【第3話】

「おいしーい!!」



 客室にネアの歓喜に満ちた声が響き渡る。


 彼女が食べているのは冷凍の海老ピラフである。しかもご丁寧なことに、冷凍食品の包装がそのまま器にもなる非常に便利なものだった。

 プラスチック製のスプーンで海老ピラフを口に運び、ネアは顔を綻ばせていた。冷凍食品を夕食として出すのは忍びないのだが、味は最高にいいのでこんな夕食もたまには悪くないだろう。


 冷凍のチャーハンを食べ進めるスノウリリィは、



「確かに味付けもしっかりしていますし、美味しいです」


「日本の冷凍食品は侮れないね」



 一方でユーシアはインスタントラーメンと格闘していた。

 どんぶりみたいな器のインスタントラーメンには側面に『調理方法』と銘打たれた文章がずらずらと並んでおり、袋を取り出すだの粉末スープを入れるだの指示がややこしすぎる。お湯を入れたら完成ではないのか。


 並べられた『かやく』と書かれた袋と『粉末スープ』と書かれた袋と、器の側面に書かれた文面を交互に見比べるユーシアは「全部入れちゃお」とそれぞれの袋を破る。中身を乾燥麺の上にぶち撒けてからお湯をドバッと入れた。



「これで3分待てば出来るのかなぁ」


「出来んじゃねえの」


「お前さん、まだいたんだ」


「部屋に帰るのが怖くてな。帰り道にどこかの馬鹿野郎に襲い掛かられたら嫌だし」



 部屋の隅でユーシアと同じようなインスタントラーメンをもそもそと口に運ぶユーリカが、適当な口調でそんなことを言う。彼の啜っているインスタントラーメンは世界的に見ても代表的なもので、お湯を注いで3分待てば完成する類のものだ。

 一端の【OD】ではあるものの、ユーリカの本職は【DOF】の調合をする薬屋だ。まともに戦闘の技術を有していないので、知り合いであるユーシアやリヴたちに頼らざるを得ない訳である。まあ、ユーシアとしてもユーリカが近くにいると【DOF】を強請りやすいのでWin-Winな関係か。


 縮れた麺を咀嚼するユーリカは、



「そういや、お前の相棒はどこ行ったんだ?」


「リヴ君のこと? 犬に餌をやってるよ」


「犬?」



 スノウリリィが怪訝な表情を見せる。

 勘のいい彼女のことだ、ユーシアとリヴの示す犬が本当に動物の『犬』ではないことなど理解していることだろう。事実その通りで、ポチはこの頭の螺子が外れに外れた異常者の祭典を企画した元凶の親族である。この豪華客船を脱出する際には殺すつもりだ。


 携帯で設定したタイマーを眺めるユーシアは、



「よく吠えるし噛み付くかもしれないから、ここには連れてこれないよ。狂犬病を持ってるかもしれないし」


「何だ、血統書がついてる訳じゃねえんだな」


「血統書付きだったら迷わずここに連れてくるね。俺は動物好きだし」



 人間よりも動物の方が好きなユーシアは、血統書付きの犬だったら丁重にもてなすと思う。人間ならば理不尽な理由でも殺害するのだが、可愛く邪気のない動物なら話は別だ。

 あんなもふもふの塊を痛めつけるなど考えられない。悪党でも可愛く純粋無垢な存在には弱いのだ。言葉を喋って意思疎通を図り、下手をすれば相手を簡単に騙せるとでも勘違いしている人間という名の猿とは大違いである。人間などあの犬や猫が見せる無邪気な可愛さには敵わない。


 海老ピラフを食べ終えたネアは翡翠色の瞳を輝かせると、



「わんちゃんいるの!?」


「危ないからね、リヴ君が調教中なの」


「そうなの?」



 ネアはユーシアの腕を引っ張り、



「ねあ、みにいきたーい。だめ?」


「ダメだよ、ネアちゃん。危ないって言ったでしょ」


「えー」


「えー、じゃないの」



 不満げに頬を膨らませるネアの頭を撫でるユーシアは、困ったように笑いながら幼い子供の精神状態まで退行してしまった少女を諭す。



「こーんな大きなお口のわんちゃんだよ、ネアちゃんも頭から丸呑みされちゃうかも」


「きゃあ!!」



 わざと指で口を広げて脅してみれば、彼女は楽しそうに声を上げてスノウリリィの後ろに隠れた。遊んでもらったと思っているのだろう。

 これで興味を失ってくれれば御の字なのだが、ネアの場合は意外と諦めが悪いところがある。まだ諦めきれずにユーシアとリヴの後ろをついていってポチの存在に気づいてしまうかもしれない。あの首輪に繋げられて喜ぶワンコロモドキに会わせる訳にはいかないのだ。


