【第4話】

 似非英国紳士をぶっ殺したところで朝食である。



「面倒だからスクランブルエッグをバゲットに挟んだよ」


「ものぐさが神的な料理を生み出しやがった」



 大ホールの片隅にあるテーブルを占拠して、ユーシアたちは朝食を取り始めた。


 今日のメニューはバゲットサンドである。ちょうどいい感じにフランスパンが放置されていたので、それの表面を軽く焼いて中身にスクランブルエッグと申し訳程度にキャベツの千切りを入れた程度の簡単なものだ。

 簡単なものと言っても、お湯を注げば出来上がるレトルト食品を得体の知れないナニカに変貌させたスノウリリィの料理と比べれば雲泥の差である。これはちゃんと食べられるが、あれは食べられない。ネアだって泣いて拒否する代物である。


 お湯を注げば出来上がるタイプのコーンスープを啜るネアは、



「これがすーぷ……」


「リリィちゃん、ネアちゃんがあまりの衝撃でスープの美味しさを再確認しているんだけど。まだ幼いんだから爪痕を残さないであげてよ」


「申し訳なさでいっぱいです……」



 スープを啜って息を吐いているネアの姿を見て、さすがにユーシアはスノウリリィにきつめの忠告をする。彼女も反省しているので、しばらく料理から離れてくれることを祈るばかりだ。



「シア先輩、今日の予定はどうします?」


「リヴ君、いつからリスに転職したの?」


「ほんの数秒前ですかね」



 口いっぱいにユーシアが作ったバゲットサンドを頬張りながら、リヴが今日の予定などという真面目な話題を出してくる。絵面がおかしい。

 彼の頬の許容量は一体どうなっているのか、人間ではあり得ないほどに膨らんでいるのだ。あの帽子屋の【OD】にトドメを刺した功績で多めに彼の皿にはバゲットサンドを乗せたつもりだったが、消費もあっという間である。山のように積んだつもりのバゲットサンドが全てリヴの頬に収まってしまった。


 むしゃむしゃもぐもぐと何事もなかったかのように咀嚼し、頬の中に詰め込んでいたバゲットサンドを嚥下するリヴ。よく飲み込めるものである。



「僕の職業がリスから殺し屋に戻ったところで、今日の予定を確認したいのですが」


「とりあえずお前さんが人間に戻れたことに安心しているよ」



 ユーシアは自分用に入れた珈琲を啜り、



「救命艇の捜索と、とっととこの豪華客船から脱出かな。時間もないしね」


「ですね。モタモタしていたら海の藻屑ですし」



 リヴも納得したように頷く。


 豪華客船が爆発して乗客の【OD】が仲良く海の藻屑となって消えるまで、残り6日間といったところだろうか。それまでに救命艇を見つけて脱出しなければ、ユーシアたちはまとめて海の底に沈んでお魚さんの餌である。最悪の未来だ。

 この中で唯一生き残ることが出来ると言えば、空を飛ぶ異能力を持つネアぐらいのものだろう。彼女自身、豪華客船が爆発してユーシアやリヴが死ぬという未来が想像できないのか、不思議そうに首を傾げていた。「おにーちゃんもりっちゃんも、そらをとべばいいじゃない」とか言い出しそうである。


 とはいえ、問題は救命艇である。【OD】をぶっ殺す前提で出港した地獄の方舟に、そんな蜘蛛の糸のような救命措置が残されているだろうか。



「おにーちゃん、おにーちゃん」


「なぁに、ネアちゃん。お口にパン屑がついてるよ」


「むぐぐぐ」



 ネアの口の周りについたパン屑をハンカチで拭ってやるユーシアは、



「ネアちゃん、どこか行きたいところでもあるの?」


「ねあ、てらすにいきたい。おふねのそとにでたい」


「テラス?」



 ユーシアは昨日読んだ豪華客船のパンフレットを思い出す。


 そういえば、豪華客船のテラスにはプールなどの設備があったか。こんな状況でプールを楽しめるような展開にはならないが、幼い子供の精神を持つネアは海が見たいのだろう。

 テラスでまだ救命艇の捜索はしていないので、行ってみるのもありかもしれない。空が飛べるネアにも手伝って貰えば、彼女の気分もいくらか紛れるだろう。



「いいよ、行こうか」


「わあい!!」



 両手を上げて喜びを露わにするネアに、ユーシアは「ただし」と条件を提示する。



「俺の探し物を一緒に探してくれるならいいよ」


「さがしもの?」


「お船を探しているんだ、小さめの。探してくれる?」


「おふねにのってるのに?」



 ネアは不思議そうである。子供の精神を持つ彼女からすれば、豪華客船という巨大な船に乗っているのに、何故わざわざ小さな船を探さなければならないのだろうという考えなのだ。

