19 戦支度
通野拓人はあまりチャンスに恵まれなかったが、仕事に使う私物を経費で買うというのは、間違いなくサラリーマンの幸福の一つだろう。
この日、アルテミシアは防人部隊の金で服を買った。
だがそれが幸福であるかに関しては議論の余地があった。
「これを……着るのか……俺がっ……」
街の商家の子女の服を買い取ったというそれは、仕立てが良く小綺麗な、モノトーンのワンピースだ。裾や袖口には可愛らしいレース飾りも付いている。
日本人・通野拓人の感覚と知識に照らして描写するなら、それは『発表会の服』だった。
村人の厚意で借りていた、お古の普段着とは何かが違うと感じた。
もちろん値段も違うがそういう問題ではなく、強いて言うなら、少女力が違う。
これまで着ていた簡素なワンピースも、一応は少女のために作られた服だった。それだって最初に着たときは凄まじく違和感を感じたのだが、アルテミシアは徐々に慣れ始めていた。
なにしろ飾り気も無くすり切れた、『生きるための服』という風情の品だ。服など本質的には単なる布だと、最終的に自分を納得させることができた。
だがこれは違う。
『少女を魅力的に見せるべく作られた服』だ。
それを。
今から。
アルテミシアは。
着る。
着替えるために借りたのは、城館のクローゼットルームだ。立派な姿見鏡も置かれていた。
アルテミシアは鏡から目をそらしたまま、恐る恐る服に袖を通して、それからしばらく躊躇って、やっと、思い切って鏡を見た。
可愛い。もう、どうしようもなく。絶望的なほどに。
それは初々しく瑞々しい咲きたての花だ。
あるいは生まれて初めて地上に降りて、おっかなびっくり最初の一歩を踏み出した天使であろうか。
誰もが庇護欲をそそられる。同時に、その輝くような美しさに圧倒される。故にそこには畏敬の念が生まれるのだ。
そして、彼女という存在を生み出したこの世の奇跡に感謝し、彼女がこれから生きて行くであろう時間に……それを共有できる己の生に希望を抱く。
そんな、神話級に可愛い女の子が鏡の中にいた。
もしこれが絵画であるなら、描き手は、歴史に名を残し千年後に美少女キャラにされる大芸術家だろう。
だがこれは実在の人物で、しかもアルテミシア本人だった。
鏡の中の少女は、凍り付いたように呆然としていた。
だが、いつまでもこの顔ではいられない。
「すぅー……はぁー……
落ち着け、俺。これから営業なんだ。営業スマイルだ……」
くしゃりと、顔をほころばせて、アルテミシアは鏡に向かって笑った。
「……えへへ」
ぎこちなくたどたどしい微笑みは、かえって少女の懸命さを顕わにした。
夜空の星が全て降ってきたかと思った。
そこでアルテミシアの精神は限界を迎えた。
「つああああ! うああああ!
何が『えへへ』じゃアホンダラ!」
はにかんだ笑いの破壊力が想像以上でアルテミシアは自爆した。
無理矢理絞り出した笑い声が、驚くほど活き活きとして可愛らしく、それが自分であるという事実に耐えかねたアルテミシアは頭を抱えて倒れ込み転げ回る。
「はあ、はあ……」
そして、しばらく息を切らせていて、立ち上がった時には少し冷静だった。
――確かに……チートじゃないけど、この外見はとんでもない『才能』だ。恥さえ捨てれば巨万の富も稼げる武器だ。
ルウィスの言葉は確かだろうと、アルテミシア自身、腑に落ちた。
なんでこんな意味不明なほどの美少女にされたのか全く分からないが、この美貌にはとんでもない力がある。
人を動かす力……即ち、金だって動かせるはず。
「この世界、流石に芸能事務所とかは存在しないよな……
美人ってどうやって稼ぐんだ?」
容姿が優れていれば、それを商売にできる。テレビCMの出演料なんかは、一本数百万、場合によっては数千万円になることもあると聞いた覚えがある。
とは言え、アルテミシアは現代日本の事しか分からない。この異世界で、この才能をどう使えば、どれくらい稼げるのかも分からないわけで。
「……じゃない!
