6 燃え落ちる村と命

 呑気に呆けてもいられなかった。


 ――何が起きてるんだ!?


 魔物が、村の中に。


 アルテミシアはこの世界のことにまだ詳しくないが、もしこんな襲撃が日常茶飯事なら、人は暮らしてなどいけない。

 これは、おそらく、異常事態だった。


 日が暮れて、藍色に染まり始めたはずの空が、赤く焦げていた。

 村の中に火の手が上がっているのだ。

 揺らめく炎の光の中に、蠢く影がいくつもあった。人ならざる異形の影が。

 動かない影も、いくつもあった。地に倒れ、もう動かない人影が。


 まずアルテミシアが考えたのは、アリアンナ一家の無事を確かめることだ。命の恩人を見捨てて逃げるのも心苦しいし、何より自分一人で村から逃げたところで、その先どうすれば良いか分からない。


 アルテミシアは、影から影へ走った。

 円座のように建物が並んでいる村の中心には踏み込まず、村の外縁を藪に隠れるように進んだ。

 そして半周したところで、無駄を悟り、足を止めた。


 アリアンナの家も燃えていた。この世界に来て十日ばかり世話になった、あの家が。


 この世界で最も安価な建材は土だ。

 煉瓦を積むのですらなく、魔法で土を整形し、建物の枠組みを地面から生やす。そして防湿剤を塗り、木材で屋根や内装を作るのだ。

 だから壁自体は燃えず、火事には強いはずなのだが。

 赤いモヒカンみたいにごうごうと屋根を燃やし、窓からも火を噴いているその姿を見ては、中にまだ生きて人が居るとは考えがたい。


 ――もし逃げているとしたら、どっちだ!?


 既に家の中で燃えているのかも知れないし、村の中心方向に逃げていたとしたら、どのみち望みは無いだろう。

 そうではない場合。一縷の望みを繋ぐとしたらどこか。

 たとえば、寝室の窓から裏へ逃げて、そのまま村の外へ向かおうとしたなら。


「あ…………」


 田畑と村の境目にある、土を盛り上げた魔物避けの防壁。

 その、すぐ内側に三人の姿があった。


 アリアンナの父・グスタフは、熊のような大男で、朴訥にして気さくな好人物だった。村の皆からも信頼されていた様子だ。

 その隆々たる肉体は、背中から執拗に切り刻まれ、臓物の残骸が混じった血の海に沈んでいた。


 アリアンナの母・マリアは、穏やかに微笑む人だった。アリアンナと同じように、アルテミシアの身を案じ、親身になってくれた。

 グスタフは、彼女を守ろうとしたのだろうか。彼女はグスタフの下で、仰向けで倒れていた。血のこぼれる口に、剣を突き立てられて、もはや微動だにせず。


 そして、その二人から、少し先で。

 走って逃げようとしたところ、蹴り倒されて突っ伏して、背中から剣で一突き。

 昆虫採集の標本みたいに、地面にピン留めされている少女の姿があった。


 薄闇の中でその姿を見て、アルテミシアも希望を捨てかけた。

 だが、その身体が僅かに震えたように見えて、駆け寄った。


 アルテミシアの手には、納屋から持ちだした魔力灯ランプがあった。

 周囲を見回して魔物が居ないことを確認すると、アルテミシアは自分の身体で光を隠すようにして、ランプを点灯させた。


 出血が少ない。

 剣で一突きされたが、それは右肩甲骨の下から肺を貫いていた。急所は逸れたか。しかもそれが抜かれていないので出血は最低限だ。


 光に照らされ、焦点の合わぬアリアンナの目が、こちらを見た。


「逃げ……て…………アルテミシア……」


 血を吐きながら、彼女は言った。


 まだ、生きている。


「……助けます!