 彼女に「この船は7日後に爆発して俺たち全員死にます」と説明しても現実味がないので、きっと信じてくれない。それどころか嘘つき呼ばわりされてユーシアたちの心が折れる。


 どうやって説明したものかと頭を悩ませるユーシアに、ユーリカが「お姫様」と口を開く。



「お魚さんは好きか?」


「おさかな?」


「お魚はな、美味いんだよ。特に釣ったばかりの魚は美味いぞ」



 ネアの瞳が輝く。美味しいものに目がない彼女のことだ、間違いなく釣られる。



「おさかなさん、たべられるの?」


「そうだぞ。それにな、食べると頭も良くなるし足も速くなって丈夫な身体になるんだぞ」


「ねあ、おさかなさんたべたい!!」



 見事に釣られてしまった。ユーリカの口車の勝利である。



「でもな、お姫様よ。お魚さんが食べたいのは山々なんだが、何と豪華客船で釣りたてのお魚さんは食べられない」


「なんでえ!?」


「そりゃこんな大きな船から垂らせるほど長い釣り糸がないからだ。釣りたての美味しいお魚を食べるには、小さな船が必要なんだよ」


「そうなの? じゃあ、ねあもおふねをさがすね」


「オニイチャンのお手伝いが出来て偉いな、立派なレディじゃねえか」


「そうなの。ねあはね、りっぱなれでーなんだよ!!」



 ネアはむふー、と胸を張って自慢げに言う。隣にいるスノウリリィは困ったように笑うしかなかった。本物の淑女を名乗るなら、口の周りにパン屑をつけるのはどうにかした方がいい。

 ともかく、これでネアの懐柔は完了である。美味しいお魚を食べるという食い気に釣られて救命艇の捜索に参加だ。あとで釣りの件に関してはどうにかこうにか誤魔化そう。


 ユーシアはユーリカにコソコソと耳打ちし、



「助かったよ、ありがとう」


「タダじゃねえぞ、オレも乗せろよ救命艇」


「分かってるよ。【DOF】を格安で作ってくれるならね」


「交渉が上手くなったな、ちくしょうめ。仕方がねえから乗ってやる」



 ユーリカは「商売上がったりだ」と嘆いていたが、これで交渉は成立だ。彼だってこの爆弾が積まれた豪華客船に取り残されて海の藻屑になりたくないはずである。


 これで今日の方針が決まったところで満足したユーシアだが、ここで相棒のリヴがコソコソと耳打ちしてきた。

 何かと思えば割と重要そうな案件である。豪華客船の脱出方法とかそういう具合ではなく、もっと身内に関連することだ。



「シア先輩、魚って釣れます? 釣りのご経験は?」


「ないね。そんなものを楽しむ余裕なんて今までなかったし」


「ちなみに僕も釣りに関しては向いてないんですよね。自分で言っちゃいますが気が短いもので」


「釣りって根気よくいなきゃいけないんだっけ? 忍耐力でも試されてる?」


「技術もクソもないので下手に首を突っ込まず、普通に陸に上がったら魚を買うという方針にした方がいいかと。期待させてガッカリさせたらまた拗ねますよ、ネアちゃん」



 どうしよう、簡単に想像できてしまった。

 美味しいお魚が食べられるので小さな船という名の救命艇を使って脱出するも、その場で釣りをせがまれて釣れずに海を漂流するところまで想像できてしまった。悲しいかな、どうしてこんなに簡単に想像できてしまうのか。


 ユーシアは頭を抱えると、



「脱出まで黙ってよう。それから考えよう」


「いざとなれば一緒に海へ飛び込みましょうね」


「まさか素手か?」



 脱出しないでも地獄だが脱出しても素潜りする羽目になるかもしれない未来を想像して、ユーシアは自分の置かれた状況を嘆くのだった。

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