第11話

 無境の村の中心部、通称”中央”。外部の人間はおいそれと入れぬため、豪奢な宮殿や神秘的な神殿があることを想像するが、エルフ族古来の住居である大樹を切り抜いた住居や、ドワーフ伝統の穴ぐらと、その雰囲気はむしろ牧歌的である。

 その片隅にある丸太小屋にて、担当のエルフたちが目を丸くし口々に呟いていた。


「コレ、どうすんだ」


「このペースで薪を作ってたら、森、無くなるんじゃないか?」


 どれだけ贅沢極まりない使い方をしても、数カ月は保ちそうな薪の山を見て、皆、唖然としている。もっとも、そんな山を一人で担いで持ってきた異世界人を目撃した者は、唖然を通り越して呆然とへたり込んでいるが。

 そんな無茶苦茶をやらかした異世界人、壱馬は現在、おいそれとよそ者が足を踏み入れることができない中央を堂々と歩いていた。フェイとガラハは別の用足をしていた。

 異端を受け入れる無境の村であっても、世界の異分子たる壱馬をどう受け入れるかについては、悩みとためらいがある。自然と壱馬は注目を集めていた。

 そんな視線に構わず、壱馬は目的の場所に向かう。


「あれが異世界人か。一人で歩かせておいていいのか?」


「なんと立派な。見知らぬ地で、ああも平静を保っていられるとは」


「あの服、変わっているな。だが、似合っている」


「精悍でいい男じゃない。気に入ったわ。ちょっと、やる気が無いけど」


「わたしは、なんだか怖い……あの人、何を見ているの……?」


 異世界人たる壱馬を見た感想が、中央の至るところで語られている。憂いなく、卑下もない。ただ普通に振る舞っている壱馬の姿は、幸い好意寄りで受け入れられていた。

 無理に良く見せようとするのではなく、威嚇するわけでもない。こういう場合における普通は、選択肢において最良であった。人は、異端にすら普通を求める。

 もっとも、壱馬は計算して振る舞っているわけではない。無境の村の人々の目も、自分に関する声も気にしていない。当然、その振る舞いに余計なものはついてこない。良く言えば達観、悪く言えば、無関心がすぎるのだ。

 壱馬は、善意で接すれば善意で、悪意で接すれば悪意で返す、鏡のような男である。だがその鏡は、映すべき者にうるさい鏡でもあった。おいそれとは、映さない。これを予想していたから、ガラハは壱馬を中央に連れてきたのだろう。

 壱馬は、目的地である大樹の前に立つ。この樹の中にあるのは、無境の村の図書館である。壱馬が読んでいた巻物や本は、この図書館の蔵書であった。

 どうせなら、本を探すのを頼むより、自分で好きな本を探したほうがいいだろう。フェイとの待ち合わせ場所は、この大樹をくり抜いて作られた図書館であった。

 扉を無造作に開ける壱馬。扉を開けたところで、この世界の現実を思い出した。

 中にいた、うら若きエルフの少女たちから向けられたのは、悪意、恐怖、敵意、不信。本来、このヴォートの住人に、異世界人が浴びせられる視線であった。

 壱馬はため息をつくと、そのまま図書館に入ろうとする。もともと、そういう目で見られるのは、慣れている。そんな壱馬の肩を、強烈な力が掴み上げた。


「止めておけ」


 そう言って、静かに図書館の扉を閉めるガラハ。


「お前は平気でも、あの娘たちは平気じゃない。図太い連中とは違い、あの娘らはまだ若く、無境の村の外すら慣れていない。他の世界の人間なんて、どう接したらいいのかすらわからないだろう」


「エルフは外見に見合わぬ高齢と聞いたが」


「長寿なぶん、心の成長も遅いのさ」


 壱馬の疑問に答えつつ、建物の裏を指差し歩きはじめるガラハ。壱馬もそれについていく。歩きながら、ガラハは壱馬に話しかける。


「彼女たちが憎いか?」


「いいや。この世界の人間が異世界人を恐れる理由はわかっている」


 壱馬は既に、なぜこの世界の人々が異世界人を恐れているのかを書により学んでいた。


                  ◇


 かつて、このヴォートと呼ばれる世界には魔王がいた。

 魔王が率いる魔族と人類の戦いは長く続いていたが、ある時、ヒューマンの中から勇者と呼ばれる存在が出現したことで、風向きは人類寄りに変わった。

 だが、戦いが人類優勢となったその時、突如あらわれたのが異世界人だった。強大な力と残虐性と支配欲を持つ異世界人の手により、戦局は混乱。戦いは混迷を極めた。

 しかし勇者は、遂に魔王を倒し、異世界人も追放。魔族の勢力は大きく衰退し、ヴォートは人類が主導する世界となった。件の勇者がヒューマン出身であったことから、ヒューマンの権威や権力も増すこととなった。