 剣を、抜くので……歯を、食いしばっててください」

「え…………」


 まだ、ポーションで高められた腕力が残っている。

 アルテミシアは、アリアンナの背中に足を掛け、彼女に突き刺さった剣を引き抜いた。


「あ、ああああああああっ!!」


 朦朧としていたアリアンナが、その激痛に絶叫する。


 地面まで貫き通された、身体の空白。

 そこにアルテミシアは即座に、治癒ヒーリングポーションを注ぎ込んだ。


 治癒ヒーリングポーション。

 身体の損傷をたちどころに癒すという、いかにも魔法薬らしい魔法薬だ。

 飲めば身体の内側に、もしくは全身に満遍なく効くのだが、これは傷に直接掛けると集中的に作用させられる。


 まるで逆回しの映像を見ているように、破れた服の穴の内側に肉が盛り上がって、白い肌が形成された。

 出血は、止まった。


「これ……」

治癒ヒーリングポーションです」


 絶え絶えの息で、アリアンナは咳き込み、肺に溜まった血を吐き出した。

 身を起こそうとする彼女を、アルテミシアは抱き上げる。

 今のアルテミシアにとって、アリアンナは軽い。

 ポーションによる膂力強化が切れるまでに、逃げ去らなければならない。


 スカートをめくり上げて腰で縛り、アルテミシアは走った。

 四メートルほどはある、土手のような防壁をアルテミシアは駆け上がり、反対側へ飛び降りる。

 そして、走った。さらに走った。植え付けが始まったばかりの、田んぼの間の畦道を、ひたすらに。


 * * *


 森の中は全くの暗闇だった。

 微かな月明かりで、辺りの輪郭が見える程度だ。


 二人は、大きな木の根元で休んだ。

 本当なら木に登ろうかと思ったのだけれど、丁度良く樹上で落ち着けそうな木は見当たらなかった。


 眠れそうになかったし、眠る気は無かった。

 冷気耐性レジストコールドポーションを、二人で少しずつ分けて飲んだ。

 本来は戦闘用のポーションらしいのだが、寒さを防ぐこともできた。夜はまだ寒い季節だが、うっかり火をおこせば気付かれてしまうかも知れない。ポーションが無ければ凍えていただろう。


「その……よくある事、なんですか?

 魔物が襲ってくるの……」

「ううん。そんなこと……全然ない。

 野生の魔物が畑とか人を狙うことは、よくあるけど……

 魔物の国との境目は、ずっと守られてて……」


 声と息を潜めて、二人は話した。


 ここ、レンダール王国は、魔物の国と隣接している。

 特にこのコルム村が属する『ケセトベルグ』は最前線だという話。

 とは言え、四六時中ドンパチやっているわけではないのだ。そんな状態だったら、無防備な農村など存在できない。


「あれ、野生の魔物じゃなくて、魔物兵だった……多分……

 魔物兵が攻めてきたってことは……国境は……」


 アリアンナは震える声で、絶望的な予想を口にした。

 アルテミシアはそれを否定しきれなかった。昨日、兵の召集の話を聞いたばかりだ。


「どこか……魔物から身を守れそうな人里って、近くにありますか」

「グライズボウの街が、すぐ東に。

 街は、村よりずっと固い壁で守られてるし…………そこに、お兄ちゃんたちも居るの」

「なら、夜が明けたらそこを目指しましょう」


 眠れぬ夜は、長かった。

 悪い考えばかりが頭に浮かんで、アルテミシアはその度に、月を見上げた。

 月も星も、残酷なくらい綺麗だった。東京では街の灯りに邪魔されて見えなかった夜空だ。それは、この異世界においてとても綺麗で、そしてただ綺麗なだけだった。


 ――一つだけ確かなのは……『コルム村の薬師』なんて人生ルートは消えたこと、か。


 ふと、アルテミシアは急に自分を客観視して、笑うどころではないのに笑ってしまいそうになった。

 自殺しようとしていたはずなのに、今、こうして先々のことを考えたり、絶望的な状況の中で生き足掻いている。

 ポーション調合の才能チートという、ほのかな希望。それは拓人にとって、アルテミシアにとって、何よりも欲しかったもの。まともな人生へのチケットだ。

 そうなると現金なもので、生き足掻こうという気にもなる。

 貰い物の希望でも、生きていく理由としては十分なものだった。

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