第3話

 深い眠りより目を覚ました壱馬は、目頭を抑え、ゆっくりと立ち上がる。

 寝かされていた床は、異常なまでに硬かった。


「ここは……?」


 寝ているうちに、空は青から黒へと、夜に変わっていた。

 壱馬の四方を囲む四本の道路と、四つの信号。壱馬は、どこかの交差点の中央に寝かされていた。アスファルトを寝床にしていたのだから、硬いはずである。

 少し離れたところに工場らしき建物があるが、明かりは点いていない。おそらくここは、どこかの工業団地の隅にある十字路だ。おそらく夜は、人っ子一人通らないのだろう。

 壱馬はふと、自分の服が変わっていることに気がつく。

 着せられているのは、ブレザータイプの学生服であった。

 ボタンの並びが一列な、シンプルなブレザータイプの学生服。黒に近い紺と、地味な色をしている。ご丁寧なことに、白いワイシャツの上に赤系のネクタイも結ばれていた。

 学生なんてものとは縁遠い生き方をしてきたが、外見的に制服はなんとか馴染む。壱馬は閉じられていた上着のボタンだけ解くと、思わずため息をついた。


「ただの厄日ならともかく、今日はずっと化かされているみたいだ……」


 相手の目的がよくわからないというのは、直接悪意や敵意をぶつけられるよりも疲れるもだ。壱馬はそのことを、心の底から実感できた。


「疲れた顔してるね。キミ」


 突如、聞こえた声。声の主は、壱馬の目の前で笑っていた。

 思わず、壱馬はその場から飛び退く。そんな壱馬を見て、目の前にいた少年は不思議そうな顔をしていた。


「どうしたの? そんなに驚いちゃって。飲む?」


 なんともあどけない顔で、缶入りのジュースを差し出してくる少年。詰め襟の赤い制服は、デザインは違えども、壱馬と同じ学生服らしい衣装だ。

 弱冠色素の薄い髪と、少女と見紛うような美しい顔立ちは、おそらく美少年というものにカテゴライズされる、されるのだろうが……


「いや。いい」


 壱馬はいつも以上にそっけなく断わる。

 壱馬が彼から感じたのは、得体のしれぬ気配。おそらく妖気や怖気と表現される気配であった。気配を消して近寄ってきたのではなく、ただぬるりと、こちらの警戒範囲の隙間に蛇のように侵入してきた。暗殺者や忍者ではなく、いわば得体の知れぬアヤカシのように。

 この人間に、近づいてはいけない。壱馬の人としての部分が、そう直感していた。


「なんだ。残念」


 少年は缶ジュースをしまうと、身体を自然とこわばらせる壱馬の回りを歩き始める。その話し方や仕草は、まるでお芝居を演じているかのように大仰であった。


「そう固くならないでよ。お互い、島送りの身なんだから、仲良くしようよ」


「島送り?」


 聞いたことのない単語を耳にし、思わず壱馬は聞き返す。

 にやーっと笑う少年。壱馬はここで、少年に一歩踏み込んでしまったことに気づくが、時既に遅し。少年は機嫌よく、壱馬の質問に答える。


「なんでも、もうボクたちのような“悪いヤツ”の顔なんて見たくないから、途方もなく遠くへ送るんだってさ。キミも、あの山下ってヤツの手引でココにいるんだろ?」


 山下の名を聞き、壱馬は眠らされる前に聞かされたことを思い出す。山下は壱馬を“悪”と呼んだ。おそらく、この少年も壱馬と同じく悪としてこの場に連れてこられたのだろう。


「まったく、こんなところに連れてこられて、学生服なんて着せられてさ。こっちのほうがウケがいいとは言ってたけどさあ、アイツもしかして学生フェチなのかな。ところで、キミはなにをやったんだい? 強盗? 殺人? 強姦? わかった! 世界征服だ! んー冗談だよ、冗談。そんなことを真剣に考えている人がいたら、頭が悪すぎるからね」


