第2話 勇者の孫 興奮する



 東京都には23区の他に幾つかの市がある。八王子市もその一つだ。その八王子市の西端にある高尾という駅から5分ほど歩いた所にある公園に、一人の男がうずくまっていた。


 その男は身長が180センチほどで、身体は若干撫で肩だが胸板は厚く腹筋は綺麗に割れ引き締まっている。肌の色は黄色系で、焦げ茶色の髪はやや長めで特に手入れをしているようには見えない。


 顔は整っているが、髪の色も相まって若干軽薄そうに見える上に目が赤い。着ているスーツはサイズが合っていないため上着は脇の部分や、ズボンが太ももの付け根と尻の部分が破れており中の下着がチラチラどころかほぼ丸見えである。


 そんな一見変質者のような姿をしている彼こそ、異世界『リル』を救った勇者の孫であるユウト・クドウだ。



「ぐっ……これはキツイ……オエッ」


 ユウトは送還陣の放った強烈な光に目が眩み、さらには転移中のいつ終わるともいえない浮遊間に完全に酔っていた。


 しばらく片膝をついたまま目を閉じていたユウトだったが、徐々に視力と気持ち悪さが回復しゆっくりと目を開けた。


「ここは……日本か? 俺は送還に成功したのか?」


 ユウトは少しフラつつも立ち上がり周囲を見渡すと、見たこともない草木が視界に入った。


「細いな……こんな細い木は見たことがない。リルにこんな木はないし、送還には成功したと見て良さそうだ」


 ユウトは手に持っていた祖父の遺骨などを空間収納の腕輪にしまったあと、背後にある公園の木に近寄りしげしげと見つめ呟いた。


 異世界リルにある木は、日本で言うなら神社の御神木くらいの太さが標準だ。公園に生えている木が細く見えるのも当然だろう。


 ユウトは誰か人がいないかと周囲を見渡すが誰もいない。日曜日の早朝ということも影響しているのだろう。


 誰か人を探してここは日本なのか、そして西暦何年なのかを聞こうと公園の外に向かって歩き出そうとした時。やたらとお尻がスースーすることに気付いた。まさかと思い首を後ろに向けると、パンツ丸出しの自分の尻が見えた。


「うおっ! やべえ! 破れてんじゃん!」


 祖父が大事にしていたスーツを破いてしまったことに焦ったユウトは、その場でスーツとワイシャツを脱ぎ空間収納の腕輪からあらかじめ用意していた服を取り出した。


 そして白い長袖のシャツと黒い革ズボン姿へと着替えた。リルよりも気温が高く暑いなと思ったが、今はこれしか着るものがないので我慢した。


 次に黒いブーツを取り出し履き終えたユウトは、脱いだスーツを空間収納の腕輪へと収納した。着替え終えたユウトの姿は、日本を歩いていても違和感がない服装に見える。白いシャツは高ランクの蜘蛛の魔物の糸製で、黒い革のズボンとブーツは黒竜の皮で作られてはいるが。


「これでいいだろう」


 着替え終えたユウトは改めて公園の出口を探すために歩き始めた。すると視線の先のベンチに新聞らしき物が置いてあることに気が付き、ユウトはベンチまで行きその新聞を拾い上げた。


「競馬新聞……おおっ! 日本語だ! 良かった、ここは日本だったんだ!」


 ユウトは日本語で書かれている新聞を見てホッとした。日本語で書かれているということは、ここが日本である可能性が高いからだ。競馬という文字に疑問は抱いていない。リルにも秋斗が始めた競馬大会はあったし、なんなら競艇もあった。競艇は複数人が帆の張った小型船に乗って競争する物であったし、競馬は馬に跨った全身鎧を着込んだ騎士が、他の走者と槍や剣で戦いながらゴールを目指すというものだったが。ところ変われば競技の内容も変わる物なのだろう。


 新聞を手に感動していたユウトは、次に誌面の上部に書かれていた発行日を確認した。するとそこには2050年7月29日と書かれていた。


「に、2050年!? 確か爺ちゃんが召喚されたのが2000年て言ってたから、たった50年しか経ってないってことか? ということは……地球とリルで時間の流れが違っているということか。そのパターンもあるかもしれないと想定はしていたけど……マジか」


