【第2話】

「楽しいなあ、楽しいなあ!!」


「来ないでええええええ」


「キタキタキタキタキタキタキタキタ?」



 豪華客船内は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図という表現が相応しかった。


 壊れた店の硝子片を大量に集めてはそれを壊して「楽しいな」と笑う少年やソファの影に隠れて叫ぶ女性、ブリッジしながら階段を駆け降りていく男性など奇行に及ぶ連中が数えきれないほど犇めいていた。【DOF】を飲んでいる【OD】だからといって、ここまで酷くはならない。

 もしかして【DOF】の他に、正真正銘の麻薬でも決めているのだろうか。そうだとすれば納得できる光景ではある。納得したくないけれど、納得するしかない。


 ユーシアは非常に嫌そうな表情を見せた。エレベーターを降りたらすぐにこの状態である。7日と言わずに今すぐ船を爆破した方がいいのではないか。



「もうやだ、見たくないこんな頭のおかしな連中」


「【OD】の中でも特に酷い連中が集められていますよね」



 壁に頭を打ち付けて楽しそうに遊んでいた中年男性の脳天を自動拳銃で撃ち抜くリヴは、



「レストランフロアはこの先ですよ?」


「現実逃避がしたい」


ひげを毟りますか? それとも鼻フックでもしますか?」


「どっちも地味に痛いのは何なの」



 ついでに髭を毟る行為と鼻フックを同列にしないでほしい。何で唐突に鼻フックが出てくるのか。


 リヴは中指と人差し指を掲げて、ユーシアにジリジリと迫る。髭を毟る行為は散々やってきたからか、今度は鼻フックを目論んでいる様子だった。本当にこの真っ黒てるてる坊主は邪悪極まりない。

 鼻フックは絶対に嫌なので、チョキをしながら近づいてくる相棒のてるてる坊主の頭を押さえて強制的に遠ざける。こういう時、身長の高いユーシアの方に軍配が上がるのだ。



「何するんですか、シア先輩」


「余計なことをするからだよ、リヴ君。いつもと違って船だからテンションが高いのかな?」


「まあ」


「嘘だろ、肯定しちゃったよ」



 ケロッとした様子で頷くリヴは、



「じゃあ朝ご飯を食べにいきましょうか」


「何で急に正気に戻るのよ、リヴ君」


「僕が正気に戻ったらおかしいですか? 全裸でソーラン節でも踊ります?」


「やったら置いていくからね。他人のふりをします」


「元々他人じゃないですか」


「ちくしょう、頭のおかしなてるてる坊主に正論で言い負かされた」



 いつものように漫才じみたやり取りを繰り広げながら、ユーシアとリヴはレストランフロアを目指すのだった。今は朝食が優先である。



 ☆



「みみみ、みみみ♪」



 硝子片や店に並べられていただろう商品が投げ出されて荒れ果てた様子のショッピングフロアに、ネアのご機嫌な鼻歌が落ちる。

 白いワンピースの裾を翻し、桃色のストラップシューズでスキップをしながら金髪の少女はどこか楽しそうな雰囲気でスノウリリィの腕を掴んでいた。客室の外に出ることがそんなに嬉しいのだろう。


 ネアに腕を振り回されてなすがままにされているスノウリリィは、ご機嫌な様子のネアに「楽しそうですね」と笑う。



「朝ご飯は何がありますかね?」


「おいしいのがいいな」


「そうだね、今朝のは朝食って言わないもんね」



 ユーシアは煙草の形をした【DOF】を咥えながら遠い目をする。


 あれは間違いなく生物兵器である。そうでなければバイオテロだ。

 しかも【OD】としての異能力ではなく、彼女のお祈りによる変質である。お祈りというより呪いだ。元々は修道女だったらしいのだが、一体どんな神様に毎日お祈りをしていたのか気になるところである。


 スノウリリィは不満げにユーシアを見やり、



「ちょ、ちょっと熱心にお祈りしすぎただけです」


「そう言って、今度はモコモコと蠢くスライムでも作り出したら海から投げ飛ばしますよ」


「怖いことを言わないでください!?」



 ツンと澄まし顔でそっぽを向くリヴに、スノウリリィが金切り声で「も、もうやりませんから!!」などと信用できないことを宣う。これは数日後に自分の発言を忘れて繰り返すパターンである。


 何とはなしに周囲を見渡すと、いつのまにかショッピングエリアを抜けていたようだ。

 洋服や雑貨が中心として展開され、そして商品が軒並み道端へ放り出されていた世紀末と言っても過言ではない状況のショッピングフロアから一転して、食べ物系の看板が明らかに増えていた。パン屋におにぎり屋などのテイクアウトをして自室で食べる系の店から、和食・洋食・中華などのレストランまで多数展開されている。


