32 悪魔討伐:なれの果て

 未明であった。

 二度、二度、三度。あらかじめ定められた通りの回数、物見の鐘が鳴らされて、サバロの街に響き渡る。


「ミーシャ!」

「うん!」


 東門塔の宿直室らしき部屋で、ベッドを借りて眠っていたアルテミシアは、頭上からの大音量に跳ね起きた。


「全く、就寝中の乙女を叩き起こすなんて最悪よ。

 お肌が荒れちゃうわ」


 傍らのレベッカは鎧のアンダーを着たまま眠っていた。彼女は即座にベッドから飛び出して、ジャンパースカートのような鎧を身につけると、目にも留まらぬ早技で髪を結ってティアラのような兜を被る。


 アルテミシアは、旅装みたいな動きやすい恰好の上から、ミスリルの帷子を被った。

 本来は大人用だ。今のアルテミシアにとっては、短めのワンピースのようなサイズだった。こんな薄っぺらな防具がどの程度役に立つかは不明だが、無いよりはマシだ。

 ちなみにアリアンナも同じ恰好だが、胸のせいで丈だけは丁度良くなっていた。


「ウ」


 ベッドの中で湯たんぽ代わりになっていたギルバートが何かを言って、部屋を出て行くアルテミシアを見送った。


 素早く身支度を終えた三人が上階の司令室に駆け込むと、数人の騎士とルウィスが既に武装して机を囲んでいた。と言うか彼らがちゃんと寝たのか、アルテミシアは疑問だった。


「来たか、アルテミシア」

「今どうなってます!?」

「奴は東から単騎で接近中だ」

「単騎? 舐めてるの?」

「敵軍も、これ以上戦力を割ける状況ではないはずだ。

 最後の手段としての、悪魔の単騎突撃だろう」


 もちろん防人部隊は再度の襲撃を予想して、それに備えていた。

 仮に悪魔が単独でやってくるとしても、それが脅威である事には変わりないのだ。


「奴が、お前の居場所を探知できるというのは本当なんだな?」

「はい。そして確実に、わたしとお姉ちゃんを狙ってくると思います」

「……追い返しただけなら奴はまた来る。可能なら悪魔を完全に滅ぼしたいが、普通のやり方では至難だろう。

 済まない……力を貸してくれ」


 ルウィスは難しい表情だ。

 悪魔を討伐できるかどうかと、防人部隊の被害を抑えられるか、アルテミシアが生き延びられるかどうかは、またそれぞれ別の話だった。


 * * *


 街壁、東門塔。


 未だ、遠き山際にも日の出の気配無き夜空。

 そこに、地上から天へ昇る流星の如き光が迸っていた。

 門塔や街壁上に設置された防衛兵器、定置魔弓の高射だ。

 魔力のエネルギーが矢のような形に固められ、高速接近する飛翔体目がけて撃ち出される。


「おおおおおおお!!」


 光の嵐に向かって飛翔する、飛竜の背で悪魔が咆えた。


 不規則に螺旋を描くように飛ぶことで、飛竜は光の矢を回避しつつ門塔に迫る。

 もちろん全てを回避しているわけではない。

 定置魔弓のうち一つは、恐るべき精度で秒間三射の狙撃を行っていた。だがその矢は全て命中するなり、悪魔にもその乗騎にも痛痒を与えた様子無く弾かれていた。


「矢が通らない!?」

「護符だ! あれで魔法を防いでる!」


 操座に取り付けられた望遠鏡スコープを覗きながら、アリアンナはギアハンドルを回す。

 傍らではアリアンナのサポート役をする操機兵長が、魔動望遠鏡で騎影を観察する。


 二人ともポーションの力で暗視能力を得ている。

 夜陰に浮かぶ飛翔体は、まるで悪趣味な飾り付けのように、金色の札を何枚も巻き付けぶら下げていた。

 魔法の矢が命中する度、その札が爆ぜて黒ずみ、白煙を上げる。

 魔法を防ぐ、使い捨ての防御アイテムだ。全て焼き切らない限り魔法は通らない。


「銛は使えるか!?」

「多分……!」

「分かった、こっちを頼む!」


