【第3話】

 朝食の会場になるはずだった大ホールには、何故か先客がいた。



「…………」


「…………」



 広々とした大ホールの様子を眺めて、ユーシアとリヴは口を閉ざす。


 いくつか並べられた座席の一角を占拠し、空っぽのカップを片手に誰もいない空間へ語りかけている初老の男性がいたのだ。彼以外の利用者はおらず、出来ればユーシアもこの会場を使うのは避けたいところである。

 コーヒーカップを掲げて何かを自慢げに語っている初老の男性は、身なりだけを見れば整っていると言えた。仕立ての良さそうなスーツにシルクハット、それから英国紳士が好みそうな杖までテーブルに立てかけている。磨き抜かれた革靴でふかふかな絨毯が敷かれた床を踏み、喉を潤す為にコーヒーカップを傾ける。


 ただしそのコーヒーカップには何も入っていない。真新しいコーヒーカップに口をつけて、空気を美味そうに啜っていた。



「あれって帽子屋の【OD】だよね」


「おそらく」



 ユーシアの言葉にリヴが頷く。


 帽子屋といえば『不思議の国のアリス』のおとぎ話に登場する、頭のおかしな男である。おとぎ話なので当然ながら【DOF】の異能力として数えられる。

 米国の地方都市でも遭遇したことがあるのだが、あの時は女性だったか。何とも生意気でけばけばしい化粧が特徴の女だとは思ったが、まさかここでも帽子屋に遭遇するとは想定外である。


 ネアは食堂の一角で空っぽのコーヒーカップを片手に架空のお茶会を開く寂しいおっさんを眺め、



「リリィちゃん、あのひとはどうしてだれもいないところでおしゃべりしてるの?」


「ネアさん、あの人にしか見えない人がいらっしゃるんですよ」


「そっかぁ」



 ネアも最初から架空の人物とお話をするおっさんには興味がないようだ。それどころか、その姿が不気味だったのか「ねあ、あれみたくない」とスノウリリィの背中に隠れてしまう始末である。

 せっかくの朝食の時間が台無しだ。こんなところでお茶会を開くぐらいなら部屋で騒いでほしいものである。


 帽子屋の【OD】が1人で騒ぐ姿を目の当たりにして怯えるネアの頭を、ユーシアは優しく撫でてやる。



「リヴ君が処理してくれるから、ネアちゃんはちょっとここで待ってようか。俺は朝ご飯を作っちゃうから」


「うん……」



 スノウリリィの背中からひょっこりと顔を出すネアは、



「きをつけてね、おにーちゃん」


「ネアちゃんはリリィちゃんとユーリさんの言うことをよく聞くんだよ。すぐ戻るから」



 精神状態が退行しているネアに優しく言い含めてから、ユーシアは次いでユーリカへ視線をやる。



「分かってるよね?」


「別料金を取りたいところだが、お姫様は仕方がねえな。オレに何が出来るか分からねえけど、まあ【OD】の盾ぐらいにはなってやるよ」



 ヒラヒラと手を振ってユーシアとリヴを遠慮なく送り出すユーリカ。リヴがレインコートのフード下から睨みつけていたが、ここは使えるものは何でも使った方がいい。

 ユーリカとスノウリリィは不幸なことに、戦闘には向かない【OD】だ。殺されても深夜0時には元通りに復活する不死身なシンデレラの【OD】であるスノウリリィなら多少の盾にはなるだろうが、ユーリカは【DOF】の調合を生業とする薬屋である。シンデレラに登場する魔法使いの【OD】だと聞いたが、何の能力があるのか。


 まあ、とっとと朝食を作って戻ってくるに越したことはない。頭のおかしな【OD】には出来る限り関わらないのが吉だ。



「という訳でリヴ君、帽子屋の始末は君にお願いしてもいいかな?」


「仕方がないですね、引き受けましょう」



 リヴはレインコートの袖から【DOF】が揺れる注射器を滑り落としながら、



「それでは僕の朝ご飯は多めにお願いしますね」


「仕方がない、交渉成立だ」


「やったぜ」


「ちなみに今日の朝ご飯はサンドイッチみたいなものにする予定です」



 食堂のキッチンにサンドイッチを作れるだけの食材があればいいのだが、レトルト食品があれだけ数多くの種類が取り揃えられていたので問題ないだろう。【OD】が食い荒らしていたら殺すまでである。


