航海1日目後半:夜に抱かれて眠れ
【第1話】
ショッピングフロアは、お菓子を盗みにきた時より驚くほど静かになっていた。
「どうしたんだろうね」
「どうしたんでしょうね」
伽藍とした様子のショッピングフロアを目の当たりにして、ユーシアとリヴは不思議そうに首を傾げる。
先程まで暴走気味で自我をなくしたような【OD】ばかりいたのに、今や嘘のように静まり返っているのだ。食い散らかされたお菓子の空箱や無惨に凹んだ壁や柱、手摺に涎らしき液体がベットリと付着した痕跡があるので、間違いなく【OD】たちが暴れに暴れた結果がありありと伝わってくる。
嵐が襲いかかってきたのかと問いかけたくなるほどぐちゃぐちゃに荒れ果てたショッピングフロアを見渡すも、人間の姿はユーシアとリヴ以外に存在しない。全員揃って客室に引っ込んでしまったか。
ユーシアは黒い箱から煙草を取り出しつつ、
「みんなしてお昼寝でもしに行ったかな」
「部屋に火でも放ったら出てきますかね」
「【OD】の蒸し焼き? 美味しくなさそうだね」
「もちろん食べませんよ。そういった料理は見て楽しむものです、映え重視ってあれですよ」
「それは日本人の感性なのかな。よく分からないな、日本人」
リヴの言う通りに【OD】の姿焼きなんて食べられたものではなく、見て楽しむ為の料理になるだろう。絶対に食べたくない。
日本人の食文化はユーシアに理解できない物事が多すぎる。腐った豆を食べたり、大豆に飽くなき探究心を見出したり、生卵をご飯の上にかけて勢いよく掻き込んだり、常識的に考えてあり得ないものを食べるのだ。姿焼きも絶対そんな感じである。リヴは食べないけど日本人は赤の他人の姿焼きを食べるのだ。
安物のライターで火を灯すユーシアの隣で、首輪に繋げられたポチが「いーけないんだー」と歌う。
「船内は禁煙だから煙草を吸っちゃダメなんだよ」
「え?」
ユーシアはコートの下から引き抜いた自動拳銃を、ポチの眉間にグリッと押し付ける。
「このまま永遠に眠らせてあげようか。いいよ? ここに置いて行く?」
「ごめんなさい」
ポチは青い顔をして謝罪をしてきた。謝るなら最初から生意気な口を利かなければいいだけの話である。
そもそも、ポチの生殺与奪を握っているのはユーシアとリヴだ。少なくともリヴはポチの存在などクソほど興味ないのか、鎖をじゃらじゃらと揺らしながら深淵のように暗い瞳をポチにグサグサと突き刺していた。隙あらば殺そうとしている。
煙草の形をした【DOF】を燻らせるユーシアは、
「ほらポチ、ご飯のところはどこ?」
「こっちだよ」
ポチは鎖に繋がれた犬のように先導してショッピングフロアに足を踏み入れた。
リヴに鎖を握られているので、本当の犬のようにも見える。可愛げの欠片も感じられない生意気なワンコだ。用事が済んだら殺処分してやる。
嫌々そうな態度でショッピングフロアを歩くポチを追いかけ、ユーシアとリヴも静かなショッピングフロアを進んでいく。ゴミは散乱しているし、壁や柱に凹みは目立つので豪華客船がものの見事に荒れ果ててしまっている。こんなノアの方舟は嫌だ。
リヴはポチの首輪に繋げられた鎖を揺らして、
「本当に食事はあるんでしょうね。レトルトさえなかったら殺しますよ」
「あるんじゃないのぉ?」
ポチは緊張感のない間伸びした声で言う。
「まあね、お兄さんたちのような猿にご飯を用意してくれるだけありがたいと思ってほしいよね」
「手が滑りました」
「うおっとい!?」
リヴがレインコートの袖から滑り落とした自動拳銃の弾丸を、ポチは膝を折って驚くべき神回避を披露する。避けられた弾丸はちょうど洋服店の窓ガラスをぶち割り、粉々の状態にしてしまった。防弾ガラスにはしていなかったようだ。
粉々に砕け散った窓ガラスを見やり、それからポチは白煙が立ち上る自動拳銃をレインコートの袖にしまい込むリヴに視線をやる。彼の瞳は「どうして撃ったの?」と物語っていた。
しれっと明後日の方角を見上げたリヴは、
「手が滑ったんですよ」
