4 はじめての調合
アルテミシアが『異世界 C-018』に来て四日目のこと。
「ほれ。摺り子木と、うちの備蓄の薬草だ」
アリアンナの父・グスタフは、腕も脚も腹回りも太い偉丈夫だが、その事で威圧感を与えない気さくな雰囲気の男だった。
彼はアルテミシアの頼みを快く聞いて、薬草と、それを混ぜ合わせる道具を用意してくれた。
「でもな、俺もよく知らんが、ポーションってそう簡単に作れるのか?
こんなもんで作れるなら、俺ぁ街で高い金出して買わねえし、普段っから切り傷にだってポーション使うぞ」
用意はしてくれたが、グスタフは半信半疑。
実のところ、それを頼んだアルテミシア自身すら本当にできるのか分かっていない。
だが。
調合をしよう、と、意識した途端に、頭に情報が流れ込んできた。
――なるほど。『チートスキル』ってこういうものか。
手順が分かると言うより、結果が分かる。
カンニングしながらテストの答案を書いているようなものだった。何をどの程度混ぜれば丁度良い分量になるか、というのが手に取るように分かる。
「アルテミシアができるって言うんだから、できるよ!」
「できました」
「そうそうこんな風に………………えっ?」
水を加えながら、大きな摺り子木棒で必死に磨り潰した、薬草たち。
すり鉢の中に溜まった液体は奇妙なことに、エメラルドのような透き通った緑色の輝きを湛えていた。
グスタフも、アリアンナも、それを見てしばらく唖然としていた。
「ちょいと貸してみろ」
グスタフは暖炉の火でナイフを炙り、ナイフの先端で軽く腕を引っ掻いて、紙で切った程度の薄い切り傷を付けた。
それから、すり鉢の中の薬液をナイフで掬い、傷口に垂らす。
途端。
傷口はうっすら白い煙を立てながら、痕も残さず消え去った。
「なんてこった! 本物じゃねえか!」
己の腕を何度も返し、グスタフは目を剥いていた。
* * *
アルテミシアが『異世界 C-018』に来て七日目のこと。
「膝と腰が痛くてのう」
「えっと、
杖をつく老婆が、息子に付き添われて訪れた。
「昨日から死ぬほど腹が痛えんだ……」
「
脂汗をかいている若い男が、這々の体で訪れた。
「転んですりむいた!」
「ちょっとアルテミシア、この程度でポーションは流石に勿体ないよ!」
遊びながら農作業を手伝っていたらしい男児が駆け込んできた。
アルテミシアがポーションを調合できると聞いて、コルム村の村人たちが、続々と訪れていた。
「大人気ですけど、神殿長様の魔法で回復とかして貰えないんです?」
異世界にやってくるなり、魔法なんてものを見せられ、さらに自分の身で体感したアルテミシアとしては、あんなものがあるなら魔法の薬なんて不要ではないかとも思ったのだが、やんちゃ坊主はほっぺを膨らませて不満そうな顔をする。
「だって神殿長様、ケチだもん!
金取るんだぜ? あいつが回復魔法使ってるの全然見ねーよ!」
「ま、まあまあ。タダで奇跡を施しちゃいけないのは、神殿の決まりだし……」
アリアンナは苦笑交じりに神殿長を弁護した。
何か色々と事情があるらしい。なるほど確かに、そういう技術が存在するという事と、下々の生活の中にまで行き渡るという事は、また別の次元の話だ。
「あれ、それじゃわたしの時も?」
「あっ、言われてみれば寄進してないのに……」
「疑ったお詫びかな」
「いやー……あれはお詫びとかじゃなく、多分……」
何故だかアリアンナは生ぬるく笑って言葉を濁した。
「ねえ、アルテミシアも!