 これが、おおよそ十年前にあったと言われている出来事であった。


                  ◇


 足を止めぬまま壱馬から彼が学んだヴォートの歴史を聞いたガラハは、壱馬にたずねる。


「この国の歴史と異世界人がしたことを知って、何かおかしいと思わなかったか?」


「あいにく、余所の歴史になにか言える立場じゃない」


「真面目だな。別にここは、研究院でも裁判所でもない。思ったことを言ってくれてかまわん」


 ガラハにこう言われ、壱馬は少し考えてから口を開く。


「勇者の情報や魔王の情報に比べ、異世界人の情報が少なすぎる。名前も、姿形もわからない。ただ、異世界人という強くて残虐な存在がいた。それくらいしか、わからない」


 異世界人である壱馬は、この世界における異世界人のイメージを型作り、同じ世界から来た可能性がある。当然、資料を読む際、その点に注視したが、その異世界人の詳細がわかることはなかった。ただ恐ろしく、ただ危険であった。それ以外、何も無いのだ。


「その結果、異世界人の響きが個人を指すのではなく、モンスターの種族を指すかのような言葉になっている。そうして異世界人に恐れを抱く一方、遊び半分で呼び出している連中もいる。正直に言わせてもらえば、わけがわからない。そしておそらく、魔王と勇者と異世界人の関係には、何か裏がある」


「思ったことを言っていい、と言われたら、一気に踏み込んできたな」


 苦笑するガラハ。この遠慮の無さは、当人の性格か、それとも別の世界から来たとわりきっているのか。どちらにしろ、ガラハにとって不快なやり取りではなかった。


「誰が歴史書を書き、誰が異世界人に対する不可思議な対応をしているのかは知らないが、おそらく違うというのは、私にもわかる。実際、異世界人に会ったことがあるのでね」


 思わず止まる、壱馬の足。ガラハもそれに気づき、歩きながらの会話は立ち止まっての会話に変わった。

 フェイの異世界人へのあこがれは、ガラハが発端である。知った壱馬が訪ねても、それとなく誤魔化してきたガラハが、自ら話しはじめた。唐突にぶつけられた結果、壱馬も多少動揺していた。

 ガラハは、今までフェイ以外には伝えていない異世界人についての話をはじめる。


「私は十数年前、冒険者をしていた時期があった。その際、ギルドの仲介でパーティーを組んだのが、異世界から来た少年だった。とにかく、生きていくために、冒険者の道を選んだ。冒険者は、どんな人間でもなれる職業だからな」


「少年?」


「たしか、名前はカズと言ったかな。当人が、そう名乗っていた」


「当たり前だが、聞き覚えのない名前だな。名字は?」


「姓のことか? ふうむ、この世界では、性を持つ人間は少ない。だから聞いた記憶がないな」


「無くて当たり前と思っていれば、聞くこともないか」


「カズは異世界から来たというのは嘘なんじゃないかと思うくらいに、普通の少年だった。ただ、この世界の人間なら知っていて当たり前のことを知らなかったり、性格や価値観が綺麗すぎたりと、一緒に冒険を続けているうちに、カズが異世界人であることと、異なる世界の存在を信じるようになったよ。きっと本来、異世界というのはこの世界より、平和なんだろう」


 何も答えない壱馬。その平和を壊そうとした側の人間として、何か言えるはずもなかった。ガラハは一拍置いてから、再び異世界人との思い出を語り始めた。


「出会った頃のカズには、剣の腕も無く、魔法を使うこともできなかった。ハッキリ言って、素人以下だ。ただ、彼には秘めたる才能があり、才能を伸ばすだけのひたむきさもあった。基礎を教え、実戦を経験していくことで、その実力はメキメキと伸びていった。出来ることなら、最後まで見ていてやりたかったよ」