「手が滑ったって理由は通用しない事件が起きたんだけど!?」
「手が滑ったと言ったでしょう。減らず口を叩いている暇があればとっとと案内しやがれ殺しますよ」
「本当に覚えてろよ……」
ポチは低く唸ると、ぶつくさと文句を垂れながらショッピングフロアを先導して歩く。
ユーシアはそんなポチの背中を眺めて、密かな疑問を抱いた。
一般人がリヴの弾丸を回避するなどあり得るだろうか。命中率はともかくとして殺意が誰よりも高いリヴの早撃ちは、ユーシアも目を見張るものがある。先程の銃撃も素早くて、一般人を名乗るポチであれば眉間ではなくても確実に身体のどこかへ大怪我を負っていたはずだ。
隣を平然とした様子で歩くリヴに視線をやると、
「お前さん、命中精度が落ちたかい?」
「本職が狙撃手のシア先輩には逆立ちをしても敵いませんよ」
「まあ、視力と命中率だけは自信あるからね」
ユーシアは「そうじゃなくて」と話題を軌道修正し、
「ポチ、よくリヴ君の銃撃を避けたなって思ったんだよね。リヴ君がわざと外したのかなって考えたんだけど」
「あの距離では外しませんよ」
「だよね」
「どこを狙ったの?」
「肩を狙ったつもりだったのですが、見事に回避されましたね」
リヴは黒曜石の双眸を音もなく眇めると、
「ポチは只者ではないかもしれません。早めの切り捨てを考えた方がよさそうですね」
「うーん……」
煙草の煙を燻らせながら、ユーシアは悩むように唇を尖らせる。
船の構造を最も理解しているのはポチだ。救命艇の居場所も知っているだろうから、ここで殺害をしてしまうと7日以内に自力で救命艇を探さなければならなくなる。
生かしておく方が賢明だが、生かしておいたままにするとユーシアやリヴたちの身に何が及ぶか分からない。下手をすれば寝首を掻かれて目覚めた時には綺麗な川と花畑が見えていそうだ。特にネアとスノウリリィだけは守らなければならない。
ユーシアは小さく首を横に振ると、
「ううん、やっぱり生かしておこう」
「殺さなくていいんですか?」
「救命艇を自力で探すのは面倒だから、せめてそこまで生かしておこう」
だが、用事が済んだらそれまでだ。
ユーシアはポチを長く生かしておくつもりはない。船内の主要施設を案内させて、あとはゴミでもポイ捨てするように豪華客船に置き去りとすればいい。7日後には海の藻屑となって消える。
リヴもユーシアの考えに納得したのか、淡々とした口調で「そうですか」とだけ告げる。殺そうと思っていた奴を殺し損ねたからちょっと苛立っているのだろうか。
ただ、ユーシアが何も考えていない訳ではない。
「ねえリヴ君さ」
「何ですか、シア先輩」
「携帯電話に打ち込んだメッセージのこと、任せちゃってもいい?」
「携帯電話に?」
リヴはレインコートの袖から携帯電話を滑り落とし、液晶画面に触れて内容を確認する。メッセージアプリに記載された簡素な文章を丁寧に読み込んでから、口の端を吊り上げてみせた。
その表情をするということは、ユーシアの要求は余裕なのだろう。さすが何でもそつなくこなす万能型の相棒だ、頼りになる。
ポチを殺せずに不満げな雰囲気だったリヴは、一気に上機嫌な様子で応じる。
「お任せください。僕に出来ないことはシア先輩をメロメロにすることぐらいですから」
「逆に言うけど、したいの? 俺のことをメロメロに?」
「ぜひしてみたいですね。シア先輩の性癖は一体何ですか? どの部分に惹かれますか?」
「絶対に嫌だ、答えないからね俺は」
「答えないなら自白剤でも使うしかないですね」
「そんな物騒な薬品をよくも持ってたね。別にいいけどね、自白剤程度なら耐性あるし」
「チッ」
「舌打ちしないの。俺なんかメロメロにしても意味ないでしょ」
ぐだぐだといつもの漫才ノリを繰り広げながら、ユーシアとリヴはポチの案内でショッピングフロアを進んでいくのだった。
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