 アリアンナは定置魔弓の操座を降りて、代わりに隣の攻城弩バリスタのレバーを握った。


 攻城弩バリスタは、鎗のような超大型の矢を放つ兵器である。そこに今は、ミスリルの長い鎖を繋げた銛が装填されていた。

 標的を突き刺して鎖で拘束する、特殊な弾だ。普通なら、高速飛行する空行騎兵になど絶対当たらないが、アリアンナが撃つのなら別だ。これも事前に準備していた策だった。


 突貫してくる竜騎の羽音が耳に響き、もはやその姿は肉眼でも捉えられる。

 アリアンナはハンドルを回して操座ごと攻城弩バリスタを回転させ、狙いを定める。そしてレバーを引いた。


 豪速の銛が発射される。流星の尾のように鎖を引きながら飛ぶそれは……


 狙いは合っていた。完璧だった。

 だが命中の直前、悪魔の手前で、空中に忽然と現れた光の壁に突き刺さり、そこで止まった。


「防がれた!」


 アリアンナの狙撃は針の穴すら通すが、不可能な軌道を描いて絶対必中するわけではない。つまり対抗手段は超反応と超速度による、の回避。あるいは完全な迎撃だ。


「くそっ、ダメだ下がってくれ!」

「は、はい!」


 アリアンナはすぐさま操座を離れて退却。

 操機兵長はアリアンナに替わって定置魔弓を操る。

 だが四方八方から光の矢を浴びせられながら、もはや落下に近い勢いで、竜騎は門塔目がけ、突進!


「死ねええええええ!!」


 そして爆発!


 *


 東門塔上の爆発を、アルテミシアとレベッカは地上から見ていた。


 街の東側。元々は広場であった場所にアルテミシアたちは居た。

 そこは今や、瓦礫に囲まれたクレーターだ。ミサイルでも打ち込まれたように、すり鉢状に掘り下げられた地形となっていた。

 昼間の戦いで発生した空き地を、戦いの場として魔法で整形し、作られた場所だ。

 二人はそこで待ち構えていた。


『悪魔が東街門の門塔上に降り立った。

 奴は周囲の防衛兵器を破壊しつつ進んでいる』


 レベッカの持つ通話符コーラーから、セドリックの声がした。


「一応考えてはいるみたいね。

 結局は昼の戦いでも、防衛兵器の火力が決め手になって追い払ったから」

『撃墜に失敗した時点で、これは想定内だ。

 なんとしても、奴の乗騎だけは始末する』

「アリアさんは……」

『所定の位置へ移動中だ』


 夜明け前の闇を、地上から擲たれるサーチライトのような魔力灯照明が斬り裂いていた。

 街壁上で立て続けに、魔法の炸裂する光が瞬く。戦いが起こっているのだ。

 アルテミシアはそれを見て、深呼吸一つ。


 アルテミシアたちは東側街壁から見える位置に待ち構えている。

 そして悪魔はチートの力によって、その居場所を把握しているはずなのだ。

 だから、戦いの場を狙える配置の防衛兵器を先に攻撃している。あの爆発は迫り来る悪魔の足音だ。


『逃がしてしまっては結局また、繰り返しだ。

 そこへ引き込んで……捕らえるぞ。すまんがまた、力を貸してくれ』

「はい!」

「依頼料はたっぷり頂くわよ」


 アルテミシアができる事は、この場では、囮。

 自分の命を的にして作戦を成功に導くことだけ。

 だがそれは命を捨てることではない。生き延びるためだ。


 半壊した建物の屋上から屋上へ、一般人には不可能な異常パルクールで飛び渡る陰がある。


「居たああああっ!!」


 暴力衝動を滾らせて、咆えるように叫びながら、悪魔が降ってきた。


 着地と同時、ガシャリ、と重々しく鎧が鳴った。

 悪魔はこれまで、防具らしい防具を身につけず、軽装で戦っていた。そもそもがチートの力によって、鎧のように頑丈な肉体と、どんな重傷でも回復する自己再生能力を持っているのだ。防具を着けても相対的に大して変わらない、という考え方もできる。

