚えていた。
「彼女が好きなやつでな」
湊は軽く頷いた。あのとき、サクラとポツリポツリと交わした世間話の中で湊が知った彼女の好みだった。それ以来、湊は小腹が空いたときにコンビニへ行くと、無意識に手に取るようになった。
「もっとほかにも、話せることはあったんだと思うが……」
ポテトチップスの袋をベンチの上に置き、湊は呟いた。
湊は自分の高校生活を振り返ると、それなりにいい三年間だった。部活には入らず、授業以外ではライトノベルを読んでいるような三年間だったが、瑞希の兄のように気の置けない友だちもいたし、勉強でも特別悩む問題はなかった。
しかし三年生のとき、湊の隣の席にいたあの少女は違った。前触れなく、ある日の朝のホームルームで「家の都合で引っ越した」と聞いて、湊はそれに気づいたのだ。
ただそのときは、あまり重く考えられなかった。
「ただの高校生の自分に、なにができた?」
そういう免罪符が、自分の頭の中に聞こえていた。しかし大人になって、世の中の仕組みを知るようになり、自分の力で色々なことができるようになると、罪悪感を強く感じるようになった。
「あのとき、こうできたのではないか?」
そんな後悔に、恥ずかしさも加わった。サクラの境遇に対し、自分はどれだけ呑気だったか。それらがゴチャゴチャと混ざったものが、時々湊の腹の底に重く溜まるのだ。
「彼女は、そんなことは思ってもいなかったんだと思います」
ぼんやりと桜の枝を見上げながら、瑞希はなんてこともないように言った。湊は不満と困惑の混ざった表情をしたが、瑞希はサクラに触れようとしたあのときに心中に入り込んで来たものを、瑞希なりに解釈したにすぎなかった。
あのとき瑞希が感じたのは、ありきたりな安心感だった。使い込んだ布団の温かさ、履き慣れたローファーの感触、通い慣れた校舎の匂い。どこにでもある、ありきたりな日常を瑞希は感じた。
「きっとサクラさんにとっては、ほかの人となんにも変わらない日常だったんです」
自分の生まれや育ちに楽観も悲観もせず、同級生たちと同じ、あたりまえな日常を生きていた。哀れみを受けることなど、考えてすらいなかったのかもしれない。
「……そうか」
瑞希の話を聞いた湊は、しばらく桜の枝を見上げていた。外では穏やかな風が流れているが、相変わらず空き地では枝も揺れてもいない。
「……そろそろ、腹が減ってきたな」
湊は一瞬空を見上げて、そんなことを言いながら振り返った。自分が信じていたことが違っていたことにショックを受けつつも、納得している表情だった。
「お礼に奢るよ。行こう」
竹刀袋を肩にかけ直しながら、湊は瑞希の肩を叩いた。なにを食べようかと話しながら道路に出ようとしたとき、湊は不意に足を止めて、ベンチへ振り返った。
「どうしました?」
呆然としていた湊は、瑞希の言葉に対し、曖昧に首を振った。
「……駅の近くにうまい蕎麦屋があるんだ。行ってみんか?」
そう言いつつ歩き出した湊は、弱ったような、しかし晴れやかな表情になっていた。湊の後を速足で追う瑞希は、背後に一瞬だけ、なにかの気配を感じた。
桜と面影 紀乃 @19110
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