第72話 勇者の孫の恩返し①



 奥多摩二つ星ダンジョン。通称小鬼ダンジョンと呼ばれるこのダンジョンの最下層のボス部屋の前では、パーティウィンクルムの面々が武器を手に整列していた。


「それじゃあ賢治、行ってくるね。ちゃんと隠れててね」


 パーティの中央に立つリーダーである由美が、ポーターであり恋人でもある太田へと声を掛ける。


「……約束したのに一緒に行ってやれなくてスマン」


 太田は鎮痛な面持ちで由美へと詫びる。


 本来ならば太田も彼女たちと一緒にボス部屋に入り、盾役として戦うつもりだった。しかし19階層からの連戦に次ぐ連戦により、太田の持つ大楯はゴブリンウィザードの火球を何度も受け溶解してしまい使い物にならなくなってしまった。そうなると魔力を持たず攻撃ができない無い男など何の役にも立たない。それどころかただのお荷物である。そのため太田は酒田と共にボス部屋の外で待機することになったのだ。


 ちなみに酒田のパワードスーツは機動力重視のため軽量化されており、そのぶん耐久性が低い設計となっている。盾も小型でとてもではないがボス戦で役に立つような装備では無いことから最初から留守番役であった。


 そもそも二つ星の探索者に同行している程度のポーターがだ、ボス戦に参加すること自体おかしいのである。普通はポーターは外で待機しているものだ。魔力がないことで魔物に見つかりにくいのでそれが普通なのだ。


 ボス部屋に同行できるのは、三つ星探索者のパーティにいるポーターくらいなものである。彼らは1着数千万もするような最新のパワードスーツを装備しているからこそ、それが可能なのだ。間違っても数百万程度のパワードスーツしか装備していない太田が入って良い場所ではない。


 それでも恋人が心配なのだろう。20階層に降りるまでは太田は一緒にボス戦に参加するつもりでいた。由美や綾子にも簡易ベッドで奉仕したあと、絶対に二人を守ると約束していた。しかし肝心の大楯が壊れてしまったのではどうしようもないことから、泣く泣く彼女たちを見送ることになったわけだ。


「私はホッとしてるよ。賢治が一緒にボス戦に参加して守ってくれるって言ってくれた時は嬉しかったけどさ。やっぱり男の人は魔力がないから……もしもパワードスーツが戦闘中に故障して動かなくなったらとか、色々考えちゃって不安でもあったんだ。だから大盾が壊れた時に良かったって思っちゃった」


「私もです。やはり男の人には帰りを待っていて欲しいものですからね。大丈夫ですよ。ホブゴブリン程度に私たちは負けませんから。安心して待っていてください」


 由美に続きサブリーダーの綾子も、太田を安心させるように笑みを浮かべそう口にする。


 小鬼ダンジョンのボスはゴブリンの上位種であるホブゴブリンだ。ホブゴブリンは身長が2メートルほどあり、筋骨隆々でゴブリンをそのまま大きくマッチョにしたような魔物である。10人のパーティがボス部屋に入ってきた場合、手下にゴブリンウィザードとアーチャーを2体ずつ。そして剣持ちのゴブリンを10体連れて現れる。


 ちなみにリルではボブゴブリンはDランクの上位種、日本では二つ星の上位種と呼ばれている。その統率力と瞬発力。そして剛腕から繰り出される棍棒による一撃は強力で、二つ星探索者にとってはなかなかに手強い魔物である。


 それでも普通は探索者となって6年から7年掛けてやっと辿り着けるこの小鬼ダンジョンの最下層に、5年で来ることができた自信が綾子を始めウィンクルムの面々にはあった。


「わかった。ここで待ってる。もしも……いや、なんでもない」


 太田は一つだけどうしても不安なことがあったが、それを口にすると本当に起こりそうな気がして口をつぐんだ。


 しかしここにいる誰もが太田さんの言おうとしたことが何なのかを察していた。


 太田に言い掛けた言葉が何なのかを尋ねなかったこと。そして不安を堪えるように唇を噛んだのがその証拠だ。


 しかし一人だけそんな空気を読まず、その不安を口にする男がいた。酒田だ。


「大丈夫っス! レアボスなんか出たりしないっス! 3%の確率なんかそうそう引かないっス!」


「あ、馬鹿!」


「あ〜裕司ってこういう人だったわね」


「ハァ……絶対に言うと思ったのよ私。あーもうっ! フラグを立てないでよ縁起でもないっ!」


 酒田の悪意のないフラグ発言に太田は頭を抱え、由美は残念な人を見るような目で酒田を見つめる。そして美佳が予想を裏切らなかった酒田の頭を叩く。


 レアボスとは、そのダンジョンに現れるはずのない高ランクのボスのことである。そしてこのレアボスは二つ星以上のダンジョンから現れるようになる。


 この小鬼ダンジョンのレアボスは、奥多摩三つ星ダンジョン。通称大鬼ダンジョンの最下層のボスだ。そんなものがまだ二つ星ダンジョンのボスですら倒せていない探索者たちの前に現れれるのだ。ただ、レアボスが現れることは非常に稀であり、小鬼ダンジョンでは5年以上出現が確認されていない。それでも万が一の時はパーティが全滅する可能性があることから、比較的レアボスが現れても逃げ切りやすい大分のゴーレムダンジョンに人が集中しているのだ。


