第57話 勘違いから始まる恋



 8月も中旬となり照りつける太陽と蝉の鳴き声が響く中、八王子の郊外を1台のミニバンが走っていた。


 そのミニバンは自動車教習所の前で停まると、中から若い男女が降りてくる。


 一人はジーンズと黒のシューズに黒のポロシャツを着た茶髪の青年で、もう一人はベージュのワイドパンツと白のシューズに白のノースリーブ姿の黒髪の女性だ。


 ユウトと楓である。


 二人は今日から車の免許を取るために、自宅から車で20分ほどの場所にあるこの教習所にやってきていた。


「んじゃあ行ってくるわ、ありがとな玲」


「お姉ちゃんありがとう、終わったらチャットするから帰りもお願いね」


「ああ、また迎えに来る。講義中に寝るなよユウト?」


「寝ないっての。これでも勉強はできる方だったんだぜ?」


 玲のからかうような言葉にユウトは得意げな表情で答える。


「それは意外だな」


「へえ、人は見かけによらないんだね」


「ちょ、どういう意味だよそれ!」


「ふふっ、冗談だ冗談」


「あはは、ほら、兄さん早く行かないと遅刻しちゃうよ」


「おほっ♪ あ、うん。じゃあな玲。また夕方にな」


 ユウトは楓に腕を組まれ、腕に当たる胸の感触に頬を緩ませながら玲へと手を振り歩き出した。


 玲はユウトへと手を振り返し、二人の後ろ姿をずっと見つめていた。


「私も一緒に通いたかったな……」


 二人が建物の中に入り見えなくなると、玲はボソリとそう口にする。


(まさかユウトが車を欲しいと言い出すとはな)


 玲はユウトの魔導術の慣らしの工程を初めて受けた翌日の朝。一緒にテレビを見ながら朝食を摂っていた時に、ユウトが車のCMを見て自分も車が欲しいと言いだしたことを思い出していた。


 玲がなぜ車が欲しいのかと聞くと、ユウトはリルでは魔導車を普通に乗っていたこと。それは日本の車ほど洗礼されたデザインでもなければスピードも出ない代物だということ。そしてずっと日本の車が欲しかったけど、戸籍がないから我慢していたとユウトは答えた。


 ならしばらくダンジョンにも行けなさそうだし教習所に通おうという話になった所で、楓がいつも玲に運転させて悪いからとユウトと一緒に免許を取りに行くことになった。


 そしてタイミング良く新規の受講者募集をしていたことから、二日後の今日から通えるようになった。


(しかし車の運転に全く興味がなかったあの楓が、免許を取りたいと言い出すとはな。いいなぁ、ユウトと二人でずっといれて……ハッ!? 私は何を考えているんだ!?)


 玲はユウトと一緒にいれる妹の楓を羨ましがった自分の気持ちに困惑していた。


(おかしい。昨日からどうもユウトのことが気になってしまう。気が付いたら目で追ってしまっているし……やたらと惹かれるというか、近くにいたいと思ってしまう。いったい私はどうしてしまったんだ?)


 体内に残るユウトの魔力に引き寄せられているだけなのだが、その事を知らない玲はユウトに惹かれていると思っているようだ。


(きっと初めてできた義兄に甘えたいのかもしれないな。ユウトは私たちをポーターの男から守ってくれたからな。そんな古い小説の中にしかいない妹を守る兄の姿に憧れているのだろう。ユウトを目で追ってしまうのは、私もユウトみたいに強くなりたいからだろうな。だからその立ち居振る舞いなどを自然と目で追っているのだろう。うん、そうに違いない)


 玲は高鳴る胸の鼓動を無視し、そう強引に今の感情を結論付けた。


 玲はこの感情が恋かもしれないということには気付いている。小学生の時に、クラスメイトの男の子に今と同じ気持ちになったことがあるのだから。


 だが玲はユウトは家族だから、義兄だからとその気持ちから目を逸らしていた。



 ♢



 ユウトと一緒に教習所の教室に入った楓は、隣に座り講義を真剣な表情で聞くユウトをチラチラと見ていた。


(あ、この顔はあの時と同じだ)


 珍しく真剣な顔をしているユウトの表情が、ダンジョンで自分たちに強くなることに手段を選ぶなと言った時の表情と重なって見えた。


(あの時はカッコよかったな兄さん。いつもこんな表情だといいんだけど、たいてい私かお姉ちゃんの胸を見て鼻の下が伸びてるんだよね)


 楓はユウトの横顔を見ながら軽くため息を吐く。


(でもそんな兄さんのことが、どういう訳か気になって仕方ないんだよね。エッチな男の人は苦手だったのになぁ……でもなぜかすごく惹かれる。いつからだろ? ダンジョンから戻ってきた時はそうでもなかったんだけど、やっぱり魔導術を受けた時かなぁ)


