第12話
どんな種族でも分け隔てなく迎え入れる、無境の村。
その理想を叶えるためには、沢山の力を必要とする。力の種類は様々だが、どの力も必要としている大事なものの一つ、それは金である。元手がなければ、政治力も軍事力もまともに行使することはできまい。
無境の村の経済を支えるのが、中央と森の外、外周部に作られた商業地区であった。
商業地区では、エルフが作った薬やお守り、ドワーフの作った武器防具が売られ、その品質の高さはヴォート大陸全体に鳴り響いている。
無境の村でしか作れない製品を求め、多くの人が集まり、彼らを迎え入れるために沢山の宿や酒場もできる。商業地区は、無境の村でもっとも開けており、もっとも俗な場所であった。誰もが自由に出入りできるこの場所こそ、もっとも境目無き場所なのかもしれない。
そんな場所の管理を担うドワーフの長老は、今日もまた、製造の最前線にいた。
◇
あちこちの炉で火が炊かれ、溶けた鉄がドロドロと鈍い熱を放っている。狭い空間で鉄を叩く音と怒鳴り声が反響し、なんとも騒がしい。
ドワーフの鍛冶場。穴を掘って作られた、無境の村の生産拠点の一つである。背の低いひげもじゃのドワーフたちによって作られる剣や槍はどれもこれも逸品揃いであり、生産性にも優れている。無境の村の主要産業の一つだ。
そんな無骨で男らしい空間に、そうとは思えぬほどの穏やかな空気が流れていた。
「はっはっは、見てくれ、この剣の鋭さを! ハッキリ言って、なんでも切れるぞ!」
「ふん。こちらの斧の方がいいわい。剣に比べて重いぶん、断ち切る力は上だ」
ドワーフがそれぞれ自慢の一品を持ち寄り、用意された椅子に座るフェイに紹介している。フェイはドワーフの力強いプレゼンに気圧されつつ、微笑みを浮かべていた。
「フェイさん。実は、あなたに使ってもらおうと思って、短剣を作ってみました。どうぞ、受け取ってください」
フェイに、自身が作った短剣を差し出そうとする若いドワーフ。そんな二人の間に、隻眼のドワーフが割り込んできた。彼の手には包丁が握られていた。
「若造が。いいか、女性に送るのならば、武器より日用品だ。その点、よく考えられて作ったのがワシの包丁よ」
「女は家庭、日用品を好むってのは古くないですかね。これだから、年寄りは……」
「若造、よく言った! いい度胸じゃないか!」
「そりゃあどうも! 褒められて光栄だ!」
贈り物を手にしたまま、フェイの前でバチバチににらみ合う二人のドワーフ。他のドワーフたちも、いざとなれば殴り込まんとばかりにいきり立っている。
余所の世界の男子高すら薄く思える、特濃の男の集団。それが、彼らドワーフである。そんなドワーフたちにとって、高嶺の花であり、慈しむべき妖精であり、愛しの姫、それがフェイだ。恋愛対象として、娘として、孫として。年齢や立場によって若干視点が違うが、とにかく愛おしい存在であることは間違いない。
フェイは、自分を巡る争いが勃発しそうな状況でも、ただ微笑んでいた。
決して、自分を巡る争いを見て喜んでいるわけではない。ここで、自分が何か言うと、争いがヒートアップするのを知っているからである。なにせ荒っぽい男同士の集団、下手に刺激した日には、鍛冶場ごと吹っ飛びかねない。比喩でなく、一度、そうなった。
“け、喧嘩はやめてください”
“お前、フェイちゃんを困らせてるんじゃねえよ!”
“悪いのはお前だろうが! かしこぶったツラしやがって! 我慢ならねえ!”
