第9話 勇者の孫 工作員だと思われる
日本の九州地方にある大分県は、別府温泉などで有名な県だ。その大分県の南部、宮崎県との県境にほど近い山中に大分ダンジョンが存在する。
大分ダンジョンは日本に5つある二つ星ダンジョンの一つで、ゴーレムばかりが出現することから別名ゴーレムダンジョンとも呼ばれている。
このダンジョンに出てくるゴーレムはパペット《泥人形》、ウッドゴーレム《木人形》がメインで、最下層のボスだけがストーンゴーレム《石人形》となる。ボス以外は脆く動きの遅い魔物ということもあり、探索者たちには人気のダンジョンとなっている。
ダンジョンの周囲は探索者目当ての旅館や飲食店などの建物に加え、車両型の屋台などが多く停車しておりダンジョンから出入りする探索者で賑わっていた。
そんな大分ダンジョンの入口横に探索者協会大分ダンジョン支部がある。
その三階建のビルの最上階にある支部長室に、白いシャツの上に茜色の上着とパンツをビシッと着こなした眼帯姿の女性が座っていた。彼女こそ探索者協会大分ダンジョン支部の支部長である工藤
翠はその整った顔を驚愕に染め、携帯電話を片手に大声を張り上げていた。
「養子ですって!? お母さん本気なの!?」
《本気よ。間違いなく兄さんの孫なの。私が引き取らないとあの子は日本で居場所がなくなってしまうわ。そんなことしたらあの世で兄さんに怒られてしまうもの。それにユウトさんはとても優しくて良い子なの。何よりイケメンだし笑顔も可愛いのよ》
翠の電話相手は美鈴のようだ。ユウトへの言葉遣いより砕けているのは母娘だからだろう。いくら親族とはいえ、ユウトとはまだ出会ったばかりなので遠慮があるのは仕方ない。
「イケメンって! 見た目に騙されてるだけでしょ! 詐欺師ってのはそうやって老人に近づくのよ! 何度も騙されてきたのにまだ懲りてないの!?」
翠は幼い頃から失踪した叔父である秋斗を、叔父の親友だった父と一緒に母が探す姿を見てきた。そして叔父の行方を知るという者たちに、母が何度もお金を騙し取られるのを間近で見てきた。そのため家は貧乏で、若い頃は父と母を騙す者たちだけでなくその原因を作った叔父も恨んだ。
そして父が魔素中毒で49歳で他界し、叔父ももう生きてはいないだろうと母も思うようになりやっとその手の詐欺話に引っ掛からなくなった。しかし翠が貧乏を苦に探索者となり努力の末に三つ星探索者になって稼ぎ始めると、今度は叔父の息子や娘を名乗る者が母や翠の前に現れた。その度に翠がその者たちを問い詰め脅し、詐欺である事を白状させてきた。
そういった事を何度も繰り返し、怪我が原因で引退して縁あって探索者協会で働くようになり支部長まで上り詰めれば、今度は孫を名乗る者が現れた。また詐欺だと思っても仕方ないだろう。
《翠が疑うのはわかるわ。今まで苦労かけてきたもの。本当にごめんなさいね。でも今度こそ本物なの。兄さんが失踪していた時に持っていた物を全て持ってきたのよ。それに孫だという証拠も見せてもらったわ。私はユウトさんを信じると決めたの。だから翠が何を言っても今回だけは無理よ。あの子は私の養子にするわ。20歳の歳の差があるけど義弟として可愛がってあげてね》
しかし翠の心配は美鈴には届かなかった。美鈴は申し訳なさそうにこれまでのことを詫びつつも、確固たる意志を持ってユウトが秋斗の本当の孫だと言い切った。
「はあ!? 遺品を全部って嘘でしょ!? で、でも盗品の可能性だって! それに孫である証拠ってなに? DNA検査の結果でも持ってきたの? あれだって偽造しようと思えばできるわよ?」
《盗品なんかじゃないわ。兄さんの孫である証拠については私からは言えないわ。おいそれと話せる内容ではないの》
美鈴はユウトが精霊魔法を使えることは黙っているようだ。電話で話して信じてもらえるような内容でもないし、信じてもらえたとしても翠は国が運営する探索者協会の支部長である。万が一国に漏れたらユウトが狙われる可能性があると考えたのかもしれない。
「話せる内容じゃない? どうせ偽物の証拠を見せられて、秘密にしてくれとか言われてるだけでしょ! またお金を騙し取られるわよ!」
《それだけは無いと言えるわ。純金のネックレスや腕輪とか大量に渡されたのよ。最近の金相場はわからないけど、換金したら500万円以上にはなるんじゃないかしら? 詐欺をする相手にそんな大金を渡すかしら?》
「え? それ本当なの!? そうなると……とりあえず私が行くまで養子の話は待ってよ。なんとかして時間作るから」
翠はユウトから美鈴が大金を渡されたということに混乱した。しかしだからこそ余計に怪しいと思った。お金を目的としていないのなら、考えられるのは一つしかない。ユウトが大陸の国の工作員である可能性だ。大陸にほど近いこの大分ダンジョンの支部長をしている翠を脅迫し、再侵攻の際に翠を利用するために母に近づいたのではないか?