『転生屋』にクレーム付けて俺は男に戻るんだってば!」
本気で考え込んでいたアルテミシアは、重大な懸案を見落としていたことに気づき、慌てて全てを打ち消した。
今の自分がどれほどに美しいとしても、その自分を受け入れてしまったら、取り返しが付かなくなる。そんな気がしていた。
「これは生き延びるため……これは生き延びるため……それまでの辛抱……よっしゃ、やったらぁ!」
ブツブツ呟いて、柔らかなほっぺを平手で叩き、アルテミシアは気を張り直した。
* * *
アルテミシアは、ルウィスと共に、街の冒険者ギルドに向かっていた。
「冒険者を知らない? どんな田舎の生まれなんだ?」
この世界に来てからちょくちょく聞いている言葉だが、アルテミシアはそう言えばまだ、冒険者というのが何なのか知らない。
魔物と戦う仕事だろうとは、ふわっと理解しているけれど。
「冒険者とは、魔物退治や野外探索を生業とする、傭兵のようなものだ」
「傭兵と違うのは『政治不介入』の原則ね。戦争には関わらないの。
もっとも、相手が魔王軍なら話は別だけど」
「魔物対策の専門家と言うべきだろうな」
ルウィスはレベッカも引っ張ってきていた。
彼女は自他共に認める一流冒険者で、その強さはアルテミシアも目の当たりにしている。同業者にも一目置かれるだろう。
魔物の軍勢と戦おうというのだから、魔物退治請負人を雇い入れて頭数にできれば、もちろん心強いというわけだ。
問題は、あくまで冒険者はただのフリーランス業だという事なのだろう。
「奴らに権威は通じぬ。
動くかどうかは金と気分次第だ」
市街地に現れた獣を猟友会が駆除するのとはわけが違う。
ルウィスはこれから、『金は出すから命懸けで戦ってくれ』と頼みに行くのだ。
それはどう考えても、並大抵ではない交渉だった。
* * *
「ただ、冒険者って、自分が勇者様になれる物語には弱いのよねー」
冒険者ギルドの支部とやらは、アルテミシアの知識に照らして表現するなら、古い銀行の建物みたいにがっしりとした堅牢なものだった。
そのロビーには数人の、思い思いの奇抜な恰好に武装した者たちがたむろしていた。
魔物が侵攻してきたときに領外に逃げ損なった冒険者たちだ。ここまではるばる逃げてきたが領境封鎖部隊に阻まれ、足止めを食っている者もあるらしい。
「家の外に出たら、村が魔物の軍勢に襲われていました。
悲鳴を上げて逃げ惑う人々が、次々と殺されていって……」
そうして居合わせた冒険者たちが、アルテミシアの話を聞いていた。
カラフルに塗られた鎧を着た大男が。三角帽子を被った魔女スタイルの美女が。遺跡の発掘でもしそうな恰好の小人が。
食い入るようにアルテミシアの話を聞いていた。
「わたしは、アリアさんと一緒に必死で逃げました。
助かったのは運が良かったからです。
でも……この街も、やがて魔物に襲われるでしょうし、防人部隊が倒れたら、領内の全ての村がコルム村のようになるんでしょう……」
演技と言うほどの演技はしていない。
ただアルテミシアは、事態の重さに見合う程度に真面目な声音で、訥々と説明しただけだ。
だが、それだけで、大陸間弾道ミサイルで焚き火に点火するくらいの過剰火力を発揮した。
話を聞く冒険者たちは、ある者は息を詰まらせ、ある者は涙ぐみ、またある者は怒りに拳を振るわせていた。
「泣くんじゃないぞ、嬢ちゃん!」
「応! 魔物どもに好き勝手させるかよ!」
冒険者たちは勇み立ち、気勢を上げた。
毒を食らわば皿まで。
そんな言葉が、アルテミシアの頭をよぎった。
* * *
各街に存在する軍事的な備蓄。
そして、商人から買い集められたもの。
アルテミシアの居る調合室には、種々様々な薬品材料が集められていた。
薬草類はもちろん、何かの爪やツノ、鱗、木の皮、果ては鉱石まで。
アルテミシアはそれを可能な限り、色々なパターンで混ぜ合わせて、一種類でも多くのポーションを作っていた。
「今ある材料で作れるポーションは、こんなところです」
「ふむ……
全員に行き渡らない以上、特に秀でた者を活躍させる配分にすべきだろう」
軍医長マウルは並んだポーションを見て、慎重に思案する。
アルテミシアはインチキレシピでポーションを調合可能だが、どの組み合わせで何ができるかは実際に調合を始めてみるまで分からないし、どのポーションが軍事的に有用かなんて知らない。
そこで、作れるものを作れるだけ作ってみて、自分がどの調合を担当するかマウルに判断を委ねていた。
材料さえ充分にあるなら、インチキレシピより効率に劣るとしても、通常レシピで他の者が調合できる。むしろ材料よりも時間が惜しい。アルテミシアは、自分にしか作れないポーションを作るべきなのだ。