 ユウトは残念な気持ちでいっぱいだった。たった50年しか経っていないのであれば、地球に来る最大の楽しみであった人型機動兵器はまだ無いだろうと思ったからだ。


 200年経っていたならあったかもしれない。しかし50年では宇宙にコロニーを作り人型機動兵器を開発などできていないだろう。これでは宇宙戦争のために用意してきた、数々の魔道具が無駄になるではないかと肩を落としていた。


「ハァ、まあ仕方ねえか。日本に来れただけでも良ししないとな。となればだ、これからどうするかだが」


 ユウトは気持ちを切り替えて空間収納の腕輪から一冊の分厚い本を取り出した。本の表紙には『送還後行動マニュアル』と書かれている。これはもしも秋斗とユウトが別々の場所に送還された時のために秋斗が作成した物だ。


 ユウトは目次を開き『無事に日本に送還された場合』という章の中の、『日本の時間経過がリルより遅かった場合』という項目を見つけ指定されたページを開いた。そこにはまず最初に秋斗の実家の住所が書かれており、そして実家に行き秋斗の家族に会うこと。そこでなんとか秋斗の孫であることを信じてもらい、秋斗が合流するのを待つことと書かれていた。どう信じてもらうかは書かれてはいない。実にいい加減なマニュアルである。


「爺ちゃんの実家? ああそうか、50年なら曽祖父母や大叔母おおおばさんが生きている可能性があるか」


 秋斗には5歳年下の美鈴みすずという妹がいた。秋斗が召喚された当時、美鈴は高校三年生で18歳だったので生きている可能性は高いだろう。結婚して家を出ている可能性もあるが、秋斗の両親のどちらかがまだ生きていて家にいる可能性も無くはない。


 そう考えたユウトは書かれている住所に向かうことにした。が、そこがどこかはわからない。それどころかここが日本のどこなのかもわかっていない以上、やはり人を探して聞くべきだと公園の外へ再び歩き始めた。


 公園の入り口から外に出ると、そこには公園の名称が彫られているプレートがあった。


「高尾北自然公園!? ここがそうだったのか!」


 公園の名前を知ったユウトは振り返り公園の中へと視線を向け感動していた。それはこの公園こそが祖父が召喚された時にいた公園だったからだ。


 よく見ると秋斗の描いた自伝マンガ『我が生涯に一片の悔いなし』の冒頭のシーン。会社帰りにバスが来る時間まで駅近くの公園でビールを飲んでいたら、突然足元が光り召喚されたというシーンにあった公園に似ていた。


「そうか、爺ちゃんが召喚された場所か。てことは、ここは高尾という駅の近くか。なら爺ちゃんの実家も近いはずだ。運が良いな」


 ユウトは思っていた以上に目的地に近いことにホッとした。憧れていたとはいえ初めて来る土地なのだ。祖父は大丈夫だとは言っていたが、自らの容貌が日本でどう受け止められるかわからない状態で多くの人の前に姿を晒すのは避けたかった。もう魔族に間違われて騎士に追いかけ回されたくはないと。


 ユウトは今度こそ公園を出て、石畳とは違うアスファルトで舗装された道を珍しそうに見ながら公園沿いに歩き始めた。


 すると公園の裏の出口の付近に一台の車が止まっていることに気付いた。その横では30代前半くらいのガタイの良い男性が、ジュースの自販機でコーヒーを買っている所だった。


 しかしユウトは人を発見したことよりも、魔導車とは形が違う自動車とマンガに度々出てきた自動販売機らしき物に胸を高鳴らせた。そして早足で車の元へと向かった。


「すげえ! これが日本の自動車か! そしてこれが自動販売機!」


「ハハッ、なんだ? 外国人か? 日本車と自販機が珍しいのか?」


 まるで子供のように自動車をペタペタ触り自販機に目を輝かせているユウトに対し、男性は怒るでも無く笑みを浮かべながら声を掛けた。


「あ、悪りぃ。日本に来るのは初めてでさ」


「やっぱ外国の人間か。日本語上手いな、もしかしてハーフとかか?」


 ユウトの日本語はネイティブ並みではあるが、やはり発音に少しだけだが違和感がある。しかし日本に初めてきた人間がここまで話せるのは不自然だ。そんな理由から、両親のどちらかが日本人なのではないかと男性は考えたのかもしれない。


