第4話

 東京の霞が関。国会議事堂に皇居と、政務象徴共に集まる、日本の中枢とも言える都市である。

 そんな霞が関にある自身のオフィスで、山下はずっと書き仕事をしていた。ただひたすらに、書類を書き続け、読み続ける。一つしか机の無い部屋で黙々と作業を続けている。

 カチリと、時計の長針が十二を指し示す。


「ふぅ……」


 山下はそこで作業を止め、ようやく一息ついた。両脇にある書類の山を整理し、目の前のノートPCを一度閉める。

 山下は缶コーヒーの蓋を開けゆっくり喉を湿らせた後、オフィスには不釣り合いな太く長い鎖をいきなり引っ張った。


「ああっ!」


 鎖の先に縛り付けられていた女性が悲鳴を上げる。

 山下のオフイスでは、女性が一人飼われていた。


「全員、ヴォートに送りつけたんだろ?」


「は、はい……こちらからの送還は成功、複数人を向こうの召喚式に割り込ませました」


 威圧的な山下に怯えつつ、返答する女性。着ているローブはボロボロで、被っているツバ付きの三角帽子もヘタれている。真新しくしっかりとした造りなのは、鎖につながる首輪だけだ。

 彼女は、異世界ヴォートの女魔術師であった。なぜ彼女が、この世界にいるのかはわからない。ハッキリとしているのは、この女魔術師が山下の支配下にあることだった。


「ヴォートの奴ら、また召喚しようとしていたのか。ならトラックなんて用意するんじゃなかった。アレだって、安くないんだから」


 山下は忌々しげに机の上にある紙の束を叩く。それは、新聞や尋ね人のチラシ、若い行方不明者の情報が記された資料と必要経費を証明する領収書の山であった。


「ここ最近のアイツらは、遊び感覚で異世界人を、こっちの世界の人間を呼ぶからな。都合も人権もおかまいなしだ。まったく、ひどい話だと思わないか」


 山下は手にした鎖を、強引に引っ張る。


「ああっ……は、はい……そう思います」


 鎖を通し首を引っ張られた女魔術師は、苦しそうにうめきつつ、山下の言葉を肯定する。彼女は山下に逆らえる立場ではなかった。

 山下は天を仰ぎ、少しの間、沈黙する。


「きっと、お前らはこの世界に繋がりができたことを、幸運だと思っていたんだろう。都合良く使い潰せる人間がわんさかいると、思い込んでいたんだろう」


 山下のその言葉は、誰にかけられたものなのか。山下はここにいない誰かに向け、話し続ける。


「ああ、わかったよ。この世界から、好きなだけ持っていけばいい。ただしくれてやるのは、この世界でも持て余している連中ばかりだ。悪と言う名のゴミを好きなだけくれてやるよ。あいつらは転生者でも転移者でもない、放逐者だ」


 女魔術師は耳をふさぎ、カタカタと小さく震えていた。山下の言葉にこもる、怒り、怨念、憎悪、そして正義感。正しさの元に、決してお前らを、ヴォートを許さぬ。加減なき怒りを前に、女魔術師はただ恐れるしかなかった。


