第1話 勇者の孫 送還される



 港でリンドールと別れたユウトは領内にある古代遺跡にやってきていた。


 ここは200年前に祖父が召喚された場所であり、現在は聖地として伯爵家が管理している。


 元は神殿が管理していた遺跡だったが、秋斗が魔王はもういないのだから必要はないだろうと言って接収した。


 世界を救った勇者の言葉に逆らえるものは誰もおらず、この遺跡を中心とした大陸の東側を領地として当時の国王から与えられた。そして秋斗は二度と他世界から人を誘拐させないよう召喚陣を破壊した後に、誰も入れないよう封印した。


 その封印された遺跡の入り口にユウトが立っていた。ユウトはおもむろに懐から鍵を取り出し、入口の扉に差し込むと扉が開いた。この鍵は祖父である秋斗から渡されていたもので、秋斗が健在の頃からユウトは何度も出入りしていた。


 扉を開けて中に入ると所々崩落している広場に出た。その中央をユウトは進み、祭壇らしき物の後ろにある扉を開いた。すると地下に続く階段が現れ、真っ暗なその階段をユウトは踏み外すことなく降りていく。


 階段を降りると今度は通路があり、その通路の左右にそれぞれ装飾された頑丈そうな扉があった。ユウトはそのうちの左側の扉を開き中に入った。扉を開けると中は広い空間となっており、ユウトが中に入ると壁に設置されていた魔導灯が自動で点灯し室内を照らした。


 魔導灯の柔らかな光に照らされたその部屋の中心の床には、巨大な魔法陣が描かれていた。


 これは送還の魔法陣だ。勇者であった秋斗は召喚陣は破壊したが、送還の魔法陣は壊せずにいた。いつか日本に帰りたいと思っていたからだ。しかし魔王を倒す過程で恋仲となった妻たちを残して日本に帰る気にはなれず、子が生まれ孫が生まれてで二百年近く放置されていた。


 その秋斗も齢200歳を超え、愛する妻たちを何人も見送り自らにも死が近づいていることを感じた頃。秋斗の心の中で郷愁の念が強くなっていた。そしてそのタイミングで、お腹を大きくしたサキュバスのハーフである娘のリリーが帰ってきてユウトを産んだ。その後、彼女はユウトが5歳になる頃にリリーはユウトを秋斗に預けてまた放浪の旅に出た。秋斗はそんな娘にため息を吐きつつも、魔族との間に子を作り差別の対象になった娘を守りきれなかった自分も悪いと諦めユウトを育てた。


 父親を知らず、脳筋で自由人の母は数年に一度程度しか帰ってこない。そんな環境で育ったユウトは当然の如くお爺ちゃん子になった。そして祖父の故郷である日本に強い興味を持った。祖父が描いた日本のマンガを読み漁り、いつか日本に行ってみたいと言って日本語まで覚えた。


 そんな自分の生まれ故郷を好きになってくれて、行きたいと言ってくれる孫を秋斗は日本に連れていってやりたいと思うようになっていった。ユウトなら日本人と見た目もそう変わらないし大丈夫だろうと。日本には茶髪も結構いるし、染めたといえば問題ないだろう。赤い目はカラコンとか言っておけば厨二病の患者だと思ってもらえるだろう。そう思った秋斗は孫のために送還に必要な魔石を集め始めたのだった。


 魔石を集めつつも秋斗はユウトに剣術と体術も教えた。そしてユウトが10歳になる頃にはダンジョンで戦わせ始めた。それが可能だったのは、ユウトが秋斗の持つ固有魔法の中でひときわ強力な魔法を受け継いでいたことを知ったからだ。


 そうしてダンジョンで実戦経験を積ませ、ユウトが15歳になった頃には二人でA級やS級ダンジョンに潜り送還に必要な魔石を集めることができるようにまでなった。



 送還の魔法陣の中心には赤子の頭部ほどある赤や青など様々な色の魔石が数十個ほど置かれており、魔法陣の周囲にも拳大の魔石が数え切れないほど置かれている。これらは長い時間をかけて秋斗とユウトの二人で集めた魔石の数々だ。


 ユウトは魔法陣の中心に向かい、祖父から譲り受けた腕にはめてある空間収納の腕輪から新たに3つの赤子の頭部ほどある魔石を取り出しそこに置いた。これはここ1~2ヶ月のうちにユウトが一人でS級ダンジョンに潜り、その最下層のボスを倒して得た魔石だ。


 勇者の固有魔法を受け継ぎ、魔王を倒した勇者によって鍛えられたユウトはこの世界でトップクラスの実力を得ていた。トップでないのは一族に同等の強さを持つ者がいるからだ。精霊神の加護を持つダークエルフのハーフである叔母と、叔父のリンドールと戦って確実に勝てるイメージがユウトには湧かなかった。全ての属性の精霊王と戦うなど悪夢以外何者でもない。


