fuga (中)


 ハニワはゆっくりと話し始めた。

「一般に人工知能(ここでは〝科学〟を〝人工知能〟に読み替えて、その前提の上で話を進めますね。要点をきみの関心事に絞るためです)と呼ばれるものが、この世界においてどのような役割を持つか、もっと言えば、この世界の歴史をどのように変えてしまったのか、或いは変えてしまうのか。こうした凡百な期待や恐れに当面する度に、私は心の中で密かに次のような解釈を用意するわけです。つまり、人工知能は歴史のフーガ的性質をカノン的なものに(最終的にかつ決定的に)変質させてしまう(しまった)のだという解釈です。甚だ抽象度の高い解釈ですから、これはあくまで私の持つ考えの外観、結論に至るまでの第一階梯だと思っておいてください」

「本当にそのさわりからシンプルな見解が導けるのだろうね」

 私は訝しげにそう聞いた。

「まあ、気長に待っていてくださいよ。ところできみはさっき〝怖かった〟と言いましたね? それは人工知能に対する言葉と捉えてよいですか?」

「差支えない。が、俺は別に人工知能にだけ恐れを抱いているわけではないよ。我ながら不甲斐ない話だけれどね、科学全般といった方がよいか、或いは科学的な観念全般、と言った方がよいか。しかし、当面の俺の一番の関心事は人工知能にあるというのは確かだから、そう捉えてもらってもとりあえずは問題ない」

「ふんふん。で、率直に聞きますが、何が怖いのですか?」

 私は言葉に窮した。どのような説明の仕方を試みても惨めな感じが漂ってしまうような気がした。しばしば創作者は、己の惨めさにさえも装飾を凝らして立派に芸術的に見せかけようとする。己の弱点を憚りなくさらしてしかもそれで以て他者の共感を得ることにはどこか性的な陶酔があるが、このやり方のなんと破滅と隣り合わせなことか!

 私は意地を張ることを諦めた。

「俺の抱く恐れには色々なグラデーションがあるから、一概にこれだとは言えないよ。一つには本能的なもの、一つには俗的なもの、また一つには、こう、何か、高貴とさえ呼べる思想的なもの……日常の糧に対する不安から、名誉欲に関するもの、それからもっと高次の、生きる理由とか呼ぶもの。俺の抱く恐れは、例えば生存に関する恐れに近いのかもしれないが、こう、端的に言ってしまえば……すべてのものが奪われてしまうかもしれないという恐怖、とでも言おうか。ああ、なんだ、こんな迂遠な言い方はせずに、はじめからそう説明するべきだったな……彼らは俺から芸術を奪ってしまうのではないか。もし俺が書くことを奪われたら、俺は俺である理由を失ってしまうに違いない」

「待ってください、きみがプロの職業作家ならその憂いも幾らか妥当かもしれませんが、腕を捥ぎにくるわけでもないのに、どうして人工知能がきみから芸術を奪うことができるのですか? いや、いいんです、分かっていますよ。私はきみ個人の立場の問題と、芸術それ自体の問題とを分けなければならない。初めにきみの抱く恐れの理由を聞いたのもそのためですから。つまり、問題意識の所存です。しかし、今から私たちが話すのは、歴史の必然、事実が提示するものについての一つの表現にすぎない。きみの問題意識に合致する解が導けるかは請け合えません」