喧嘩をやめてと言ったのに、結果的にこれが殴り合いと鍛冶場が吹っ飛ぶきっかけになってしまった。あの時は、本当に大変だった。大変すぎて、思い出すだけで倒れそうだ。
よってフェイは、何も言えなかった。
何も言えないまま、鍛冶場に来た同行者に目で助けを求めるものの、同行者は炉や武器をまじまじと見ていて、フェイの困惑に気づいていなかった。
◇
「ほう……これは……」
壱馬はドワーフたちの鍛冶場に感嘆していた。壱馬もかつては組織の幹部として、いくつもの兵器工場に関わっている。だからこそ、この鍛冶場の生産力や効率の良さ、作り出す武器の品質の高さがわかる。
もっとも、壱馬の関わった兵器工場は、最終的に憎き裏切り者に全部壊されているのだが。人はアレを正義の味方と呼んでいたそうだが、壱馬から見れば疫病神である。
「カーカッカ! どうだ、たまらんか! 異世界の兄ちゃん!」
そんな壱馬に声をかけてきたのは、他のドワーフと比べても、数割増しで豪放磊落。ドワーフと鍛冶場をまとめる、ドワーフの長老であった。
長老は勢いのまま、壱馬に話しかけてくる。
「どうじゃ、この村の鍛冶場は! この辺りで、これだけの設備と職人を揃えた鍛冶場は無いぞ。もし注文があれば、国一つぶんの武器防具も作れる鍛冶場よ!」
「そうだろうな。設備もそうだが、なにより活気が素晴らしい。いい職人でも、そこに熱意や目標がなければ、質の良い武器を作るのは無理だ」
壱馬の脳裏によぎる、組織の研究所で働いていた同士たち。
世界征服という垂れ幕の前で、意気揚々と人体実験に挑んでいたのが懐かしい。
「おうおう! 物静かなわりに、職人の心がわかっとるの!」
ガハハと笑うドワーフの長老。どうやら壱馬の答えは、長老にとって満点だったようだ。
壱馬が働いていた工事現場、どの現場にも、このタイプのやかましい世話好きがだいたい存在した。
この世界に来る直前の現場に居たベテランと、ドワーフの長老が、壱馬の中でダブった。
長老は、少しだけ声を落として、壱馬に聞く。
「異世界の兄ちゃんに聞きたいんじゃが、もしかして異世界の珍しいモンを持ってたり、この世界にないモンの作り方を知ってたりしとらんか? もし、心当たりがあったらワシに是非とも」
「いや。何も持ってないし、特に知らない」
職人ならではの探究心を壱馬にあっさり切り捨てられ、ドワーフの長老は思わずずっこけてしまう。
「お、おう……。いやお主、もう少し考えてくれても、いいんじゃないか? 若いんだから、老人に優しさをくれてもいいんじゃないかの?」
「そう言われてもな……」
そもそも、ドワーフの年齢はよくわからないが、壱馬はそれなりの年齢な昭和世代である。意外と年は離れていないどころか、逆転の可能性だってある。
壱馬は困惑しつつ、長老に説明する。
「俺はほとんど着の身着のままでこの世界に送り出されたし、そもそも俺は専門の技術者でもなんでもないわけで」
「異世界人は、みんなこちらが無条件で平伏するぐらいに斬新な技術を持っていて、一気にこの世界の文化を進歩させる知識があると聞いたんじゃが」
「それは、ガラハにか?」
「いや。酒場の酔っぱらい。持ち合わせがなくて、最後は蹴り出されたようじゃが、一緒に飲んでいるぶんにはいいやつじゃったよ」
「……その酔っぱらいの脳みそに、どれだけアルコールが流れ込んでいたのかは知らないが、それは戯言だ。技術者なら分かると思うが、人間はただ生きているだけで技術を学び取れるものではない。それに、よほどの無理をしない限り、異なる技術のすり合わせには多大な労力と時間がかかる。もし俺がなにか知っていて、そちらに伝えたとしても、すぐに役に立てるのは難しいだろう」
壱馬に夢のない正論をぶつけられたドワーフの長老は、頬をかきながら話す。
「いや、そりゃお主の言う通りなんじゃが……本当に何も知らんのか? その物言い、技術者と技術をよう理解しとる!」
「悪いが、俺は技術者ではない」
「うーむ、そういうのならしかたない。納得はしたが、つまらんのう!」
口をとがらせ、ぶーたれるドワーフの長老。
壱馬はそしらぬ顔をしているが、二つばかり言っていないことがあった。
まず一つは、ある程度、壱馬は現代社会よりもひときわ高度な組織周りの知識や技術を習得していることである。
壱馬は技術者ではないが、技術者を使う幹部であった以上、必要最低限の知識は持っている。何もわからない状況では、部下を使うにしろ任せるにしろ、上手くいくはずがない。
もう一つ言っていないことは、壱馬は確かに着の身着のままでヴォートに来てしまったが、そもそも改造人間たる壱馬自身が異世界のアイテムであることだ。壱馬の身体のあちこちには様々な装置が眠っているし、内蔵のミサイルや毒ガスは立派な兵器である。