 さてどうやってネアの諦めをつけさせるか、と頭を悩ませるユーシアは、扉が開く音に顔を上げる。



「ただいま戻りました」


「お帰り、リヴ君」



 扉の隙間からぬるりと身体を滑り込ませてきたのは、今まで単独行動をしていたリヴである。「楽しいお夕食中ですか」などと呑気なご挨拶だ。



「リヴ君、ポチの様子はどう?」


「おにーちゃん、わんちゃんのおなまえってぽちっていうの!?」


「あヤベッ」



 リヴに任せていたポチの様子を聞いたのが災いした。ネアの興味を再び煽ることになってしまった。


 スノウリリィの背中に隠れて遊んでいたネアが、瞳をキラキラと輝かせて身を乗り出してくる。まだ冷凍のチャーハンを食べている最中のスノウリリィはネアが肩から身を乗り出してくるので、米が変なところに入って噎せていた。

 興味をなくしてくれたかと思ったのだが、全然効果がなかったようだ。むしろ彼女の興味をさらに引っ張り出してしまったのかもしれない。リヴに状況を聞いたのは間違いだった。


 現在の状況を見回したリヴは、



「すみません、シア先輩。噛みついてきたので、勢い余って殺してしまいました」


「え?」


「何だかむかついたもので」



 リヴはしれっとそんなことを言う。


 声に抑揚はなく、いつものように「今日の天気は晴れでしたよ」みたいな報告をする調子である。本当に殺害したのかしていないのか分からない。

 おもむろにレインコートの袖から携帯電話を取り出したリヴは、液晶画面に素早く指を走らせる。その直後にユーシアの携帯電話がメッセージを受信する音を奏でた。



「りっちゃん、なにをおにーちゃんにおくったの?」


「ポチが死んだ時の動画ですよ。ネアちゃんは見ちゃダメなものです」


「えー、なんでころしちゃうの。ねあ、みたかったのに」


「この豪華客船から降りたら本物のワンちゃんを見に行きましょうね。きっともふもふで可愛いですよ」



 リヴは「ほーら、この白いもふもふなワンちゃんなんてどうですか」などと言いながら写真ロールを見せていた。どうやら本当にもふもふなワンちゃんの写真が保存されているようで、ネアは夢中になって犬の写真を眺めていた。


 ユーシアは携帯電話に視線を落とす。

 リヴが操作していたのはメッセージアプリで間違いない。だが彼の言葉にあった『ポチの死んだ動画』はユーシアに共有されておらず、ただ簡素な文章だけが並んでいた。



 リヴ:ポチは無事です


 リヴ:仕事も完了しております



 ユーシアはメッセージアプリを閉じると、



「うわ最悪!!」


「どうしたんですか、シア先輩。ご飯前にポチの動画を見たから食欲が失せました?」


「インスタントラーメンにお湯を入れて3分以上経過してた!!」



 ユーシアは閉じたインスタントラーメンの蓋を慌てて開く。


 真っ白な湯気が器から立ち上り、醤油のいい香りが食欲をそそる。ただ肝心の麺は少しばかりスープを吸ってしまったのか、若干ふやけているようにも見える。

 麺が伸びたところで食べられなくはないのだが、せっかく食の殿堂である日本のインスタントラーメンを食べるのだから美味しい状態のものを食べたかった。残念である。


 プラスチックのフォークをビニール袋から破り捨てて取り出したユーシアは、少しばかりガッカリした感じでインスタントラーメンの麺を口に運ぶ。



「え、美味ッ」


「あ、そこの会社のインスタントラーメンは多少伸びても美味しいんですよ」


「さすがリヴ君、詳しいね」



 思いの外美味しかったので、ユーシアの沈んだ気分も回復した。

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