 ただ、どこの店ももぬけの殻だった。当然である、ここには【OD】しかいないのだ。



「ん?」



 ふと、ユーシアは視界の端で何かがあることに気づいた。


 樹木である。

 どうやらレストランフロアには空間の彩りをよく見せるように、偽物の緑が飾られているようだ。天井に届かんばかりに高い作り物の木の周りにはベンチが用意されていて、待ち合わせ場所にも最適である。


 その作り物の木には橙色の果実が成っていた。ユーシアには見覚えのない代物だが、日本人であるリヴにはその果実を見上げて「ああ」と応じる。



「柿ですね。作り物の木に実るとかおかしいですが」


「カキ? オイスターとかのこと?」


「そっちの牡蠣じゃないですよ。果物にも柿があるんです。あれがそうなんですよ」



 リヴが示したのは、偽物の木に実る橙色の果実である。あれは柿と呼ばれる代物なのか。

 ただ、何度も言うが樹木は偽物なのだ。元から果実が成っているデザインだとしたら納得できるものだが、どこからどう見ても柿を名乗る果実は本物の雰囲気がある。実際、甘い香りが橙色の果実から漂ってきていた。


 橙色の果実に興味を示してしまったネアは、



「りりぃちゃん、あれなぁに?」


「リヴさんの故郷で有名な果物のようですね」


「たべられるの?」


「食べられるには食べられますが……」



 難色を示すスノウリリィに同調するかのように、ユーリカが「そうだぞ、お姫様」と言う。



「ありゃ渋柿だ。不味いから食べない方がいい」


「まずいなら、ねあはいらないや」


「そうそう。オニーチャンのご飯の方が美味しいから止めとけ」



 ユーリカがわざとらしいし視線をユーシアにくれてくる。おそらく、ユーシアがネアに『おにーちゃん』と呼ばれているのを揶揄っているのだ。

 そんな訳で、背負ったライフルケースを少し揺らせばユーリカは降参を示すように両手を掲げた。戦う術を持たない彼がユーシアを馬鹿にしようなど100年早い。


 リヴは偽物の木に成る柿の実を見上げて、



「あれが渋柿だってよく分かりましたね。色味で判断すると、渋柿には見えそうにないのですが」


「ここは【OD】しかいねえ地獄の方舟だぞ。何でもかんでもおとぎ話に結びつけた方が早いんだよ」


「なるほど」



 リヴが珍しく納得したように頷いていた。柿を使ったおとぎ話に心当たりでもあったか。



「おにーちゃん、おなかすいたぁ。ねあ、あまいかきがたべたい」


「残念だけど、ネアちゃん。この船に甘い柿はないから、お船を降りたら食べに行こうね」


「うん」



 スノウリリィに手を引かれ、ネアは柿の実が成る偽物の木の横を通り抜けた。通り抜けただけでは何も起こらないようだ。

 ユーリカとリヴも、女性陣に倣って柿の木を通り過ぎる。彼らは警戒するように柿の木から視線を外さなかったが、特に何かが起きるような気配は見られない。柿に手を出さなければ平気という訳だろうか。


 ユーシアは砂色のコートの下から自動拳銃を引っ張り出すと、



「バレてるよ」


「ぎゃッ」



 柿の木に照準を合わせて、引き金を引いた。


 消音器を取り付けているので、ぷしゅんという間抜けな銃声が耳朶を打つ。放たれた弾丸は青々と生い茂った偽物の葉っぱの中に飛び込んでいった。

 その直後、短い悲鳴と共に皺くちゃのジジイが落下してくる。全身をベンチへ打ち付けたのだが、ユーシアの【OD】の異能力のおかげで夢の世界に拘束されて起きることはない。もしかしたら打ちどころが悪くてそのままあの世に運ばれていったという可能性も考えられる。


 日本のおとぎ話の【OD】だろうが、ユーシアにはどんなおとぎ話の【OD】なのか皆目見当もつかない。あとで相棒に尋ねることとしよう。



「シア先輩、何してるんですか。その柿は食べられませんよ」


「分かってるよ、そこまで卑しくないよ俺は」



 自動拳銃をコートの下にしまい、ユーシアは偽物の木の横を通過する。


 いつのまにか、木に実っていたはずの柿は消え失せていた。

 やはり【OD】の異能力で間違いなかったようだ。食べようとしないでよかった。

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