「お前らは、ウチの世界のゴミを扱おうとして、現実を知るんだ。異世界を踏みにじれ! 放逐者たちよ!」


 山下が意図して剣と魔法の異世界ヴォートに送り込んだ放逐者たち。

 彼らはすでに、タガが外れたまま異世界に順応しようとしていた。


                  ◇


 ダンジョンの奥、地下迷宮の主が住む部屋までたどり着いた冒険者たちは困惑していた。


「こんな死体、見たことあるか?」


「いや……」


 老練の冒険者ですら、困惑する死骸。この部屋から地上までぽっかりと空いた丸い穴、更に死骸の下にある謎の不可思議な文様の存在が、謎を加速させる。

 地下迷宮の主、牛頭と逞しき身体を持つ獣人ミノタウロス。その死骸には、血が一滴たりとも残っておらず、裂かれた腹からは内蔵のたぐいが一切消失していた。


                  ◇


 とある王国を影で支配する盗賊ギルド。彼らの足は、皆俊足。影のように歩み、風のように走る彼らを捕らえることはできず、もはや国は取り締まることを半ば諦めていた。


「はぁ……はぁ……」

 そんな盗賊ギルドの長が、屋根を跳び、裏道に潜り、夜の街を必死に逃げ惑っていた。その足の速さに陰りはないものの、その精神と体力は限界に達しようとしていた。

 井戸にたどり着いた長は、井戸に頭を突っ込むようにして必死に水を飲む。追手を引き離せたかどうかはわからぬものの、街の構造に走り方と、自らの知恵や技術、すべてを使って逃げた以上、水を飲むくらいの余裕は稼げたはずだ。

 まったく、わけがわからなかった。一緒にいた、俊足のギルドメンバーたちは皆すでに捕まった。この国の誰もが捕まえられなかった男たちが、あっさり追いつかれたのだ。いったい、あの女は何者なのか。

 井戸から顔を上げた長、その井戸の向かい側に、女がいた。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 腰から崩れ落ちる長。まさか、もう追いついたのか。プライドを捨て、仲間を囮にまでしたのに!

 見たことのない服を着た女は、これまた見たことのない、口にしている白く四角いマスクを外し、その口まで裂けた笑顔を長に見せつけた。


「ねえ……ワタシ、キレイ?」


 女は、血が滴る草刈り鎌を手に、腰を抜かした長へと寄っていく。その使い込んだ鎌が、長の口端へと当てられた。



 この異世界ヴォートにおいて、魔王に忠誠を誓う魔族は衰退する一方であった。なにせ十年前、長である魔王が勇者により倒されてしまったのだから。


「おおお……おおっ!」


 そんな魔王軍の残党を取りまとめていた、元魔王軍四天王の一人が泣いていた。

 これは、感涙の涙である。残党を包囲し、兵糧攻めにしていた軍勢が我先にと逃げている。


「パオーン! 逃げろ逃げろ! 潰しちまうぞ!」


 長い鼻と大きな耳と長い牙、異形の顔を持つ巨漢の男が魔族を率い猛進している。彼こそが、勝利の立役者の一人だ。長い鼻が複数の敵兵を捕らえ、一気に絞め殺した。

 遠くでは、包囲軍の本拠地となる城塞が燃えていた。


「キシャァァァァァァ!」


 城塞を踏み潰す、二足歩行の巨大なリザードマン。その大きさは、今まで見てきたどんな巨竜よりも大きく、狂暴かつ獰猛であった。口から吐き出された火が、軍勢を丸ごと焼いた。


「いかがですか。我ら、異なる世界の者は」


 ふふふと不敵に笑う、眼帯をつけた女軍師。瓦解しかけていた残党を再編成し、軍隊として動けるよう鍛えたのは彼女であった。あの巨漢も巨大生物もこの女軍師も、異世界よりの来訪者である。

