【第4話】

 その部屋は古めかしいラジオから流れる音声で満たされていた。



『本日【OD】が事件を起こしました』


『本日【OD】が事件を起こしました』


『本日【OD】が事件を起こしました』



 その言葉が繰り返し、繰り返し。


 広い部屋には仕事用の机と、夥しい量のラジオが床を埋め尽くしていた。それらから同じ音声が流れているので、この部屋にいるだけでも頭がおかしくなりそうである。

 この部屋の主人たる年老いた男は、ふかふかな執務椅子に深く腰掛けてオーケストラの演奏でも聴いているかのように瞳を閉じている。死んでいるのかと思ったが、その薄い胸板が上下しているので生きていることは間違いない。


 部屋へ足を踏み入れたユーシアとリヴは、そのラジオから流れる同じ言葉で構成された大合唱に顔を顰めた。



「何ですかこれ、頭がおかしくなりそうです」


「【OD】が聞くと普通の人間にでも戻れるのかな」


「そうだとするなら今すぐ出た方がいいですね」



 ユーシアは背負っていたライフルケースを足元に置き、金具部分を蹴飛ばして蓋を開ける。中で横たわる純白の狙撃銃を拾い上げたところで、ようやく執務椅子に腰掛けた老人がユーシアとリヴに視線を投げていた。

 目元は皺だらけとなっており、どこからどう見ても今すぐ死にそうなお年寄りである。ただ、その黒曜石の双眸には鋭い眼光が宿っており、刺すような視線を寄越してくる。


 純白の狙撃銃を構えたユーシアを照準器スコープ越しに睨みつけてきた老人は、



「……誰だ」


「随分はご挨拶だね」



 ユーシアは口の端を持ち上げて笑うと、



「初めまして、ミスター・ネムノキ。豪華客船に招待してくれてありがとう」


「ああ、あのイカれた【OD】どもか」



 老人は吐き捨てるように言う。



「まさか生き残りがいるとはな」


「驚いた?」


「いいや、驚かん。連中は超常の能力を使う、死んでも死なんような連中だとは最初から分かっていた」


「それは結構。最初から分かっていてくれたようで何よりだよ」



 引き金に指をかけたユーシアは、



「最期に何か言うことはあるかい?」


「孫娘と同じ場所に逝くことはない、潔く殺せ」


「じゃあ遠慮なく」



 ユーシアは引き金を引いた。


 タァン、という発砲音がラジオの音声に紛れ込む。射出された弾丸が寸分の狂いもなく老人の眉間を貫くも、彼自身に傷跡はない。代わりに永遠の眠りの世界に引き摺り込まれた。

 瞳を閉じて安らかに眠る彼は、先程と同じようにひどく穏やかな表情をしていた。揺さぶれば起きるのではないかと思ったが、残念ながら起きることはない。


 奇しくも、最も恨んでいるだろう眠り姫の【OD】に負けたのだ。この潔いサムライは。



「何だ、抵抗してくるかと思ったのに」



 ユーシアはライフルケースに純白の狙撃銃をしまい込むと、



「リヴ君、殺しておいて」


「分かりました」



 リヴはレインコートの袖から大振りの軍用ナイフを滑り落とすと、凶器を握りしめて眠る老人に歩み寄る。それから鈍色のナイフが、老人の喉笛を引き裂いた。



『本日【OD】が事件を起こしました』


『本日【OD】が事件を起こしました』


『本日【OD】が事件を起こしました』



 それはさながら警告のようである。



「うるさいな」



 ユーシアは未だに平坦な女性の声を紡ぐ古めかしいラジオを蹴飛ばして、その音声を黙らせた。

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