11 調合事故

 ケセトベルグ領は、軍事的にはあくまで南から攻めてくる魔物との戦いを想定している。

 南部領境、つまりレンダール王国と魔王国の国境でもある部分には、『魔封じの砦』を中心とした防衛線が存在し、魔物の侵攻を抑止していた。

 それが此度、超えられた。


 防衛線を越えられたら、ケセトベルグ領内で第二防衛戦を作るのは、地理的にも予算的にも難しい。

 だが堅固な街壁を備え、要塞化された都市は、魔王軍地上部隊の進撃を阻み、補給路を断つ。そして当然、人々の避難先ともなる。


 砦も役目としては同じなのだが、このタジニ砦は主要街道から外れ、川を見下ろす立地にあった。

 川は人々にとって重要な資源だが、侵略してきた魔物たちが水運に用いる経路ともなる。それに、水棲の魔物たちが川を占領すれば、そこを端緒に侵略してくる場合もある。

 タジニ砦は、南部防衛戦の後逸を防ぐ、対河川戦闘要塞だ。

 ……本来は。


 今は違う。

 騎士たちがタジニ砦に逃げ込んだのは、そこが魔王軍の侵攻路から外れていたから。

 川にはもしかしたらもう、遡上した魔物たちが巣くっているのかも知れないが、それに対応できる状況でもなかった。


「……酷いな。治療が追いついていないのか」


 負傷者は部屋に入りきらず、廊下にまで溢れていた。


 毛布や、本来は野営用である寝袋が廊下の半分を占有し、そこに寝転がる者が、座っている者がある。

 乾いた血と土埃に塗れ、汚れた衣服。血の滲んだ包帯。

 屈強な肉体の男たちが、しかし萎れた様子で力無く、ただそこに居た。家鳴りの軋みのように、一歩歩くごとにうめき声が聞こえた。


「逃げてくるまでに二割が脱落しました。辿り着いた者の一割を見捨てました。

 それでも尚……回復魔法もポーションも足りません」


 セドリックの眉間の皺は深い。

 この世界には魔法が存在し、怪我などたちどころに治せるはず。なのにこれだけの怪我人が治療されずにいるというのは、どれだけ酷い状況を表しているか。


「あの! わたし薬草さえあれば、ポーション調合できます」

「何?」


 アルテミシアは声を上げていた。

 悲惨な状況を見て堪えられなかった、とかいう理由ではなく、打算によって。

 自分のポーションは命を救えるのだ。では救わねばなるまい。アルテミシアは雄一に抗う術など持たないのだから、戦える者の所に身を寄せるべきで、現在戦えない状況であるなら立て直してやるべきだろうと。


「ホントよ! アルテミシア、凄いんだから!」

「俺、この子のポーションで命を救われたんす!」


 アリアンナとカルロスの訴えを聞き、セドリックは思案する。


「薬草の備蓄も僅かだが……ふむ」


 実際彼は、藁にも縋りたい様子だった。


 * * *


 砦内には、保健室くらいの大きさの医務室が備えられていた。

 戦闘を想定した砦で、これっぽっちの医療設備では足りないのではないかとも思ったが、ここでは魔法で怪我を治すことを想定していて、病棟を用いた複雑で長期的な治療はあまり考えていないのだろう。


