31 魔狼の激憤

 ケセトベルグ領、東部領境。

 峡谷を塞ぐように建てられたタガルィル要塞にて。


「アタシは兵を退く」

「何……?」


 冷たい石の廊下で、クオルは冷たく、雄一に言った。


 クオルは奪い取った領城に抑えの部隊のみを残し、配下の大部分を東部領境に向かわせていた。そして今は自分自身も。

 東からやってくるレンダール王国軍を迎え撃つため陣を整え、さあこれからという構えだった。

 だが、ここで退くと、クオルは言った。

 雄一は耳を疑う……いや、彼は己の耳など疑わない。相手が馬鹿すぎて会話が成立していないか、自分に分かるように言わなかった相手が悪いのだと考える。


「レンダール王国軍は目前に迫り、防人部隊の殲滅にも失敗した。

 この期に及んで継戦は無意味。

 敵方に追撃の余力が無い今のうち、アタシは本国に兵を帰す。

 魔王様も、それで良いと仰せだ。もう金貨で釣りが来るほどの戦果を上げたからな」

「てめえ……俺がどれだけ苦労したと思ってやがる!

 俺がサバロを攻めたのは、てめえの頼みを聞いてやったからだぞ!」

「王になりたいと言うから、どうすればいいか教えてやったんじゃないか。

 だが負けた!

 お前は言ったな、『俺の王国を持つ』と。それはつまり、勝てば全てを手に入れ、負けたら滅ぶという事だ」


 鎧を纏った犬のような姿の女は、やれやれと器用に肩をすくめる。

 雄一は、彼女が都合の良いように屁理屈をこねているとしか思えなかった。


「俺は負けてねえ!

 あの街も、騎士団も、ボロボロにした。

 今、攻撃を仕掛ければ勝てるだろ!」

「こっちはボロボロどころか、ほとんど死んだじゃないか! 二回目の攻撃を仕掛けるだけの兵がどこに居るんだ!?

 それに、お前、アタシが預けた兵を最前列に立たせて景気よく使い潰してくれたそうだね。義理立てしてやる気にもならん」

「そんなものは必要な投資だ!

 そしてあいつらは命令通りに仕事ができなかった無能だ。

 使い潰して、代わりを持ってくればいいだろう!」

「どこから持ってくるってんだ!?

 魔物が天から降って地から湧くとでも!?」


 今までクオルは、仮にも雄一を客分として、同盟者、協力者として立ててきた。

 だが、今クオルは見下しきった様子で、牙を剥いて雄一を怒鳴りつけていた。


 人投資するのは、雄一にとって慣れたこと。その耐用期限が過ぎたら……あるいは不良品であったら代わりを用意するのも、いつも通りのことだ。

 それをクオルは受け容れない。


「ああそうか、お前は【調伏】のチートとかいうのを持ってたね!

 だが、その力でお前が最初に連れ出した魔物も、アタシの民で兵だったんだ!

 出しゃ出しただけ減るんだよ!」


 クオルの声に怒気が滲む。


 この世界に転生し、ログスの身体を手に入れて、雄一がまずやったことは、魔物の国へ赴いてチートで手下を増やすことだ。

 つまりそれは、このケセトベルグ領から最も近い、魔王国のドゥモイ領。クオルの領地にて行ったのだ。

 魔物たちの村や集落を巡って、その圧倒的な力で打ち倒すと、彼らは忠実な手下として復活した。どんな命令も甘ったれた事を言わずに遂行し、死すらも厭わない素晴らしい兵だ。


 これに関しては、雄一にも言い分がある。

 チートで従えた魔物どもは、本来は兵でもなんでもなかった者さえ、最高の働きを見せるではないか。クオルが命じても同じことはさせられないだろう。

 本来なら価値が無い人材さえ、最高の形で活用できるのだ。ならば、確かにクオルが言う通りで『出せば出しただけ減る』としても、替わりはいくらでも出てくるはずなのだ。


 だが、そうやって反論するのも、もういい、面倒だと雄一は思った。

 どうせ話は通じないのだから。


「……もういい。

 俺がどうして【魔物調伏】のチートを買ったか思いだした。他人は信用できねえからだ。

 ああ、特に女は最悪だ。馬鹿すぎる」


 ケセトベルグ領を攻め落とすという点で、クオルは雄一と目的の一致を見ていた。

 自分にタダ乗りしてくるのはうざったいと雄一は思ったが、その分協力するというならまあ居ても構わないだろうとも思っていた。別にチートを使って従えなくても、言う通りに仕事をするなら別に良いだろうと。

