【第8話】
さて、問題の笠地蔵野郎の部屋である。
「うわ」
「うわ」
強奪した鍵を使って部屋の扉を開けると、薄暗い部屋全体に写真が散らばっていた。
どれもこれも若者が映っているのだが、その目線はカメラの方に向けられていない。建物の影や写真に映る人物に分からないような位置から撮影されたものばかりである。
つまるところ盗撮写真だ。特定の人物だけが映っている訳ではなく、不特定多数の若者が盗撮されていた。
写真に映る人物たちの特徴といえば、平凡でこれと言った特徴のない地味な印象の少年少女たちである。中には芸能人みたいに整った見た目をしている若い女もいたが、共通点がある訳ではなさそうだ。
「これ一体何よ」
「裏に何か書いてありますね」
1枚の写真を適当に拾い上げたリヴは、写真の裏側をユーシアに見せてくる。
○月×日 △△駅にて
道に迷ったところを助けてもらった
文章から判断して、あの笠地蔵の【OD】はこの写真に映った人物に助けてもらったのだろう。
「何の脈絡も読めない」
「シア先輩は笠地蔵の話についてご存知ですか?」
「あんまり」
リヴの質問に対してユーシアは首を横に振って否定する。世界で有名なおとぎ話なら頭の中に入っているのだが、日本で限定されてしまうと曖昧な部分がある。
「笠地蔵って、雪の日に爺さんから笠を貰った地蔵が爺さんの家までお礼を届けにくるって話なんですよ」
「それってお爺さんと地蔵は顔見知りだったりする?」
「しないですね」
「ていうか地蔵って動く?」
「動かないですね」
「地蔵はどうやって笠をあげたお爺さんを特定できたの?」
「さあ?」
ユーシアとリヴの間に言葉に出来ない妙な空気が流れる。
つまりこの笠地蔵の【OD】は、優しくされた人物のご自宅を特定できてしまう異能力を持っているのだ。この写真を見る限りだとご自宅の特定だけでは済まないような気がする。笠をくれたお爺さんの家にお礼の品物を届けにいったお地蔵様のように、自分に親切にしてくれた心優しい若者たちの部屋まで押しかけたのだろうか。
何ということだろう、立派なストーカーである。しかも【OD】なので余計にタチの悪いストーカーだ。この程度だったらブタ箱にぶち込んだところですぐに出てきて同じような罪を重ねることだろう。
想像しただけで寒気を覚えたユーシアは、そっと床に広がった写真の海から離れた。
「気持ち悪い奴だね、こんなのが近くにいなくてよかった」
「殺して正解でしたよ」
リヴは手にした写真をぐしゃぐしゃに丸めて捨てながら、
「ほら、もしネアちゃんやリリィの奴が遭遇していたら確実に部屋を特定されていましたよ」
「ああ……」
待ち受けていただろう未来を想像して、ユーシアは遠い目をした。
純真な心を持っていても臓器を抉り取ることが出来るぐらいに倫理観がないネアならまだしも、根っからの善人であるスノウリリィは非常に危険だ。笠地蔵の【OD】がわざとらしく困っていたら助けたことだろう。
そうすれば見事にユーシアたちの滞在する部屋が特定されてしまう。こんな気持ちの悪い【OD】に部屋の前で出待ちされるより先に殺害しておいて正解だった。
他には何かないかと部屋の中を見渡すと、
「お」
「何か見つけました?」
「あいつの鞄があったよ」
ユーシアはベッドの上に放置されていたボロボロのボストンバッグに目をつける。
随分と使い込まれているのか、鞄の表面に描かれていたスポーツブランドらしきロゴは消えかかっている。肩から下げる紐の部分も毛羽立っており、鞄の側面は布地に穴が開きそうになっている箇所がいくつか見受けられた。
錆びたチャックを開けると、中身は着古した衣類が数着と共に手紙が1通だけ無造作に放り込まれていた。
「手紙だ」
「貸してください」
リヴが鞄の中に手を突っ込み、手紙を掴み取る。開封済みとなっている封筒を指先で摘み、軽く揺さぶって何かを確認していた。
「剃刀の類もないですし、火薬の匂いもしないので問題ないですね」
「そんな手紙に仕掛けを施すかなぁ」
「豪華客船を用意するぐらいに阿呆な連中ですよ、手紙に罠を仕掛けるぐらい簡単ですよ」
