三章 平穏な日常か、それとも退屈な日々か

第10話

 様々な種族が住む、無境の村。この村の朝は早い。早く起きたエルフの女王が静かに身支度を終えた後、ドワーフの長老が無遠慮に槌を叩く音で皆が起きる。この順番に対し、年寄りは朝が早いと言うことは無境の村のタブーである。

ただ、これは政治の中枢たる中央の話である。さらに種族も生活様式も多様な商業地区は、そもそも朝昼晩、まんべんなく騒がしく、一日の境目が薄い。

そして中央と商業地区の境界となる境目の森の朝は、中央に負けず劣らず早かった。



 パカン、パカンと、小気味よく薪が割れていく。薪割り台の前に座り、膝に敷いた巻物を読みつつの薪割り。どう見ても、片手欠損レベルの大事故、そのフラグにしか思えない。

 このながらの薪割りが可能なわけは、片手で薪をひろい、そのまま台に乗せて、手刀で真っ二つに。そのまま割れた薪をどけて、新しい薪をまた拾う。斧もナタも使っていない以上、危険もクソもない。

 異世界からやってきた、放逐者こと池水壱馬。この境目の森に住む、ガラハとフェイの家に転がり込んでから、もう一ヶ月。この薪割りが、彼の日課であった。

 この世界に来た時に着せられていた学生服のまま、ただ機械的に薪を割り続けている。年齢に不相応な学生服であるが、この世界の服よりはやはり馴染む。

 巻物には、びっしりと文字が記されている。読み終えた本や巻物も、脇にたくさん積んである。これはみな、フェイに頼み用意してもらった読み物である。

 とにかく壱馬は、この世界を知るため、知識を貪欲に吸収し続けていた。すでに、文字も覚えている。組織の元幹部としての、改造人間としての頭脳の明晰さは伊達でない。


「精が出るな。いや、少し出すぎだな」


 森のあちこちから薬草やキノコを取って帰ってきたガラハが壱馬に声をかける。

 顔を上げる壱馬、気づけば、割った薪の山がこんもりと積もっていた。その高さは、立っているガラハが見上げるほどだ。

 巻物を戻した壱馬は、立ち上がるとこともなげに言う。


「……問題ない。俺なら全部、担げる」


「意地を張るな、と言いたいが、お前ならやってしまうんだろうな」


 ガラハはそう言って、家の裏にある倉庫へと去って行く。


「ご飯ですよー」


 声を出しつつ、家から出てきたフェイ。家の中からは、食欲を誘う香りと暖かな湯気が漂っている。

 壱馬は薪割り、ガラハは薬草やキノコの採取、フェイは家事。境目の森に住む三人の朝は、エルフの女王やドワーフの長老に負けず劣らず早かった。体質的にあまり睡眠を必要としない壱馬でなければ、この二人の生活についていくのは大変だったろう。


「わ。すごい!」


 フェイもまた、積み上げられた薪の山を見上げて目を丸くした。


「問題ない。俺なら全部、担げる」


「さすが、イチマさんです! そうですよね、量はあった方がいいわけですし」


 壱馬なら、なんでも出来てしまうんだろう。キラキラとしたフェイの目から、壱馬はさっと視線を外す。フェイのきらめきは、仄暗い人生を歩んできた男にとって眩すぎる。

 異世界と異世界人に憧れを持つフェイと、その異世界から放逐された壱馬。この一ヶ月、フェイの執拗な質問攻めを、壱馬はさらりと躱していた。元の世界から放逐された上に、数十年間ずっと海を見ていた改造人間に、何が話せるというのか。

 弱冠暗い面持ちでそんなことを考えていた壱馬が、唐突に呟く。


「で、なぜいきなり俺は暗殺されそうなんだ」


 壱馬の背後の茂みががさがさと動き、中から矢をつがえたダークエルフが出てきた。

 無境の村の自警団長こと、ヴィルマである。

「フェイの花のような笑顔を見て、そうも暗い顔をしていれば怪しいと思うのが当然だ」


 堂々と豊かな胸を張って答えるヴィルマ。壱馬は鏡であり、敵意を持てば敵意で返ってくる。ガラハにこう言われたヴィルマではあるが、定期的にやってきてはこう、壱馬に肩をぶつけるようなことをやっていた。