 異世界という言葉にいい思い出はないが、今、魔族は、異世界人とこうして手を結ぶことで、復活の狼煙を上げることができた。ならば、恨みも不満も、飲み込まねばなるまい。


「あの象の怪人や怪獣だけでなく、他にも放逐者となった者が来ているはずだ。彼らを集め手を組めば……叶うぞ! 天下取りが!」


 ゾウにカイジンにカイジュウ。この世界に無い言葉を掲げ、女軍師は魔族の萎えかけていた闘志に、再び火をつけた。



 壱馬と共に、トラックにはねられたはずの少年。

 彼は今、白亜の城を見上げていた。状況は完全に把握していないものの、彼の頭脳は一つの答えを導き出した。


「面白え――」


 壱馬と話していた時の美少年らしい物言いではなく、深く重く、相手のすべてをしゃぶりつくそうとする油断ならぬ声。おそらく、これこそが彼の本性なのだ。

 そんな少年の元に、城からあらわれた兵士たちが殺到する。


「わわわ! なんですか、これぇ!」


 突然の兵士たちに怯えたふりをする少年。もはやその本性は、厚い面の皮に覆われていた。

 そう遠くない未来、この城塞都市を有する一つの国家は、消滅することとなる。


                  ◇


 ヴォートの人間に現実と恐怖を教え込む。そんな放逐者として、壱馬はしっかりと働いていた。

 闘技場にて、無力な異世界人をただひたすらに嬲るという遊戯。この闘技場の名物になりかけていたアトラクションは、一人の男により様変わりしようとしていた。

 切っ掛けは、壱馬の足をハンマーで叩いた大柄な闘士の絶叫であった。


「ぐわああああああ!」


 ハンマーが地面に転がり、その大柄な身体が無残に崩れ落ちる。太い両足が、骨と筋肉ごと圧し曲がっていた。

 残りの闘士たちが反応する間もなく、次々とその腕や足がありえない角度で折れていく。十人がかりの包囲は、全員の再起不能という形で消滅した。

 もはや観客も実況も、突きつけられた凄惨に息を呑むしかなかった。

 壱馬の姿は、人ならざるモノへと変貌していた。

 長い触覚に複眼、更には昆虫の鋭いアゴを模した口蓋部のクラッシャーを持つマスク。このヴォート大陸には存在しない、カミキリムシを模したマスクだ。

 大胸筋に腹筋を模したボディースーツ。腰にある大きなバックルを持つベルトはまるで中にあるギミックを封じているかのように、雑に溶接されている。

 首には薄汚れた黄色いマフラーが巻かれており、黒一色のスーツにも手足に黄色のラインが引かれている。経年劣化により、スーツの塗装はいたるところが剥げているた。

 組織に反抗する裏切り者をモデルとし、当時最新にして最高の技術を詰め込んだ、最終最後の改造人間。それが、壱馬の真の姿であった。口さがない者は偽ヒーローと呼ぶ。

 どれだけ、久々の変身なのだろうか。壱馬は静まり返った観客席を見回す。

 今、壱馬の回りでうめいている連中は、残酷の結果そのものだ。お前たちは、残酷が見たかったのに、なぜ静まり返っているのか。

 再び闘技場の地面より、複数の闘士が出てくる。先程までの連中と違い、その顔には真剣味がある。彼らは、壱馬をいたぶる相手ではなく、敵と見定めていた。

 そうか、まだ望む残酷には足りなかったのか。

 壱馬は斧を振り上げ襲ってきた闘士のアゴを掴むと、あっさり頭ごと握りつぶした。そのまま後ろ蹴りで、後ろに迫っていた片目の闘士の股間を腰骨ごと破壊する。

 目潰し、金的、首折り。この闘技場の空気に当てられたのか、それとも同じ世界の人間の無惨な痕跡を見たせいか、壱馬の中で眠っていた残酷が高らかに哭いていた。

 スキンヘッドの闘士、おそらくこの闘技場に居る中で、最も熟達した闘士の槍が壱馬の眉間を突く。砕けたのは、槍の穂先だった。

 壱馬は闘士の両肩を捕まえると、技も何もなくただ力任せに引き裂いた。

 壱馬の複眼が鈍く光り、全身の返り血と散らばる無残を照らす。

 異世界人はモンスターである。この言葉は、言った人間の思惑とは違う形で実現した。

 地面ではなく、少し遠くから。閉じられていた闘技場の門がゆっくりと開く。大きな門から重々しくあらわれたのは、巨大なライオンであった。壱馬の知るライオンの数倍の体躯、象を超える大きさのライオンだ。

 だが、そのライオンが咆哮したとたん、背中から巨大なコウモリの翼があらわれた。うねり始めた尻尾も、巨大なヘビだ。

 ライオン、コウモリ、ヘビ。闘技場にあらわれた獣は、この世界ならではのモンスター、ライオキメラであった。

 だが、壱馬は、そんな未知の存在を懐かしげな目で見ていた。


「ライオンとコウモリの合成生物……懐かしいな……」


 組織に居た頃、動物同士を合体させた新生物はよく見ていた。そして、そんな新生物に人間を更に足して、怪人として完成させる。そうやって造った動物怪人も何人か部下にいたなと、壱馬は思い出に浸る。