リヴの「日本人ってのは手先が器用で妙に悪知恵が働きますのでね」と言い、ユーシアは密かに納得してしまった。確かに手先が器用で悪知恵が働くものである。
よれた封筒から滑り落ちてきたものは、何度も読み返されたのか形跡のある手紙である。それ以外の紙は封筒にはない。
床に散らばる写真の上に落ちた手紙を拾い上げたユーシアは、くしゃくしゃになった手紙を開く。そこにはワープロ打ちされた簡素な明朝体の文字が並んでおり、淡々と文章の内容を伝えてくる。
お前の罪は知っている。
○月△日出港のクイーンズメリー号に乗らなければ殺す。
何とも珍しい【OD】を相手にした殺害予告だ。
「あのゲーム会社の会長様に何をしたんだろうね、あの笠地蔵」
「さあ? 特に興味はありませんね」
「俺もだよ」
ユーシアは手紙を床に捨てると、
「これどうしようか。残していても気持ち悪いし」
「燃やしますか」
「火災報知器って鳴らないかな?」
「何だったら火災報知器を破壊してから風呂場で燃やしたらどうです?」
「それ採用」
大量の写真と手紙を掻き集めたユーシアは、とりあえず燃やしても火事が燃え広がらなさそうな浴室に運ぶ。燃やす為の火種はユーシアのライターがあるので事足りる。
浴室を見回すが、天井にはスプリンクラーや火災報知器の類は取り付けられていなかった。元より7日後には誰も彼もドカンと爆発して海の藻屑に成り果てるのだから、火災報知器やスプリンクラーなんて存在しなくてもいいと思っているようだ。
まあ、ちょうどいいと言えばちょうどいい。最初から壊さなくていいなら余計な労力を使わないで済む。
アメニティが放置された洗面台に大量の写真と繰り返し読み込まれた手紙を広げたユーシアは、
「はい着火」
「着火」
2人がかりで写真を片っ端から燃やしていく。
洗面台に広げられた無数の写真はあっという間にめらめらと燃えていき、さらに燃え滓が他の写真にも移って火種が増えていく。日本のちゃんとした建物でこんな真似をすればすぐに火災報知器でも鳴りそうなものだが、生憎とここは【OD】だらけの世紀末である。そんな常識などゴミ箱に捨ててこなければ生きていけない。
鼻歌混じりで写真を燃やしていくリヴは、
「いやぁ、ざまあないですねこれは。お手軽に他人を殺しているような気分になります」
「やっすいねぇ、リヴ君。写真を燃やすだけで満足しちゃうの?」
「どうせならそこら辺を歩いている【OD】に火でもつけてみますか?」
「通常運転だった」
通常運転の殺意を振り撒く相棒に安堵をするユーシアだったが、
「いーけないんだー、いけないんだー」
少年期特有の高くもなければ低くもない、非常に曖昧な声が耳朶に触れた。
弾かれたように振り返れば、ユーシアとリヴが占拠する浴室を覗き込む少年がいた。リヴやネアよりも年下に見える彼は、短く切り揃えられた黒髪を揺らして首を傾げる。
楽しそうな光を宿す黒曜石の双眸、少年期らしくあどけない表情。身につけているのは黒い詰襟で、ボタンの辺りには翼を広げた鳥のような刻印が施されていた。制服でこんな場所に乗り込んでくるとは危機感がなっていないのではないか。
少年は楽しそうに笑いながら、
「せーんせーにいってやろー」
「言えるものなら言ってみてください」
「ぎゃーッ!!」
リヴの殺意に抵触してしまった彼は、哀れめらめらと火を灯すライターを顔に近づけられて悲鳴を上げる。「止めて!!」と甲高い悲鳴まで聞こえてきた。
残念ながら止める気力などサラサラないのだ。ふざけたことを抜かしたのが運の尽きである。
ユーシアは気にせず写真燃やしの遊びを続行しようとするのだが、
「ぼく、ミヤビ・クロオミの親族です!!」
「リヴ君、待った。その子を人質にしよう」
「あの澄ました秘書野郎に親族の悲鳴を聞かせるんですね」
あの腐れ秘書野郎の親族であるなら話は別である。この少年を人質に取る方向で、ユーシアとリヴの意見は一致するのだった。
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