【第5話】

「ふあぁ」



 ポチを黙らせてから、ユーシアとリヴは客室に戻る廊下を悠々と歩く。


 時間帯が夜だからか、船内は静かだ。

 さすがの【OD】も夜に船内を出歩くような真似はしないようだ。魔法のお薬で倫理観を溝に捨てていても、人間の3大欲求には素直な様子である。


 リヴも欠伸をしながら、



「今日は色々あったから疲れましたね」


「本当だよ、もう帰ったら寝ようかな」


「お風呂はどうするんですか。臭いですよ」


「明日の朝にする」



 ユーシアは目尻に浮かんだ涙を指先で拭うと、隣を何気なく歩くリヴに視線をやる。



「リヴ君さ、俺の寝てるところに潜り込んでくるのは止めてよ」


「何故ですか?」


「何故ですかじゃないんだよ。何で普通に一緒に寝ようとしてるの?」



 ユーシアが「とにかく止めてよね」と強く拒否の姿勢を示せば、リヴはす不満げに唇を尖らせてくる。態度で不満を露わにされても困る。


 リヴは何故かユーシアの寝ているところに潜り込んでこようと企むのだ。どうして寝床に潜り込むのか不明だが、米国の狭いアパートの部屋で暮らしていた時はそんなことなどなかったのにホテル暮らしになると途端にこれである。

 彼の普段の寝床は風呂場の浴槽なので、浴槽が使えないとなるとユーシアの寝床に潜り込んでくるのが通例となっているのだ。だったら素直にベッドを使わせてほしいと頼めばユーシアだってベッドを譲るのだが、それでは納得してくれないのが相棒である。


 ユーシアは深々とため息を吐いて、



「じゃあベッドは譲るから。俺はソファで寝るからね」


「僕、ベッドだと寝つきが悪いんですよね」


「嘘吐きなさいよ、お前さんどこでも寝るじゃん」



 そんな会話を交わしながら、ユーシアは自室の扉を開ける。


 扉を開けると、3人分の寝息が聞こえてきた。

 非常に嫌な予感がする。主に寝床がなくなるという意味合いで嫌な予感がする。



「…………」


「…………」



 ユーシアとリヴは目の前に広がる光景に黙るしかなかった。


 ネアとスノウリリィはダブルベッドで身を寄せ合って眠っており、ユーシアとリヴの帰還に気づくことはない。彼女たちが安心して眠ることが出来る環境は喜ばしいことだ。

 その隣に並んだ同じダブルベッドには、何故か家主でも何でもないユーリカが眠っていたのだ。しかも端に寄っているならまだしも、ベッドの真ん中で大の字になって眠っていやがるのだ。鳩尾に1発叩き込んでも許されるかもしれない。


 ユーシアはライフルケースを足元に落としながら、



「永遠に目覚めなくしてやろうかな」


「でもこれで寝床に潜り込むなんてことは出来なくなりましたよ、シア先輩」



 リヴはユーシアの腕にしがみつくと、



「ソファで寝ましょうか、一緒に」


「ユーリさんちょっと詰めて、俺も寝るから」


「ちょっと、何でそこのポッと出がよくて僕はダメなんですか。納得いかないんですけど」



 ユーシアは大の字で寝るユーリカを押し退けようとするのだが、それを不満に思ったリヴがゲシゲシと尻を蹴飛ばしてくる。



「じゃあ聞くけどさ、リヴ君」


「はい」


「俺に変なことしないよね?」


「はい?」


「する気だったんだね」



 ユーシアは頭を抱える。

 この相棒、寝ているユーシアに何をするつもりだったのか。明日になって目覚めたら子供の姿になっている可能性だってあり得る。


 しれっと明後日の方角を見上げるリヴの両肩を掴んだユーシアは、



「よからぬものは今すぐ出して」


「持っていませんよ、そんなもの」


「出さなかったら俺はポチのところで寝ます。護衛としてリヴ君にはここで手錠をして残します」


「チッ」



 リヴは舌打ちをすると、レインコートの下から注射器を取り出した。

 見た目はリヴが【DOF】を注入する際によく使用する注射器だが、中身がけばけばしい蛍光ピンクの液体である。薄暗い部屋でもちょっと光っているようにも見えた。明らかに怪しいお薬である。


 ユーシアは床に落ちた注射器を拾い上げると、



「これは何?」


「勝手に紛れてました」


「お前さんで試してもいい?」


「ユーリカさんに頼んで女体化薬を調合してもらいました。【自主規制】をすると元の姿に戻ります」


「よーし捨てようね」



 ユーシアは注射器を床に落とすと、器ごと靴底で踏み潰した。プラスチック製の器は呆気なく踏み砕かれると、中身が客室の床に敷かれた絨毯に染み込んでいく。

 リヴがどこか恨めしげな視線を寄越してくるが、余計なことをしてくるのは確定していたので未然に防げてよかった。女体化なんて死んでもごめんである。


 欠伸をしたユーシアは、



「じゃあ寝ようかな」


「僕は許されたんですか? 許されたんですよね?」


「リヴ君、縮んでよ。煙草の箱の中にハンカチ敷いてあげるからそこで寝てくれる?」


「期待させておいてこの仕打ちですか? その髭を毟りますよ?」



 飛びかかってこようとするリヴを華麗にスルーしたユーシアは、その身体をソファに横たえる。眠たげに目元を擦って完全に寝の体勢である。

 一方で置いてけぼりを食らったリヴは、さっさと寝ようとしているユーシアを容赦なく揺さぶって起こそうと試みてくる。揺さぶれば起こせるとでも思っているのが浅はかなのだが、もうすでに眠たいユーシアはリヴの揺さぶりがとても心地よくて意識が徐々に遠のき始める。


 あと少しで夢の世界に旅立てると思ったのだが、



「えいや」


「ぐえッ」



 のし、とリヴがユーシアの上に乗ってきた。

 ユーシアを敷き布団の代わりにしてくるこの真っ黒てるてる坊主は、そのままユーシアの胸板に額を擦り付けてうつ伏せの状態で眠る。正直なところ、重くて仕方がない。


 ユーシアはリヴの肩を揺らすと、



「リヴ君起きて、重い」


「ぐー」


「わざとでしょ、ねえ」


「すぴー」


「そんな声しないじゃん」



 ユーシアは「もう」とため息を吐き、ゴロリとわざと寝返りを打ってリヴを自分の上から滑り落とした。

 床に叩きつけるのはいくら何でも可哀想なので、背もたれ側に寝返りを打ってリヴを転がす。もう起きるつもりはないのか滑り落ちてもリヴは瞳を開けることはなく、ユーシアの胸元に額を押し付けて静かに寝息を立てていた。


 小さく欠伸をするユーシアは、意外と体温の高くて心地いいリヴを抱き寄せる。



「寝よ……」



 悪党だろうと【OD】だろうと、眠い時は眠いのだ。人間なのだから仕方がない。

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