 私はうなずいた。

「もっともなことだ」

「そのことを踏まえて、きみの恐れについてですが、きみはきみの恐れに正当な問題意識の在処を認めていますか?」

「当然、認めている。多分おまえはこのように問いたいに違いない。つまり、俺の抱く問題が俗的な焦慮、例えば、人工知能の存在が自分の文学的立場に不利益を与えるかもしれないとかいう憂いに触発されたもので、そのような非芸術的な態度の隠匿という奸計をめぐらして、思想的な恐れだとかいう傍目高尚な題目を唱えているに過ぎないのではないか、ということを。俺はこのことについて直接は弁解しない。ただ、自分の書いたものが読まれないという状況が実現したとすれば、それは問題だ。もっと正確に言えば、自分の書いたものが読まれないかもしれないという仮定の有り得るという事態が問題なんだ。なぜこれが問題と言えるのか。それは、(はっきりと断言するが)他者の存在を仮定しない物書きなどいるはずがないからだ。色や音を用いるならまだしも、俺たちは言葉を用いている。他者の存在を仮定しない言葉などない。もし仮に、自分のためだけに書く人間が有り得たとしよう、しかし、他者を顧みない芸術が果たして芸術たり得るだろうか? 孤独は芸術の原理だ。他者を夢見ていなければ孤独はあり得ない、別様に言えば、他者が全くいないのなら、孤独だって無用になるだろう。自分のためだけの創作、真の孤独のための創作、なるほど、これはまことに至純な芸術的活動に違いない。しかし、やっていることは同じさ。いくら孤独を志向し、孤独の中に真実を認め、それを求め突き進んでも、そのような意志によって彼もまた他者へと至ろうとしているんだ。孤独の原理は他者だ。そして、他者の存在は、当然書く人間の創作意欲の原理としても働く。このことを理解せずに、文学者の自己顕示を云々する輩はへっぽこだ。まあ、話を戻して、そのような仮定(自分の書いたものが読まれないかもしれないという仮定)があり得る事態とはいったいどのような事態か? これは芸術の存在意義そのものとも直結している。おまえは芸術の存在意義とは何だと思う?」

 ハニワは猶もうちわで私の側を扇ぎながら、頬杖をついていたもう片方の手の人差し指を今度は顎に当てて、思案する仕草をした。

「私は芸術を愛する一個人ですから、そのような個人的な側面からは色々と言えることはありますが、そうでなくても、経済的な面や当然文化的な面からも、如何様にでも言えてしまいそうですね。同様に、芸術が要らないという主張だって、如何様にも言えてしまうでしょう。しかし、きみが訊いているのはこのようなことではありませんね……ごめんなさい、すぐには思いつかないです」

「いや、いいんだ。穏当な答えだ」

 私は彼女からもらったスポーツ飲料をぐっと飲み干した。のどが渇くのは単に暑さのせいだけだろうか。

「俺の考えはこうだ。芸術の存在意義は世界の価値の底上げにある。本来存在しない価値を創造する営為を俺は芸術と呼ぶ。醜や美といった観念は、後から付される価値のラベルだ。単なる存在物なんぞには醜も美もないと考えるのが普通だろう? しかし芸術家はそこから何らかの美的形象を導き出そうと思案するんだ。これはちょうど機械の設計者が、金属の塊に形態を与えて、その形態の付与によってある一つの目的、形態の持ちうる能力の顕現を可能にするやり方と似ている。はじめ、芸術家と機械設計者の頭の中には、イデア、と呼ぶ程純粋で原初的なものではないにしても、何らかそれに類した観念がある。観念とは本来不可能なものだ。距離的無限や時間的永遠、〝完璧〟という二字で修飾されたあらゆる名詞、例を挙げればきりがないが、これらの観念が観念として存在しうるのはそれらが不可能であるからだ。これら不生不滅の観念を形態の持つ〝特徴〟として憑依させれば、そこに何らかの作品なり機械なりが産み落とされる。不可能が実現すると、つまりそれは可能ということになるが、観念が可能の状態として実現しうるとすれば、それは紛れもなく観念的な意味合いにおいてであるはずだ。可能と不可能の再帰的参照関係だ。話がわき道にそれたが、つまり、俺の言わんとしていることはこうだ。芸術は不可能の還元によって世界に価値を齎す、ということだ……ん、どうかしたか?」

 彼女がうちわを扇ぐ手を止めて、どこか曇ったような顔をしたので、何事かと思い私は話を止めた。

「いや、何でもないです。続けてください」

 彼女はまた扇ぎだす。

「そうか……どこまで話したか」

「不可能の還元によって価値を齎す……」

「ああ、そうだ、そうだ……そして、自分の書いたものが読まれないかもしれないという仮定の有り得る事態、ということについてだが、これはいったいどのような事態であるか。端的に言えば、それは今話した〝芸術の意義〟が失われた事態のことだ」

「分からなくなってきたな。きみの今話した〝芸術の意義〟の定義から言って、果たしてそれの消失ときみの問題としている〝事態〟とに、いったいどんな関係があるのですか?」