 フェイは壱馬とヴィルマの間に入り、ヴィルマをなだめる。


「ヴィルマさん、イチマさんは悪い人じゃないですから」


「いいや。そもそも、この世界だろうが異世界だろうが、男は野獣みたいなものなんだ。優しい人だと思いこんで油断すると、がぶりといかれるぞ」


 そう言ってから、ヴィルマは壱馬をじろりと睨む。


「若さのわりに、そっち方面ではなんだか枯れて見えるな。貴様、勃つのか?」


「安心しろ。俺の好みは極めて狭い」


 殺意よりも殺気よりもある意味辛い問いかけを、壱馬はさらりと流した。大物である。

 そんな壱馬の様子を見て、ヴィルマは改めて首をひねる。


「長い間、同じ屋根の下に住んでおきながら、可憐なフェイに手を出さないでいられたとは……貴様の性癖は、ゴブリンのひたいほどに狭いのか?」


「この世界だと、猫のひたいではなく、ゴブリンのひたいなのか。世界の違いとは、面白いな」


「とにかく、いくら狭かろうと、フェイに手を出していない時点で、それは勃たないのと同じだ!」


 ふふんと勝ち誇るヴィルマ。結局のところ、ヴィルマはフェイが好きすぎて、納得いかない気持ちを壱馬にぶつけているだけだ。壱馬も、彼女の敵意の源を理解しているので、本気で対応していない。やさしい世界である。

 そんなやさしい世界に落とされたのは、げんこつであった。


「痛ッ!」


 突然の痛みに、頭を抱えるヴィルマ。


「フェイの前で、何を言っているんだお前らは。見ろ!」


 裏の倉庫から戻ってきたガラハが、フェイを指差す。


「た、勃つって……勃つって……」


 フェイは顔を真赤にしてフリーズしていた、性的言動のキャッチボールは、無垢な少女にとってなかなかの危険球であった。


「す、すまないフェイ! それはそれとして、私だけげんこつというのも不公平では!」


「頭の上から岩が落ちてきても平然としている男の頭を叩けと?」


 ヴィルマのフェイをあわてて介抱しつつの抗議を、ガラハは無茶苦茶な正論で退ける。実際、落石を頭で砕いた壱馬を目撃してしまった以上、げんこつは落とせまい。骨格も頭蓋骨も鋼鉄製の壱馬の頭を素手で叩くのは、骨折と同じ意味である。


「げんこつの代わりに、今日の夕飯は半分だ」


「ぐはっ!」


 ガラハの宣告を効き、ダメージを受ける壱馬。人間だろうと改造人間だろうと、エネルギーの摂取からは逃れられない。性能が高い改造人間は、当然摂取量も多い。

 フェイをひとまず椅子に寝かせ、手をうちわがわりにあおぐヴィルマ。そんな彼女の格好に、ガラハは気づく。


「外で何かあったのか?」


 ヴィルマは外行き用のマントを羽織っていた。ビキニアーマー同然の鎧にマントを羽織る姿は、外行きというより痴女仕様だが、それはさておき。


「実は、外から嫌な風が吹いてきたんです。どうにも気になるので、一度調べに行こうかと」


「風か。お前が感じる風となると、それは確かに見過ごせぬか」


 エルフ族の感覚は、時に知覚できぬものすら感じ取る。その感じ方や感じる範囲や対象は種族により異なる。ダークエルフのヴィルマが感じ取る嫌な風は、見過ごすわけにはいかない感覚であった。


「一度こちらに報告してから立とうと思ったのですが、余計なことに気を取られてしまい……」


「まったく。フェイはいい友人を持ったものだ。気をつけて行ってきてくれ。今日は薬草や薪を中央に収めに行くから、その時、女王にその件を相談してみよう」


「はっ! ところで、あの薪の山をどう運ぶおつもりで? 部下をよこしましょうか?」


「いや。出来ると言っているし、あの薪の山を作った人間にやらせる」


「まさか、あの男を中央に!?」


 驚きを見せるヴィルマ。無境の村の商業地区ならともかく、部外者で中央に足を踏み入れることが許されるのは、信頼できる極少数だ。正式に村の一員と認められていても、中央に入ることを許されていない者もいる。

 そんな中央に、並々ならぬ力と凶暴性を隠した異世界人を入れる。ヴィルマにとって、受け入れがたい話であった。


「女王や長老、中央の人間が異世界人に並々ならぬ興味を持っていることは察しているな。だったら、一度直接見てもらうのが楽だ」


「ですが……」


「万が一にそなえ、打てる手は全部打っておく。ひとまずここは、私に任せてもらおうか。それに、意外と大丈夫な気がしてこないか?」


「たしかに」


 ちらりと壱馬の方を見るヴィルマとガラハ。

 壱馬は薪の山の麓に腰掛け、うなだれていた。


「夕飯が……半分……」

 飯半減のショックがデカかったのか、壱馬は異世界ヴォートに来て始めてダメージらしいダメージを受けていた。


「どうやら、ひとまずは大丈夫そうですね」


「ああ。我らも、この娘の信じる心を見習おうじゃないか」


 ヴィルマとガラハは頷き合う。


「勃つ……勃ってる……?」


 そんな二人の視線の先では、フェイが赤い顔のまま、まだうなされていた。

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