【第8話】

 注射器で【DOF】を体内に注入したリヴが姿を掻き消すと同時に、ユーシアは日本刀を構える少年とは真逆の方向に逃げる。


 狙撃手であるユーシアに近接戦闘の技術を期待してはならない。確かに昔は訓練を受けたものだが、狙撃以外の技術はからっきしなので前衛では全くと言っていいほど役には立たない。そもそも他人と積極的にぶつかり合いたくないのだ。

 血に濡れたルーレット台の影に隠れ、ユーシアは純白にカラーリングした狙撃銃に弾丸を装填する。ルーレット台の影から顔を出して狙撃銃を構え、取り付けた照準器スコープを覗き込んだ。


 十字線レティクルの向こうに映ったのは、日本刀を構えた少年の背後に出現した真っ黒いてるてる坊主である。何の予備動作もなく出現したその姿は、まるで幽霊か呪いの産物のようだ。



「それではとっとと死んでくださーい!!」



 どこか嬉しそうな声を上げて、リヴが相手の首筋めがけてナイフを突き立てようとする。


 だが、その寸前で少年が構えていた日本刀を跳ね上げてリヴが振り下ろしたナイフを受け止めた。ギィンという耳障りな音が血塗れのカジノに響き渡る。

 ナイフを受け止められることは想定の範囲内だったようで、リヴはレインコートのフード下で引き裂くように笑っていた。あれは心の底から楽しんでいる様子である。


 リヴとの鍔迫り合いのおかげで狙いが逸れ、ユーシアは完全に少年の視界から消えた。狙撃手としては絶好のチャンスである。



「悪いけど――」



 冷たい銃把に頬を寄せ、引き金に指をかける。



「――ここで眠ってもらうよ、永遠にね」



 そう告げて、引き金を引く。


 タァン、という銃声と共に射出された弾丸は寸分の狂いもなく少年の後頭部を目指して飛んでいく。あとは少年がユーシアの獲得した眠り姫の異能力によって永遠に目覚めることのない眠りの世界に誘われたところで、リヴに死体処理を頼めばいいだけの話である。他に何か使い道があっただろうか。

 ところが、少年はリヴの手に握られたナイフを力技で弾くと、振り向き様にユーシアが放った弾丸さえも弾いてしまった。少年の虚な瞳が、ルーレット台ノの影に隠れたユーシアを真っ直ぐに射抜く。


 煙草の形をした【DOF】を落としそうになったユーシアは、



「やべッ、あれ弾くのぉ!?」



 純白の狙撃銃を抱えて、ユーシアは慌てて立ち上がる。

 少年はユーシアの位置どりにも気づいていた。とっとと狙撃ポイントを変えなければ首が飛ぶのはユーシアである。何度も言うが近接戦闘がからっきしなユーシアは、相手が近づかれても反撃の術など自動拳銃ぐらいの武器しか持っていない。


 その場から逃げようとするのだが、



「その首取った」



 いつのまにいたのだろう、背後に血塗れの日本刀を構えた少年が立っていた。真っ赤に染まった日本刀を振り上げ、ユーシアの首を狙う。


 思考回路は停止しても、身体は反射的に動く。純白の狙撃銃を抱えた状態で、ユーシアは砂色のコートの下から自動拳銃を引き抜いた。

 少年の振り翳す日本刀に照準を合わせ、引き金を引く。けたたましい銃声と共に放たれた弾丸は少年の手に握られていた日本刀にぶつかり、少年の手から日本刀を滑り落とさせた。


 真っ赤な日本刀がくるくると円を描きながら飛んでいき、トランプで遊ぶ為に用意されたゲーム台に突き刺さって止まる。武器がなくなってしまえば怖くはない。



「リヴ君、こっちに来てるんだけど!!」


「知ってますよ、早すぎたんですそのイカれ野郎が!!」



 リヴはレインコートの裾からチェーンソーを落とすと、慣れた手つきで起動させる。回転する刃が特徴の凶悪な武器を装備した呪いのてるてる坊主が、日本刀を失って唖然と立ち尽くす少年に肉薄する。