「途中で別れたのか」


「なにせ、死にかけていた虚弱な幼女を拾ったものでね」


 図書館の中を覗き込める窓、ガラハはその窓枠にヒジを着く。

 図書館内の一室では、エルフの女王が直々に、フェイとマンツーマンの授業をしていた。


「宿題の採点が終わりました。四大元素に加え、回復魔法の問題も満点です。理論を正しく把握しているようですし、今日は実践を中心におこないましょう」


「はい!」


 エルフの女王の微笑みに、元気な返事で答えるフェイ。なんとも、観ていて微笑ましくなるマンツーマンである。


「中で見たいか?」


「いいや」


「ああ。それでいい。私もこの部屋には、あまり入りたくない。いかんせん、ここは女王のコレクションルームだ。たとえば、あの瓶に入っている一つ目巨人の目玉。アレだけで、この村の商業地区の稼ぎの半年分らしいぞ? 女王は魔術の権威であり、この部屋にあるものはすべて素材や触媒。長すぎる人生のコレクションだ」


 中の様子を見る壱馬、部屋の壁のあちこちに、巨大な目玉や鱗に覆われた手が瓶入りで収納されている。部屋の角にある兜付きのフルアーマーはカタカタと震え、鎖でがんじがらめにされている。

 なんというか、壱馬にとって馴染む部屋ではあった。怪人製造担当の、自他ともに認めるマッドサイエンティストの部屋。アレに似ている。

 壱馬は郷愁の念を抑え、ガラハに話しかける。


「やはり、フェイとあんたは血が繋がっていなかったか」


「やはり? 一緒に一ヶ月暮らしたとはいえ、わかるものかね」


「あんたが妻に逃げられるような男に見えなかったんでな。死別したとしても、家に残り香がなさすぎるし、故人を完全に忘れようとするほど、冷酷にも見えない」


 ガラハは少しきょとんとした後、豪快な笑いを見せた


「ハハッ! 珍しく、言ってくれるな! だがそれは、私を買いかぶり過ぎというものだ。男女の責任から、逃げたことぐらいある。それに、路上に放置されたまま、息も絶え絶えなフェイを見つけた時は、拾うかどうかだいぶ悩んだよ」


「いきなり道にいたのか」


「ああ。道から少し離れたところの木の根本で死にかけていた。着の身着のままで、当人の所持品も他人がいた痕跡も、当人以外、何も無かった。しかも、当人の記憶も名前以外あいまいだった。当時、いったい何があったのか、おそらくフェイ自身もわからぬだろう」


 壱馬は思わず、室内で懸命に勉強をするフェイをじっと見る。あの明るさと純粋さを見て、その昏い過去を想像できる人間はいないだろう。彼女は虚弱でありつつも、すくすくとまっすぐであった。

 一方、ガラハの目は、昔を思い出すように遠くを見ていた。


「この娘の面倒を見ると決めた瞬間、私の冒険者としての生活は終わりを告げた。私は異世界人たる彼や仲間たちと別れ、旧知であったエルフの女王やドワーフの長老に頼み込み、この無境の村に置いてもらったのだ。その後は、フェイの面倒を見るのでてんてこ舞いで、カズがどうなったのかを知るよしもなかった。だが、気づけばいつの間にか、異世界人は魔王と並び、この世界を脅かす存在にされていたのだよ」


「そのカズと、危険な異世界人は同一人物なのか?」


 壱馬に聞かれたガラハは、悲しげに首を横に振った。


「わからない。気づいた時、カズはすでにこの世界から消えていて、弁護しようにも手段がなかった。私の知るカズは、人類を脅かすなど、そんなことのできる人間ではない。あの子は、ただの少年だったのだ。ただ……もしあのまま、ぐんぐんと才能を発揮していたら、この世界の人間では勝てぬ域に達していた可能性はある」


「そこまでか」


「ああ。剣も才能が必要だが、魔術や魔法はそれ以上に才覚が問われる。剣と魔術、両方の才能をあれだけ持つ者は、知っている限り二人しかおらんよ」


 ちらりと、室内にて傷ついた小動物に回復魔法をかけているフェイに目をやるガラハ。動物の傷は、みるみるうちに治っていく。

 壱馬は、ガラハに誰もがするであろうツッコミを入れる。


「親バカだな」


「笑うか?」


「いいや」


 壱馬は、ガラハの発言を認める。

 長い付き合いではないが、フェイには間違いなく光り輝く才能があるのは理解している。それほどまでに、フェイの才能はまばゆい。だがそこには、付け加えねばならない懸念もあった。


                  ◇


 フェイの回復魔法で傷が治った小動物は、嬉しそうに机の上を駆け回った後、フェイに向かって頭を下げる。なんだか、お礼のお辞儀をしているように見える。

 フェイはそんな小動物を見て、微笑んだまま、その場に崩れ落ちた。倒れる寸前、女王がフェイの身体を支える。だが、驚いた小動物は空いていた窓から外に跳び出して逃げてしまった。