 ユウトは魔法陣の中心に魔石を置いた後、部屋の隅にある二つの机に向かいその机の前で立ち止まった。


 机の上には大量の紙束があり、壁には大雑把な日本の地図とかなり適当な世界地図。そして月と書かれた黄色い星が描かれた紙が貼られていた。月が描かれている紙にはユウトが幼い頃に描いた、宇宙船のような物に乗っている秋斗とユウトの似顔絵があった。その横にも『ガンドム』と『サク』と書かれた、白と赤の人型巨大兵器を操縦する秋斗とユウトが描かれている。


「爺ちゃん……一緒に行きたかったな」


 壁に貼られた地図をしばらく見つめていたユウトは、涙ぐんだ声でそう呟いた。


 ユウトの頭の中には祖父とこの部屋で日本に行ったらどこを観光しようか? 世界が滅んでいたらどうしようか? 魔法が使えることがバレて世界中の国に狙われたらどうしようか? 征服しちゃうか? などと少々物騒ながらも楽しく語り合っていた頃が思い浮かんでいた。


「もう少しで魔石が集まったのに……一緒に日本に行こうと約束したじゃないか。なのになんで……なんで天上の夢魔宮殿で……しかも12時間耐久花びら大回転なんかに挑んだんだよ」


 天上の夢魔宮殿。そこはサキュバス族が経営する人気の娼館の名である。この娼館のある街は、人間と和解したサキュバス族が150年前に二つの大陸の中間地点にある島に作った街に存在する。


 サキュバスの妻を持つ勇者秋斗も街の開発に関わっており、多額の資金を投資して生涯娼館の利用料無料の権利を得ていた。ユウトも精通すると何度も連れていかれ、二人でお気に入りのサキュバスを取り合って喧嘩したこともある。


 その天上の夢魔宮殿で、同族のインキュバス用の特別なコースがあった。それが12時間耐久花びら大回転コースだ。その存在に気づいた秋斗が無謀にもそれに挑戦した。そして物言わぬ骸となって帰ってきた。ただ、その顔はとても幸せそうな死に顔であった。


 一族の者は誰もサキュバス族を責めなかった。ユウトの母など大笑いしていたくらいだ。正妻でエルフのララノールは泣いていたが、それは悲しみの涙ではなくあまりに情けなくて泣いていただけだった。孫やひ孫たちもとても微妙な顔をしていた。


 最愛の夫の死をあっさり受け入れたララノールは、サキュバス族に必死に口止めをしたり忙しく働いていた。召喚された勇者が魔族の経営する娼館で腹上死など洒落にもならないし、魔王を倒した勇者が魔族に殺されたなどと噂が立ってはサキュバス族のためにもならないと。サキュバス族の族長は顔を青ざめさせながら首を縦に振っていた。


 そうして口止めに成功したララノールは王家に秋斗は老衰で死んだと伝え、全世界の人々は世界を救った勇者の死を悼んだ。王国による国葬には全種族の長が参列し、勇者秋斗は何百万人もの人に見送られた。そして葬儀が終わりその年のうちに秋斗と仲の良かった国王が急死した。国民はきっと国王様は幼い頃から尊敬していた勇者様の後を追ったのだと。今頃天界で楽しく語り合っているだろうと話していた。


「勇者とはいえ人族の身でアレに挑むとは、勇者じゃなくて蛮勇者じゃねえか」


 ユウトは祖父の死を悲しんだが、同時に大好きな祖父の命を奪った天上の夢魔宮殿へ復讐を誓った。そして天上の夢魔宮殿に行き、これ以上勇者の一族を死なせるわけには行かないと拒否する経営者のサキュバスに、自分がどうなっても責任は追求しないという誓約書を書いて渡し半ば強引い12時間耐久花びら大回転に挑んだ。


 そしてユウトは見事このコースを最後まで乗り切り復讐をやり遂げた。その経験からアレは人の身では無理だと、なぜ挑んだんだと祖父への怒りが込み上げ強く拳を握りしめた。


 ユウトはサキュバスのクウォーターである。しかし種族魔法の魅了を発現させることはできない。が、男性のサキュバス。つまりインキュバスの持つ種族特性の『絶倫』は持っていた。ゆえにギリギリだったが、インキュバス専用のコースを耐えることができた。そんな絶倫のユウトでも死を覚悟したコースを人の身で、しかも齢200歳を超える祖父が耐えられるわけがないと。なぜ腹上死するまで挑んだのだと怒っているのだ。他人から見れば似た者同士なのだが……


「ハァ……まあ約束だ。俺一人で行くしかねえか」


 ユウトは祖父と起こり得る様々な状況の話し合いをしていた。その中には必要魔石が集まる前に秋斗が寿命を迎えてしまう場合も想定されていた。この場合はユウトが一人で残りの魔石を集め、秋斗の遺髪と分骨した遺骨と遺品の一部を持って日本に向かうというものだった。


 これらは祖母のララノールに前もって話してあり、遺髪と分骨した骨はララノールが用意し渡してくれた。その際に”あの人を故郷に帰してあげてね。そしてユウトも元気でね”と涙ながらにユウトを抱きしめていた。秋斗が死んだ時は情けなさでいっぱいだったようだが、時間が経つにつれて伴侶を失った悲しみが湧いてきたのだろう。ララノールは秋斗が他界してから元気がなくなっているようだった。


