第19話 勇者の孫 更に疑われる
夏も真っ盛りとなり、ほぼ山中と言っていいほどの立地にある九州地方の大分ダンジョン支部はうるさいほどの蝉の鳴き声に包まれていた。
その大分ダンジョン支部の会議室から、支部長室へと繋がる廊下をブラウンに染めた髪を肩ほどで切り揃えた女性が歩いている。
本来は整った顔立ちをしている彼女だが、右目を覆っている制服と同じ茜色の眼帯ともう片方の目の鋭さから周囲に威圧感を与えている。
そんな一見美しきマフィアの女ボスのような彼女は玲と楓の母であり、この大分ダンジョン支部の支部長をしている工藤
「あーもうっ! あのクソババア! 何がもっと売上を上げろよ! その前に
探索者協会本部とのWEB会議を終えた翠は、探索者の育成よりも売上を求める拝金主義の協会本部に不満を爆発させていた。
基本的に探索者には18歳以上で一定の魔力があればなることができる。だが高い魔力を有している者は中等部を卒業した後に、各地にある探索者学園に入学してそのまま軍や大手の
それに比べ探索者協会はというと学園卒でもない一般の、しかも中小の探索者企業にも入れない探索者から一つ星や二つ星クラスのダンジョンのアイテムを買い取ることくらいしかできない。フリーの高ランク探索者もいるのだが、そういった者たちは探索者企業へ交渉を持ち掛け協会には売ってはくれない。他には亡くなった探索者の遺族が遺産相続絡みで、国営の探索者協会の方が信用できるとレアアイテムを売りに来ることもあるがそれはごく稀なケースだ。
協会も将来性のある探索者を抱え込もうとしとはいるが、企業ほど育成に力を入れていないため育てることもできないしそのノウハウもない。初心者講習くらいしか研修制度が無いのだ。
その結果、企業に比べると収益の面で天と地の差がある。国営なので潰れることはないが、協会の維持のために国は多くの予算を割いていることから国民からの目は厳しい。それで売上を上げるよう上から言われているのだろう。元高ランク探索者の
そうしてカリカリしながら秘書を引き連れて廊下を歩いていた翠だが、突然右膝に激痛が走り壁に手をついた。
「あ、痛っ!」
「大丈夫ですか支部長」
「くっ……だいじょうぶよ……ちょっと義足の接続箇所がね」
翠は痛みに耐えつつ、心配する秘書に笑みを浮かべ答えた。
「肩をお貸しします」
「ありがとう、でももう大丈夫よ。ゆっくり歩けば問題ないから」
翠は興奮していささか乱暴に歩いていたことを反省した。こうなる可能性があることを失念していたのだ。
それから心配そうに見つめる秘書の視線を感じつつも、翠はゆっくりと歩き支部長室に到着した。そして義足の手入れをするからと秘書に退席するように伝え、ソファーに座り右足のズボンの裾をまくりあげた。
するとそこには人工皮膚で覆われた足があった。膝や足首の関節部分も人工皮膚で覆われており、外から見ただけでは義足だとわからないほどよく出来ている。
この精巧な義足を造る技術は、ダンジョンが出現して四肢を失う人間が激増したことで成長した分野だ。近年ではAIも搭載されており、義足を使用している人間の歩き方や癖。階段などの段差などを記憶学習し、違和感なく歩くことができる。
膝上の接合部分から義足を外した翠はテーブルの上に置き、自身の右足の太ももさすった。
「速歩きはまだ早かったみたいね。もうちょっと内蔵しているAIが学習してからやるべきだったわ。失敗したわ」
無理して壊さないようにしないと、高かったんだし。と、そう心のなかで反省した美鈴は、義足が外れ剥き出しとなった自身の失った右足をじっと見つめ呟いた。
「デスナイト……」
デスナイト。それは十年前に翠たちのパーティを壊滅させ、愛する夫をも失うきっかけとなった三ツ星ダンジョンのレアボスの名だ。
美鈴の表情は悲しそうでもあり、悔しそうでもある。あの時、仲間と夫を守れなかった事を悔いているのだろう。こうして失った右足と右目を見る度に翠は十年前の事を思い出していた。
「あ、いけない。楓に連絡しなきゃ」
翠はそれよりもと、会議の直前に娘から来たMyChat《マイチャット》の内容を問い詰めようとスマホをポケットから取り出し楓へと掛け始めた。
楓は翠に対しチャットで“ユウトさんは問題なし”とだけ送っていた。恐らく百の言葉を並べてもどうせ母親は信じないと思ったからだろう。
「あ、楓? メール見たわよ。何が大丈夫なのよ! ちゃんと問い詰めたの!?」
《あっ! お母さん! それどこじゃないんだよ! お婆ちゃんの病気が治ったの! 兄さんが治してくれたんだよ!》
「は? はあぁぁぁ!? お母さんの病気が治ったって……そんなわけ無いでしょう! 余命宣告を受けているのよ!?」
興奮した口調で母の病気が治ったという楓の言葉に、そんなことあり得ないとばかりに声を張り上げた。
それはそうだ。余命1年と言われていた母の病気が治ったなどと言われ、ハイそうですかと信じられるはずがない。
