ポーションドランカー【リライト版】 ~転生失敗最弱TS少女の生存戦略~
パッセリ / 霧崎 雀
1 デッドエンド
辺りはむせ返るほどに濃い、緑の匂いに満ちていた。薄ら冷たい風がゆっくりと吹き、拓人の背中を撫でていく。
森は、木の葉の合間から差し込む月明かりによって照らされていた。
拓人は……かつて通野拓人であった少女は、夜露にうっすら濡れた草の上に倒れていた。
――何が、起こったんだ?
冷たく湿った草の上は不快で、腹を内側から噛むような飢えも不快だった。
なのに拓人は眠気に襲われていた。眠気が不快感を上回っていた。
寝たら死ぬぞと、心の中で自分に叫ぶ。……さっきまで死のうとしていたはずなのに、今は何故か、死ねないと思っていた。
そう、ひとまず、自分の身に何が起こったのか把握するまでは。
頭の中でこんがらがっている記憶の糸を、拓人は必死で解きほぐしていく。
* * *
拓人が異世界に行く二週間前。
「クビ……ですか!?」
通野拓人は小さなスマホアプリ開発会社の契約社員だった。生活管理アプリが一本ヒットしてそれで食いつないでいる会社だが、開発した社員はとうに引き抜かれていた。
拓人は特に優秀ではなかったが、それは周囲も皆同じだった。給料も安かったが、そんな中で企画も開発も雑務も、なんでもやってそろそろ四年目。
拓人は出社するなりクビを申し渡された。
「『カムカムペット』の開発失敗。テメーに腹切ってもらう」
クビを宣告した男の名は、
拓人より十歳ほど年上の彼は、『部下と年下と飲食店店員はどのように扱ってもいい』という危険思想を持っていた。拓人は三要件のうち二つに該当するし、学生時代にファミレスでバイトしていたので、もしかしたら全て該当するのかも知れない。
「は、え……? ち、違うでしょう!? あれは『一ヶ月でできる』って約束しちゃったのが一番の……」
「あぁ!?」
突然の解雇通告に、拓人は雄一に配慮する余裕を失い、言ってはいけない事を言ってしまった。
雄一は動物ドキュメンタリー番組で見たチンパンジーのように歯を剥き出し、ツバを飛ばして拓人を威嚇した。
会社は、大手企業からの下請け開発に失敗して、案件を切られたところだった。
原因は雄一の部下全員が知っている。そもそも人手が足りず、三ヶ月はかかるだろう案件だったのに、一ヶ月でできると雄一が回答してしまったからだ。
連日の残業休出の果て、フランケンシュタインの怪物みたいに歪なアプリが完成し、それは見事に捨てられた。
児嶋開発部長は、上から責任を追及され、生贄の羊を探した。
選ばれたのは拓人だった。原因は、当初からスケジュールに難色を示していた恨みだろう。
「いいか……? 大損害が出たんだ。経営のスリム化っちゅーのをしなきゃ、全員死んじまうんだよ。能力の無ぇ奴から切るのは、当然だよなあ……?」
粘っこく嫌みったらしく、雄一は言って、それから急に笑顔になった。
「来月までだな。お疲れ様。夢の週休七日人生だぞ、ゆっくり休めよ」
一度も聞いた事も無いような優しい労いの言葉を置いて、雄一は煙草を吸いにオフィスを出て行った。
呆然と……数分間呆然と立ち尽くしていた拓人は、次に、奥歯が砕けそうなくらいに歯を食いしばった。
* * *
拓人が異世界に行く十時間前。
「はあ!? 弁護士!?」
その日の昼休み、弁当を食べようとするなり電話が掛かってきて舌打ちしながら受話器を取った雄一は、十秒後には顔面蒼白になっていた。
雄一が妻帯者であり、不倫をしていることは、部下全員が知っていた。
なにしろ本人が飲み会で酔っ払うと、自慢話として度々それを話していたのだから。おそらく雄一は、多くの女と付き合う事がモテることの証明で、モテることが男の価値だと思っているのだろう。
「浮気って、んな……絶対に何かの間違い……おい、待て! 仁美を出せ! 電話替われ! そこに居るんだろ! おい!」
怒鳴り散らかす雄一の姿を見て、皆、何が起こったか察したようだった。
拓人だけは、弁当も食わずに悠々と腕を組んで座り、鼻で笑っていた。
拓人が仕組んだことだった。
探偵を雇って、雄一の浮気の証拠を掴ませ、彼の妻の実家に送りつけさせたのだ。
「なあ、通野。これってお前のアカウントだよな?」
電話口で怒鳴る雄一に聞こえないよう声を潜め、隣の席の同僚がスマホを見せてくる。
