2 テンセイシャ
次に目が覚めたとき、そこは天国ではなかったが、地獄よりは天国に近い場所だった。
まるで煉瓦積みのような凹凸がある、土壁のリビングだ。壁に塗った当初は白かったのであろう漆喰は、とうに褪せて、どこか郷愁漂うような風合いの色となっていた。
素朴な暖炉があって、薪のはぜる音を立て、部屋をほの明るく照らしていた。
その暖炉の前で、拓人は毛布にくるまれて、ソファに寝かされていた。
薬でも飲まされたのか、口の中に青臭い苦みの残滓があった。
周囲の様子を見ようと身じろぎすると、何かが足に当たる。
拓人を包む毛布の裾を膝にかけて、ソファーの反対側で船をこいでいる者があった。
年若い少女だった。年齢は14,5だろうか。いかにも朴訥そうな雰囲気の顔にはそばかすが散っていて、背中ぐらいまでの長さの茶色がかった金髪を長い三つ編みにしている。
拓人に腿を蹴られて、彼女ははっと顔を上げた。
「あ、起きた!
良かったぁ、このまま死んじゃうかと思った……」
日本語でも英語でもない未知の言語だ。だが拓人は言葉を聞き、理解することができた。
彼女は拓人が目覚めたのを見て、そばかす少女は、折り紙の花が咲いたような笑顔を見せた。
それから、ふっと真顔になる。
「………………どうしよう」
「えっ?」
「待って、無理。寝てるときも可愛かったのに、起きて動いてるとか、無理。
嘘でしょ、生きてるの? 本当に? だって、そんな、こんなの……
神様ありがとう」
少女は突然挙動不審になって、遂には神に祈り始めた。
拓人は呆然とするばかりだ。
「私、酷い恰好だわ! こんな姿で向き合えない! お祭りの服、どこだっけ……
ううん、それよりお母さんのお化粧借りて……
じゃない、髪の毛……ああもう、私はいいや!」
部屋の中をうろついたり、物入れから手鏡を取り出してみたり。
ひとしきり、あたふたした後で、少女はガッチリと拓人の肩を掴む。
その手は意外なほど大きい、と思ったが、小さいのは拓人の方だった。
「髪、梳かさせて!
ほらボサボサになっちゃってるし、泥も付いてる!
この髪を汚れたままにしておくの、地獄に落ちるくらい罪深いわ!」
「あ、はい」
「これ持ってて!」
そして有無を言わさず手鏡を押しつけた。
言われるがままに手鏡を受け取った拓人は……
「ひっ」
首でも締められたような声を、思わず上げた。
見ただけで命も危うくなるほど美しい少女が、鏡の中に居た。
歳はおそらく、10になるかどうか。
肌は瑞々しく輝く白さで、その顔は輪郭も、パーツの形も配置も、作り物のように全てが整っていた。普通、生き物の顔は完全な左右対称になどならないが、この顔は全てを完璧にしたが故、結果的に左右対称だった。
深く深く深い色をした深藍色の双眸が、驚きに見開かれ、こちらを見ていた。月明かりが差し込み星の瞬きを映した、夜の湖の色だ。
肩の辺りまである髪は、ふんわりとクセがかかって首の周りを包んでいる。その髪は、地球の人類にはあり得ないはずの緑色をしていた。ヘアカラーで染めたような作り物めいた緑ではなく、活き活きと輝く、真正の緑。少しばかり汚れて乱れていたが、濡れた手ぬぐいで汚れを落とされ、梳られると、エメラルドと見まごうほど美しくなった。
神か悪魔がその手で作ったとしか思えない、超常現象級の美少女だった。
だがそれは……赤の他人でも、テレビの中のアイドルでもなくて、拓人自身だった。
試しに片目を閉じてみたら、全く同じタイミングで鏡の中の美少女が、気絶しそうなくらいチャーミングなウインクをした。
「はうっ」
鏡越しにそれを見たそばかす少女が、背後で奇妙な悲鳴を上げた。
――これが……俺!?