「……」


 壱馬はただ、無言であった。


「まあいいか、人生イロイロだもんね」


 壱馬が喋らずとも、自分が喋る。そう言わんばかりに、少年の口が閉じることはなかった。


「でも、ボクは悪いことしてないんだけどね。ただ、最近の子どもたちは塾に部活にネットと大変そうだから、元気の出るおクスリを無料で配ってあげただけなのに」


 少年の手に握られた、怪しい色をした薬瓶。こうも違法薬物の四文字が似合う薬も、そうあるまい。


「効率よく配れるよう給食の牛乳に混ぜ込んだり、タピオカの粒に一つ一つ注射器で入れてタピオカミルクティーとして売ったりと、気づかぬうちにみんなに飲んでもらうのはすごく大変だったのに……子どもたちのために、無償で働いたボランティアを悪人呼ばわりなんて、世の中が間違ってる! 子どもたちに愛の手を! おクスリは地球を救う!」


 少年は、まるでミュージカルのクライマックスのように大仰に手を広げ、自らの不運を嘆いている。この芝居臭さは、壱馬からしてみれば、どうにも馴染まなかった。

 壱馬は、わかりやすくため息をつく。


「俺もお前も、悪なんだろうが……どうも、違う人種のようだ」


「それはそうでしょ。ボクはこれから先、どうなるか心を踊らせている。でもキミには不安も喜びもない。なんていうか、空っぽで面白くないね。うん、キミは、ハッピーじゃないんだ」


 少年の目がギラリとし、無為なまま日々を過ごしてきた壱馬の中身を射抜く。その目は、年若い者には持てぬ、経験を積んだ大人の目であった。

 さきほどの子どもたちという物言いに、この油断ならぬ目。おそらく、この少年は少年ではない。何らかの手段で、少年の皮を被っている何者かだ。そしてその中身は、悪である壱馬にとっても未知であるほどに、おぞましい。


「ハハハ、その仏頂面、歪ませてやった」


 そんなおぞましい何者かは、壱馬の様子を見て嬉しそうに笑っていた。

 プップーと、なにやら車のクラクションのような音が聞こえたのは、その時だった。


「さて、行き先は無人島かな? それともまさかの宇宙かな」


 心を踊らせているとの言葉に嘘はなく、少年は迎えが来たのを喜んでいた。

 壱馬からしてみれば、迎えなどどうでもよかった。本来ならば、迎えに来た人間を捕まえて、目的を一から十まで吐かせるべきなのだろうが、どうにもその気がわいてこない。

 この少年もどきの毒気にやられて萎えているのか。それとも、まさか自分も同じように、変化を目の前にして心がざわめいているのか――

 トラックのヘッドライトが、交差点の中央にいる壱馬たちを照らす。トラックは、明らかにこちらの存在に気づいていながら、スピードを緩めることはなかった。


「なるほど。行き先があの世なら、それは遠いよね」

 ああ納得だと、少年がつぶやく。この達観は、やはり若者にはない落ち着きである。トラックは壱馬ですらろくな対応ができぬほどの速さで、二人めがけて突っ込んだ。


                  ◇


 トラックのヘッドライトの強烈な明るさが、壱馬を人工の光で包み込む。

 腕を構え、衝撃に備える壱馬。この身体でも、きちんとガードをとればトラックの衝突ぐらいには耐えられる。

 だが、いつまでたっても、そんな衝撃は来なかった。その代わり、壱馬を包む光も消えることはなかった。この光が、壱馬の視覚センサーを灼き続けていた。

 壱馬は自らの視覚センサーの機能を落とし、代わりに聴覚や嗅覚のセンサーの効果範囲を拡大する。回りから聞こえるざわめき、ホコリ臭い土の香り。壱馬の身体に内蔵された感覚センサーは、異変を察知していた。


「なにが起きた?」


 口に出してみるものの、答えはない。さきほどまで一緒にいた、よく喋る少年もどきの気配もなかった。片方だけ、トラックに跳ね飛ばされるような位置取りではなかったのだが。

 やがて光が収まっていき、壱馬の視覚センサーも正常を取り戻していく。

 それと同時に、徐々に大きくなっていく歓声に土の香り。そんな中、壱馬の嗅覚センサーは別の香りも捕らえていた。

 この生臭くこちらにまとわりついてくるような匂いは、血が持つ独特の匂いだ。

 光が止み、ついに壱馬は自分が何処にいるのか、理解することができた。

 いや、正確には、理解はしたものの、わけがわからなかった。

 広場の中央にぽつんと一人立っている壱馬。その広場を取り囲む高い壁と、壁の上に作られた観客席。観客席では、八千二百とんで三人の群衆が壱馬一人に歓声を浴びせている。あまりの事態に、人数をセンサーでカウントしたのだから間違いない。

