第19話 大商人の孫娘の心は躍る

 ジェフリーの二度目の遁走と出奔に振り回された王宮も徐々に落ち着きを取り戻してきた。


 そんな時にその声は上がった。

「大変ですっ! アミリア王女がどこにもいませんっ!」


 ざわざわ


 ざわつきがぶり返す。


「まさか、他国の諜報部員にかどわかされたんじゃあ」

 真っ青になる内務大臣。


(いや、アミリアあの子に限ってそれはない。逆に返り討ちにする)

 エリザは反射的にそう思ったが、口にはしなかった。その代わりこう言った。

「衛兵隊長。ジェフリーの追跡の後でお疲れのところ申し訳ないですが、今度はアミリアの捜索をお願いします」


「ははっ」


 アミリアの行方はあっさりと判明した。


 猛スピードで駆った馬に乗って現れ、「姿なき海賊団」のガレオンに乗り込み、そのまま艦と共に出港していったとの目撃談がイースタンプトン港にいた者から山ほど出てきたからである。


「どうなさいますか?」

 恐る恐るという感じでエリザの顔を窺う内務大臣。


(うっ、うーん)

 エリザは考え込んだ。

(艦隊を出してジェフリーとアミリアを捕まえろと言いたいところだが、イース王国わが国の海軍力もそんな余裕があるわけじゃない。第一、他国から見れば、こないだジョン兄さま相手の内戦が終わったばかりのイース王国わが国が今度は異母妹相手の内戦かと捉えられかねん)


 しばしの黙考の後、エリザは口を開いた。

「捜索お疲れ様でした。ジェフリーとアミリアの捜索は一端打ち切りです。ですが、二人の行方について、何か情報が入ったら、すぐ知らせてください」


「ははっ」

 内務大臣は一礼して下がった。


「あ、あの、大丈夫でしょうか? 僕に何か出来ることがあれば……」

 またも心配そうに出てくるアダム。


 エリザは笑顔を見せる。

「大丈夫です。心配かけてごめんなさいね。そうですね。アダムに頼めることが出来たらお願いしますね」


 エリザの美しい笑顔に耳まで真っ赤になるアダム。

「はっ、ははは、はい」


(ふふふ。何とも可愛らしいこと)

 微笑するエリザ。

(それにしてもまさかジェフリーとアミリア、示し合わせて出奔したんじゃあ)


(いやいやいや)

 エリザは首を振る。

(それはない。アミリアはともかくジェフリーが恋愛でそんな器用なことが出来るわけがない。大方、アミリアが押しかけて行ったんだろう。アミリア……)


 エリザは大きな溜息を吐く。

(端から見れば、庶子の第二王女だから王位継承権で劣後するアミリアの方が気の毒に見えるかもしれないけど、私からみれば王位の座に縛られず、自由に行動できるアミリアの方がよっぽどうらやましいわ)


 しかし、前を向き直す。

(だけど、このままでは終わらせないからね。アミリア。それにジェフリー)  


 ◇◇◇


 フラーヴィアは部屋の外で祖父の様子を窺っていた。


 祖父は一通の手紙をテーブルの上に置いて見たり、両手で持って上に掲げて読んだりしている。


(いつになくおじいさまが悩まれている。これは何か面白そうな話が転がっているんじゃあ)

 面白いもの、新しいもの、珍しいものが大好き。そんなフラーヴィアのアンテナに今の祖父の逡巡ぶりは大いに反応した。


 ついに彼女は意を決し、祖父のいる部屋に入った。

「おじいさま。何を悩まれているのです?」


「ああ。フラーヴィアか」


 祖父の名はオズヴァルド・デ・マリ。通商海洋都市国家ヴェノヴァの大商人である。


「実はな」

 オズヴァルドは迷わずに話し始める。フラーヴィアには隠さねばならないものでもないらしい。

「話としては実に興味深いんだ。クローブとナツメグについて、ホラン王国を通さない形で、より安い価格で買わないかというオファーだ」


「!」

 フラーヴィアも驚いた。クローブとナツメグと言えば、ホラン王国領マルク群島の特産品だ。独占的に扱われているため、市場流通価格は他の香辛料に比べても際だって高い。


 それが少しでも安く入手出来るなら、これは商人にとって魅力的な話だ。しかし……

「あまりに話がうますぎます。信用できる相手なのですか?」


 フラーヴィアの疑問はもっともだ。オズヴァルドは頷く。

「このオファーをくれたのはイース王国第二王女アミリア様だ。アミリア様とはイース王国内戦の際、随分取引をさせてもらったが、不実なことをされたことは一度もない」


「あっ」

 フラーヴィアは思うことがあった。

「イース王国は策略をもって、クローブとナツメグの苗を奪い、ガラス温室で栽培しているという噂を聞きました。それでしょうか?」


 オズヴァルドは頷く。

「わしの情報網でもその噂は恐らく正しい。だが、今回オファーのあった数量はそれでは賄えないような量なのだ」


「!」

 眉唾な話だ。しかし、聞いているうちにワクワクしてきている自分をフラーヴィアは自覚している。

「それは紙だけでそれだけの量があると言われても信用するわけにはいきませんね」


「そのとおりだ。それはオズヴァルドわしも返信で伝えた。そうしたら実際の栽培状況を見せると言ってきたんだ」


「イース王国本土のガラス温室を見せるというのですか?」


「いや、それが見せる場所はアトリ諸島だというのだよ。しかも温室じゃなく露地植えだそうだ」


「アトリ諸島!? 正式なイース王国領じゃないですよね? 海賊のアジトという噂のある……」


「そうだ。そして、その噂は恐らく正しい」


 気がつけば、フラーヴィアはオズヴァルドのところに駆け寄り、その両手を取っていた。

「おじいさまっ! 行きましょうっ! それはもう現地を見るべきですっ!」


 フラーヴィアの両目はキラキラと輝き、真っ直ぐにオズヴァルドを見据えていた。オズヴァルドは苦笑した。

「ああ、それはわしも同じ気持ちなんだが、残念なことにここ最近持病の腰痛が一段と酷くなってな。内海ならまだしも外洋にあるアトリ諸島への航海に耐えられるか怪しい。ここはいい機会だから、後継者であるフラーヴィアおまえの兄ティーノに行ってもらおうかと思っている」


「おじいさま」

 フラーヴィアは両目でオズヴァルドを見据え、両手を取ったまま言った。

「私も行きたいです。私にも行かせてください」


(これだ)

 オズヴァルドは思った。

(後継者に据えている兄のティーノは実に真面目で堅実だ。わしの作った交易網をかたくなに守り抜こうとしている。しかし……)

(それだけでは駄目なのだ。常に新規開拓の精神を持たないと組織は少しずつ衰退していく。ティーノにはそれが決定的に足りない。逆にフラーヴィアは新規開拓の精神の塊だ。それはそれで危なっかしい)


 そして、フラーヴィアに言った。

「いいだろう。行ってこい」


「やったーっ!」

 フラーヴィアはオズヴァルドの両手を取ったまま飛び跳ねた。

「ありがとう。ありがとう。おじいさまっ!」


(アトリ諸島。外洋にある温暖な島。海賊のアジトと言われる島。露地にクローブとナツメグの木がたくさん植えられているという島。楽しみっ! すっごく楽しみっ!)

 フラーヴィアの心は躍った。


 彼女もまた高貴な生まれという理由で建物にこもっているようなことが出来ない人間なのだろう。

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