10 防人部隊
馬車は自動車のような速度で走っていた。
「奴が魔力を回復させて、追ってくるまでが勝負だ!
このままタジニ砦へ駆け込むぞ!」
「は、はいっす! 馬のことは任せてくれっす!」
御者席を替わったカルロスに、ルウィスが檄を飛ばしていた。
本来、馬が全力で走れるのは超短時間だ。
だが、この馬車の馬たちは、給水器と一体となった轡を咥えている。御者席の両脇には薬瓶を装填するためのシリンダーが備えてあって、そこから点滴のようにポーションが馬の口に流れ込んでいる。
馬の能力を高め、また自然には出せないはずの能力で自壊していく肉体を回復させているのだろう。
いかにチート超人の脚力と言えど、全力疾走し続ける馬には追いつけないようだ。
――生きてる……絶対死んだと思ったのに……
景色は飛ぶように後ろに流れていく。
グライズボウの街はなだらかな丘の向こうに消え、客車の背部の窓からも、もう見えなくなっていた。
追いかけてくる者は、無し。
「……あの」
「なぁに?」
ずうっと、自分に向かって痛いくらいに視線を向けている女戦士に、アルテミシアは話し掛ける。
彼女はそれだけで笑み崩れた。
「助けてくれてありがとうございます……」
「もう! そんな水くさい言い方しないでよ。私たち家族なのよ?
私はレベッカ。
別れたのはもう十年前だから、あなたは覚えていないでしょうけど、あなたの生き別れのお姉ちゃんよ」
そう言って女戦士レベッカは、アルテミシアを優しく抱きしめた。
――いやいや。いやいやいやいや。この世界にお父さんもお母さんもお姉ちゃんも居るわけないじゃん。俺、
されるがままで頬ずりを受けながら、アルテミシアは心の中で状況にツッコミを入れる。
あの『転生屋』とやらの寄越した資料を文字通りに受け止めるなら、アルテミシアの肉体は奴らの手でこの世界に生成されたもの。
そして魂は地球から送り込まれた通野拓人のもの。
真っ当に親や兄弟姉妹が居るわけないのだ。
「あの、ごめんなさい。
どうして、わたしが生き別れの妹だって……思うんですか?」
「千里眼を持つって噂の占い師から聞いたのよ。別れた妹とは、あの街で会えるって。
だから一番速い馬車を借りてすっ飛んできたわ」
レベッカはにっこり笑って、これで全て証明完了、という調子で言った。
――絶対インチキだろ、その人。
当たり前に魔法が存在する世界では、占いというものへの信頼度も高いのだろう。
だが、少なくとも今回は絶対に間違っている。
「それに、その綺麗な緑髪! きっと間違い無いわ!」
不運な偶然が重なったようだ。
この世界には、青だの緑だのという髪色が普通に存在するようだが、それでも緑髪の人間は少ないとアリアンナは言っていたから。
状況証拠としてはまあまあ信用できそうだが、誤認逮捕である。
「ねえ、あなたのお名前は?
私、それさえ知らないの」
「あの、レベッカさん。
アルテミシアは……ちょっと前に、村の近くの森で行き倒れてて……
それより前の事を、何も覚えていないって言うんです。
アルテミシアって呼んでますけど、それも私が付けた仮の名前で……」
「そうなの!?」
躊躇いがちにアリアンナが説明すると、レベッカは、ひしとアルテミシアを抱きしめたまま、ゆるく癖のある髪を掻き乱すように撫でてきた。くすぐったかった。
「苦労したのね……
でも大丈夫よ。これからは私が守ってあげるから!」
「良かったね、アルテミシア! お姉ちゃんに会えて!」
二人とも感動の涙を浮かべていた。
――違う絶対違う。でも記憶喪失設定のせいで否定できない……どうすりゃいいんだ。
その涙が見当違いだと分かっているアルテミシアだけが置いてけぼりだった。
「待ってくれっす、あんたがアルテミシアっすか?」
御者席で手綱を握ったまま、カルロスが振り返る。
「緑の髪をした、一目見たら絶対忘れられない超超超美少女だとは聞いてたっすけど……」
「ど、どのアルテミシアかは分からないですけど、少なくともアルテミシアとは呼ばれてます」
今の自分が可愛らしい外見である事は、アルテミシアも把握している。
だが、そこまで言われたら嬉しいよりも引く。そもそも前世(?)で、一般的な男として生きてきたもので、こういう方向の褒め言葉を貰ったのは初めてだ。慣れていない。
「俺、あんたの作ったポーションで命拾いしたんす」
「えっ?」
「俺が魔物兵にやられて死にそうになったとき、『命の次に大事なポーションだけどお前にやる』っつって、コルム村から来た農兵が、俺にポーションくれたんす。
そいつはその後……魔物に食われちまったんすけど」
いきなり重い話をぶつけられ、アルテミシアは別の意味でたじろいだ。
「あんたは命の恩人っす。恩に着るっすよ」
「……どういたしまして」
呆然としながらアルテミシアは、言葉を返した。
――命の恩人?