 楓は魔導術を受けてから、ユウトのことが少しずつ気になっていることに気が付く。


(温かかったな兄さんの手。それに身体に流れてきた兄さんの魔力も強くて優しくて包み込まれるような感じだった。ものすごく心地良かったなぁ、あの感覚。だからかな? もっと兄さんの側にいたいって、触れたいって思っちゃう)


 楓は隣で真剣な表情で講義を聞いているユウトの足に、気付かれないよう自分の足を少しだけ触れさせる。


(ふふっ、触れちゃった。うん、なんだか落ち着く。あ、なんかドキドキしてきた。うーん、やっぱりこれって恋なのかな? 小学校の時にお姉ちゃんと同じ男の子を好きになった時もこうなった気がする。まあ、お姉ちゃんと話し合って共有しようって決めた途端に、女の子にいじめられていたクラスメイトの男の子を見て見ぬ振りする瞬間を見て冷めちゃったけど)


 楓は淡い初恋を思い出し再びため息を吐く。


(それに比べ兄さんは絶対そんなことしないだろうし。私たちがポーターに絡まれた時もすぐに助けてくれたしね。あの時は嬉しかったな。まさか男の人に守られる日が来るなんて思わなかったよ。そんなのお婆ちゃんの家にあった古い少女漫画の中だけの話だと思ってた)


 ダンジョンの前でユウトに助けられたことを思い出した楓は、ユウトへと熱っぽい視線を向ける。


(やっぱり兄さんの顔って整っていてカッコイイな。それに余命1年だったお婆ちゃんや、もう二度と走ったり剣を振ったりできないはずのお母さんの怪我を治してくれた。そして私たちに売れば何十億もする装備やマジックアイテムをポンって渡してくれたうえに、ダンジョンでずっと守ってくれた。なんの見返りも求めずに、まるで大したことないと言わんばかりにポンって……こんなの好きにならないわけがないか)


 玲とは違い現実的な思考の楓は自分の気持ちを冷静に分析した結果、ユウトが好きだという結論に達した。


 魔導術によって惹かれ合うのは確かだ。しかしだからと言ってまだ慣らしの工程で術者に特別な感情を抱くことはほとんどない。


 これは玲と楓がユウトを好きになる下地があったからだろう。


 死を待つだけだった祖母の命を救い、元に戻るはずのなかった母の腕と足と目を再生し、力で敵わないパワードスーツを着たポーターから救ってくれて、ダンジョンでも常に後ろで守ってくれていた。そして今も、二人の強くなりたいという願いを叶えるために秘術まで施してくれている。


 全て無償で、なんの見返りも求めずにだ。


 そこにユウトの魔力によって惹かれるという現象が起き、楓が『ユウトが好き』と思うのも仕方がないだろう。


 吊り橋効果に似ているといえば似た現象かもしれない。


 吊り橋効果とは、海や山で遭難し、極限状態に追い込まれると恋が芽生えるというのはよく聞く話だろう。これは危険な状況になったことで心拍数が上がり、それを恋のドキドキと勘違いしたからと言われている。また、二人で協力して無事生還したことで相手を信じられる。運命の人だと思ってしまう事も言う。まあ相手のことを良く知らずに好きになった結果、たいていが普段の生活に戻ると別れるのだが。


 ユウトの魔力によって玲と楓は引き合う魔力の現象を恋と勘違いをした。吊り橋効果の心拍数の上昇を恋のドキドキと勘違いした事と同じといえば同じだろう。


 ただ、玲と楓がユウトを好きになる下地があったのも事実だ。


 そもそも人を好きになるのに理由など無いと言われるように、愛や恋は言語化しにくい感情である。


 それまで仲の良い男友達としか思っていなかったのに、ふとした仕草や言動がキッカケで恋に落ちるというのは良く聞く話である。


 また、地味でブサイクだと思っていたクラスメイトの女の子が、心機一転で今時の髪型にしてメイクも覚え可愛くなった途端に恋する男もいるだろう。


 今回はユウトの魔力がそのキッカケだったということだ。なによりユウトも楓たちも魔導術の副作用を知らない。


 つまり小さい頃に結婚を約束した幼馴染と高校になって再会して付き合ったが、二人はたまたま近くに住んでいただけで人違いをしていることに気が付いていないパターンといえよう。


 後で人違いだと分かったとして別れるだろうか?


 良好な関係を気付いていればそんなことにはならないだろう。


 出会いはどうあれというやつである。





 ※※※


 作者より


 ストックが切れたので月・火・水・土・日の週5更新とさせてください。


 木・金はお休みです。


 よろしくお願いします。

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