「痛っ! あっ……あーその……フラグなんて都市伝説っスから……でも気になるなら今日は入るのやめとくっスか?」


 美佳に頭を叩かれ自分が口にしたことを思い返した酒田は、しまったといった表情を浮かべる。


「ここまで来て中止するわけないでしょ! 馬鹿! 本当に馬鹿! 地上に帰ったら当分やらせてやらないんだから!」


「痛っ、痛いっス! 美佳さん蹴らないでくださいっス! パワードスーツが凹むっス! まだローンが残ってるんス! あとお預けは勘弁して欲しいっス! 地上だと美佳さん以外は相手をしてくれないんスよ!」


「ぷっ! ほんと祐司はしょうがないね」


「ふふっ、そうね。でもみんなが思っていても口にできなかったことを代わりに言ってくれたおかげで、少しだけ気持ちが楽になったわ」


 美佳に蹴られながら逃げ回る酒田の姿に、由美はたまらないとばかりに吹き出し綾子はどこかホッとした表情を浮かべていた。


 確かに酒田の言う通り過去の出現例から、二つ星ダンジョンでレアボスが出る確率は3%ほどだ。100回ボス部屋に入ってレアボスが現れる確率はたったの3回である。それでも皆が心の片隅でもしもその確率を引いてしまったらと不安に思いつつも口にできなかった。それを酒田が口にしてくれたことで、綾子は少しだけ気が楽になった。


「大丈夫だよ。万が一の時の対策は話し合ってるし、来るなら来いだよ!」


「さすがこのパーティのリーダーでありタンク役ね。頼りにしてるわ。でも無理しちゃダメよ? 死んだりしたら賢治さんを取っちゃうからね?」


「むむっ! それは駄目! 賢治の子供を産むのは私が最初なんだから! 綾子はそのあと!」


「ふふっ、はいはい。それじゃあお互いに生きて帰りましょう」


「うん! じゃあみんなホブゴブリンを倒しに行くよ!」


 由美はあえてこれから戦うボスは通常のボスだと口にする事で、酒田の発言でもしもを考えてしまい不安そうにしている仲間を安心させようとした。


「「「「おー!」」」


 そしてその目論見は成功し、全員が手に持っていた武器を頭上に掲げ応える。


「ではでは、いざ尋常に〜勝負〜♪」


 仲間の反応に気を良くした由美はボス部屋の扉を思いっきり蹴り開け、おちゃらけつつ盾と片手剣を構えながら中へと突入する。そしてそんなリーダーに綾子を始め全員が続いていく。


「無事でいてくれよ由美、みんな……」


「大丈夫っスよ、みんな強いんスから。俺たちはここで壁に同化してゴブリンに見つからないように待っていればいいんス」


 皆の背中が見えなくなり自動で閉じていく扉を祈るように見つめる太田へ、美佳に蹴られた尻を押さえながら酒田が明るく応える。


「そうだな。俺としたことが都市伝説なんかに心を乱されるとはな」


「それだけ由美さんと綾子さんたちが好きだって事っスよ。俺も美佳さんやカオリさんたちが心配で仕方ないっス。でも俺たちには何もできることはないっス。信じて待つことしかできないんスよ」


「信じて待つ……か。その通りだな。よし、とりあえずゴブリンに見つからないように壁になるか」


 酒田の言葉に頷いた太田は、さっそく近くの柱の陰に横たわりバックパックから取り出した毛布で身を包み始める。ゴブリンの視界に入らないためだ。


「はいっス! みんなが戻って来た時にゴブリンに食われてたらシャレにならないっスからね!」


「だからフラグを立てるなって言っただろうが!」


「ぶべっ! さっき都市伝説だって言ってたじゃないすか!」


 横たわった太田から毛布を顔面に投げつけられた酒田は、話が違うと文句を言う。


「だからってフラグを乱立されると気になるんだよ。いいから早く寝そべ……マズイ! ゴブリンが来た! フラグを成立させたくなかったら早く隠れろ!」


「ひえっ!?」


 遠くの角からゴブリンの集団の姿を見つけた太田の言葉に、酒田は慌てて近くの柱の陰に隠れ息を潜めるのだった。



 一方、ボス部屋の中へと入った由美率いるウィンクルムの面々は、警戒しつつドーム球場ほどある巨大な部屋を中央へと進んでいた。


 ボス部屋の壁には等間隔で松明が設置されており、部屋の中は割と明るい。そして部屋の奥にはボスが座るためなのだろう、巨大な玉座が置かれていた。


 その玉座を警戒しつつ、10人のウィンクルムの探索者たちは中央へと辿り着く。


 すると玉座の周辺と左右の壁の床が眩い光を発した。


「来るよ!」


 ボスとその取り巻きが現れる前兆に、由美は盾と剣を構えながら後方にいる仲間へ声を掛ける。


 しかし次の瞬間、由美の顔は絶望に染まることになる。


「う、うそ……」


 由美の視線の先には、玉座に真っ赤な肌に燃えるような赤い髪。頭部から伸びる二本の黒い角と、裂けた口から牙を覗かせた赤鬼。三つ星ダンジョンのボスであるオーガの上位種のレッドオーガが、足を組み玉座に腰掛けていたからだ。


 それだけではない。そのレッドオーガの両脇には、焦茶色の肌をした同じく二本の角と牙を生やした鬼。オーガが2体立っており左右の壁にもオークが4体づつ、計8体が剣を手にウィンクルムを半包囲していた。いずれも三つ星ダンジョンの中層から下層に出現する魔物である。


 そう、彼女たちは当ててしまったのだ。


 この小鬼ダンジョンのレアボスを。


 優秀な彼女たちの魂をダンジョンが欲したのか、それとも彼女たちの魂をより上質なものにするための試練だろうか。


 いずれにしろボス部屋の扉が開き、撤退できるようになるまでの30分間。


 彼女たちにとって壮絶とも言えるべき防衛戦が始まろうとしていた。



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