 だがそれが、如何なる心境の変化か、今は全身をくまなく覆う重厚な鎧を身につけている。この装備で八艘飛びの如き軽業を見せたのだから、やはりそのチートがもたらす身体能力は尋常ではない。


 魔力を吸い取る鉤爪を警戒してか。

 あるいは完全な単騎駆けとあらば、流石に慎重にもなるか。


 いや。それだけではなさそうだ。

 鎧の膝から、肘から、腹の下から。機械に塗ったグリスが溢れるように、どろりどろりと、ゲル状の何かがこぼれている。


 ――鎧の下に何か塗ってる?


 一瞬、アルテミシアはレベッカの方に視線をやった。

 レベッカと目が合う。彼女は無言。

 もし、敵の策を見抜いたなら警告するだろう。では警告に値しないものなのか、あるいは、レベッカにも相手の意図が分からないのか。


 謎の物体を滴らせながら、悪魔は立派な剣を抜いた。


「てめえら……」

『今だ!』


 ぎとつく古い油のような口調で、悪魔が何か言いかけたその時。

 全軍に向けたセドリックの号令が、通話符コーラーから聞こえた。


 直後、アルテミシアたちの周囲で、連鎖するように爆発が起こる。

 そしてビビッドイエローの煙がすり鉢状の空間内に立ちこめた。


「はあ!?」


 悪魔が素っ頓狂な声を上げた。


 麻痺毒パラライズポーション。身体を痺れさせ、身動き取れなくする魔法薬だ。それを噴霧する爆弾が、クレーター内に散らばる小さな瓦礫の陰にいくつも仕掛けてあった。

 このポーションは空気より重くなるよう調整されている。即ち、杯に注がれた液体のように、クレーター状に掘り下げた空間を満たす!


 更に四方八方から、瓦礫と化した周囲の建物から、悪魔目がけて光の矢が降り注いだ!

 小神殿の鐘撞き塔に。雑貨屋の住居部分である三階に。崩れかけた集合住宅の外階段の踊り場に。

 クレーターを囲む高所に定置魔弓が据え付けられ、そこに操機兵が伏せていたのだ。


「いっちょ前に罠なんぞ……!」


 悪魔は魔法の障壁を展開し、それを屋根のようにかざして光の矢を防ぐ。

 だがそこへ、大斧を構えたレベッカが迫る!


 そう、毒霧で満たされたクレーターの中で、レベッカどころかアルテミシアも平然としているのだ。

 二人はあらかじめ、抵抗力を高めるポーションを服用して毒に備えていた。


 悪魔も今のところ、無事だ。だがそれは想定内。

 これから効くのだ。ここで全力で戦えば、守りに回す生体魔力が足りなくなる。


「その程度で……! 俺に勝てるかボケ共がぁ!!」


 レベッカが悪魔に肉薄。

 だが、悪魔は咆えた。

 その剣で大斧の一撃を受けるのではなく……己に向け、何らかの魔法を使った。


 爆炎!


「きゃっ!?」


 踏み込む瞬間だったが、レベッカはその圧力に煽られるように、強引に後退した。


 突然日が昇ったような、目に焼き付くような、巨大な炎。

 その発生源は悪魔だった。悪魔が炎だった。


 ――爆発……いや、燃えた!?


 燃える、と言うよりも、鎧の下に火炎放射器でも仕込んでいたかのように悪魔の身体が火を噴いて、炎の塊となっていた。

 それこそ、切り結んだ者は確実に焼かれるほどに。


 何が燃えているか、アルテミシアは察した。

 悪魔の着る鎧から滴っていたもの……

 あれは、炎の魔力を込めた炎上バーニングポーション。ゲル化するよう調合し、それを鎧の下にたっぷりと含ませてあるのだ。

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