「できれば、わたし個人用のポーションも持っておきたいんですが……」
「ううむ……
持たせたいのはやまやまだが、兵に回す分も足りるかどうか、だからな……」
「買ってきたわよ」
丁度そこへ、買い物に出ていたレベッカが帰ってきた。
そして、持っていた包みの中から数本のポーションを取りだし、机の上に並べた。
「買えたのはたったこれだけ、しかも相場の四倍したけど」
「わ、ありがとう」
「やはり、売り惜しむ商人も居たか……全て軍が買い上げたはずなのに、こんな時に……」
マウルは苦い顔で溜息をついていた。
* * *
翌日、アルテミシアは街頭に立った。
「装備の支給はこちらでーす! 認識票を持ってお並びくださーい!」
この世界では……と言うか少なくともこの国では、農村の住人だけでなく都市の市民もまた、兵役の対象者である。
既に民兵として訓練されており、装備さえ渡されればすぐに兵として動かせる者が、それなりに存在する。彼らは日常的に訓練を積んでいるわけではないので、専業兵と比較すれば遥かに能力的に劣るが、だとしても彼らには彼らの役割があるのだ。
街の武器庫には民兵のための装備が仕舞ってあった。
簡素な兜と、ベルトの長さを調整することで誰でも着けられる胸甲。そして量産品の鎗だ。ひとまず貸出されるのは、そのセットだった。
倉庫の中には弓や剣、盾も置かれていたが、基本セットより数は少なく、全員分は用意されていないらしい。
民兵の武器は基本的に鎗とされているようで、弓や剣を貸し出すのは、それが使える者に限られていた。鎗は射程が長く、武術の心得が無い民兵にも使いやすいのだ。
武器庫近くの広場で、召集された民兵に、装備の支給が行われた。
初めは淡々と事が進んでいたはずなのだが、徐々に、明らかに無関係の見物人や足を止める通行人が増えて、事態は混迷の度合いを深めていた。
「おい、どこだどこだ」
「向こうに行ったぞ」
「押すな!」
「俺は奇跡を見た……」
「用が無い奴は帰れ!」
「何なんだ、あの子は?」
「どういう種族だ?」
原因は確実にアルテミシアだった。
「……もう少し下がれ、人波に呑まれたら助けられんぞ」
「は、はい。そうですね……」
アルテミシアと同じく、盛り上げ役として来ているルウィスが、流石にちょっと呆れた様子で忠告する。
集められた兵たちを鼓舞するため、人目に付くところでアルテミシアに仕事をさせる、というルウィスの仕掛けは確かに功を奏している。
しかし、余計な騒ぎも生んでいた。
アルテミシアもまさかここまで、自分の外見に力があるとは思っていなかった。
確かに可愛らしいと、他人事のように思ってはいたが、それが周囲の人々を悉く血迷わせるレベルのものだったとは。
押し合う人々に潰されぬよう、アルテミシアは途中から、支給品配布の窓口の奥での仕事に移った。
非力と言えど、兜を運ぶくらいはできる。
「嬢ちゃんの親父の仇は、絶対に俺が討ってやるからな」
アルテミシアから支給品を受け取った男が、燃える目をしてそう言った。
「……なんか話がねじ曲がってない?」
「世の中そういうものだ」
冒険者ギルドでの話に尾ひれが付いて一人歩きし始めたらしかった。
「坊ちゃま。俺、そろそろネズミ捕り長に餌やりに行くっす」
「待て」
アルテミシアやルウィスと違い、裏方の目立たないところで雑用をしていたカルロスが、仕事を抜けようとしてルウィスに呼び止められる。
「特別だ。これまでの功績を鑑み、お前にこれを支給しよう」
ルウィスは支給用に置いてあった量産品の剣を、カルロスに手渡した。
手入れだけはされている使い古しの量産剣を、抜いてみて、収めて、カルロスは難しい顔をした。
「剣術なんてわかんないし、鎗が折れる頃には剣を抜くまでもなく死んでるっすよ、俺」
「一理あるな」
「……納得されるのも悲しいっす」
「まあ折角だから持って行け。どうせ余る」
既にカルロスは、村から自分用の装備一式を持ってきている。
そこに剣を付け加えてやろうというルウィスの計らいだった。
「明日には民兵の編成が済む。以降はお前もその指揮下に入れ。
ネズミ捕り長の世話は、まあなんとかなるだろう」
「了解っす」
「カルロスさん、どうかご無事で」
「そう言われちゃ、気張って生き残るっきゃねえっすねぇ」
カルロスは防人部隊ご一行様の中で、唯一の民兵という、ある意味特別な立ち位置だった。それも今日までだ。
なんだかんだで関わることになった彼と、これが今生の別れにならぬよう、祈らずにはいられなかった。
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