「そうだな、なんと言おうか。今俺が話したのは芸術についてのひとつの方法論だ、不可能の観念から特徴づけられた形態を導くというある種のプロセスだな。俺はこの考察からひとつの面白い仮説を導いた。つまり、存在することの不可能性という仮説だ。おかしな話だと思われるかもしれないが、俺はまじめだよ。どういうことかというと、存在すること、とは、ひとつの形態を持ちうるということだが、あるひとつの意味づけされた形態が観念の可能を表現し得るものなら、それは俺がさっき話した通り、それ自体の不可能性によってその形態の価値が担保されなければならない。ややこしい言い方になってすまないが、つまり、存在することそれ自体が、不可能と可能の再帰構造の軸となって回転し、可能と不可能が存在を中心に混然一体になって、そのような状況それ自体の不可能性のために、存在することもまた不可能になるという……」

「ふんふん。ハイデッガーでも読みましたか? そんなものは意味のない観念遊びですよ。ふふふ」

「まあ、そう言ってくれるなって。重要なのはここからだ。こんな思考のドツボにはまってから、俺は改めて存在の定義について考え直した。これ以上この線で思考を進めるのは虚無だと俺も思ったからね。俺はさっき、『存在すること、とは、ひとつの形態を持ちうるということ』だと、軽々にそう措定したが、恐らくここに俺の迂闊さがあった。例えばそこらへんに落ちている石ころ、この石ころは(誰かに意図されたものでないにしても)確かに形態を持っている。しかし、この石ころの形態は、いったい何らかの観念の不可能性を担っているだろうか? 以前の俺なら迷わずにノンと答えただろう。しかし、それは迂闊だった。そこらへんの石ころでも、俺の認識を透過することで一つの表現たり得てしまうという事実を俺は見落としていた。さらに言えば、石ころを一つの表現と見做すことができるように、そのように表現する認識でさえ一つの石ころのような事物として見做すことができるということを見落としていたんだ。俺だってフロイトくらい知っている、アンフォルメルの潮流だって、知らないわけではない。しかし、俺が表現に使うのは色でも音でもなく、言葉だった。これが知れず俺の弱点になっていた。例えば、アンフォルメルな文学というものがおまえには有り得ると思うか? 俺には到底あり得るとは思えなかった。アンフォルメルなんてものを、悟性を官能にする言語芸術でやってしまったなら、こんなにも愚かしいことはないだろう? 理性を出し抜いて、文体に人間本然を表すなんてことは、俺には成しえないと思う。よしんば己の理性を瞞着して無理にでもそれを成そうと思っても、結局は嘘寒い狂人の真似事になるのがおちだろうさ。しかし、現実的に可能かどうかという問題と、原理的に可能かどうかという問題は、全くの別物だ。くそ、また話がそれたな」


♪♪♪♪


 私は自分の思考が一向に着地点を見出さないことに苛立ちを覚えながら、手に持っていたペットボトルを口につけた。が、先ほど飲み干してしまっていたためそれは空だった。

 ハニワはそんな私の様子を見ると、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、まだ冷えている自分の分のペットボトルを私に差し出してきた。