ブラウザに表示されているのは、拓人のSNSアカウントだ。
『BRアプリケーションズ開発部長の名言集をお楽しみください』という一文と共に、これまでの四年間、コツコツ撮りためてきたスマホ隠し撮り映像が字幕付きで流れている。
今し方、投稿されたものだった。
『こんな魂入ってねえ、一欠片もワクワクしないプレゼンで! 誰が納得すると思ってんだよ! 徹夜で資料を五通り作って俺に選ばせろ! できなきゃクビだ!!』
『いい! この仕事は通野に回す! お前は今から遺書を書いて俺に預けろ! 今度失敗したらビルから飛び降りろ! 分かったな!?』
『お前よ、そんなオッパイじゃ男は寄りつかねえぞ。ちゃんとマッサージとかしてるか? だっはははは!』
全て、雄一様のお言葉だ。
拓人に対する暴言もあり、同僚に対するものもあり。
全部まとめたら一時間以上の映像になりそうだったので、思い出してもむかっ腹が立つような珠玉の暴言をより抜いて集めたものだ。
それを拓人は全世界に公開した。
止まらないシェア通知を、拓人はOFFにした。
「ああ。まずかったかな?」
「いや最高だ。でもこんなことして大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫」
拓人は静かに席を立つ。
「最期にいいもん見れたし、今日は早引けするわ」
「早引け? ……どこ、行くんだよ」
「さあな」
まだ必死で怒鳴っている雄一を尻目に、拓人はオフィスを出た。
復讐でもあるが、何より、罪には罰があるべきだと思ったから、やった。
皆が恐ろしくて手出しできないなら、これから生を捨てる自分がやるべき事。
恐れるものなど何も無い。拓人は今、無敵の人だった。
* * *
拓人が異世界に行く十分前。
夜の海はひたすら黒くて、もし冥界への入り口があるとしたらこんな眺めなんだろうなと思えるくらい、綺麗だった。
寄せては砕ける波の音が耳に心地よい。
「はあ……」
海を見下ろす崖の上に、拓人のレンタカーは停まっていた。
車内で拓人は、生まれて初めて千円超えの弁当を食べながら、三十二年間の人生を振り返っていた。
新卒で就職してすぐに父が倒れ、その介護のために仕事を辞めた。父が死んでから再就職したが、特別な才能も、大層な職歴も無い拓人は、まともな就職ができなかった。
薄給でクソ上司にしごかれ続ける日々。それでも苦労して見つけた仕事だ、生きていたくてしがみついた。だがクビを言い渡されたとき、拓人の心は折れてしまった。
もういい、疲れた、と。
最後の晩餐たる鰻重弁当を食べ終え、どぎついチューハイを飲みながら……拓人はふと、スマホを手にした。いつものクセでSNSをチェックすると、丁度、自分と同い年の野球選手が億超えの年俸で契約更改したというニュースが流れてきた。
「はーっ…………才能ある奴はいいよなあ……」
口でそう言いながら、もはや羨む元気も無くなっている自分に気づき、拓人は笑ってしまった。
レンタカーを降りて、海風に当たりながら、拓人は妄想人生に想いを馳せる。
「別に……プロ野球選手とかじゃなくっていいか。
何か俺にしかできない仕事ってやつ、欲しかったよな。絵とか歌でもいいし。
いやいや、仕事しなきゃダメって発想がまず違うか。家が金持ちだったら良かったよな。遺産相続して、株式配当だけで暮らせるだろ。親父の介護だって金で片付いただろうし……」
人生は理不尽で不公平だ。スタート地点はそれぞれ違うし、最初からゴールテープの向こうに居る人間も存在する。
拓人は恵まれていない方だ。少なくとも自分ではそう思っていた。
「俺も……そういう風に生まれてたらな」
「では生まれなおしてみませんか?」
拓人に声を掛ける男あり。
だが拓人は背後からの声に驚きもしないし、誰何すらしなかった。疲労と諦めとアルコールが思考を鈍らせていた。何より、驚いたり恐れたりするのがもう億劫だった。これから死のうと思っているのに、何を恐れるというのか。
「特別な才能を授かり、どこか別の世界で人生をやり直す」
「おっ、いいねえそういうの」
「王侯貴族や大富豪の子に生まれ変わるかも知れない」
「そしたら人生薔薇色だなあ」
「転生料は応相談となりますが、百万円から承ります」
「金があったら人生やめねえよ!