 振り翳されたチェーンソーを真っ赤に染まった床に転がって回避した少年は、ゲーム台に突き刺さった己の日本刀に飛びつく。ゲーム台から日本刀を引き抜いたところでリヴがそのゲーム台を真っ二つに切断してしまい、少年は危ないところを逃れてしまう。


 また少年に武器が戻ってしまったが、リヴと少年が殺し合っている隙にユーシアはスロットマシンの影に隠れていた。



「うわ、ここにも死体が転がってるよ。やだなぁ」



 ユーシアは銃弾を装填しながら、足元に転がる誰かの死体を見やる。引き裂かれた腹から臓物が顔を覗かせ、噎せ返るほどの血の臭いが鼻腔にこびり付く。

 きっと死体の人物も、あの少年に勝てると思って挑んだから殺されたのだ。慢心が原因である。


 狙撃銃を構えるユーシアは、



「ん?」



 少年の手に何かが握られていることに気づく。


 袋のようなものだ。リヴから逃げ回りながら袋のようなものから何やら団子みたいなものを取り出している。

 ここで【DOF】の補給だろうか。そんなことをさせる訳がない。


 ユーシアは少年の手に握られた袋に照準をし、



「――――」



 息を止め、引き金を引く。


 射出された弾丸は少年の手に握られていた袋を掠め、その表面を引き裂く。破けた袋からポロポロと団子が転がり落ちていき、少年の表情があからさまに引き攣った。

 やはりあれは【DOF】と同じような役割を果たすと見ていいだろう。少年の態度から判断して、ユーシアはそう確信する。


 空薬莢を排出して新たに弾丸を装填するユーシアは、



「ドーピングなんてさせる訳ないじゃん」



 あれが少年にどういう効果をもたらすのか不明だが、もうこれ以上は強くさせる訳にはいかない。目的遂行の為にここで犠牲になってもらうのだ。



「ちょっとリヴ君、お相手さんドーピングを企んでいたんだけど」


「どうせシア先輩がどうにかしてくれると思っていたんで放置していたんですよ」


「信頼されていて光栄だね」



 真っ黒てるてる坊主はユーシアへ振り返ることなく注射器を首筋に突き刺し、シリンダー内で揺れる特濃の【DOF】を注入する。空の注射器を足元に落として踏み壊す姿を確認して、ユーシアはスロットマシンの影から飛び出してすぐ側に横倒しの状態となっていたゲーム台の影に隠れた。

 ここは遮蔽物が多いので身を隠しやすいが、室内なので隠れる場所を細かく変えないと相手にバレてしまう。日本のサムライボーイは気配に敏感なので狙撃ポイントがバレてしまったら終わりだ。


 照準器を覗き込んだユーシアは、引き金に指をかける。十字線の向こうでは少年が嫌そうな表情で床に転がった団子を見下ろしていた。



「ッ!!」



 照準器でユーシアが狙っていることに気づいたようで、十字線の向こう側にいる少年がこちらを振り返る。



「それでいいよ」



 ――それでもいい。



「お前さんのことは殺せればいいんだよ」



 片方が目立つことで殺せる可能性が跳ね上がるのであれば、ユーシアはそれでもいい。敵は1人、殺せば終わるのだから。


 少年が日本刀を構え直すより先に、彼の背後で黒い人影が揺らめく。黒曜石の瞳を見開く少年に襲い掛かったのは、刀身がギザギザに加工された大振りの軍用ナイフだ。振り向くより先にその喉元を引き裂いていく。

 ザックリと切られた喉から真っ赤な鮮血を噴き出して、少年の瞳から光がふつりと消える。糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちると、自らが汚した血溜まりの中にその身体を横たえる。


 ユーシアは狙撃銃を下ろすと、



「さすがだね、リヴ君」


「シア先輩が狙いを引き受けてくれたので後ろに回りやすかったです」



 血に濡れた軍用ナイフを真っ黒なレインコートの下にしまうリヴは、



「死にましたかね」


「心配だしトドメを刺しておこうか」



 ユーシアは狙撃銃の代わりに自動拳銃を砂色のコートの下から引っ張り出すと、特に狙いも定めず倒れ伏した少年に銃口を向ける。



「じゃあね、バイバイ」



 少年に適当な弔いの言葉を投げかけ、ユーシアは自動拳銃の引き金を引いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る