ただ、こんなことを正直に言ってどうするのか。信じてもらうのも難しいだろうし、なにより、装置目当てに解体されそうになったらたまったもんじゃない。
「ところで、お主。何をしに来たんじゃ? 見学か?」
「ああ、いや実は……」
ドワーフの長老に手紙を渡しに来たのだったと、壱馬は思わず自らの懐を探る。今、目の前にいるのがその長老だと、壱馬は気づいていなかった。
「壱馬さん、こっちですよ! こっち!」
フェイはドワーフの囲みをすり抜け、壱馬とドワーフの長老の元にやってくる。ガラハから手紙を受け取っていたのは、フェイであった。
「どうぞ!」
「おおっ! フェイか! ありがとうな!」
フェイを囲んでいたドワーフたちに負けぬほど、破顔し笑みを浮かべる長老。心底嬉しそうに、フェイが持ってきた手紙を受け取る。
その姿は、まるで年に一回しか会えない孫に出会ったお爺ちゃんである。
ドワーフの長老は、嬉しそうにフェイに話しかける。
「ところで今日は、ワシの仕事は見てかんのか? なんなら、鍛冶も手取り足取り教えるぞ?」
「うーん……鍛冶のお仕事も勉強したいんですけど、父さんやヴィルマがそれだけはダメだって」
「アイツら、ケチくさいのう……。ま! フェイの玉のような肌に傷や火傷をつけるわけにはいかんし、しゃあないの!」
本当に申し訳ない様子のフェイを見て、長老は気にするなと笑顔のまま手をふる。
「鍛冶場で卒倒されたら、大事故になるからじゃないか……?」
壱馬がポツリと呟いた。
フェイは壱馬の方を振り向くと、見上げるようにして話す。
「用事も済んだことですし、買い物にでかけましょう! その前に、ご飯にします?」
「そうだな。俺も腹が減った」
「ふふふ、じゃあ、とっておきの店に案内しますね。この中心部から、商業地区へは、秘密の近道があるんですよ」
フェイは上機嫌で鍛冶場を後にする。壱馬も遅れて着いて行こうとするが……。
とてつもない気が、思わず壱馬の足を止めた。
放っているのは、先ほどまでフェイを囲んでいたドワーフたちではない。フェイを独占した壱馬を睨んではいるが、まだ足りない。
この気は、多数ではなく一人の人間が放つ気だ。壱馬が放つ冷酷な殺気とは違い、熱情にあふれた殺気。微笑ましさと怖さが、同居している。
「おい」
そんな気を放つドワーフの長老の声は、ドスが効いていた。
「あの娘は、ワシやエルフの女王の孫みたいなもんじゃからな。手ぇ出したら、ぶっ潰すぞ。お前たちもな!」
ドワーフの長老についでに一喝され、ドワーフたちはあたふたと仕事に戻っていく。
孫を守る祖父の声。いや、長老の声には、それ以上の強さがある。境目無き無境の村を率いる一人、その一端に壱馬は触れた。
壱馬は少し気が抜けた様子で口を開く。
「俺も年齢的にはそっち側だ。警戒はしなくてもいい」
「そっち側?」
「孫がいてもおかしくないってな」
きょとんとした様子のドワーフの長老に、背を向ける壱馬。エルフなんてものがいて、実年齢がややこしい世界ではあるが、壱馬の本来の年齢であれば、別に孫がいたっておかしくはない。世代的には、エルフの女王やドワーフの長老寄りである。
ドワーフの鍛冶場を後にする壱馬。いくら面白そうであっても、老人と相対して、自らを満たす気は毛頭なかった。
だが、もし壱馬が何らかの手段でフェイに危害を加えたら、ガラハや長老はどうなるのだろうか。もしかしたら、壱馬が満足するほどのものを、見せてくれるのではないか。
そんな黒い飢餓感が、壱馬の脳裏を一瞬だけよぎる。
外ではフェイが、待ちくたびれた様子で空を仰いでいた。
◇
乾ききった風が、ヴィルマの頬を撫でる。
近隣の偵察に出かけたヴィルマが足を踏み入れた村は、灰燼と化していた。
黒焦げになった建物の枠組み、その間に散らばる灰の山。
灰の量には大小あるが、どの灰にも悲しみや恐怖が焼き付いていた。ヴィルマの目は、そのような死者の感情を見ることができる。
生存者はおらず、それどころか灰以外、血痕や食べ残しのような痕跡は一切残っていない。村は完全な焼け跡である。
山賊が略奪を尽くして焼いたのでも、コボルトが本能のままに暴れたのでも、火吹き竜がいきなりやってきたのでもない。この村は、ただ焼かれたのだ。
ヴィルマはひざまずくと、足元にある二つの灰の山、大きい方の山の灰を手ですくい取る。灰はさらさらと手からこぼれ落ち、再び地面に積もっていく。
ヴィルマの灰が乗った手、手の甲に髑髏に似た紋章が浮かび上がる。
ダークエルフには、死霊と心を通わせるネクロマンサーとしての素養がある。ダークエルフであるヴィルマにも、当然その力はあった。この忌まわしい力により、ダークエルフは人々から排斥され、やがてその一派は魔に堕ちるに至った。
