【第4話】

「んー……」



 ネアが眠たげに目を擦る。


 もう時刻は夜の10時を回ろうとしていた。お腹もいっぱいになったし、お風呂にも入ったので眠くなってしまったのだろう。

 健康優良児であるネアに夜更かしは酷だ。ここらで寝かしつけてしまった方がいいだろう。


 スノウリリィはネアをベッドに寝かせると、



「ネアさん、もう寝ましょうか」


「んー……まだねたくないぃ……」



 ネアはスノウリリィの腰に抱きつき、



「おふね、まだみてないの……」


「それは明日にしようか」



 ユーシアはネアの頭を優しく撫でてやると、



「今日はいっぱい色々なことがあったし疲れてるでしょ? お船の中を探検するのは明日にしようか」


「ほんと……?」


「うん。これからネアちゃんに案内できるようにさ、俺とリヴ君で予行練習してくるから」



 ユーシアの後ろで「聞いていないんですけど」と言わんばかりにこちらを見つめてくる相棒がいるのだが、目を合わせたら死ぬと思うので無視した。全力で無視である。


 ネアはユーシアの言葉に満足したのか、すぐに寝息を立て始めてしまった。寝巻き姿のスノウリリィにしがみつき、すでに彼女を抱き枕にする気満々である。

 規則正しい寝息を立てるネアに布団をかけてやり、スノウリリィは優しげに微笑む。まるで姉妹のようだ。微笑ましいやり取りである。



「あの、明日は本当に客船の中を?」


「ネアちゃんが満足してくれるならね。まあ危ないのはいそうだけど、殺せばいいし」


「殺さないという手段は取れないんですかね?」


「取れるけど取らない。絶対に嫌」



 ユーシアは問答無用で却下の判断を下す。


 頭の螺子が吹っ飛んだ【OD】に慈悲を見せようとするのが、そもそも無理な話なのだ。奴らに慈悲など必要とせず、対話など通用しないので話し合いの余地すらない。「まだ更生できる」とか「望まずに【OD】になったんだぞ」とかそう言ったお花畑な主張を掲げる人間は、一度でもいいから痛い目を見るといい。

 異能力が手に入るという甘い言葉に騙されて手を出したが最後、死ぬまでもう元には戻れないのだ。ユーシアの殺す行為は【OD】にとってせめてもの慈悲である。


 ――なーんて、そんなお綺麗な理由で奪って殺してという血みどろな世界に身を置いていないのだ。殺したいから殺してやるだけである。



「というかシア先輩、僕を巻き込まないでいただけます?」


「巻き込まなきゃよかった?」


「いえ別に、仕方がないのでついて行きますけど」


「そういうのってツンデレって言うんでしょ? 俺はちゃんとジャパニーズカルチャーを勉強したからね」



 自慢げにユーシアが指摘すると、リヴは手刀をユーシアの脇腹に突き刺してきた。鋭い痛みが肉や臓器、骨を通じて全身に広がっていく。



「どこかに行くのか?」


「ユーリさんはここにいてよ。ネアちゃんとリリィちゃんもいるし」


「まあ複数人がいればいいんだけど、なるべく早めに戻ってこいよ」



 客室に備え付けられた雑誌を読み込んでいたユーリカが「夜は何があるか分からねえしなァ」などと不気味なことを言う。【OD】だらけのこの豪華客船の内部に於いて、そんな言葉は不吉極まりない。

 余計なことを言ったので客室から叩き出そうかなとは思ったのだが、そうなるとネアとスノウリリィのが弱い女性組が客室に取り残されてしまう。他の【OD】が部屋に攻め込んできて身を守れなかったら、その犯人を100回ぐらい殺しても物足りない。


 ユーシアは純白の狙撃銃が詰め込まれたライフルケースを背負うと、



「ほらリヴ君、行くよ」


「分かりましたよ」



 相棒の真っ黒てるてる坊主を引き連れ、ユーシアは夜の豪華客船へと足を踏み出した。



 ☆



 ユーシアとリヴが向かった先は、あの笠地蔵の部屋である。



「ポチは生きてるかな」


「生きてますよ。さっきも無理やり飯は食わせてきたので」



 リヴは「窒息しかけていましたが、一応飲み込ませました」などと言う。ポチとは言いながらも可愛がるつもりは毛頭ないらしい。


 当然だが、ユーシアだってあんな生意気なクソガキを可愛がるつもりはない。何ならリヴがうっかり殺さないかなと思っている始末である。

 この殺意が無駄に高い相棒がこうして未だにポチを生かしておいているのだから、相当な忍耐力をしていると思う。ポチはユーシアたちを豪華客船に乗せた張本人であるミヤビ・クロオミの親戚なので殺すのは悔やまれるのだが、だからと言ってリヴが殺さないのは本当に珍しい。


