18 戦略級の美貌

 都市の構造は、外側から順に『街全体を囲う外壁』『市街地』『街領主の居城・居館』というのが一般的だ。

 このサバロの街も同じで、街の中心には城館があり、そこが駐屯する防人部隊の暫定司令部となっていた。


 その食堂。

 本来は城館の主が客人をもてなす空間が、今は作戦会議室として使われていた。


「諸君、悪い報せだ。

 敵の略奪部隊が近隣の農村を襲い始めた」


 タジニ砦での作戦会議と同じ面子が集まって、セドリックが口火を切る。

 例によって当然のように、アルテミシアもルウィスに呼ばれていた。


「数は不明だが、逃げてきた者によれば魔物兵が500とも1000とも。

 しかも、かの『悪魔』の姿すらあったそうだ」

「……その数で農村の略奪を?

 しかも、敢えてここで?」

「左様です。箒で塵を払うように村を根こそぎにし、人を殺し、しかしその状況で逃げ切った者がある」


 ルウィスは少し考えて、怒りを滲ませた表情になる。

 彼がいま少し下品であったなら、舌打ちをしていたところだろう。


「釣り出しか。

 急を報せさせるため、あえて一人か二人、逃がしたな」


 アルテミシアも事態を理解した。


 この世界の都市は、周囲にいくつかの農村を従えているのが普通らしい。

 サバロの街の周囲にも複数の農村があり、中には未だ、街に避難していない農村がある。それが襲われているのだ……略奪のためではなく、防壁に囲われた街の中から、防人部隊を釣り出すために。

 守りに来なければまた同じ目に遭う村があるぞ、という脅しだった。脅しのために民を虐殺しているのだ。


 そもそも現状は、チートを引っ提げてこの世界にやってきた児嶋雄一が勝手に戦争を始めてしまったため、魔物の国も人の国も準備ができていなかったという状況だ。

 魔物たちの軍勢は、このケセトベルグ領を完全に占領して攻め潰すため、援軍を待っている。それまでレンダール王国の援軍をケセトベルグに入れないことが、彼らの勝利条件だ。