 女王は優しげな様子で、フェイに語りかける。


「見事です。でも少し、魔力の放出が強すぎましたね。もっと、ゆっくりでもいいんですよ?」


「はい……でも、怪我が痛そうだったので……早く治してあげたくて……」


 フェイの答えを聞き、ふぅとため息をつく女王。ため息ではあるものの、その様子に不快感はなさそうだった。


                   ◇


「離してやれ」


 ガラハに言われ、壱馬は尻尾をつまんでぶら下げていた小動物を開放する。テテテと森へと逃げていく小動物。かの小動物にとって不運だったのは、跳び出した窓が、ちょうど壱馬とガラハが覗き込んでいる窓であることだった。


「回復魔法。あの傷の治りの早さは、刮目すべきだ」


 壱馬は、本音で回復魔法の素晴らしさを称賛する。


「カズも始めて回復魔法を目の当たりにした時は、驚いていたな。そちらの世界には、回復魔法は無いのか?」


「似たようなことができる存在は何人か知っているが、言葉で傷を治すのは見たことがない」


 自分の鱗を貼り付けて他人の怪我を治すサカナ怪人や、長い舌でべろりと舐めて傷を治すトカゲ怪人とフェイを同列にするわけにもいかない。

 しかし、この異世界ヴォートの回復魔法や自生する薬草の効力の高さは、壱馬も目をみはるものだった。魔術師の回復魔法と薬屋の野草への知識により、この世界の医療は成り立っている。

 一方、壱馬の知る医療は、この世界には無い技術と知識であった。たとえば菌の存在と消毒の大切さについては伝わっていない。しかし、この世界の回復魔法や薬があれば、たいていの病や怪我は、どうにか直せてしまうだろう。

 魔法と医療、そこに優劣はなく、結果を目指すための方向性が違うだけだ。

 ガラハは壱馬に、この世界の魔法についての話を始める。


「しかし、この世界の人間も、全員回復魔法が使えるわけではない。魔法を使うには、特定の素質が必要だからな。まず、魔術が使えるかどうかで分かれ、さらにそこで適正が問われる。攻撃、防御、回復、さらに炎や水といった五大元素……この細かにわかれた素養をどれだけ持っているかで、使える術の数は大きく変わってくる」


「努力ではどうにもならない、才能の話というわけだ」


「ああ。エルフの女王は、この世界でも屈指の素養の持ち主だ。もともと、魔術に強いエルフの中でも、女王は特級だ。大抵の魔術を理解し、行使することができる。だが、女王が言うに、フェイの魔術に関する素養は、一般的なエルフをゆうに超える域らしい。ヒューマンで、ここまでたくさんの素養を持っているのは、女王以上に珍しいぐらいだと聞いている。いかんせん私には魔術の素養がないので、細かいところまではわからないがね」


 ふうと、聞こえるぐらい重い溜息を吐いたガラハは、さらに話をすすめる。


「魔法だけではない。フェイには、剣術、弓術、槍術……何をやっても一流になれる才能がある。さらには、自らの才能に増長せず、己の思うことを成し遂げようとする、意志の強さもある。エルフの女王が、フェイに授業をしているのも、あの子が頼み込んだからだ。私も含め、この村にいる教師役は全員、とにかく鍛えたいというフェイの願いを聞いている。そして全員が、フェイの素質の高さに目を見張っている」


 壱馬も、ガラハの意見に同意であった。

 森の中、突如コボルトに襲われた時の、あの動き。自宅前という気の抜けている状況で、とっさに反撃を考えられる、思考の切り替えの早さと判断力。さらに、思い描いたことを実現させるだけの体術。どれもこれも、才能がなし得るものだ。持っていない者が似た領域にたどり着くには、途方も無い時間や経験が必要だろう。

 フェイの才能が特級であることは、疑いようがない。

 だが――


「いかんせん、体力がない」


 この台詞を発したのは、壱馬であった。ガラハは壱馬の目を見て、ゆっくりとうなずく。


「もしまだ世界に魔王がいれば、勇者となれる才能がある。あのカズにも負けておらん。だが、生まれ持っての体力の無さが、あの娘に何もさせてくれないのだ」


 コボルトを即座に倒したあの時、壱馬がフェイの動きに目を見張ったのは事実だが、もしあの時壱馬がいなければ、力を使い果たしたフェイは残りのコボルトに殺されていただろう。