なけなしの貯金も全部探偵に払って素寒貧だ、タダならやってやらあ」
ただし、金の有り無しで幸・不幸が分かれる事態に対しては、人一倍に敏感であった。
「なるほど……あなたのようなお客様を探しておりました。
合意していただけましたものと判断します」
「ん?」
拓人はそこで、ようやく振り向いた。
背後に一人の中年男が立っていた。香川県に送り込んで毎日カレーうどんを食わせてやりたいくらいに真っ白いスーツを着た、どこにでも居そうな男だ。
彼は拓人に向かって深く、営業スマイルで営業的なお辞儀をした。
「私ども『転生屋』に委細お任せ下さい。
あなたに第二の人生を差し上げます。どうか存分に喜び、悲しみ、私どもを満たしてくださいませ」
途端。拓人は浮遊感を与えられた。
確かに拓人は海を望む岸壁の上に立っていた。だがその足下が、潮風に晒された硬い岩盤が、バラエティー番組の大仕掛けみたいにパカッと開いて落とし穴になったのだ。
「うわあああああああ!?」
拓人は闇の中を落下した。ブラジルまで辿り着きそうなくらい、あり得ない距離と時間を落下した。
奇妙なことに落ちれば落ちるほど、全ての感覚は曖昧になり、思考は途切れ、そして……
* * *
今。
拓人は何処とも知れぬ森の中で倒れていた。
頭がぐわんぐわんと揺れる心地だった。
理解を超えた事態に巻き込まれたことだけは理解した。
ふと、自分が何か手に持っているのだという事に拓人は気が付いた。
拓人は気力だけで顔を持ち上げ、ぢっと手を見る。
その手は明らかに拓人のものではない、小さくて白くて柔らかそうな手だった。だがそれは拓人の思い通りに動いた。
窓を拭く雑巾を持つみたいに、拓人は一枚の書類を手に掴んでいた。
==========
ご転生おめでとうございます。
我々『転生屋』一同、あなた様の新たなご誕生にお祝い申し上げ、その前途に幸多からんことを心よりお祈り申し上げます。
『今だけ無料! 転生ガチャコース』をお選びになりましたあなた様のため、フォトン乱数抽選システムによる厳正なる抽選を行い、転生内容を決定させていただきました。
転生先世界:C-018
転生形式:転移(特殊型)
転生先世界に肉体を生成し、魂を転送する。
ただし、この際、転生者本人の肉体の再現でなく、8H-5型の少女体とする。
能力適正:無力
・あなたは今現在……あるいは一生、全く無力な存在です。
戦いに満ちたこの世界で、あなたにとって敵と戦うことは、厳に慎み避けるべき行為です。
保有チート能力:
【チート看破】
目の前の相手が持つチート能力を見抜きます。
【神医の調合術】
魔法薬を調合する際、発現しうる効果を全て確認し、自在に引き出せます。
【性格要素/機転】
窮地に活路を見出します。
・あなたは魔法薬の調合に際して神懸かり的な才能を発揮します。
いかなる素材もあなたに頭を垂れ、持てる力の全てを差し出します。
あなたはその技術で、少なくとも糧を得ることはできるでしょう。
・あなたの頭脳は明晰であり、危険から生還する手段を考えられますが、無力なあなたは僅かな油断や不運すらも死に繋がるでしょう。
転生屋ネットワークは、箱庭世界の創造と転生サービスを基幹とし、皆様にご活躍の舞台を提供します。
どうか、良き第二の人生を。
==========
拓人が読み終えるなり、その書類は塵と成って、風に溶けるように消え去った。
理解を超えた情報の羅列がとどめの一撃となり、拓人は遂に意識を失った。
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