7 廃墟の出会い
日の出と共に二人は歩き出した。
アルテミシアはアリアンナの身を案じたが、死にかけていたはずの彼女の方が自分より元気に歩くもので、付いていくのが大変だったほどだ。
アリアンナは『すぐ東』と言ったが、そこは子どもの足で歩いて簡単に辿り着けるような距離ではなかった。
一日中歩いて、足が棒になったように感じて、空腹の余りそこら辺の雑草すら美味しそうに見えてきた頃、二人は焼け落ちた宿場町に着いた。まだグライズボウの街ではなかった。
街と街の間には、旅人が夜を明かすための宿場町があるのだ。
そこにも生きている者は居なかった。逃げたのか、殺されたのかも分からない。家畜も居なかった。宿場町を襲ったと思しき、魔物の姿さえ無かった。血の流れた跡だけはあった。
建物はもっぱら、煉瓦のような土壁だから、それ自体は燃えない。
内装や家具は真っ黒に焼かれていたが、二人が身体を休めて一晩凌ぐには充分だった。
アリアンナが炭化したパンを見つけてきて、外側を毟って二人で食べた。
アリアンナは井戸の水も汲んできたのだが……何故だかアルテミシアは、それが危険であるように思った。井戸に毒が投げ込まれていてもおかしくない、と。子鬼(ゴブリンという魔物だったらしい)に襲われた時と同じ、奇妙な閃きだった。
焦げた鍋に井戸水を入れて沸かし、
* * *
その翌日の昼下がりにはグライズボウの街に着いた。
幸いにも道中で危険な目には遭わなかったが、進行方向の空にたなびく黒煙は、二人の心にも暗い影を落とした。
果たして、街の姿が見えた時、不安は現実のものとなった。
「そんな……」
状況は予想以上に絶望的だった。
街はそそり立つ石壁によって囲われている。壁そのものが砦であるかのように頑健で分厚く見えたのだが、それがクッキーでも割るように崩れていた。
街の周囲には、何かの木組みの残骸みたいなものや、折れた鎗、突き立った矢、何かが爆発した痕跡のようなものが散乱していた。
破損した装備の残骸などもあったが、まだ使えそうな物は見当たらない。回収されたのだろうか。この魔物たちの軍か、あるいは火事場泥棒によって。
そして、死体もあった。
ざっと見たところ、人ではないものの死体ばかり。村で見かけたような子鬼、翼の生えた鳥頭の人間みたいな魔物、青い肌と小さなツノを持つ人型存在、などなど。
生きて動く者は見えない。人も、魔物も。
魔物の死体ばかり転がっているので、人と魔物が戦って、人が勝ったのだろうかとアルテミシアは思った。
だが、門番すら居ない門を通って街の中に入ると、考えの甘さを思い知った。
魔物どもは街を包囲して攻撃したのだ。ならば街の周りで死んでいるのは、ほとんど魔物ばかりになるだろう。
街の中では両方が死んでいた。侵入した魔物と、それに殺された人々の、両方が。
「酷い……」
街の中はミサイルが何百発着弾したらこんな風になるのだろうかというくらいの、徹底的な大破壊を受けていた。
壁は崩れ、建物は打ち壊されて焼かれ、黒い煙が未だに燻っている。人が生きる営みへの憎しみすら感じられる有様だった。
散乱する死体は、どう考えても兵士だけではない。
老人も。子どもも。もはや何なのか分からないくらい激しく損傷したものも。
――人が、死んでる。こんな大量に、ゴミか落ち葉みたいに……
直視できなかった。
これが、この世界の現実なのだという事も含めて。
「お兄ちゃん! どこ!? どこに居るの!?