 壱馬がいるのは、いわゆる闘技場と呼ばれる施設であった。ここがローマならばコロッセオだ。地面を染める、乾き方様々な血の跡が、この闘技場の過激さを物語っている。


『さあ! おまたせしました! 本日のメインイベントです!』


 闘技場に響く、大音量の声。大観衆の熱狂を越える、人一人の声。だが、闘技場にはスピーカーらしき設備は見当たらなかった。


『召喚魔法によりあらわれましたのは、若き異世界人! 彼は、我らのヴォート大陸とは違う世界に生きる異世界人なのです!』


 異世界人。

 壱馬にとって、耳慣れぬ言葉であった。そして、その耳慣れぬ言葉は、自分自身にかけられている。


『異世界人は我らヒューマンに良く似た外見を持っていますが、その本質や生態はまったく違うもの。いわば、極限まで人に似たモンスターそのもの! 恐るべき存在なのです!』


 ブーイングにも似た罵声が、観客席より飛んでくる。よく見れば、観客席には耳の長い女性や鱗の肌を持つ男性が混じっている。あのような人種、怪人以外でみたことがない。

 そんな壱馬にとって未知である人種は皆、壱馬の知る人間同様の外見を持つ者の奴隷に見えた。どうやらこの世界には、人間、おそらくヒューマンと呼ばれる種族と他の種族の間に垣根があるらしい。そして、この世界の人間にとって異世界人である壱馬は、そんな垣根の更に下の存在として扱われようとしている。


『かつて、魔王軍全盛期、同時に出現した異世界人により、この大陸は破滅の危機を迎えました! 一軍にも匹敵する異世界人、彼らは異世界よりこの地を狙っていると言われております! ですが、我々は負けません! そんな異世界人を倒すだけの力を持つことを、証明してみせましょう!』


 壱馬の周囲にいくつかの穴が開き、歯車と鎖の音とともに、下から様々な武器を持ち鎧を着た男たちが姿をあらわした。


『異世界人を討伐するためあらわれたのは、十人の闘士! 皆様、勇気ある彼らの勝利を祈りましょう!』


 山下と組んでいるのかどうかは知らないが、自分たちで呼んで待ち受けておいて、討伐もクソもないだろう。壱馬は呆れた様子で十人の男たちを見る。

 一軍に匹敵する異世界人と戦うわりには、彼らに緊張感はなかった。むしろ、侮りしかない。

 壱馬のまわりには、質の悪い剣や槍が複数突き立てられていた。なるほど、コレで戦えというのか。こんなもの、一度か二度、まともに振り回したら折れそうだが。

 ふと壱馬は、足元に折れた剣と、二つの手帳らしきものとボロ布が落ちているのに気がつく。血で汚れた手帳を拾う壱馬。手帳にはそれぞれ鈴木尚弘と斉藤ゆかりの名が記されている。手帳の正体は生徒手帳。ボロ布の正体は、引きちぎられたセーラー服であった。

 壱馬は、この痕跡を見て察する。

 なにが、凶悪な異世界人に立ち向かう闘士だ。実際、ここでおこなわれているのは、自分たちヒューマンと同様の外見を持ちながら、モンスターとして扱える異世界人を使っての残酷ショーである。

 召喚魔法だかなんだかしらないが、このヴォート大陸の人間は、壱馬と同じ世界に住む若者をこうして闘技場にいきなり呼び出し、思うがままにいたぶっているのだ。

 普通の若者が、このような状況に対応できるわけがない。ただ屈強な男たちにいたぶられ、嬲られるだけだ。

 へっぴり腰で剣を構える男子高校生と、抵抗虚しく男たちに襲われる女子高生。壱馬は見つけた痕跡から、そんな光景を幻視した。

 動かぬ壱馬めがけ、じりじりと近寄ってくる闘士たち。十人による包囲を前にしては、壱馬に逃げ場などない。

 一際大柄な男が、突っ立ったままの壱馬の足をハンマーで殴りつけてくる。

 その後、残りの九人が殺到し、壱馬の身体は無法な暴力の渦に巻き込まれた。

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