 行軍に参加できない兵士。

 回復魔法で力尽きる魔術師。

 日常を営む上で、細心の注意が求められる住人。

 複数持つとびっきりの才能が、すべて体力が無いの一言で死んでしまう。なんという、残酷な話なのだろうか。壱馬ですら、そう思う。

 フェイを父代わりに見守ってきたガラハ。そして、そんな状況でも自らを鍛えようとしているフェイの心中は、いかほどなのだろうか。


「おや。迎えが来たようですね」


 部屋の中のエルフの女王が、窓にいるガラハと壱馬の存在に気づき、声をかけてくる。

 エルフの女王は、まず先にフェイに向き直った。


「今日の授業はここまでとしましょう」


「はい! ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げるフェイ。軽やかな足取りで、ガラハと壱馬の元へとやってくる。


「父さんもイチマさんも、用事は終わったんですか?」


「だいたいはな。だが少し、別の用事ができてしまってな」


 ガラハは懐から封書を取り出し、フェイに渡す。


「この手紙を、商業地区にいるドワーフの長老に渡して欲しい」


「父さんは?」


「私はまだ、中央に用がある。日常用品の買い出しもあるだろうし、荷物持ちを連れて行って来い。幸い、どれだけ重い荷物を背負っても、顔色一つ変えない男だからな」


 ガラハは立てた親指で壱馬を指し示す。顔色一つ変えないという評価は正しかったが、壱馬の眉がわずかに面倒そうに歪んだ。


「出ついでだ、二人で飯も済ませてくるといい。会計は私のツケでいい」


 続けざまのガラハの太っ腹な話を聞き、壱馬の歪んでいた眉が元に戻った。

 そんな壱馬を見て、フェイは楽しげな顔をした。


「ふふふ……じゃあ、準備をしてきますね。イチマさん、入り口で待っててくださいね」


 フェイはそう言って、背を向け去って行く。数秒後、ドターンとなにかが倒れる音と、ちょっとした悲鳴が聞こえた。


「少し調子に乗りすぎだと思っていたが、やはり限界だったか」


「授業後の状況で、少しはしゃぎすぎましたね」


「あれだけ毎回倒れて大した怪我を負っていないのだから、受け身の才能も一流だ」


 ガラハもフェイも、壱馬ですらフェイの卒倒をよくあることと受け入れていた。

 ガラハは再び壱馬に話しかけようとする。その目も声色も、今までにないくらい真剣そのものだった。


「もし異世界に、あの娘の体力を補える何かがあるのならば、是非とも教えて欲しい。たった一つの枷で並外れた才能を活かせない。そんな不幸から、あの娘を救って欲しいのだ」


 ガラハがそう言って、壱馬の方に振り向くと、壱馬の姿はとうに無かった。

 呆然とするガラハに、エルフの女王が部屋の中から話しかける


「あの人でしたら、さっきそそくさと立ち去っていきましたよ。お腹も鳴ってましたし、商業地区に早く行きたいのでしょうね」


 楽しそうな様子のエルフの女王。壱馬もガラハもフェイも、微笑ましくてたまらない。若いままの美しい顔に、年長者らしい余裕のある笑みを浮かべていた。


「あの男、飯抜きがそこまで効いていたか……」


「飯抜き?」


「いや、なんでもありません」


 エルフの女王に聞かれ、早急に外面を整えるガラハ。そんなガラハの様子を、女王は愛おしいげに見ていた。


「あの異世界人のイチマさんですが、なかなかおもしろい人のようですね。少なくとも、今ここに、なんらかの邪気は感じません。しばらく、この村に滞在するぶんには問題ないでしょう」


 壱馬に対する所見を述べる、エルフの女王。今こうして、ガラハが壱馬を連れてきたのは、この村のトップの一人であるエルフの女王への面通しというのもあった。


「ですが……彼に救いを求めるのは、同意できません」


 女王の声色が、一気に悲痛になった。


「今の彼はおとなしい人ですが、まとわりついている呪いの数が並大抵ではありません。アレは、死人に纏わる出来事を何度も体験し、それらを気にかけない者でなければ、背負えない宿命です。ヴィルマが彼に拒否感を持っているのは、これが理由でしょう。ヴィルマの才能は、呪い寄りなので……」


 断片的ではあるものの、女王は壱馬が元の世界で何をして生きてきたのかを見抜いていた。魔術と呪いを知るからこそ見抜けた、壱馬の過去の一面である。

 女王は壱馬が去った方を見て、悲しげに呟いた。


「あの人は、ひょっとしたらフェイを救う方法を知っているのかもしれません。でもそれはおそらく、悪魔との契約に等しい、呪いの如きやり方なのでは。そう思ってしまうのです」


 一層真剣な面持ちとなったガラハは、女王の発言に返事をせず、同じように壱馬がいた場所を、じっと見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る