第1話
中村宗助は定食屋でランチを済ませたあと、スマートフォンを取り出して、二か月前に完成した自分のホームページを見ていた。トップページの文章は宗助が考えたものだ。
定食屋を出てから宗助は駅前にあるカフェへ歩いていった。
依頼人に電話をかけると、窓ぎわの奥から二つめの席にいます、といわれた。
そこには、グレーのスーツを着たOL風の女性が座っていた。
宗助は軽くあいさつをして、紅茶を注文した。女はコーヒーカップのふちについた口紅を、紙ナプキンでぬぐいながらいった。
「はじめまして、わたしは、豊崎奈美と申します。――先日あなたのホームページを拝見して、メールをさせていただいたんです」
「効果があるものなんですね、ああいうホームページって」
「そうですね。指輪を探さなきゃ、って必死でしたから。婚約指輪をなくしたなんて、彼になんていえば……。だから、友達に探すのを手伝ってもらったり、占い師に相談したり。それでも出てこなくて。……ああ、そこで出会ったのが、あのホームページなんです」
「報酬は、ホームページにも書いてありますが、探すべき物の価格の、五分の一です。それに、手間賃が一万円かかります。彼に、婚約指輪の価格を確認いただけますか? いや、それは冗談。まあ、指輪の価格は三〇万円ということにしましょう。そんなものですよ、今の時代は。三〇万円を五分の一にすると六万円です。それに手間賃を入れて――つまり報酬は、七万円ということです。よろしいですね? 七万円を用意して、一週間後にこの店へ来てください。そうすれば、あなたは大切な婚約指輪を取り戻せる、というわけです」
「そんなに簡単に見つかるんですか? わたし、いろいろな場所を探したんです。お風呂やトイレも、台所や会社のデスクも……。わたし、一時はもう、生きているのがいやになってしまったほど。ほんとうに、それくらい思いつめて……」
「死ぬ、ですって? ――見つかります、大丈夫です」
奈美は意外そうに目を広げた。
「わたし、まだどんな指輪かもいっていませんよ」
「問題ありません。それより、あなたのお名前を――漢字を正確に教えてください」
そういって、宗助は紙ナプキンを広げて、ボールペンを奈美に渡した。
翌日、宗助は車に乗って県道を北に向かった。『久魯川市森林公園』という看板がある場所を左にはいり、しばらく行った。
両脇の杉林は真夏の日差しを浴びて青々と輝いている。ハイキングにやってきた人々を車で追い抜いて進んでいくと、駐車場にはいった。
『豊崎奈美』と書かれた紙ナプキンを確認して、それを四つ折りにしてズボンのポケットにしまうと、宗助は車をおりた。
ハイキングのコースをしばらく進むと、目印にしている大きなミズナラの木があった。
このミズナラの木に近づくとき、いつも宗助は寒気を覚える。
自分はろくでもない、罪深いことをしているのではないか、と。
いつか天罰がくだるのではないか、と。
(とはいえこれは、自分にしかできない、ひとのためになる立派な仕事じゃないか)
そんな風に自身を説得して、これまでやってきたのだ。
あたりに人の気配がないことを確認してから、通常のハイキングのコースをはずれ、宗助は草むらの中を歩いていく。草いきれの蒸す中を進むと、どんどん薄暗くなっていった。
空はどんよりと曇り、今にも降り出しそうだった。
宗助が『失せ物の森』と呼ぶこの一画は、いつでも仄暗い。それに、一画と呼ぶには、あまりに広大な場所だ。整備された森林公園の中に、なぜこんな場所があるのか、宗助には理解できなかった。
柔らかい地面には腐葉土が広がり、ところどころにちいさな沼が見える。
それに、陰気な木々がそこいらに立っていた。
周囲にそびえる杉林に囲まれるように、骸骨みたいに痩せた、黒ずんだ樹木がそこかしこにある。
木には、葉や果実の代わりに、様々なものがぶらさがっていた。
人形や枕、手紙や包丁。そういった小ぶりなものもあれば、自転車やミシンなど、大きなものもあった。あるものは蔦に絡まり、あるものは枝に載り、という具合だ。
そして木々の根元には、白いプレートが立っていた。
ハイキングのコースでよく見られる、木の名前の書かれたちいさなプレートのようだった。
そこに書かれている文字は、名前にはちがいがないが、樹木の名前ではない。
宗助はポケットから紙ナプキンを取り出し、名前を確認して、顔を思い浮かべながら呼んだ。
「豊崎奈美」
すると、沼を越えた向こうのほうで、一本の木が枝をゆすった。風などは吹いていないにも関わらず。
宗助は沼を避けて、スニーカーの底をべちゃべちゃと鳴らし、歩いていった。その木に近づいてプレートをたしかめると、『豊崎奈美』という名前が書かれていた。
顔を上げると、目の前に小枝が突き出していた。先端には、ダイヤモンドらしき宝石が埋め込まれた指輪がかかっていた。宗助は指輪を枝の先から抜き取り、ポケットに入れた。
帰りぎわ、宗助はふと、足を止める。
なぜ自分が立ち止まったのか、しばし考えるが分からない。
こんな呪われたような異界など、すぐに脱出したいはずなのに。
ふと右脇に目をやると、一枚の白いハンカチが枝にかかっていた。
ハンカチは桃色のレースで縁取られ、生地の端には蝶の刺繍があしらわれていた。
宗助は息を呑んでかがみ込み、その木の根元にあるプレートを無意識に読み上げた。
「中村美樹」
それは一四年前に死んだ妹の名前だ。宗助はしばらく、そのハンカチを持ち帰るべきか悩んでいた。
『失せ物の森』というのは、あくまで宗助がつけた名前にすぎない。そこを見つけたのは、偶然のことだった。
二年間勤めた会社を辞め、仕事を探しながら趣味の写真にはまっていた時期のことだった。
ある日、この森林公園を歩きまわっているうちに、ひときわ大きなミズナラの木の近くで、紫色の蝶を見つけた。彼は蝶を追いかけ、茂みを越えて、下生えを踏み分け、進んでいった。そこでとうとうこの一画にたどりついたのだ。なんどか通ううちに宗助は確信した。『ここは、失ったものがたどりつく場所だ』と。
「あなたのなくしたものは、これですね」
宗助は奈美の眼前で茶封筒を傾け、自身の左手に指輪を載せた。奈美は口をつけていないコーヒーカップを横へ押しやり、「失礼します」そういって指輪を取り上げた。
まじまじと指輪を眺める彼女をよそに、宗助はカフェの窓から見えるプラタナスの木へ顔を向けていた。奈美の嘆息とちいさな悲鳴が聞こえるが、そんなものに興味はなかった。
あるいは、自分が詐欺まがいのことをしている気がして、正面から客の感動を受け止めるには、あまりに後ろめたかったのかも知れない。
そんな気配を感じてか、控えめな声だった。
「ありがとうございます。これで……」
宗助は奈美に向き直り、続きの言葉を待った。
結婚できます。彼に面目が立ちます。安心して眠れます。
それらのいずれも聞こえてはこなかった。
「いえ、礼にはおよびませんよ。僕は物を探すだけですから。そこまでしかできません」
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