5 はじめての戦い

 夕暮れ近い時間であった。


 アルテミシアは、使われなくなって村の共有物扱いだった古い納屋を一つ借りて、そこを暫定の仕事場としていた。

 魔法の仕掛けで光っているとかいう、油要らずのランプを柱に吊し、その下で。

 古い机に薬代として貰った薬草を積み上げ、畳んだ古毛布で椅子の座高を補って、ひたすら薬草を潰して混ぜた。


「なるほど……この草もちょっと混ぜたらまた別の効果が出てくる」


 高級な材料による『すごい魔法薬』が作れたりしないか、というのも少し気になったが、もし本気で村の薬師としてやっていくなら、重要なのは、どこででも採れるような薬草から何を作れるか、だ。

 魔法薬とは不思議なもので、同じ材料でも配分を変えると別の効果になったり、少し混ぜ方を変えるといた効果が消えて全く別の効果になってしまったりする。

 それを全て試すつもりで、アルテミシアはひたすら薬草と向き合っていた。


 机の上には、色とりどりの液体を入れた瓶が並んでいる。

 試作調合の成功作をポーション瓶に入れて保存したものだ。

 こんな村ではポーションは貴重品だが、それでも街でポーションを買ってきて使う機会はあったようで、村人たちはその度に物持ち良く、フラスコのような規格化された容器を取っておいたらしい。

 一輪刺しや調味料入れとして使われていたその瓶が、村中からアルテミシアの所に大集合していた。


 ――治癒ヒーリング解毒アンチドーテ麻痺毒パラライズ催涙煙幕ティアガス膂力強化ストレングス冷気耐性レジストコールド……なんかちょっと物騒なのもできたけど、需要あるかなあ?


 アルテミシアは、風邪薬の代わりになるようなポーションができないか、色々試しているところだ。

 夏至の頃に採れるという薬草の残り物を使った時、それっぽい効果を確認できたが、発現させるには量が足りなかった。そんなわけで代替品を模索したところ、変なものばっかり完成した。

 まあ、自分ができることを把握しておくのは、良い事だ。


 ちょうど小腹も空いてきた頃、カーンカーンと慌ただしい鐘の音が空に鳴り響いた。

 この村に来て十日間、こんな鐘の音を聞いたのは初めてで、ふとアルテミシアは手を止めて、何事だろうかと空を見る。


 鐘の音が悲鳴に変わるまで、長い時間は掛からなかった。


「……ア゛……アァあ…………あ……!!」

「なんだ!?」


 どこか遠くから切れ切れに、悲鳴が響いてきた。

 喉を引き裂いて音を出したような、獣の咆哮のような、悲鳴が。

 それは、命の消える音だった。


 アルテミシアの過去は……すなわち、通野拓人三十二年間の人生は、苛政あれど安全な日本での生活だった。

 幸運にも、拓人は死に瀕した者の絶叫など知らぬまま生きてきた。

 不幸にも、今日、それを知った。


 恐怖と言うよりも、ただ、衝撃。

 何が起こっているかも分からないのに、悲鳴一つで手足の先から血が引いて動けなくなる。

 だがそれと反比例するように、思考だけは加速していった。

 戦いに満ちた世界。農兵の招集。魔物の侵攻。


 納屋に置かれていた、割れた鏡の欠片に、アルテミシアは飛びついた。

 そして窓際で、その鏡の欠片を掲げ、頭を出さずに外を見た。


 すると、丁度、が居た。


「キキッ、ギギィ」

「グッ。ギッ」


 子どもぐらいの大きさをした、灰色の肌の醜い子鬼が、五匹ばかり群れてそこを歩いていた。

 そいつらは歯車の軋みみたいな声で話していて、ヘルメットみたいな簡素な兜と、剣道の防具みたいな胸当てを着けていて、鮮血に濡れた大型ナイフを持っていた。


 ――これが、魔物……!


 この異世界には『魔物』なるものが存在している。

 超常の怪物、怪生物、そして人ならざる文明の担い手が。

 それらは人と敵対し、様々な理由で攻撃を仕掛けてくる。


 この子鬼どもが一仕事終えてきたところなのは確実だった。

 もしくは、まだ仕事中なのだろうか。


 五匹は協力して、二本の足を持ち、何かを引きずっていた。

 何が引きずられているのか分かった瞬間、アルテミシアは自分の口を咄嗟に押さえ、叫んでしまわないようにした。

 腰痛に悩み、アルテミシアにポーションを貰いに来た、あの老婆だった。

 その胸は真っ赤に染まり、彼女は既に事切れていた。


「ギギ、ギ」


 子鬼の一匹が血塗れた剣で、アルテミシアが居る納屋の方を指した。


「グ」

「グギ」


 残りの子鬼が頷いた。


 ――入ってくるのか!?