私だよ! アリアだよ!」
涙でふやけたアリアンナの声は、廃墟の街に虚しく響いた。
人も魔物も、動くものは見当たらない。当然、アリアンナの声に応える者も無し。
……と、思われたのだが。
「おい! 誰だ、そこのお前ら!」
こんな場所には似つかわしくないようにも感じられる、清澄な響きの声で誰何する者があった。
崩れた建物の陰から姿を現したのは、およそ12,3歳ほどの、凜々しく美麗な少年だった。短く整えられた褐色の髪、くりくりした金色の目、柔らかな頬に赤みが乗っている。
土埃と煤に塗れて汚れていたが、彼の着ている服はいかにも、お坊ちゃまが着るようなお高いスーツという印象で、実際それは彼に似合っていた。
それと、少年の後に続いて、粗末な甲冑と胴鎧を身につけた若い男がひょっこり出てきた。何故だか、白黒模様の猫を抱いて。
「……そちらこそ、どなた様ですか?」
「なんだ? 僕を知らないのか?
僕の名はルウィス。
ケセトベルグ伯・レグリスの第三子。ルウィス・ギーランだ」
勿体ぶって、ルウィス少年は堂々と名乗る。
アリアンナは彼の名前を知っていたようで、目を見張りたじろいだ。
「りょっ……領主様のお坊ちゃま!?」
「うむ、そうだ」
名前ではピンと来なかったアルテミシアだが、この場所が『ケセトベルグ領』なる地方である事は、アリアンナから聞いている。
つまり彼は本当に、偉い人のお坊ちゃまなのだ。
「これは領城のネズミ捕り長、ギルバート」
「ニャー」
「それと領城から逃げるとき、近くで生き残ってたから一応連れてきた農兵だ」
「あ、ども。俺、カルロスっす」
タキシードを着ているみたいに胴回りが黒い白猫と、猫を抱いた兵士が、それぞれ挨拶をした。
「逃げる? 領城から? ……どうして」
「知らないのか!?
……いや、そうか。もう村々までは連絡が行き届かないほど混乱して……」
勝手に驚いて納得していたルウィスは、話について行けない様子のアリアンナを見て、頭痛を堪えるような顔になる。
「ログス兄様が悪魔に取り憑かれた」
「はい?」
「……突然、恐ろしい力を手に入れ、邪悪な考えを持つようになったのだ」
突拍子も無い話に思われた。
魔法や魔物が存在する世界なら、領主の息子が悪魔に取り憑かれるくらい日常茶飯事、というわけでもないらしい。ルウィスは、端的に説明すると突拍子も無い話になってしまうのが分かっている調子で、実際アリアンナも唖然としていた。
「悪魔は、お兄様の姿を使って国境の砦に侵入し、将軍を殺して魔王軍を引き入れた。
お父様はすぐに兵を集めて領城の守りを固めようとしたが……魔物どもはその前に、少数で稲妻のように進軍し、一気に領城を陥落せしめたのだ」
もしアルテミシアの知る日本で、未知の侵略者に総理官邸と霞ヶ関を占拠されたとしたら、まずそうなるまでに侵略者について一日中ニュースになって、ワイドショーでタレントが無責任なことを喋り倒し、SNSにはリアルタイムの情報とデマが踊り狂うだろう。
だがこの世界にはテレビ報道もインターネットも無い。本当に致命的な事態に陥った時、その情報すらも伝わらないのだ……目の前に殺戮者が現れるまで。
村が襲われた時、アルテミシアは天地がひっくり返ったように感じたが、現実にはそれより遥かにとんでもない事態が進行していた。
「このグライズボウの街は……どうしてここまで徹底的に壊されたかは知らんが、侵攻途中にあって邪魔だったから踏み潰されたんだろう」
ルウィスは、怒りと無常観を滲ませて、こぼすように言った。
* * *
その少し前、ケセトベルグ領城……
このケセトベルグの領主・レグリスは、己が座すべき玉座の前で罪人のように
レグリスは四十過ぎの歳。人間の国の諸侯としては年若い部類だが、老獪な古狐どもに劣らぬ威厳の持ち主だった。
