第2話 これほど酷い顔の潰され方はそうはない

「なっ、アミリア。おまえ、人の心も読むのか?」


「いいえ。ジェフリー兄さまならそのように思うかと思っただけです」


(くそっ。そして、思い出すのも忌々しいがこのことに触れない訳にもいくまい)

「アドルフの奴はどうした? 奴はエリザの婚約者だったろう。王配になるんじゃないのか?」


 ◇◇◇


 アミリアは三度目の大きな溜息を吐いた。

「それがアドルフ公爵令息のことを言っているなら、その者はもはやイースにはいませんよ」


(なっ)


 ジェフリーは言葉を失う。


 ジェフリーとアドルフはかつて近衛魔道師団の双璧と言われていた。そして、その美貌の前にはあらゆる宝石の輝きもかすみ、知性の泉は汲めども尽きないと言われた第一王女。エリザ。その婚約者の座を掴むのはジェフリー侯爵令息か、アドルフ公爵令息か。


 王宮は長くその噂でもちきりだった。


 結局、エリザはアドルフを選び、失意のジェフリーは次期侯爵の座も放り出して、出奔。


 大して大きくもない海賊団の頭目に収まり、何とか部下たちを食わせて、現在に至っているのである。


「つっ、つまり……」

 ジェフリーはやっと次の言葉を絞り出した。

「アドルフは死んだのか?」


 アミリアは今度は溜息を吐く代わりに肩をすくめた。

「今もって存命です。アドルフがやったことはエリザ姉さまに対する一方的な婚約破棄とホラン王国への亡命、そして、ホラン王国王女との婚姻です」


(何だとっ!)


 ジェフリーはまたも言葉を失った。


(アドルフの野郎。俺は自分がエリザと相思相愛と信じて疑わなかったんだぞっ! それがいきなりのアドルフおまえとの婚約発表。その上で婚約破棄と亡命だと。何考えてんだっ!)


 気まずい沈黙が流れる。惚れた女が他の男と婚約した上、その男が婚約破棄して亡命。これほど酷い顔の潰され方はそうはあるもんじゃない。


 さすがにアミリアもこの後は何も言えなかった。


 ◇◇◇


「まあともかくだ」

 沈黙を破ったのはジェフリーの方だった。

「その話をしにここに来た訳じゃないだろう。何のためにここに来たんだ? アミリア」


 アミリアもほっとした表情を見せた。

「やっと本題に入れますね。女王陛下からの勅命、いえ、ジェフリー兄さまはもうイース国籍ではなく海賊だから依頼になりますが……」


「え? エリザが俺に依頼?」


「そうです。内容は『クローブとナツメグを出来るだけ多く入手されたい』です」


「? それは商人に出すべき依頼だろう。何で海賊の俺のところに持ってくる?」


「はいそれは、依頼は『クローブとナツメグを出来るだけ多く入手されたい』なんですが、条件付きだからです。条件は『ホラン王国を通さずに入手することです』。今のイース王国に正規ルートで大量のクローブとナツメグを購入する財政余力はないですから」


「……そういうことかい」


 さすがはエリザだ。いい意味でも悪い意味でも知恵が回る。


 もともと香辛料は高価だが、その中でもクローブとナツメグはとりわけ高い。理由はホラン王国の領するマルク群島でしか産しないからだ。


 そのためホラン王国の重要な資金源になっている。それを横取り出来れば、女王陛下の婚約者を奪ったホラン王国には大打撃を与えることが出来るし、財政再建中のイース王国には大きな一助になる。しかし……

「エリザの狙いは分かるが、ホラン王国だって馬鹿じゃあない。マルク群島には要塞を築いているという話だ。危険な依頼は受けられんよ」


「マルク群島の総督がかつてのアドルフ公爵令息。いえ、今はホラン王国のアドルフ公爵であるとしてもですか?」


「! マルク群島の総督をアドルフがやってるのかっ?」


「そうです。依頼を受けてくれますか?」


「いや……」

 ジェフリーは思う。アドルフの奴に一泡吹かせたい気持ちは確かにある。だが……

「今の俺はこの海賊団の頭領だ。何のメリットもなく部下を危険な目に合わせられねえ。ここの海賊団には俺が出奔する時強奪してきた、先代侯爵親父の持っていたガレオン船一隻しかないんだぞ」


「もう一隻出せますよ。アミリアの乗ってきたラ・レアルです」


「何? ラ・レアルを持ってきたのか?」

 ラ・レアル。戦闘力こそ一般的な戦闘艦であるガレオンに大きく劣るが速さだけなら最速だろう。

「それでも二隻で要塞と戦うのか?」


「ジェフリー兄さま。大事なことを見落としています。エリザ姉さまは『クローブとナツメグを出来るだけ多く入手せよ』と言ったのですよ。『マルク群島の要塞を攻略せよ』とは言っていません」


「何を言っているんだ。要塞を攻略せずにどうやってクローブとナツメグを持ち出す……」

 あっと思った。ジェフリーの頭の中で何かが繋がりそうになったのだ。


 しかし、それが何なのかは今は分からなかった。


「ふふ。戦闘の方は何か策が出来るかもですね。では依頼達成の上の報酬を申し上げましょう」


「おう、何だ? 海賊だって普通にやっていたら食えないから海賊やっているんだ。それ相応の報酬がなけりゃ働けないぜ」


「一点目はクローブとナツメグの販売で上がる収益の二割です」


「二割か。もう少しほしいところだが」


「では三割では?」


「四割はほしいが販売はイース王国に任せるしかないからな。まあいいだろう」


「妥結したものと解釈します。二点目は姿なき海賊団構成員全員のイース王国海軍への編入。三点目は頭目ジェフリーへの授爵と王配への任命です」

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