 それもここまでだ。


「てめえを放っておいたのが俺の間違いだ。

 チートで縛って、絶対服従させてやる」


 クオルは、まるで話を聞いていなかったかのように、返事をするまでしばらく間があった。


「あ゛?」


 爪を備えた毛むくじゃらの手が、ゴキリ、と鳴った。


 * * *


 辺りは嵐が吹き抜けたような有様だった。

 要塞の廊下に吊された、小さなシャンデリアを模した魔力灯照明器が、キイキイ揺れる。

 温めたバターをナイフで抉ったように、壁も床も敷かれた絨毯もざっくり切り刻まれ、棚や椅子や、丁度近くに置いてあった物は全て破砕されている。


「ガ…………ひっ…………」


 壁にできたクレーターに、雄一は押しつけられていた。

 鍛えた様子ではあるがそれでも細く、決して力強くは見えないクオルの腕によって。

 まるで重機のような怪力だった。

 その手は雄一の顔を鷲づかみにしており、爪が頭に食い込んで血を滴らせていた。


「たかがチートで……世界の王にでもなったつもりだったか?

 力を手に入れたはずなのに力で負ける気分はどうだ。

 あ?」


 牙の隙間からクオルは、獣の呼吸をする。


 圧倒的だった。

 一対一の戦いで、武器すら持っていないクオルを相手に、雄一は負けた。

 嗜虐的と言うよりも、狂気的。その戦い方は、いかれているとしか思えないくらい激しかった。


「お前、この世界に来たって事は、世界を創った奴らに会ったんだろ。

 じゃあ聞いたはずだよなぁ、あいつらには転生者の苦しみが必要なんだって」


 そう言えばそんな話を聞いたような聞いていないような、と雄一は思った。

 実際、『転生屋』の話は、興味の無い所はほとんど聞き流していた。


 『転生屋』。

 子供だましの詐欺師かと思ったが、彼らの見せた奇跡の力を見て、雄一はすっかり、運命に選ばれた自分の幸運に酔っていた。

 社会的に追い詰められた人生に未練は無い。異世界で自分を待っている輝かしい未来への希望に目が眩み、あと通野拓人を絶対にぶち殺さなければならないという崇高な使命感に突き動かされていた。

 その先に何があるかは、特に考えていなかった。


「棒を持ったガキは、それを振り回したくなる。チートは転生者を冒険に駆り立てる。

 だがそのせいで物語が終わっちまったら連中の目的は達成できない。

 だからチートの一つや二つでどうにかなるほど、この世界は甘い作りじゃないんだ。

 ……ちょっと頭の回る奴なら、気が付きそうな話さ」

 

 その言葉は酷く自嘲する響きを孕んでいたが、それが何故なのかという事に関しては、雄一は特に考えなかった。

 

「て、め…………んで、こんな、強…………」

「鍛えた! ムカつく奴がチート野郎だったとしても縊り殺せるようにな!!」

「ぐあああああっ!」


 クオルの手に力がこもり、雄一の頭蓋骨が軋み、ヒビ入る!


 そのままクオルは雄一を、力任せに床へ叩き付けた。

 全身の傷はすぐに再生し始めた。だが雄一は立ち上がれなかった。


「最後のチャンスだ。サバロを攻め落とせ。

 刻限は、明日の日没。

 それができたら、お前が王になれるよう計らってやろうじゃないか。

 できなかったら……」


 スッ、とクオルが息を吸い、それから、壁に掌底の一撃。


 堅牢な石壁に大穴が空いていた。

 彼女自身が三人くらい並んで通れそうな、大穴が。

 冷たい夜風が吹き込んで、夜空には冷たい月が浮いていた。


「アタシが忙しくしてるうちに、尻尾巻いて世界の反対側まで逃げな。

 そうすりゃ、ちったあ長生きできるだろうさ」


 それだけ言い置いてクオルは、振り返しもせず、足音高らかに去って行った。

 もはや興味を失った様子で。


「ぢぐ……しょう……

 どいつもこいつも、俺を、コケに……!

 畜生、畜生、ド畜生ぉーっ!!」


 雄一が怒りのままに叫んだところで、恐れ戦く者はここに居なかった。

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