「いやクォーターってやつだな。爺ちゃんが日本人なんだ」


「そうか、だから日本語が上手いのか。それでもそこまで流暢に話せるなんて凄いじゃないか。相当勉強したんだな。日本語難しかっただろ?」


 男性はユウトに日本人の血が流れていることを知ったからか、より一層の笑顔を向けその努力を労った。


「まあね、発音と漢字がホント難しかった。でも日本に来たかったからな。それほど苦じゃなかったぜ」


「おお! 漢字も勉強したのか! そこまで日本に来たかったのか。なんだか祖国を褒められて嬉しいな。ほら、奢ってやるから好きなのを飲め」


 男性は自分が生まれ育った日本に憧れていたというユウトに嬉しくなったのか、財布から小銭を出して自販機に投入した。


「え? いいの? ゴチになります! えっと……このコーヒー無糖ということは甘くないコーヒーってこと?」


「そうだ、苦くて目が覚めるぜ」


「じゃあこれにしようかな」


 ユウトはマンガで見た通りコーヒーの下にあるボタンを押した。するとガコンという音と共に自販機の下部からコーヒーが出てきた。その光景に感動しつつもユウトは出てきたコーヒーを取り出し、これまたマンガに描いてあった通りプルタブを少し苦戦しつつも開けた。


「苦っ! でもこれがコーヒーの味か」


 ユウトはずっと飲んでみたかったコーヒを飲むことができて、自然と笑みを浮かべていた。そんなユウトを見た男性も笑っている。


「なんだ初めて缶コーヒを飲むのか? まあ本物に比べりゃ全然だが、そこは200円だしな。ん? お前目が赤くないか? 寝不足ってレベルじゃねえな……何か目の病気を患ってるのか?」


 男性がユウトの目が赤いことに気付き、病気ではないかと心配している。しかしユウトは自分の目を見て怖がったり忌避したりしない男性の姿を見て、祖父の言っていた通り本当に日本には魔族がいないんだと安心していた。


 となれば自分は病気などではないと男性を安心させなければならない。赤い目のことはコンプレックスであったため、ユウトは日本で目のことを指摘された時の対応を祖父から教わっていた。


 だからユウトは教わった通りに右手で右目を塞ぎ、笑みを浮かべながら口を開いた。


「ククク、これは魔眼だ。我が魔眼に魅入られぬよう気をつけるのだな」


「お、おう」


 男性の顔は引き攣っていた。恐らく内心では厨二病かよと思っているに違いないだろう。それでも口に出さないのは、外国人なら日本のアニメの影響を受けた成人がいても不思議じゃないかと考えたのかもしれない。


「フッ」


 ユウトは厨二病患者だと思われていることに気付かぬまま、目から手を離すと満足げな表情を浮かべた。祖父の言った通りにしたら本当に通用したと、これは使える今後もこうやって対応しようと。そう考えていた。


「そ、それじゃあ俺はもう行くわ。仕事に遅れちまうからよ」


 男性はユウトの表情を見て面倒くさい奴に声掛けちゃったなと思ったのか、話を切り上げ車に乗り込んだ。


「そっか、コーヒーありがとなおっちゃん。あっ! ちょっと待った! 悪いけど実は道に迷ってたんだ。ここに行きたいんだけど、どうやっていけばいいか教えてくれない?」


 男性が車に乗り込む姿を見てユウトは目的を思い出し、手に持っていたマニュアルに描かれている祖父の実家の住所を見せた。


「おっちゃんって……なんだよ迷子だったのかよ。どれどれ……あーここか。ここは歩くには遠いな。確かバスが走ってはず。いいか? まず駅に行ってだな、それから……あれ? どこ行きのに乗ればいいんだったか……うーん、面倒だな。俺の仕事場の方向だし送ってってやるから乗れよ」


「マジで!? いいの!?」


 男性の予想していなかった申し出にユウトは喜んだ。


「ああ、ついでだしここで会ったのも何かの縁って奴だろう。乗っけてってやるよ」


「縁か……助かるよ。じゃあ乗せてってくれ」


 縁というユウトの好きな言葉が出てきたことで、ユウトは軽く頭を下げて礼を言ったあと厚意に甘えることにした。


「いいっていいって、ほら早く乗れよ」


 男性はユウトの感謝に若干照れながらも運転席から手を伸ばし、助手席のドアを開けてユウトに早く乗るように促した。


 そしてユウトが助手席に乗ると車は動き出し、目的地へと向かうのだった。


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