ずっとこんなことするなら、ちゃんとお金取らなきゃダメだよ?」
「まあ、今はわたしの方もお試しなので……」
言われるまでもなく、そのつもりではあった。
今のところ村人たちへのポーション提供は、材料となる薬草と引き換えにしている。このコルム村は森に隣接した村で、そこから採れる薬草はいくらかの収入になるし、村人たちにとって身近な常備薬らしかった。
地球で見知った植物もあったし、見た事もないファンタジー植物もあったが、とにかく身近な薬草を何でも貰って、アルテミシアは何を使えば何ができるのか確かめていた。
同時に、魔法の薬を提供する行為が、どの程度有り難がられるのかという事も。
――『
魔法の薬を作り、その材料たる薬草と、糧を得る。
医者が飢える世は無いと言うが、実際これで食いっぱぐれる事は無いという気がした。
――最悪でも、『村の薬師』として生きていけるんじゃないか? 俺。
ああ、もう、高望みはしねえ。それで充分だ。
よりよい仕事も生活も、わざわざ探す気になどならなかった。
ここで生きていけるならそれでいい。
それだけで、あの胡散臭い白スーツマンに感謝して良いかと、この時のアルテミシアは思っていた。
* * *
アルテミシアが『異世界 C-018』に来て九日目のこと。
「アリア、若い衆がお城に呼ばれた」
「えっ、どうして?」
「分からん。
……何やら、魔物どもが急に攻めてきたなんて噂もあるし、どうなっとるのか……」
畑に出ていたグスタフが、昼飯にはまだ早い時間に戻って来て、難しい顔でアリアンナに言った。
「お城に? どうして?」
「えっとね、領主様が呼んだら、どの家も農兵を出さないといけないの。
うちはお兄ちゃんが衛兵さんだから、免除されるんだけどね」
アリアンナが説明してくれた。
つまり兵役制度だ。
この世界の……少なくともこの国の人々は、封建領主に保護される代わり、税だけではなく武力を提供する義務が課せられているらしい。
ただ兵を召集するのはお上の都合であって、もちろん下々には下々の都合がある。
今は春先。農村にとっては一年を決定づける植え付けの季節。グスタフが苦い顔をしているのはそのせいだろう。
「とにかく、今は忙しいのにこれだからな。アリアも手伝いに出てやってくれ」
「分かった!」
「それとな……」
グスタフの巨体の後ろから、十代後半か二十代かくらいの村の若い衆が、わらわらと顔を出した。既にアルテミシアにとって見知った顔もあった。
彼らは神社か何かで願を掛ける人のように、揃って硬く手を合わせる。
「
そうすりゃ、魔物にやられても命が助かるかも知れない」
「頼む! 俺ら、魔物と戦うことになるんだよ。多分」
「……すまん。こんなのが押しかけてきた」
グスタフは、やや呆れた顔だった。
「分かりました。任せてください」
「「「やったあ!」」」
アルテミシアは二つ返事で引き受けた。
腰痛や食中りの相談をしていた昨日までと打って変わって急に話が物騒になったが、こうまで頼まれては放っておけない。
早くも手に馴染みつつある摺り子木セットを、アルテミシアは動かす。
そしてコップに入れてで渡すのではなく、村中から掻き集めておいたポーション空き瓶に翡翠色の液体を詰めて、若い衆に手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。これで俺は百人力だぜ」
瓶入りのポーションを押し頂いた野郎どもは、涙を流して喜んでいた。
その勢いにちょっと気圧されるほどだった。
「あの子が俺と同い年だったらなあ……」
「何言ってるんだ? 七年待って俺が嫁にするんだよ」
「こらーっ! バカ言ってないで早く行きなさい!」
本気か冗談か。
馬鹿話をしながら出て行く男どもを、アリアンナは追い散らす。
「まったく、こんな子どもに油断も隙も無いんだから。
……あいつら怪我する前にポーション飲んじゃうんじゃないの?」
「あ、あははは……」
アルテミシアはノーコメントを貫いた。
――女として生きていくって……そういう事か? そういう事なのか?
拓人は、人間としては『年齢イコール彼女居ない歴』族に分類される男だったが、少なくとも異性愛者ではあり、恋人も結婚相手も女性を考えていた。
それが異世界に飛ばされて少女にされたからと言って、男と結婚する未来など想像できぬ。正直に言えば考えたくもなかった。
――どうにかして『転生屋』を探し出してやる。そんでクレーム付けて……とりあえず男に戻してもらおう。
アルテミシアの心に闘志が生まれた。
これは自分が思っていたよりも切実な問題かも知れないと、アルテミシアは考え始めていた。
「でも本当に大丈夫なんでしょうか。兵を集めなきゃならないなんて……」
「なに。魔物が怪しい動きしてるときに国境の警備を増やすとか、ちょいと領内の魔物退治をするために、小規模に兵を集めるって事もよくあるんだ。
集まっても戦わないかも知れない。そしたら『せっかく集めたんだから』っつって訓練でしごかれて、後は美味い飯食って帰ってくるんだよ」
「そうそう。だから安心して!」
「そうなんですね。じゃあ、何も無いことを祈ります」
物騒な単語に恐々としているアルテミシアに対して、アリアンナもグスタフも、落ち着いたものだ。
なので、この世界はそういうものなのだろうとアルテミシアも納得し、ひとまずそれで安心した。
* * *
そして、アルテミシアが『異世界 C-018』に来て十日目のこと。
コルム村は、地図から消えた。
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