アルテミシアは頭の中で、カルロスの言葉を反芻する。
――俺が、俺のしたことが、誰かの生き死にを左右したってのか?
感覚が付いていかない、というのが正確なところだろうか。
アルテミシアが知る日本に比べて、ここは遥かに、死が身近な世界だ。
今し方、それを自分の身で思い知った。
だが、そこで、アルテミシアは、死にゆく運命にあった者を救った。餞別として、お守りくらいの気持ちで軽く渡した、一本の魔法薬によって。
人の命を救ったと言うのに、恐怖に近い感覚だった。その気持ちをどう処理すれば良いのか、アルテミシアはまだ分からなかった。
「おい、ちゃんと前を見ろ」
「ななな、なんすか!? 何か来たっすか!?」
「いや、違う」
客車から御者席の方に身を乗り出して、前を見ていたルウィスが、カルロスの肩をひっぱたく。
そして彼は口角を吊り上げて笑った。
「見えたぞ。タジニ砦だ」
* * *
川を望む砦の門前。
そびえ立つ堅固な灰色の壁の前で、ルウィスを含むアルテミシアたち一行は、油断なく身構えた騎士たちの出迎えを受けていた。
絢爛な白銀色の鎧を着た騎士たちは、構えてこそいなかったが、いつでも剣を抜ける態勢である事は素人目にも感じられた。
数人の(おそらく精鋭の)騎士たちが取り囲む中、要するに従軍聖職者であるらしい男が、金細工装飾の瓶に入った水をアルテミシアの頭に注いだ。彼らはコルム村の神殿長と似た雰囲気の白衣だが、あんなビラビラした恰好ではなく、山歩きもできそうな分厚いズボンを履いていた。
全員に聖水と、錫杖の光を振りかけて、短い話し合いの後で、騎士たちの後ろから老齢の貴族が姿を現した。
白髪に白髭の矍鑠たる老爺は、ルウィスに向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ありませぬ、ルウィス様。
このようにルウィス様を疑うような真似を……」
「構わぬ。兄様に憑いた悪魔が、これで『魔封じの砦』を落としたのだから、警戒するのは当然だ」
今の儀式が何だったのか、アルテミシアは分かっている。
『悪魔』の変化ではないのかと疑われていたのだ。だから、何か聖なるものを使って、本物であるかの識別を行った。
もっとも、『悪魔』ことログスの正体は、チート能力を持って転生してきた地球人・児嶋雄一なのだ。おそらく彼は、強大な力を持つ以外は普通の人間と同じで、聖なる力は通じない。
なので、このチェックには何の意味も無いとアルテミシアは思うのだが、とりあえず今はこれで納得してくれるならありがたかった。
「私はジョムール市領主、セドリック・ロット子爵にございます」
「知っている。テッペ川の堤防の件ではよくやってくれたな」
「坊ちゃま、よくぞご無事で……」
「お前たちこそ、よく無事だった」
皺深い顔をさらに皺くちゃにして、セドリックは涙にむせぶ。
彼をルウィスは労った。
「領城の様子は聞いているか?」
「はい。最後の遠話にて。
……時に、そちらの方々は?」
「ドサクサで引っ張ってきた農兵と、道中で出会った民間人だ」
こちらに注意が向いたとみるや、レベッカは意外にも堂に入った所作で、軽く膝を折って礼をした。
「北エバーシャー冒険者ギルド所属の冒険者、レベッカです。こっちは私の妹と、その連れ。
冒険者憲章第十二条の下、レンダール国民と同等の保護を求めます。
それと、魔物退治のご用がございましたら、ご協力致しましょう」
そう言ってレベッカは白銀色のカードプレートを提示する。
カードを見てセドリックは目を剥いた。
「ランク7!?」
元よりセドリックはルウィス以外の者も、決して軽んじている様子ではなかったが、レベッカを見る目が明らかに変わった。
「ありがたい。貴殿ほどの冒険者にご助力頂けるなら、望外の幸運です。
正直に言えば……野生の魔獣が餌を求めて砦を襲ったら、それに対処できるかも怪しい有様でしてな」
「そんな状況なのか……」
セドリックの顔には疲労の色が濃く、ルウィスの声音は重かった。
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