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 学校の正門を出てしばらく歩くと、駅につづく大通りに出る。


 昔は駅前の繁華街だった場所なのだが、いまでは歩道にかかるアーケードの天幕は色あせ、店のほとんどはシャッタを降ろしている。


 瑞希にとっては高校生になる前から見慣れた光景で、この辺りが栄えていたのを知っているのは、瑞希の祖父母世代の人間だけとなった。


「昔はね、休みの日になると友だちと映画を見て、洋食を食べた後は服屋を周って、最後は喫茶店でお茶をして、一日中遊べたんだよ」


 いまは老人ホームに入っている祖母が思い出話をしていたのを思い出しながら、瑞希はアーケードの下を歩いた。歩道のタイルに落ちる影は濃い。


 ほかの人通りはまばらだ。もっと日が暮れれば赤提灯が点々と出るので、そうなれば仕事帰りの人間で賑やかになるだろう。


「シネマ」と描かれた看板だけが残る、ひと際大きな空き店舗の角を曲がる。裏に入ればすぐそこは静かな下町になっている。ここは表に輪をかけて人通りが少ない。それどころか皆無と言ってもいい。


 色あせた政治活動用ポスターが貼られた塀、コンクリートの隙間から雑草が伸びた家の玄関、ペンキが剥げて赤錆びたトタン屋根。「静か」を通りすぎて、生活の臭い自体が薄く感じる。


「ひとつの町内にある住宅の約三割は空き家である」


 つぎはぎだらけのアスファルトの道を歩きながら、瑞希は最近ニュースで見たことを思い出していた。


 空の色は暗い紅色になってきている。道は薄暗く、点々と灯る街灯が心細い光を落としている。瑞希はこの異世界のような景色が好きで、この時間帯に学校を出て、いまのように寄り道をしながら帰るのが日課だった。


「親に禁止されていたことを破っている」という背徳感が心地いいからというのもあるかもしれない。そもそもこの時間は、子どものころに親から「外に出ないように」と何度も言い聞かされていた時間帯だったからだ。


「よくないモノに出会ってしまう」


 大人たちは声を低くして子どもに言い聞かせるのが定番だった。しかし成長するほどにその拘束力は弱くなる。駅向こうの新しい繁華街で放課後に遊び惚ける生徒は多いし、瑞希も親から帰りの時間を咎められることはなくなった。


 瑞希がのんびりと歩いていると、キュムキュムという規則的な音が聞こえて来た。見下ろしてみると、音源は瑞希の白いスニーカーだとわかった。


「もう買い替えどきかな?」


 一年以上使い込んだお気に入りのスニーカーは全体の色がくすんでいる。買い替えるにはちょうどいいかもしれないが、いっそ底に穴が開くまで使い潰すのもいいかもしれない。


 そんなことを考えながら歩いていると、住居や小さな町工場が点在する中に、赤錆びたフェンスに囲まれた空き地が見えてきた。


 そこは乗用車一台がギリギリとめられそうな広さで、所々からは青い雑草が伸びたむき出しの地面の上には、学習机、ビニール紐で丸めた毛布、背の低いタンスなど、捨てる機会を逃し、雨に晒されてボロボロになった粗大ゴミが雑然と置かれている。


 近寄り難い景色だが、空き地の奥、古いプラスチックのベンチの後ろに植えられている桜の木が、このゴミ捨て場のような空間を晴れやかな景色にしている。


 桜の幹は弱弱しいばかりに細く、少しの力で抱き締めれば簡単に折れてしまいそうに見える。しかし桜は狭い空間の中でのたうつように幹を伸ばし、ベンチの上に白い桜の花を一房だけ垂らしている。


「今日は来るかな?」


 瑞希は呟きながらフェンスに寄りかかった。フェンスは所々がほつれて穴が開き、体重を預けるには少し心許なかった。


 空では夜の色が濃くなり、紅色と混ざって深い紫色になりつつあった。

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