 ユーシアとリヴは食堂へと足を踏み入れる。

 帽子屋の【OD】である初老の男性は、ユーシアとリヴの存在に気づいた様子はない。こちらに背中を向けた状態で足を踏み鳴らし、ケタケタと笑いながらコーヒーカップを傾けている。


 が、



「おやおや、これはこれは大変だ」



 空っぽのコーヒーカップを手持ち無沙汰に揺らしながら、初老の男性が戯けた調子で言う。



「そこの君、そこの君。おやつがなくなってしまったんだよ、おやつが。芋虫をくれないかい? あれが1番美味しいのさ」



 そう言った初老の男性が持つコーヒーカップから、緑色の何かがボトボトと落ちる。


 芋虫である。正真正銘、本物の昆虫の幼体ではない。表面には目玉に似た模様が浮かび上がっており、うねうねとその全身をくねらせてユーシアとリヴめがけて行進してくる。

 その芋虫は大量に、無限にコーヒーカップから湧いて出てきた。一般人が見れば確実に悲鳴を上げて集合体恐怖症でも引き起こしそうだが、ここにいるのは倫理観や常識さえも捨て去った【OD】なので無意味である。


 ユーシアとリヴは舌打ちをすると、



「面倒なことをするなぁ!!」


「八つ裂きにしてやりますよ頭の螺子を吹っ飛ばしたイカれ野郎!!」



 ユーシアはテーブルの影に飛び込み、リヴは首筋に注射針を突き刺して【DOF】を投与する。そして幽霊の如く姿を掻き消す。


 親指姫の【OD】としての異能力を発動させて自分の身長を親指サイズまで縮めたリヴは、帽子屋の【OD】の背後に出現する。レインコートの袖から滑り落としたらしい大振りの軍用ナイフを振り上げるも、コーヒーカップから溢れ出した煙が壁を形成して帽子屋の【OD】を守る。

 振り下ろされた軍用ナイフが壁に阻まれて弾かれてしまった。フードの下に潜んだリヴの表情が一瞬だけ驚愕に染まるが、次の瞬間には苦虫を噛み潰したかのような悔しそうな表情を浮かべていた。彼も分かっていたのだ、コーヒーカップがある以上は相手の独壇場である。


 ユーシアはライフルケースから純白の狙撃銃を取り出すと、



「ッ、邪魔だな」



 自分の身体を這い上がってきた芋虫の感覚に極小の舌打ちをする。

 振り払っている時間が惜しい。どうせ【OD】の異能力が見せるリアルな妄想なのだから、とっとと殺してオサラバしたい幻覚だ。


 冷たい銃把に顔を寄せ、ユーシアは引き金に指をかける。芋虫の這い回る感覚を強制的に頭の外へ追い出し、



「――――」



 引き金を引く。


 タァン、という銃声と共に放たれた弾丸は、寸分の狂いもなく初老の男が持つコーヒーカップを貫いた。

 弾かれたように振り返る帽子屋。小さな双眸がテーブルの影に隠れて純白の狙撃銃を構えるユーシアと目が合うも、隙を見せた初老の男が真っ黒なてるてる坊主に命を刈られるまで時間の問題である。


 背後から振りかざされた大振りの刃が、帽子屋の喉元に突き刺さる。真っ赤な噴水が白いテーブルクロスを汚していき、頭の螺子が吹っ飛んだ【OD】の命を簡単に摘み取った。



「お見事ですね、あんな小さな的を射抜くなんて」


「いやあ、あれを外したら俺は狙撃手として死ぬよ」



 ユーシアはライフルケースに純白の狙撃銃をしまい込む。いつのまにか芋虫の大群は消え失せ、あのモゾモゾと這い回る嫌な感覚だけが残った。



「さてさて、食材はあるかな」


「フランスパンはありますね」


「あ、じゃあバゲットサンドにしようかな。いいのあるかな」



 キッチンで運よくフランスパンが放置されているのを発見したので、ユーシアは朝食のメニューを考えながら冷蔵庫の扉を開く。

 業務用冷蔵庫には生鮮食品がある程度揃っており、食い荒らされた様子はない。【OD】だからこの事実に気づかなかったのか。


 ユーシアは野菜を取り出しつつ、



「リヴ君、帽子屋の死体を処理しといて」


「ハムにします?」


「食う気なの?」



 リヴの冗談には聞こえない冗談に「食べないからね」とツッコミを入れ、ユーシアは朝食の準備に取り掛かるのだった。

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