12 白衣の天使
砦の廊下にカラカラゴトゴト、三段ワゴンの走る音。
ポーションや医療器具、沢山の包帯を載せて。
今の自分にとっては、ちょっと大きいワゴンを押して、アルテミシアはマウルに付いていく。サイズが大きすぎる白衣を、腰で縛って無理矢理着ていた。
「回復魔法は重傷者から順に回す。
我々は残りの
「はい!」
「傷口を見るのは平気かい?」
「……好きではないですが、多分平気です」
「よし。
こちらの端から順番にやるぞ」
毛布で廊下に寝ていた兵士が、何故だか信じられないものを見たような顔で、アルテミシアの方を見ていた。
「君は……?」
「お手伝いです」
まあ、子どもが自分に医療処置をするとなれば、普通は不安になるだろう。
なるべく不安を与えぬよう、アルテミシアは傍らのマウルの手足たるよう心がけていた。
「まずは包帯を解く。捨てる包帯だから大事にしなくていい。
それから、血が滲んでいたらポーションが流れないよう、スポンジで拭うんだ」
「はい!」
緊張が声に滲み、少し硬い返事になった。
医療知識は無いし、怪我人に処置をするのも初めてだ。
兵士の足に巻かれた、血の滲む包帯を解くと、その下には生々しく血の滲む亀裂があった。尋常ではないほど鋭利な何かで、深々と貫かれ、切り落とされそうになった痕跡だった。
薄い手袋を付けたアルテミシアは、濡れたスポンジで傷の周りを拭う。
加減が分からず、手つきはおっかなびっくりだった。
「痛いですか?」
「い、いや……」
処置を受ける兵士は、まるで石像のように硬直していた。
自分のやり方が悪くて苦痛を与えたのかと、アルテミシアは心配したが、どちらかというと彼は呆然としている様子だ。
「よし、次は私の番だ」
マウルは傷の具合を確かめガーゼを当てつつ、口の細い水差しみたいな独特の器具で、兵士の傷口にポーションを注いでいく。
一滴たりとも無駄にはしない、という慎重な手つきだ。
しゅうしゅうと白い煙を立てて、傷口の組織がつながり、塞がっていく。
「この程度治せば平気だろう。
包帯を巻き直せ」
「はっ」
まだ傷の形が残っている程度の段階でマウルは治療を切り上げ、追従する医師に命じた。
怪我人は数多く、ポーションの量は足りない。マウルの見立てによって、どの程度まで治療を施すか加減しているのだ。
「流れ作業で行くぞ。全員、ひとまず動ける程度の状態にする」
「スポンジって使い回して良いんですか? 感染とか……」
「一般人相手なら良くない。
だがこいつらは身体の強度が違うからな。状況が状況だ、綺麗に見えるうちは使え」
マウルが言う通り、そこからは流れ作業だった。
傷口を清め、ポーションを注いで、必要なら包帯を巻き直して保護する。
グロテスクな傷口にもすぐに慣れて、アルテミシアは必死で手を動かした。つまらないことで因縁を付けてくるクソ上司がいないだけでも、この仕事は楽で天国のようだった。
「できれば包帯の巻き直しも頼む。簡単なところだけでいい。
手は任せてくれ、あれは剣の握り方に関わる」
「はい!」
兵士を教材にさせてもらって、アルテミシアは包帯の巻き方を習った。
優しく巻こうとすると緩くなってしまい、アルテミシアは自分の腕力の無さを思い知った。少し力を入れるくらいで丁度良かった。
「はい、できました! 大丈夫ですか?」
「あ、ああ……もう大丈夫だ、ありがとう……」
腕を怪我した兵士は、アルテミシアが包帯を巻き直した己の腕を、ためつすがめつ見ていた。
「水を替えてくれ。それと、バケツを空けてきてくれ」
「はい!」
血で汚れた水を捨てるためのバケツは、ちょっと重かった。
アルテミシアはそれを両手でぶら下げ、小走りで廊下の果てまで旅に出た。
この状況で目立つのは仕方ないが、自分に向けられる大量の視線がちょっと気になった。部屋の中から廊下を覗いている者さえ居た。
*
一方、同時にルウィスも動いていた。
ルウィスは自ら処置をするわけではない。処置をする医師について回って、ただ、兵たち騎士たちの話を聞いていた。
武勲の話でも、戦友の死であろうとも、ルウィスはただ話を聞いて、褒めて励まし労った。
そんなルウィスが居る部屋の前の廊下を、バケツを抱えたアルテミシアが駆け抜けた。
荷物のせいで重くなった足音は、それでも小動物が走っているように軽妙な響きで、石の砦の廊下を渡る。
やや癖のある緑髪が、ふわりと宙にたなびいて、彗星の軌跡の如く輝いた。荷を運ぶ健気な姿に何を感じるかは人それぞれだろうが、人面獣心の人畜生でもなければ、胸を打つような感動を覚えることだろう。
部屋の扉から彼女の姿が見えたのは一瞬だったが、病床の兵たちは誰もが視線を釘付けにされ、息を呑んだ。
「私の妹を勝手に使って、憎い事するじゃない、お坊ちゃん」
「できることはなんでもするし、やらせるさ。状況はそれだけ酷い」
アルテミシアの仕事ぶりを見守っていたらしいレベッカが、ルウィスの所に来て、ちくりと刺すように皮肉った。
レベッカはルウィスの狙いを見抜いている様子だ。ルウィスは彼女の皮肉を甘んじて受け容れる。
兵の士気とは、熱だ。良くも悪くも伝播する。ルウィスがこの場の全員と話すのは無理でも、たとえば、そのうち一割を元気づけることができたなら、他の者もそれを見て奮い立つだろう。
だがそれでもまだ、足りない。だからルウィスは、アルテミシアを使った。小狡いやり方なのは承知だ。
「そっすよ! あのポーション、アルテミシアが作ったんす!
普通なら作れるはずのない材料から! すごいっすよ、あの子!
俺も、アルテミシアのポーションで命救われたんす。
あの子の村から来てた農兵がっすね、ゴブリンの剣で腹ぁ裂かれて死にかけてた俺に……」
その傍ら。雑用係として手伝いをさせられているカルロスは、聞かれるまでもなくアルテミシアの話を、興奮気味に兵士たちにしていた。
「あっちの農兵さんも、仕込み?」
「あいつは単純なだけだ」
「ニャー」
ルウィスの足下にひっついているギルバートは、呆れたように一声鳴いた。
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