「飲みますか?」

 私は彼女の手からそれを奪い取ると一気に飲み干してやった。

「こんなことにいちいち動揺する歳でもない」

「さっきはあんなに顔を赤くしていたくせに……そのペットボトル、最後に飲んだ人が処分してくださいね」

 言いながら彼女は不満げな顔をしたので、私は気分が良くなった。

 私は空になった二つのペットボトルのキャップの部分をマラカスのようにして両手で持ちながら、話をつづけた。


「つまりだ、つまり、芸術は不可能の還元によって世界に価値を齎すものだが、芸術はその方法論については殆ど一切頓着しない、ということだ。しかし、方法論に頓着しないのは、芸術という観念それ自体の逆説的特徴に過ぎない。というのも、芸術それ自体と芸術家は、直接には関係がないからだ。なぜなら、不可能を還元する方法論と、芸術家の営為は、必ずしもイコールで結ばれているというわけではない、いや寧ろ、石ころの例を取ってみるまでもなく、イコールで結ばれていないことの方が多いとさえ言えるからだ。俺はこの事実に目を見張った。もし俺の考えが正しいとしたら? 芸術の原理たる孤独はどうなる? 孤独の原理たる他者はどうなる? はっきり言ってしまえば、そんなものは石ころ同然のゴミになるだろう。芸術と芸術家がイコールでなければ、どうして芸術が孤独の原理たり得るだろうか? 芸術の原理が孤独であり得るのは、芸術と芸術家がイコールで結ばれているときのみだ。それでもやはり、芸術の原理が孤独であると言えたのは、今までの場合、石ころの例なんて、(特に俺のような書く人間にしてみれば)本当にどうでもよい、とるに足らないことだったからだ。ここまで言えば分かるだろう。つまり、人工知能というのは、俺からしたら、本当に不気味な程立派な、よくできた石ころなのさ。人工知能は他者を入用としない。つまり、孤独を原理に持たないわけだ。しかし、人間は通常そのことに想到することはない。よくできた石は、無論よくできた石に見えるだろうし、その出自などに鑑賞者は関心がない。ある古典音楽の傑作が人間の耳に入るときに、それの正体が空気の振動であり、その振動は波の式として表現でき、フーリエ変換によってパラメータの異なるいくつかの正余弦波に分解できる……と言った具合のことをいちいち考え理解することがないのと同じように。逆に、人間は、そのように分解された個々の正余弦波を音楽の一要素だとは認識しない。人間は数兆個の細胞の集合だが、人間を見てあれは数兆個の細胞の塊だと言うことはないし、その細胞のひとつを取って、これは人間であると呼ぶこともない。同じように、芸術と芸術家も認識のレベルでは十分に分かたれているのだから、それこそ石ころの出自に大した関心が向けられないというのは避けられることではない。そうして、俺の書いた小説も、数夥しい石ころたちのなかに、碌々として埋もれていくのさ。他者を必要としない人工知能という名の怪物の作り出す石ころたちのね」

 言い終わると、私は一息ついた。ハニワは扇ぐ手を止めると、うちわで口許を隠すようにしながら、つぶやいた。

「ん、なんとなく、分かったかな」


♪♪♪♪


「疲れただろ、貸せよ」

 私はハニワの手からうちわを受け取ると、今度は私が彼女を扇いでやった。

「いくつか質問をしてもいいですか?」

 彼女は私の送る風に目を細めながらそう訊いてきた。

「もちろん」

「きみは存在の定義にまで疑義を挟んでいたようですが、そこまでしておいて、どうして最後まで孤独と他者の必要性については疑うことをしなかったのですか?」

「こればっかりは論理ではないんだよ。つまりね、俺が必要と感じるから、必要なんだ。なぜなら、もし仮に俺が芸術において、孤独や他者なんてものは全く不要だと、そういう結論を論理的にも感情的にも導き果せたとして、そうなったら俺はもう一切書くということをやめてしまうだろうからなあ」

「なるほど。まあ、きみのその気持ちは理解できますよ。きみの抱く恐れの正体も、問題意識の所存も、なんとなく理解できました。でもね、まだ分からないことがある。特に、どうしてきみは自分の作品をわざわざ機械学習にかけようだなんてことを思いついたのか。これが分からなくなっちゃった。さっきは『敵を知り』だなんてことを言っていましたが、あれは本当ですか?」

「本当だよ。他に何があるというんだ」

「そうですか……」

 彼女は納得がいかないといった風にそうつぶやくと、また例の冷たい無表情を作って心持ち俯いた。


♪♪♪♪


 いったい今は何時ごろだろうか。人の行き交いは未だ衰えることがない。私はうちわを扇ぐ手がだんだんと怠くなってきたので、ついその手を止めた。するとハニワがすかさず文句を垂れてきた。

「私が一体何分扇ぎっぱなしだったと思っているんですか。もうちょっと根性見せてくださいよ!」

「その体力を少し分けてくれればな……」

 私はしぶしぶまた扇ぎだした。彼女の前髪が風に揺れて、汗で額に張り付いた何本かの髪の毛が見え隠れした。わざとらしく怒りをあらわにした彼女の表情がおかしくて、ついつい私は少し笑ってしまった。

「私の顔に何かついていますか?」

「いいや、何でもない、続きを話そうか。まだ俺は、おまえのシンプルな見立てについての説明を受けていない」

 どこか釈然としないといった様子ではあったが、彼女はその顔に凪いだ水面の反映を取り戻すと、話をつづけた。


「きみはさっき私に、芸術の存在意義について質問しましたね? それではお返しです。きみは科学の存在意義はなんだと思いますか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る