あの国ならその程度は平気でやるだろうし、母に渡した貴金属だってスパイ活動費と考えればたいした額ではない。その程度で信用を得られるのであれば安いものだろう。ならば養子にする前に正体を暴き、警察か公安に突き出す必要がある。
《戻ってこなくていいわ。翠は二つ星ダンジョンの支部長になってまだ2年でしょ? この間も私のために帰ってきたばかりじゃない。そんなに頻繁に支部を空けては駄目よ。部下の皆さんに迷惑がかかるわ。ねえ翠……心配する気持ちはわかるけど、今度こそ大丈夫だから。私ももう長くはないわ。あの子は特殊な子だから、死ぬ前に日本で生きていけるようにしてあげたいの。お願いだから好きにさせてちょうだい。あまり長く話していたら仕事の邪魔になるからこの辺にしておくわね。お仕事頑張ってね》
「ちょ、ちょっと待ってお母さん! その男は隣国の工作……あーもうっ! なんで切るのよ!」
一方的に電話を切られた翠は掛け直すが美鈴は電話に出る様子はないし、メールをしても返事が来ない。過去の負い目がるとは言え、これ以上娘にうるさく言われたくないのだろう。そんな母親に翠はこれは重症だ、過去最大級に危険な状況かもしれないと冷や汗を流した。
「もうっ!
机を殴りつけ真っ二つに叩き折った翠は、またやっちゃったと一瞬思いつつも双子の娘のうち次女の楓へと電話を掛けた。
しかし電波の届かない場所にいるというアナウンスが聞こえ、姉の
「なんで二人とも繋がらないのよ。今は夏休みの……あっ! 確か明日まで合宿だと言ってたわね。じゃあ二人が留守の時に来たということか」
翠は娘たちが留守中にユウトが母親の元に現れたことから、ますます隣国の工作員である可能性を疑った。
こればかりはユウトにとってはタイミングが悪かったと言う他ないのだろう。しかし秋斗が異世界に召喚されたことも、ユウトが異世界人であることも知らない翠の心の中では、ユウトは隣国の工作員であることがほぼ確定していた。
翠は豊満な胸を押し上げるように腕を組み、支部長室を歩きながら思考を巡らせた。
「どうしてくれようかしら? 公安に連絡する? でもお母さんがあれだけ信じてるなんて異常だわ。警察や公安が来ても
タイミングの悪いことに明日と明後日は大事な会議があるし、ついこの間、母の病気の検査に付き添うために実家に帰ったばかりだ。頑張ってはみるがそう簡単に休みは取れそうもない。
そう、美鈴は病気だ。しかも悪性の脳腫瘍で、すでに余命一年と宣告も受けている。それゆえ時折激しい頭痛に苛まれている。
悪いことに腫瘍のある場所が手術では取り除けない場所で、それを知った美鈴は抗がん剤治療など全ての延命治療を断った。髪が全て抜けやせ細った状態で病院のベッドの上で死にたくないのだそうだ。翠も孫たちはも少しでも長く生きて欲しいと思い美鈴を説得したが、結局は
そんな余命幾ばくもない母を騙した男を翠は許せなかった。きっと母も余命宣告を受けて気落ちしていたに違いない。そんな時に長年探し続けていた兄の孫を名乗る者が現れたのだ。しかもそれなりに説得力のある物的証拠を持って。相手が国家であれば、その程度簡単に探すことも偽造することもできるというのに。
「なんとか時間を作って帰らないと。でもそれじゃあ手遅れになる可能性があるわね。こうなったら玲と楓にやってもらうしかなさそうね。あの子たちなら男の工作員相手でも大丈夫でしょう。銃にだけは気をつけるように言っておかないと」
魔力を全身にくまなく巡回させることにより、身体能力や耐久力を上げることができる。ただ、銃弾を受けても平気なほど耐久力を上げるにはそれ相応の魔力量が必要だ。それが可能な存在が三つ星ランク、または三つ星ダンジョンを攻略し四つ星ランクとなった探索者である。現役時代、翠はその四つ星探索者であったが娘たちはまだ学生で一つ星ランクだ。銃にだけは気を付けさせないといけない。
娘たちに自分が行くまで対応させることを決めた翠は、さっそく娘たちへとメールを送るのだった。
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