 アルテミシアは素早く、納屋の中を見回した。

 壊れた農具などのガラクタが置いてある程度で、隠れ場所は皆無。

 今から納屋を飛び出せば気付かれて、逃げ場無く殺されるだろう。


 ではどうするか。

 机の上にはポーションの小瓶が六本。


 何故かアルテミシアには、『答え』が見えた。


 * * *


 間もなく子鬼たちは納屋に侵入してきた。

 そして、机の上に置かれたのポーションを発見した。


「ギ!」

「ギググ」

「ゴギガギ」


 子鬼たちは小躍りして、椅子によじ登り、机の上のポーションを取ろうとする。良い物を見つけたと思ったのだろう。


 その様子をアルテミシアは、納屋の梁の上で、息を潜めて見下ろしていた。

 この短時間でどうやって、無力な少女がそんな場所に隠れ仰せたかと言えば、自ら調合した膂力強化ストレングスポーションによるものだ。

 これによってアルテミシアは大人並みの腕力・脚力、その他諸々の力を一時的に手に入れていた。そして今の身体は、貧弱だが軽い。いくらか力があれば、柱をよじ登って梁の上に隠れるのは簡単だった。


 眼下の子鬼たちがこちらを見上げれば、その瞬間に見つかってしまう。

 故に、机の上に使わないポーションを置いて、数秒でもいい、気を惹いた。


 子鬼がこちらに気付く前に先制攻撃を仕掛けなければならない。

 アルテミシアは梁に隠れる時、一本だけ、ポーションを持ってきた。

 それを開栓し、自分で吸わぬよう鼻と口を袖で押さえて、梁の上から振りまいた。


「グギ!?」


 子鬼たちは、降ってきた薬液に驚いて、飛び跳ねる。

 そして頭上を見上げようとして……叶わず、次々倒れ伏した。


「……効いた」


 麻痺毒パラライズポーション。

 調合する時にニオイを嗅いでしまっただけで、手足が軽く痺れたように感じた危険な毒薬だ。

 それを頭上から浴びせられた子鬼たちは、もはや身動きできず息も絶え絶えで倒れ伏し、立ち上がろうと地面に指を這わせていた。


 その様子を確認してから、慎重にアルテミシアは柱を伝って降りた。

 ポーションを振りまいた直後は、ケバケバしいビビッドイエローの煙が立ちこめていたが、それは既に消えていた。


 ポーションの毒による麻痺状態が、どの程度続くかは不明。

 倒れ伏す子鬼。そいつらが取り落とした、大型ナイフのような剣。


 ――これは本当に……


 アルテミシアは、剣を手にした。

 そして何かに突き動かされるように、屠殺を始めた。


 ――俺の閃きか?


 ポーションで力を増したアルテミシアにとって、子鬼にトドメを刺すことは容易かった。

 その、ねじくれて刃毀れした粗悪な刃物で、身動きできない相手の喉を掻ききるだけだ。


 潰すように喉を突いた。

 しばらく料理などしていなかったもので、肉を切る感触は新鮮だった。

 ワンピースの裾に返り血が散った。


「ゲヒ……」


 全身が萎え痺れて声も出せない子鬼の、断末魔は静かだった。


 ごりっと、何か硬いものに剣が当たる。

 人と同じように、子鬼には脊椎があった。首には骨があった。

 お腹が空いていて幸いだった。もし食後にこれをしていたら、吐いていただろう。

 命が消えていく感触。殺さなければ殺される。こうして喉を貫かれるのは、一つ間違えばアルテミシアの方だった。


 何もかも初めての経験だったけれど、自分が何をすれば良いか明白に分かっていたので、マニュアルを読みながら機械を操作するように、比較的スムーズに行動できた。

 戦った経験など一度も無いはずの自分が、淡々と殺せるのはおかしいのだという事も、承知していた。


【性格要素/機転】

 窮地に活路を見出します。


 転生屋が寄越した、一方的な説明文書を、アルテミシアは思い出す。


 助かった、ありがたい、と呑気に考えるべきか。

 それとも自分自身を恐れるべきか。

 あるいは……こんな真似をしなければ生き残れない世界を、嘆くべきか。


「ギ…………!」


 五匹の子鬼全てにトドメを刺すと、辺りは流れ出た血で海のようになった。


「はあ、はあ、はあ……」


 無抵抗の相手を一方的に殺しただけの筈のアルテミシアだが、息は乱れ、手は震えていた。


 あなたは今現在……あるいは一生、全く無力な存在です。

 戦いに満ちたこの世界で、あなたにとって敵と戦うことは、厳に慎み避けるべき行為です。

 あなたの頭脳は明晰であり、危険から生還する手段を考えられますが、無力なあなたは僅かな油断や不運すらも死に繋がるでしょう。

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