 そんな壱馬めがけ、天然物のライオキメラは一息で飛びかかる。ライオンの脚力とコウモリの翼、異なる生物の特性を生かした跳躍は、サイズに見合わぬ速度を持っていた。

 だが、そんなライオキメラの巨体は、壱馬にたどり着く直前に大爆発を起こした。

焼け焦げた肉塊と血のシャワーが、壱馬の身体をさらに赤く染める。


「この巨体で、この敏捷性。こんな生き物が原生しているとしたら、この世界、侮れないか」


 片手を貫き手の形で突き出した壱馬は、冷静にライオキメラの性能とこの世界の常識を分析していた。

 壱馬の突き出した手からは五本の指先が欠けており、欠けた部分から煙が出ている。

 壱馬の指先には、小型ミサイルが仕込まれていた。壱馬には、このような殺傷性の高い武器が多数内蔵されている。組織の裏切り者を模した高い格闘性能のボディに、更に殺傷性を足す。これが、壱馬の改造人間としての設計思想であった。

 自動的に再装填される指ミサイル。爆炎と血の雨を隠れ蓑に、壱馬は観客席めがけ駆けていく。逃亡を防ぐ壁など、壱馬にとっては低すぎた。

 壁を駆け上がり、あっさり観客席に乗り込む壱馬。

 観客席は、静まり返っていた。壱馬の変貌と暴力は、虐殺を観るためにやってきた観客たちをも、飲み込む威圧であった。

 

「ふむ……」


 壱馬の目的は、この状況の打破。つまりは脱出である。

 冷え切った観客席を通り抜け、ゆうゆうと外に出る。それも一興だが……どうにも今日は、それでは満足できないほどに昂ぶっていた。

 壱馬は突然目の前の空席を、激しく踏み潰した。石造りの席は壊れ、辺りに座っていた観客たちも風圧で弾き飛ばされる。静かな客席に火を点けるには、十分な誇示であった。


「あわわわわ……!」


「助けてくれえ!」


「いやーー!」


 闘士も怪物も、容易く殺せる異世界人が間近に居る。正気を取り戻した観客たちは、我先にと逃げ出していく。

 そんな中、一人の観客が壱馬に向けて何やら唱え始めた。


「スリープ!」


 壱馬を突如襲う、強烈な眠気。だが壱馬は即座に自らの腹を肘で叩き、痛みで眠気を吹き飛ばす。

 自分に呪文をかけた客を睨む壱馬。客はあたふたと逃げ出した。


「魔術なんてものが本当にあるだなんてな……」


 壱馬の脳裏に蘇る、採石場にて山下に言われた言葉。


“これは魔術ですよ。つまりは、魔法。あなたがサイエンスなら、こちらはマジカルです”


 あの時は、混乱したまま眠ってしまったが、そういうものがあるとわかっていれば、対策は取れる。寝入りばなを我慢すれば耐えられるのは、スリープガスとかわらない。

 出口へと殺到する人の波をかきわけ、頭から足の先まで鉄の鎧で固めた騎士たちが壱馬の方へとやってきた。全員が、長槍を携えている。動きの規律の正しさから見て、おそらく彼らには軍隊の経験、もしくはしっかりとした訓練を受けている。