 ユーシアはリヴを見やり、



「リヴ君、ポチを殺そうとは思わないの?」


「シア先輩が『殺すな』と言ったので」



 リヴはレインコートのフードの下から視線をユーシアに向けると、



「何か考えがあるんでしょう?」


「まあ、一応は。上手くいくか分からないけど」


「シア先輩の考えることは面白そうだったので、話になったまでです。だからポチも殺さずに生かしておきます」


「納得しなかったら殺してた?」


「ええ、瞬殺ですね」



 しれっとそんなことを言うリヴ。やはり殺意は一級品と呼んでもいいぐらいだ。


 ちょうど笠地蔵の部屋の前まで来たので、ユーシアはドアノブに手をかける。力を込める寸前で扉の向こうから誰かの話し声が聞こえてきた。

 笠地蔵の【OD】の部屋に誰かが侵入して、ポチを殺害したという可能性も十分に考えられる。そうなったらそうなったで彼自身に用事はないので死体は捨て置く所存だが、扉の向こうから漏れ聞こえてくる話の内容はそんな雰囲気ではなかった。



「――――、――、――――」



 ポチの声だ。

 誰かと会話をしているのか、その口調は淡々とした雰囲気がある。昼間にぎゃあぎゃあと喚いていた彼とは大違いだ。


 ユーシアとリヴは互いの顔を見合わせると、



「やあ、ポチ。ご飯はちゃんと食べられたかな? ちゃんと眠れているか気になって様子を見に来たよ」


「心優しいご主人様で感謝してくださいよ、この駄犬。泣いて喜べ」


「うひゃあ!?」



 扉を蹴飛ばす勢いで開け放つと、驚いたポチがその手から携帯電話を滑り落とした。数年前まで普及していたガラケーである。

 誰かと通話中だったのか、画面には電話中の暗い画面が表示されている。スピーカーからも誰かの声が漏れていた。優男を想起させる声である。


 ポチが座るベッドには手錠と足枷が投げ出されていた。リヴが彼を拘束する為に用意していたものだろうが、ユーシアとリヴがいなくなった途端に外されていた。彼の首に嵌め込まれた犬用の首輪も地面に投げ出されている。



「あ、はは、えっと、あの」



 ポチは顔を引き攣らせると、



「ね、寝にくいって言うかぁ……」


「言い訳は無用です、首輪を外すなんてこの駄犬」


「ぎゃーッ!!」



 ポチに殴りかかるリヴを横目に、ユーシアは床に落ちた携帯電話を拾い上げる。


 スピーカーに耳を当てると、すでに電話が切れていたのか『ぷー、ぷー』という音しか聞こえてこなかった。

 電話帳を確認すると電話番号は1つしか登録されていなかった。特定の人物と連絡を取る為の携帯電話なのだろう。


 ユーシアは電話帳に登録されていた電話番号に電話をかけてみる。



『…………どちら様ですか?』


「こんばんは、ミヤビ・クロオミ。よくもまあこんな面白い豪華客船に乗せてくれたものだよ」



 携帯電話から聞こえてきたのは、あのミヤビ・クロオミの声だった。親戚であるという言葉は信じるに値するかもしれない。



「この船から脱出したらお前さんのことを殺しにいくよ。遺書と財産の確認だけはしておきなね」


『殺害予告ですか? やはり【OD】は害悪でしかないですね』


「やだな、そんな分かりきったことを言わないでよ。でもさ」



 ユーシアは朗らかに笑うと、



「普通の人間だと思ってる連中も害悪が多いからさ、殺した方がいい人間もいるもんだよ」


『狂っていますね、反吐が出ます』


「まあ、お前さんへの用事はそれだけだよ。せいぜい指を咥えて見ていな」



 通話を切断すると、ユーシアはガラケーを半分に叩き折る。


 バキィ!! と音を立てて半分に折れる携帯電話。それを床に放り捨てると、ポチがあからさまに顔を青褪めさせた。

 親戚との連絡手段を断たれたのだ。表情も引き攣るし、絶望を感じざるを得ない。リヴもユーシアに叩き折られた携帯電話に視線をやり、ポチを殴る手を止めていた。


 ユーシアは殴られたことで腫れ上がったポチの頬を抓ると、



「余計なことは考えない方がいいよ、命が惜しくなければね」


「悪魔だ……」


「いいね、その呼び方。頭が悪い呼び方だよ」



 絶望した様子のポチを笑い飛ばし、ユーシアはリヴに「気絶するまで殴っておいて」と命令する。それから肉を殴りつける音が連続し、10分間ぐらいはポチの呻き声が漏れていた。

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