 医務室にはポーションを作るための調剤設備もあった。

 薬研や摺鉢、天秤、フラスコ、そして沢山の新品の空き瓶……

 理科室の実験器材みたいなものが、整理整頓する暇も惜しい様子で、机の上に乱雑に並んでいた。


「本当に調合ができるんなら、是非とも頼みたいところだ。

 私もポーションは作れるが、怪我人の対応でそれどころじゃなくてね」


 防人部隊の軍医長マウル・グリップは、15年くらい前はイケメンだったかも知れない中年の男で、血と薬液のシミが付いた、ヨレた白衣を身に纏っていた。

 三日は髭を剃っていない様子で、なかなかワイルドな面構えだった。


「ひとまずこれで、治癒ヒーリングポーションを一服作れるはずだ。やってみたまえ」


 藁にでも縋りたい状況だろうが、藁を掴めば死ぬ状況でもある。

 実力テストとしてアルテミシアの前には、三種の薬草が並べられた。分量は量られていない。適切な順番と分量でこれを混ぜ合わせ、魔法薬に仕立ててみせろ、というわけだ。


 だが、アルテミシアには疑問が一つ。


「……これで?」

「これが万国共通のレシピであるはずだがね」

「じゃ、じゃなくて……治癒ヒーリングポーションなら、これとこれだけで作れますし、この材料全部なら魔力回復マナポーションだって作れますよね?」


 薬草の名前すら知らないけれど、コルム村で村人たちに貰って使った薬草と同じものだ。

 ちゃんと薬になる組み合わせは、なるべく試行錯誤した。三種類全てを使わなくてもいいはずだった。


 そういうテストなのかと、アルテミシアは思った。

 敢えて不要な材料を渡し、ちゃんと選別できるか確かめる、引っかけ問題なのかと。

 だがマウルは、アルテミシアが何を言っているか全く理解できないという顔だった。


「何……? どうやると言うんだ?」

「やってみます」


 乳鉢に薬草を投入しはじめると、アルテミシアは名状しがたき感覚を得た。

 この薬草たちから引き出せる力は、何か。そのためにはどうすればいいのか。まるで呼吸の仕方のように、言語にしにくい感覚として、アルテミシアはそれが分かった。


 魔力回復マナポーションを作るのは、慎重な作業だ。小さな薬匙のほんの一杯、分量を違えるだけで上手くいかない。やり方が分かっていても少し、苦労した。


 綺麗な水(錬金精製水とラベルに書かれている)を混ぜながら、ぐりぐりと薬草を磨り潰していくと、やがてサファイアのように美しく透き通った薬液が生み出された。


「できました。魔力回復マナポーションです」

「この色は……

 待て、ちょっと待て! 試薬を使う!」


 マウルは血相を変え、シャーレのような皿にポーションを取ると、何か別の薬液を混ぜ合わせた。

 すると薬液はチカリと一瞬光った。


「ば、馬鹿な!? 本当に魔力回復マナポーションだ!

 おい、もう一度やってくれ!」

「はい。えっと、まずこれをこれくらい入れて……」


 先程と同じように、もう一杯。

 三種の薬草を混ぜ合わせて、青く透き通るポーションを作り上げると、マウルは頭を抱えて驚愕した。


「信じられない。これは、『調合事故』だ!」

「調合事故?」

「レシピ通りなのに意図した効果が出ないことを調合事故と言うが、つまり……材料の持つ力にバラツキがあるんだ。だから同じ分量でも効果が発現しなかったり、時に違う効果になる。

 それでは使えないから、世の中で使われているレシピのほとんどは許容誤差範囲が広く、ほぼ100%成功するものだ。

 もしくは成功率が低いと分かっているレシピを承知で使い、完成品を全部試薬でチェックして、望んだ効果が出たもののみ使うのだが……

 彼女は違う。万に一つの調合事故を、意図的に、自在に引き起こしている。

 こんなの……あり得ない。あっていい事じゃない……!」


 ただただ、マウルは愕然とする。


 アルテミシアも驚いていた。ただしマウルとは別の意味で。


 ――マジか。このチートスキル、ちゃんとズルチートじゃん!

   たとえば高級ポーションの調合を請け負うとか……それだけでかなり良い暮らしができそう。

   行ける! この才能チートで二度目の人生、薔薇色にできる!!


 状況が状況なので表には出さぬよう奥歯を噛みしめて堪えたが、心中でアルテミシアはほくそ笑み、昂揚していた。

【神医の調合術】とやらは、ズルチートとは名ばかりの、どこにでもある技術を与えられただけだと思っていた。

 だが違った。普通ではあり得ない、技術の名を借りた正真正銘のズルチートだ。


 ――まずは今を生き延びないと。それさえできれば……!


 浮かれている場合でないのは重々承知。

 だが今、アルテミシアは、未来への確かな希望と生存への闘志を抱いていた。


「どうします? 魔力回復マナポーション、もっと作りましょうか?」

「あ、ああ。この材料で治癒ヒーリングポーションを作っても全然足りないが……

 同じだけ魔力回復マナポーションを作れるなら、術師の治療が全員に行き渡るぞ!」

「ふむ……」


 マウルは興奮気味にまくし立てる。

 それを見ながらルウィスは、何か考え込んでいる様子だった。


「アルテミシア。

 調合が終わったら、負傷者の手当も手伝ってはくれないか?

 なに、簡単な作業だけだ。専門的なことは医者にやらせる」

「いいですけれど、どうして……?」

「彼らが軍として再起しなければ、どうせ、ここに居る全員が死ぬ。

 そのためにできることは全てするべきだろう。元気な者が遊んではおれまい?」

「そ、そうですね! 分かりました!」


 なんとなく腑に落ちない部分はあったけれど、アルテミシアは納得し、承諾した。

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