「悪いが、目を貸してもらうぞ」
そう言うと、自らの目を閉じるヴィルマ、暗闇の先に燃え盛る村の光景が見える。これは、死者が見た、自身が死ぬ直前の光景だ。
燃える村。赤い炎がとぐろを巻き、まるで大蛇のように逃げ惑う村人たちを襲う。
必死に火のないところを探す視点と別の視点が交錯する。建物と建物の隙間をくぐり抜け、視点の主は運良く火が広まっていない場所にたどり着く。
突如、影により黒くなる視点。死者は恐る恐る見上げる。
影の正体は、何やら奇妙な格好をした巨人であった。巨人は村が焼けることなど気に留めぬ様子で、ただ悠然と立っていた。
直立不動であった巨人の手が、ゆっくりと動き近寄ってくる。近づいてくるその手は、まるで幼子を撫でるに優しげな動きを見せている。だがその慈悲の手は、赤黒い炎につつまれていた。
死者の視線が、懐に抱いて庇った子供だけを見る。震える子供を、必死に自分のか細い手で抱きしめている。その腕は、女の腕である。彼女はここに来るまでずっと、子供の手を引いて逃げていた。必死に逃げる最中、何度も子供の方を振り返っていた。
やがて、視界が赤で染まり、ここで死者の記憶は終わった。
目を開けたヴィルマは、自分がこぼした灰を再び集めると、灰の小山の脇に並べる。
二つ並んだ灰の小山を前に、ヴィルマは名も知らぬ母親と子供に祈りを捧げた。
あれだけの火力であれば、業火の刺すような痛みも熱さも感じぬまま逝けただろう。
それだけが、ヴィルマが祈れる救いであった。
立ち上がったヴィルマの元に、彼女が連れてきた自警団員たちがやって来た。
「状況は?」
「周囲の村も、この村と同じです。多少の残骸を残し、生き物という生き物はみな、灰になっていました。村人も家畜も問わずです」
報告を聞いたヴィルマは、顎に手を置き不思議そうに辺りを見回したあと、ポツリと呟いた。
「妙だな」
「妙とは……?」
自警団員は、ヴィルマの呟きの真意をたずねる。
「人を灰にするほどの熱であれば、建物だって丸ごと灰になっていたはずだ。それなのに、建物の一部は焼け残った。なぜ、建物だけ残った?」
ヴィルマが死者の視点を借りて見た光景は、村ごと焼き尽くす勢いだった。それなのに、生き物だけ灰になり、建物は全焼程度で済んでいる。
あの蛇のような炎と、巨人が身に宿していた赤黒い火炎。あの尋常でない火には、何らかの秘密がある。そう思わざるを得なかった。
「それと、これを……」
悩むヴィルマに、自警団員の一人が焼け焦げた槍を手渡す。
作りは良いものの、飾りの一切ない造り。その槍を見たヴィルマは、そのまま取り落とす勢いで驚いた。
「これはまさか……ドーゼン王国の槍か!」
ドーゼン王国。ヒューマンの国であり、無境の村の周辺を統治する国家である。王の資質は可もなく不可もなく。その分、才気走ることも大馬鹿もせず、それなりに安定した国だ。
無境の村との関係は、可もなく不可もなく。互いの統治には口も手も出さず、商業を通じての関係だけは維持している。近所のわりに、即座に発火するようなトラブルは抱えていない。ある意味、丁度いい距離感である。
ヴィルマに槍を渡した自警団員は、そのまま報告を続ける。
「他にも、いくつか王国兵の痕跡が見つかりました。この惨状に、彼らが関わっていると見て、間違いないかと」
「馬鹿な! この村は、ドーゼン王国の領内だぞ! 自らの村を敵国のように焼く軍など、あっていいわけがない!」
ヴィルマとて無垢な小娘ではない。軍が常に正しく動くわけではないこと、緊急時には自国からも略奪することは知っている。
だが今は、緊急時でも戦時下でもない。そんな状況で、自国の村を略奪するのでもなく、ただ焼く軍隊など、許されるはずもない。ドーゼン王国の軍隊は、そこまで無軌道ではなかったはずだ。
無境の村には、ドーゼン王国と関わりの深い人物もいる。そんな人間ですら、察知できぬほどの突然の暴虐。いったい何が起こっているのか、ヴィルマには理解が出来なかった。
自分の常識を超えた何かが起ころうとしている。ヴィルマの額に冷たい汗が流れた。
ひとまず汗を拭おうとしたヴィルマは、あることに気づき、一気にその手と声を荒げた。
「我らの常識では考えられない行為ができる存在……まさか!」
世界の常識を超えた行為ができる者。それは、逸脱した者だけではない。この世界の常識とは別の常識、別の世界で生きてきた者も当てはまる。
ヴィルマが思い浮かべたのは、主犯であろう謎の燃える巨人。そして、異形の姿へと変貌し、ただ効率のためにコボルトたちを虐殺した、壱馬の姿であった。
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