混乱する頭で拓人は、さっき気絶する前に見た謎の書類を思い出す。
確か、少女に変えて異世界に送り込むとかなんとか書いてあったはずだ。
その結果が、これだった。
どうしてこうなったのか。
いや、そもそも、何をどうすればこんな真似ができるのか。
あの『転生屋』を名乗る男の仕業だろうとは思う。思うが、彼は何者で、どうしてあんな能力を持ち、こんな真似をしたのか。
何もかもが分からなかった。
拓人が思考の迷宮に迷い込みかけた時、コツコツと戸を叩く音がした。
このリビングは、そのまま外に繋がっているようで、部屋の一面に玄関扉があるのだ。
「あれっ? こんな時間に誰だろ。
はーい!」
そばかす少女は(一瞬名残惜しそうに躊躇ってから)玄関に向かって行った。
今が何時か分からないが、とにかく夜だ。
部屋は暖炉の灯りだけで照らされていて、窓の外は真っ暗だし、他の家人は奥の寝室で寝ている様子。
拓人の常識では、こんな時間にやってくるのは怪しい訪問者なのだが、少女は意外なほど無警戒に扉を開けた。
そこに居たのは、白いローブに錦糸装飾された上着を着て、豪華な杖(錫杖だろうか?)を持った老人だった。
「夜分失礼。
アリアンナ。森で倒れていた少女というのは、彼女か」
訪問者は緊張感ある様子で、そばかすの少女……アリアンナの肩越しに拓人の方を見た。
鋭く警戒する視線は、まるで冷たく突き刺さるようで、それだけで拓人はドキリとした。
「……こちらはどなた様?」
「村の神殿の、神殿長様」
神殿長、と呼ばれた男は、家の中にずんずん入ってきて、拓人の座るソファの前まで来る。
そして奇妙なものを取り出した。
円環を模る彫り物がされ、金メッキが施された、手の平大のメダルのような物体だ。
「これを手に持ちなさい」
「は、はい」
ずい、と差し出され、拓人はメダルを手に持った。
手に載せたメダルはひんやり冷たく、心地よかった。
これに何の意味があるのかと拓人が首をかしげていると、ややあって神殿長は、頷く。
「うむ。彼女が悪魔であったなら、聖印を握る手は火傷を負って爛れていたはず。
どうやら彼女は転生者ではなさそうだ」
転生者。
神殿長が口にしたとき、その単語は酷く汚らしいものというニュアンスを感じて、拓人は背筋に冷たいものを感じた。
「て、転生者? 転生者って……」
「この世界の外には、『世界を創ったのは我らだ』と
奴らは、転生者なる悪魔を手先として送り込み、世を乱そうとするのです。
転生者は時には、忽然と現れる旅人であり、時には、善良な人や無垢な赤子に取り憑き、おぞましいことに身体を奪う。
そして……チートと呼ばれる恐ろしい力によって、世界に破壊を振りまくのです」
神殿長の言葉が真実なのか、誤解に基づくものなのか、拓人には判別できない。
ただ、『転生屋』は世界を創ったと称していたし、拓人にもチートと名付けた力を与え、転生者(転移者)としてこの世界に送り込んだ。
そして森の中に忽然と現れた拓人は、倒れているところを助けられて、今、ここに居る。
ただ、拓人は転生者だが、悪魔ではない。
聖なる品を手にしたからって、それで火傷をするわけではないのだ。少なくともそこは確実に間違っている。
――転生者は、悪魔だと思われてる? 転生者だってバレたら……火炙りか?
多分、それだけ分かれば充分で、同時にそれは、重々気をつけておかなければならない事なのだと、拓人は理解した。
恐ろしくなると同時に、有り難く思った。神殿長の仕事が早かったお陰で、妙なボロを出す前に、拓人は地雷の存在を知る事ができたのだ。
「もう、神殿長様。
こんな可愛い子がテンセイシャとかいう悪魔のはずないじゃない!」
「アリアンナ。その信じる心は大切ですが、悪魔はしばしば、無力なものや美しいもの、尊敬すべきものの姿をとってあなたを惑わそうとするのです。
真実を見る目が共にあるよう、気をつけなさい」
神殿長は話し慣れた様子でありがたいお説教をして、それから拓人に会釈程度のお辞儀をした。
「疑って失敬。これも神殿の務めですからな。
……さてそれでは、少しばかり治療を施しておきましょう」
神殿長は手にした錫杖を掲げ、何事かブツブツと唱え始める。
すると心洗われるほどに白い光が錫杖より放たれた。
「≪
光は拓人の身体に染み渡っていく。
身体を内側から苛む、飢えの苦痛が和らいで、呼吸が楽になったような気がした。
飢餓状態による肉体の自壊に歯止めを掛け、損傷を修復したのだろう。
――これは……魔法なのか?
ゲームのような回復魔法。
見ているアリアンナも驚かない。この世界には、魔法が当たり前に存在するのだ。
「聞けば、森で倒れていて番犬に発見されたそうですね。
落ち着いたら是非、神殿へ相談しに来てください。何か力になれるでしょう」
「あ、ありがとう、ございます」
「疲れているだけに見えるが……
アリアンナ、何か彼女の体調に異変があれば伝えなさい」
「はーい、神殿長様!」
夜中に出張してきた神殿長は、そう言い置いて帰っていった。
拓人は今や必死で、生き延びる方法を考えていた。
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