《本当なの! 兄さんが状態……あ、その……とにかく治してくれたんだよ!》
「その兄さんって誰よ!? 私に隠し子なんていないわよ!」
《ユウトさんのことだよお母さん。ユウトさんがお婆ちゃんの病気を治してくれたの》
「ユ、ユウト!? お母さんを騙しているあの大陸の工作員のこと!?」
《工作員なんかじゃなかったんだよお母さん。あ、お姉ちゃん! お肉はその一番高いやつにしようよ、兄さんが喜ぶと思うし。えーと、まあそういう訳だからお母さん、今お婆ちゃんの快気祝いの買い出しに来ていて忙しいんだ。お婆ちゃんの命の恩人の兄さんに、とっておきの料理を作ってあげないと》
「ちょ、ちょっと! 工作員じゃなかったってどういうことよ! どうしてそう思ったのか教えなさい!」
《うーん、多分言っても信じないだろうから、こっちに戻ってきた時に兄さんも
「信じないってどういうことよ!? いいから言ってみなさい!」
《ええー、絶対信じないだろうし、私の頭がおかしくなったとか言われそうだからヤダよ。それにいま出先でこんな所で話す内容じゃないし。やっぱりお母さんがこっちに戻ってきた時に説明するから。それじゃあ忙しいからまた今度ね。兄さんもお婆ちゃんも大丈夫だから心配しないで》
「心配しないでって……あ、ちょっと待ちなさい楓!」
通話を一方的に切られた翠は掛け直したが楓は電話に出てくれない。それならと玲にも掛けたが返答は楓とまったく同じで、玲からも詳しい話は翠が実家に戻って来たらすると言われてしまった。
「どういうことなの? お母さんに近づいた男は工作員じゃない? でもその理由は電話では教えられない? そのうえその男がお母さんの病気を治した? そんなことあるわけ無いじゃない。でも……」
娘たちの喜びようは本当のように思えた。
ありえないと思いつつ翠は美鈴が通院している病院へと電話を掛け、主治医に母の病気の確認をすることにした。
「……はい、お忙しいところ失礼いたしました……ええ……はい……ありがとうございます。母に伝えておきます」
主治医との会話を終えた翠はスマホをテーブルに置いたあと、目をつぶり考え込んでいた。
「やっぱり嘘だった。お母さんの病気は治ってなんかいない。でもそれならなぜ楓たちは治ったとあんなに喜んでいたの?」
主治医は今日美鈴が検査にすら来ていないと言っていた。つまり病気が治ったということは嘘だったということになる。
これは楓たちが大騒ぎになるのを避けるため、かかりつけの病院ではなく全く別の病院で検査を受けたからである。美鈴の主治医が知らないのも当然であろう。
「おかしい。しかもお母さんを騙し取り入っているユウトという男が治しただなんて……玲ならともかく楓が男に騙されるとは考え難いわ……でもその楓まで取り込まれているようだった。まさか……精神系の魔法? そんな魔法が存在するの? でももし存在していたなら、それで洗脳されているとしたら」
母どころか二人の娘までもがユウトという男を信じ、なぜ信じたのかは言えないという。そのうえ余命宣告されていた母の病気を治したと思い込み感謝までしている。これは明らかに異常だと思った美鈴は、精神系の魔法によって洗脳されているのではないかと考えた。
「でも精神系の魔法となれば相当レアな魔法なはず。二つ星までのダンジョンしか無い大陸で手に入るような代物とは思えないわ……もしかして……三ツ星やそれ以上のダンジョンが発見された? そこで精神系の魔法を使える魔道具を手に入れたとしたら」
大陸にある大国は民主主義を名乗ってはいるものの、その実態はどこも独裁国家で秘密が多い。そのことから翠は、高ランクのダンジョンと精神系の魔法が使える魔道具が見つかったことを隠しているのではないかと疑った。精神系の魔法を使える魔道具など、あの大国の独裁者たちが公表などするはずがないと。
「でも魔力のない男がどうやって魔道具を……いえ、日本にも魔力を持つ男は生まれてきている。あの大国なら非人道的な手段で人工的に魔力を持つ男を作る可能性もあるわね」
日本で初めて魔力を持って生まれた男性は最年長の子でもまだ12歳だ。これはアメリカやイギリスなど、他国でも1年ほどの誤差しか無い。
しかし人道など軽く無視する隣の大陸にある2つの大国ならば、なんらかの非人道的な手段で成人男性が一時的にでも魔力を持てるようにしたのかもしれない。今回はその実験も兼ねている可能性もある。と、そう翠は考えた。
「こうしてはいられないわ! 楓たちが危ない!」
母と大切な二人の娘が大陸の工作員によって洗脳されたと思い込んでしまった翠は、このままでは娘たちの貞操が危ないと急いで義足を装着しソファーから立ち上がった。
そして金庫から翠が現役だった頃の装備一式が収納されているマジックポーチを取り出し、腰のベルトに装着した。
次に内線で秘書を呼び出し急ぎ車と飛行機の手配をさせるのだった。
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