 覚悟を決めたユウトは机の上の紙束や、壁に貼ってあった地図などを全て空間収納の腕輪に収納した。この腕輪は生物以外の物を無限に収納でき、しかも腕輪の中では時が止まるという国宝物の腕輪だ。現に世界にこの腕輪は3つしかなく残りの二つのうち一つは王家に、もう一つはクドウ家当主が保有している。


 祖父である秋斗が持っていた空間収納腕輪の相続に関しては、腕輪の中には秋斗がユウトと日本に行った時のために集めたアイテムが大量に入っていること。そして秋斗が自分にもしものことがあれば、腕輪はユウトに譲ると跡取りのリンドールに伝えていたことでスムーズにユウトの物となった。


 空間収納の腕輪に机の上の物を全て収納したユウトは、その場で身につけていたローブと着ていた服を脱ぎ始めた。そして下着姿になったあと、空間収納の腕輪からスーツとネクタイ。そしてカバンを取り出しそれを着用した。次に祖父の遺骨が入った骨壷と遺髪を取り出し左脇に抱えながら送還の魔法陣へと歩き出し、中央にある魔石の山の前に立った。


 これは祖父である秋斗が他界していた場合にやるよう指示されていた方法だ。召喚された本人以外は送還の魔法陣が反応しないのではないかという危惧から、秋斗が死んだ時は秋斗が召喚された時に着ていたスーツを身につけ、遺髪と分骨した骨壷を持てば血が繋がっている者であれば送還陣も反応するのではないかという考えから実施するように言われていた。


 とは言っても秋斗が召喚された時の体型は細く筋肉も必要以上についていなかった。いくらユウトが秋斗が召喚された時に近い年代とはいえ、身長はユウトの方が高い。さらにここはダンジョンのある世界だ。幼い頃から祖父によって鍛えられ、戦うために必要な全ての筋肉がついているユウトにとってワイシャツは小さく前のボタンは完全に閉じることができない。さらにはスーツのズボンも上着もピチピチで、ズボンの丈も短く足首が丸見えだ。ネクタイなど結び方を忘れて首に巻いているだけだが、一応は着ているので条件は満たしたと言えるだろう。


 そんなほぼ裸にネクタイを首に巻き、足もとから脛を覗かせている不審者丸出しの格好で送還陣にたったユウトは深く深呼吸を始めた。


「やっとだ……やっと日本に行ける」


 ユウトは幼い頃から憧れていた日本にやっと行けることに胸が熱くなった。一族の者たちや領民たちは優しくしてくれていたが、魔族の血が流れるユウトにとってこの世界は生き辛かった。そんなユウトに魔族という種族がいない日本という世界は輝いて見えていた。


「日本に行けば俺にも彼女ができる。もう素人童貞とはおさらばだ」


 魔族は忌避されている。魔王に率いられ魔界からこの世界に現れた時から今に至るまでの彼らのしてきたことを見れば当然だ。魔族のなかでもサキュバス族のように人間と和解した種族もいるが、それはごく少数だ。そんな赤い目が特徴の魔族の血を引いているユウトは、当然この世界の人間の女性からは怖がられなかなか恋人ができなかった。


 そんなユウトが魔族のいない世界に希望を持つのは当然だろう。エルフだけではなく美男美女の多いこの世界で普通の顔ということは、日本なら間違いなくイケメンの部類に入る容姿だ。そのことを祖父から聞いたユウトが、日本ならモテモテになれると考えるのも仕方ないだろう。


 ただ一つ残念なのはここに祖父の秋斗がいないことだ。最期は盛大なポカをやったが、秋斗はユウトにとっては師であり尊敬する祖父だ。そんな祖父と一緒でないのは本当に残念だが、夢にまで見た憧れの日本にやっと行けることにユウトの胸は徐々に激しく高鳴っていた。


 何度か深呼吸をして興奮する気持ちをいくらか抑えることに成功したユウトは、空間収納の腕輪から紙を取り出した。そして送還陣が発動するのを願いながら送還陣に魔力を流し、取り出した紙に書かれている文字を読み始めた。


『アル・エ・ラダム・ユーア……』


 短くそれでいて歌うように読み上げられたその言葉は古代語で、秋斗が神殿から聞きだした送還の呪文だ。この呪文を唱えながら送還陣に魔力を流すことで、陣が起動するとユウトは祖父から教わっていた。


 ユウトの魔力が流れた送還陣は呪文の詠唱と共に薄っすらと光り始めた。そして陣の中心にある魔石とその周囲にある魔石から急速に魔力が失われていき、次の瞬間。送還陣が眩い光を放ち部屋中を照らした。その最中に『うおっ!眩しい!』という声と共にビリッと何かが破れる音がしたがそれすらも光の奔流が呑み込んでいった。


 そして光が収まった頃、送還陣の中央にユウトの姿はなかった。

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