巨漢という印象は無いが、上背があり、鍛えられた肉体は岩のように重厚。
息子たちと同じ褐色の髪は、今は乱れ、乾いた血によって頬に張り付いている。
背中の後ろで彼の両手を縛っているのは、ミスリルの鎖だった。縄などでは、彼は容易く引き千切ってしまうだろうから。
魔族の騎士たちが鎗を交差させ、レグリスの首を挟み込んでいる。
そこに、カツカツと
「よく戦ったね。
レグリス・アルテア・ギーラン=ケセトベルグ」
訛りの無い人間語で言ったのは、直立した狼のような姿の騎士だった。だがその姿は本物の狼に比較すれば、腕も脚も隆々として遥かに力強い。
「
付き出た
彼女は、ケセトベルグのすぐ南、魔王国の北端であるドゥモイの新領主だ。
魔族は人族のように封建制を取ることは少ない。その時々において、武力と統率力を持つ者が上に立ち、率いる。その仕組みは人族の国より野蛮で、だが時には合理的だった。
「お隣に引っ越してきたってのに、挨拶が遅れてすまなかったね。以後よろしく」
クオルは牙を剥いてニヤリと笑う。
そして背後を振り返った。
そこには、レグリスと似通った容姿の青年がいた。
歳は、16,7ほど。よく鍛えられたしなやかな肉体と、鋭い金の眼光が特徴的な貴公子だ。
群衆に向かって爽やかに微笑めば、黄色い悲鳴が上がる事間違い無しの美貌である。
だが、その心根が畜生にも劣る卑しさであることは、聡い者なら察するだろう。ぎと付いた笑みに、下卑た欲望と激情が滲んでいた。
彼の名は、ログス。レグリスの次男である。もっとも、肉体がログスのものであるというだけの話で、今もまだ彼をログスと呼べるかは別の話だったが。
「この男は私が貰うぞ。我が魔王国はこの男に散々苦しめられたのでな……身柄を持ち帰れば皆、大いに沸くだろう」
「好きにしろ」
クオルの言葉にも、ログスは一切、心動かされた様子無かった。
敗者を鼻で笑っただけだ。
「ログス……」
無念とも憎しみともつかぬ声を、レグリスは残し、引っ立てられていった。
「さぁて、次の手をどうするか考えなきゃね。
誰かさんがグライズボウを完全にぶっ壊してくれたもんで、少し予定が狂ってるんだ」
クオルがあからさまに当てこすりとして言うと、ログスの姿をした者は、舌打ちする。
「だってよ……別に俺も、騎士と兵士だけ殺せば終わると思ってたんだよ。
生かして奴隷にする奴も必要だしな?
でもよ、俺が女を借りようとしたら、あの衛兵野郎が俺を狙っただろ」
「掠り傷も付かなかっただろうに」
「だとしてもムカついたぞ!
あれで俺は悟ったね、容赦しちゃダメなんだって。頭の足りねえクズ共を従わせるには恐怖が必要なんだって、よ」
気取った衒学者のようにログスは言った。
クオルは、別にログスの先生ではないので、特に何か言う必要を感じなかった。
「幸先は良い。城も家来も手に入れた。
次は、どうしても殺さなきゃならねえ奴が居るんでな、それを探しに行く」
「は……?」
だが次の瞬間、クオルは、ログスが想像以上に愚かである事を思い知った。
「城を落として終わりではないのだぞ? もうじき王国の増援がやってくるだろうし、領内には
「あーあー、分かった分かった。弱え奴は大変だなあ、心配することが多くて」
ログスは、クオルの言葉を遮った。
おそらく話をまともに聞いておらず、聞く価値も感じていないのだと、それがありありと分かる調子で。
「心配しなくても、俺の用事はすぐに終わる。そんでもって、俺の王国を奪おうとする奴がどれだけ来ようと、ぶっ潰してやるよ。この俺の……圧っっっ倒的な力でな」
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