 突き出された鉄の槍を躱し、時には槍を踏みつけながら、壱馬はある場所を探していた。

 狙うのは、この闘技場で運営側が一番狙われたくない場所だ。

 おそらく、そこを破壊すれば、指揮系統にも混乱が起き、容易く脱出できる。

 だが、何より、この闘技場をこのままにしておく気はなかった。異世界からやって来た力ある者としてやらねばならないこと。それは、報復である。

 壱馬はここで、観客席より上、せり出した部分にひときわ飾り立てられた席があることに気がつく。アレはおそらく、貴賓席だ。

 貴賓席の方に壱馬が足を踏み出そうとした瞬間、衛兵たちは即座に集結し陣を組み、壱馬の行く手を阻む。あの貴賓席は、この闘技場における急所だ。壱馬は確信した。


 「どけ」


 壱馬は、自らのマスクの口蓋に手を当て、一気に息を吐き出した。過剰なまでの量を持つ緑色の息は、周囲と衛兵たちをまるごと飲み込んだ。

 どろりと、鉄の鎧が溶け、着ていた衛兵も崩れ落ちる。鉄だけではない、その下の生身、肉も溶け始めていた。


「いかん! 毒だー!」


 衛兵の一人が叫ぶものの、叫んだ当人もそのまま倒れてしまう。

壱馬が吐き出したのは、特殊調合の酸にて肉も鉄も溶かす溶解ガスであった。多少溶ける速度は遅くなるが、広範囲に散布してもこのように効果は抜群である。

 肉体と陣形ごとグズグズになった衛兵を足場に、壱馬は闘技場を飛び越えんばかりの大跳躍を見せる。足元でグチャという音がしたが、些細なことだ。

 貴賓席を見下ろせるほどの高さに到達した壱馬。贅を極めた貴賓室の中の、テカテカに脂ぎった男と無闇矢鱈に着飾った女と目が合う。彼らは目を丸くしていた。きっと、人間がこんなに高く跳ぶ姿は初めて見たのだろう。


「お前らの観たかったものを、全部見せてやったぞ。見物料をいただこう!」


 無残も悲惨も虐殺も全部見せてやった以上、貰うものは貰わねばならない。

 片足を突き出した壱馬は、そのまま矢の如き勢いで、貴賓室に突っ込む。

 裏切り者が必殺技として使っていた、一撃必殺の飛び蹴り。数多の怪人、そして壱馬ですら倒した技である以上、コピーしない道理はあるまい。

 壱馬の飛び蹴りが炸裂すると同時に、想像以上の破壊力が貴賓室を爆発四散させた。



 いったい、どれだけの時が経ち、どれだけ移動したのだろうか。

 日が沈み、闇に包まれ、朝を迎える。感覚的には数日だが、なにせここは異世界である。朝と夜を経て一日が経つ。その感覚すら、違うのかも知れない。

 人間の姿に戻った壱馬は、疲れ切った様子でひと気のない森を歩いていた。

 身体中、至るところに血がついているが、どれも返り血である。闘技場からあてもなく飛び出し、追っ手と戦い続け着いた場所は、人里離れたこの森であった。

 樹海同然の、濃い緑を持つ森。自分のいた世界と同じような木もあれば、未知の虫もいる。残念ながら、壱馬はこの生態系の違いに興味を持てる人間ではなかった。

 傷はないものの、壱馬の身体はとてつもない疲労感に襲われていた。久方ぶりに思う存分、身体を動かしたこと。あてもなく、ただ突き進んだこと。身体と精神の疲れが、共に壱馬を蝕んでいた。

 四十年ぶりの奮起と変身。もう二度とすることは無いと思っていた。ただ死に場所を失ったまま生き続け、身体も心も風化して消える。そう、思っていた。

 壱馬はひときわ大きな大樹の根本に腰掛ける。森の新鮮な空気は、どの世界にあっても変わらぬ清々しさがある。

だが、この清々しさの源は、もっと別の場所だ。

そう例えば、取り残された男の止まっていた時が動き出し、風化以外の死に場所ができたような――


「良い死に場所……何を夢見ているんだろうな、俺は」


 うつむいていた顔を上げた壱馬は、天を仰ぎ、そのまま目を閉じた。


                  ◇


 決して急いではいない。だが、その足取りは一定のペースの森歩きであった。

 少女は慣れた様子で、森のあちこちにある薬草と木の実を拾い集めていた。


「あれ……?」


 少女はお気に入りの休憩場所である大樹の下で誰かが眠っているのに気がつく。

 見たことのない青年、見たことのない格好をしていて、何より身体中が血まみれである。

 危険、不審、不安、不審者の大三元のような有様。

 だがその寝顔は、何かを心待ちにしているかのように穏やかであった。

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