 そのためには、防人部隊が邪魔だ。

 無力化したと思っていたが復活してしまった。

 故に、如何なる手段を用いても、これを除こうとしている。


「我らは民を人質にされた状態だ。

 だが……」

「助けに参りましょう」


 現在、防人部隊は、部隊全体を四つの隊に分けている。

 その隊長である騎士の一人が、即座に言った。他に答えなど無いのだと確信している様子で。


「これはむしろ好機。

 この場で敵勢力を削れば、以後の戦いにも資するものとなります」

「しかし敵には、あの『悪魔』が居るのだぞ?」


 別の隊長が待ったを掛けた。


 その瞬間、肌で感じられるほどに部屋の空気が緊迫した。


「数で考えてはならぬ。

 壁を捨てて出て行けば、『悪魔』の思うつぼだろう」

「目の前でこれから殺される民を見捨てるというのか!」

「我らがここで倒れては、ケセトベルグの全ての民が死ぬ!」

「人の命を多少で考えてはならん! いずれも死んではならぬのだ!!」

「貴様は余所者だからそういう無責任なことが言えるんだ!」

「その余所者が身を挺してケセトベルグの民を守っているんだぞ!?」

「静粛に! 静粛に!」


 二人の隊長がテーブルに身を乗り出してがなり合い、セドリックの静止も受け付けない。


 他の者たちも、喉に何かつかえたような顔で、押し黙る。

 自分たちも含めた多くの命が懸かっているのだ。全てを解決する名案など、あろう筈も無い。中途半端な意見を述べたところで仲裁にはならず、火に油を注ぐだけだ。


「おい。正論か一般論で諫めろ、アルテミシア」

「ええ……?」


 飛び交う言葉の矢弾を掻い潜るように、こっそり末席までやってきたルウィスが、アルテミシアに無茶振りの耳打ちをした。


 今にも剣を抜かん程の勢いで激論を交わす二人の騎士に、よりによって全く無力な自分が割って入れと。そもそもアルテミシアは、何故かこの場所に呼ばれただけの部外者だ。

 いや、部外者の意見だからこそ聞き入れられるかも知れない、という狙いだろうか。


 言いだしたのはルウィスなのだから、失敗したら事態の収拾は任せれば良いだろうと、アルテミシアは腹を括った。


「あの」


 一声、アルテミシアが発した瞬間に、会議室は水を打ったように静まりかえった。


 全員がアルテミシアに注目していた。罵り合っていた二人も、それを止めて。

 まるで、吐息すら聞き逃すまいとしているかのように。


 視線の圧力に腰砕けになりそうだったが、踏みとどまった。


「お二方とも、人々を守りたいという気持ちは分かりました。

 でも、でしたらまずは落ち着いて要件定義……えっと、何ができるのか、何をするべきなのか、どうしたらどうなるのか……冷静に話し合うべきだと思います」


 思いつく限りの当たり障り無い正論を、アルテミシアは並べ立てた。


 言われたとおりにやっただけだが、流石にマズかったかなと自分で思った。

 怒鳴り合っている最中に、したり顔でこんな事を言われたら、ブチ切れる自信がある。

 こんな簡単な言葉で仲裁できるなら世話は無いのだ。


 ……と、思ったのだが。

 二人の騎士は毒気を抜かれたような顔で、気まずげに頷き合った。


「すまぬ。確かに私は冷静ではなかった」

「私は貴公の志を疑った。不明を詫びさせてほしい」


 諫めたはずのアルテミシアが戸惑うほどにあっさりと、言い争いは収まった。

 あるいは、自分をからかうための茶番ではないかとアルテミシアが思うほどに。


「分かった、ではこうしよう……部隊を分ける。

 第一から第三隊は街に残り、第四隊は周辺住民の救出に向かう。

 第四隊のみでも敵略奪部隊に為す術無く負けることはなかろう。だが、交戦は可能な限り避けよ。『悪魔』の討滅は至難だ。

 敵勢がある中で、民を街に逃がす、その道を確保せよ」


 言い争いが収まった間隙を縫うように、セドリックが提案をする。


「そして仮に第四隊が皆殺しにされようとも、残存戦力のみで、敵の領境封鎖部隊を挟み討ちにする役目は果たせよう。

 ……それでいいな?」


 皆、それで心は決まったという顔をしていた。

 軍議は丸く収まったようだ。


 アルテミシアは、何が起きたか分からず唖然としていた。


「助かった。

 あのままでは折衷案が出ても、二人とも納得しなかっただろう」


 軍議が終わって、ルウィスが部屋を出て行く間際、心底ホッとした様子でこっそり礼を言った。


 * * *


 ひたすら調合室に籠もっているアルテミシアのところにルウィスがやってきたのは、その日の昼下がりのこと。

 手を休めて、雑炊のような炊き出しスープの昼食を取っている時だった。


「今、街では、訓練済みで即座に民兵として動ける者を集め、編成に組み込んでいる。

 彼らへの装備の配布を手伝ってくれ。剣だの兜だのを運んで渡すだけだ」


 流石にこの期に及んでは、アルテミシアもルウィスの意図を察した。

 何かと雑用的な手伝いをさせたがる理由も、全くの部外者である自分を軍議にまで呼んだ理由も。


「つまりマスコット……その、愛想振りまいてこいってこと、ですよね?」

「ふっ。

 ようやく自分の価値に気が付いたか、鈍感娘」


 傑作のイタズラが成功したかのように愉快げに、それでいてクールにルウィスは笑った。


「ああ、そうだ。

 武具に矢弾、乗騎、兵糧を準備し、兵が壮健であろうとも……士気が無ければ兵は戦えぬ。古今、数多の将が、いかにして兵の士気を保つか悩んできた。

 だが、お前は顔だけでそれができる」

「顔って……」

「僕は本気だぞ?

 それは戦略級の手札。一国の運命をねじ曲げるほどの美貌だ。

 防人部隊が再起できたのは、表面的にはお前のポーションの力だが、本当の意味で立て直したのはお前の姿によるものだ」


 その言葉はあまりにも理解を超えていて、アルテミシアは束の間、バグったように硬直していた。

 ルウィスの言葉は、褒め言葉ではなく分析だった。

 だからこそアルテミシアは、それを否定できない。


 通野拓人は、容姿を褒められたこともけなされたことも、覚えが無かった。

 だから、こうして自分の外見について肯定的な評価をされるのは全く慣れていなくて、初めてエナジードリンクを飲んだ日のように奇妙な興奮を覚えた。

 人々を動かすほどに美しいのだと言われることは、奇妙な衝撃だった。


 所詮は『転生屋』に与えられた肉体。自身が人生の中で育んだ容姿ではない。

 そのためか、アルテミシアはなんとなく、自分の外見に関心が薄かった。ここまで言われて初めて、確かにそうかと思わされた。


「お前は……希望という欺瞞を皆に与えることで、真の希望となるんだ。

 お前なら、それができる」


 企業の広告だろうが、政治宣伝プロパガンダだろうが、容姿に優れた者が行うことで効果は上がる。

 ルウィスは、そのためにアルテミシアを使おうとしているのだ。

 ……ルウィスはアルテミシアを見て、即座に『使える』と思ったわけだ。

 物事を即座に、大局と繋げて考え、状況を動かしていく。それはアルテミシアには無い思考だった。


「なんだ? どうした?」

「まだ子どもなのに、そこまで考えててすごいな、って……」

「あのなあ! 僕の方がお前より年上なんだぞ!」


 感心していると、ルウィスはちょっと呆れた様子で言い返した。


 ――そりゃ肉体的にはそうだけど!


 アルテミシアは、肉体的には子どもだが、その背後には三十二年の人生経験がある筈なのだ。その立場からしてみれば、ローティーンのルウィスは全くもって子どもである。

 なのにここまでルウィスの頭が回るのは凄いと単純に思ったのだけれど、確かにこの身体で言うべき褒め言葉ではなかった。


「……僕は所詮、お父様の背中を追っているだけだ。

 何もかもが足りない……やりたいことができない……この程度、何がすごいものか」


 無念の想いを滲ませ、ルウィスはぽろりと、弱音をこぼす。


 この世界の貴族たちがどういう立場なのかは分からないが、この極限状態でルウィスが、侵略によって民の命を脅かされて親兄弟の助けも得られぬ中、指導者たらんとしているのは分かった。それを当然と考え、己の無力を悔やんでいるのだと。


「それって」

「いいか! 下手に慰めるなよ!!

 お前が『大丈夫』って言ったら大丈夫じゃないことまで大丈夫に思えてくるからな!!」

「あっ、はい」


 できないことを、必死にやろうとしている。

 その覚悟だけで賞賛に値すると、アルテミシアは思った。

 労いの言葉は、機先を制して封じられてしまったけれど。


「他に何か……わたしができること、ありますか?」


 力になりたいとは思った。

 傾城ならぬ興国の美貌と、調合技術チート。それで自分にできることがあるならば。


 ルウィスは噛みしめるようにゆっくりと、一度、頷いた。


「これから僕は冒険者ギルドへ行くところだ。

 付いて来てくれると助かる」

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