【第7話】
「ただいま」
「ただいま戻りましたよ」
客室に戻ると、ベッドで飛び跳ねて遊んでいたネアが「おかえり!!」と元気よくご挨拶してくる。ぴょんとベッドから飛び降りるなり、すぐさまユーシアに抱きついてきた。
そのおかげで、相棒の邪悪なてるてる坊主からの視線が非常に痛い。突き刺すような視線が容赦なく刺さってくる。リヴの方を振り向いたら最後、喉笛をナイフで引き裂かれるかもしれない。それはもう惚れ惚れするほどの鮮やかな手つきで。
ユーシアは「はいはい、お菓子ね」と店から無断で取ってきた袋をネアに渡してやり、
「不味かったりしたらごめんね。一応、ちゃんと毒見して美味しかったものを持ってきたんだけど」
「ありがとう、おにいちゃん!!」
袋の中身をひっくり返してクッキーやチョコレートの缶が転がり落ちてくると、ネアの瞳がキラキラと輝いた。嬉しそうな様子で何よりだ。
かつて一般人には麻薬的な美味しさを発揮するが【OD】には吐き気がするほど不味く感じるお菓子が米国の地方都市で流通しており、お菓子には若干のトラウマがあるユーシアである。今回はちゃんと毒見をして美味しく感じたのだが、ネアとユーシアの味覚が異なる場合もある。その辺りが少しばかり心配だった。
ネアはチョコレートの包装紙を剥がし、茶色い粒を口の中に放り入れた。
「おいしい!!」
「それはよかったね」
「おにいちゃんとりっちゃんにもあげるね!!」
ネアはお優しいことに、ユーシアとリヴにも分け前を与えてくれるようだった。「はいどーぞ」と手のひらにチョコレートがコロリと転がる。
包装紙を剥がして口の中に放り込むと、舌いっぱいにチョコレート特有の苦味が広がっていく。ネアの子供舌では苦くてとても食べられないだろう。包装紙を改めて確認してみると『カカオ85%』となっていた。
ユーシアは申し訳なさそうに、
「ネアちゃんごめんね、苦いの混ざってたね」
「ネア、にがいのもたべられるよ」
「大人だねぇ」
「うん!!」
えへん、と胸を張るネア。
いつのまにか味覚も大人になっていたようだが、強がって2個目のチョコレートを口に運んだところ、それがどうやらとても苦いチョコレートだったようだ。「み゛ッ」という死にかけの蝉を想起させる悲鳴が彼女の口から漏れた。
ユーシアは部屋に備え付けてあったティッシュ箱をネアに渡してやり、
「苦かったら吐いていいよ」
「やだぁ……」
「じゃあジュース飲む? 冷蔵庫にあるよ」
「のむぅ……」
苦くて瞳を潤ませるネアに、ユーシアは部屋の隅に備え付けられた冷蔵庫の扉を開ける。
中身は有料の飲み物がたくさんおいてあったが、この状況で金銭など当然払う訳がない。7日後にはドカンと大爆発が起きて海の藻屑になるというのに、律儀に金銭を払って飲み物を飲む奴がいるだろうか。
ユーシアはとりあえず果物が描かれたジュースの缶を手に取り、プルタブを開ける。中身の匂いを嗅いでみるが、果物特有の甘い香りしかしない。
「リヴ君」
「はい」
ユーシアはリヴに缶を手渡して、同じく匂いを嗅がせる。ユーシアよりもリヴの方が優れた嗅覚を持っているので信頼できる。
「薬品の匂いはしませんし、腐っている気配もないですね」
「【OD】をこんな場所に閉じ込めるぐらいだから、腐った食べ物でも用意しそうな雰囲気があったけどなぁ」
「最後の晩餐という意味合いがあるんですかね。敵に変な情けをかけすぎだと思います」
「俺に言われても」
とりあえずジュースをネアに手渡してやり、今後の行動についての相談だ。
乗船客は【OD】のみで構成され、ついでに爆弾も積まれて7日後には大爆発を引き起こして乗客はもれなく海の藻屑と成り果てる。何とかしてこの爆薬が積まれた死の箱舟から逃げ出さないと、ユーシアとリヴはここで地獄行きである。
それだけは回避したい結末だ。せめてこのクソみたいな処刑を企画したクソゲーム会社を爆破でもしてやらなければ死んでも死にきれない。化けて出る可能性だって出来るかどうか分からないし、生きている時に得た恨みは生きているうちに解消したいところだ。
リヴは「甲板は?」と提案し、
「小型の船ぐらいは搭載していなければおかしくないですか? 日本は意外と犯罪に厳しいので、こんな馬鹿でかい豪華客船を出航させるとなると注目を浴びます。見た目だけでも取り繕うと思いませんか?」
「一理あるね」
ユーシアは真剣な表情で頷く。
避難用の船が手に入れば陸まで逃げればいいだけの話である。最初から海の藻屑にさせることが前提でも、豪華客船を出航させるには日本の厳重な審査を潜り抜けなければならないだろう。さすがに世界的なゲーム会社が欠陥のある豪華客船に客を乗せて海に送り出したとなれば、即座にワイドショーが取り上げて株価は大暴落だ。商売上がったりである。
冷蔵庫にある飲み物だって上等なものばかりだ。【DOF】という魔法のお薬を摂取して頭の螺子を数個吹っ飛ばした【OD】なら金額など分からないとでも思われているのか、見た目だけなら完璧に騙せている。見た目を取り繕うという説を信用するなら、甲板に避難用の小船ぐらいありそうだ。
リヴは「ちょうどいいものがありますしね」と言い、レインコートの袖から鍵を取り出す。ユーシアたちが滞在する部屋のものではない。
「ああ、笠地蔵の」
「そうです。何かあるとは思えませんが、鍵があるなら活用しない手はないでしょう?」
金具に指を引っ掛けて、リヴはくるくると鍵を回す。
「まあ確かに、風化してお札っぽくなったレシートばかり詰まったペラペラの貧乏財布の笠地蔵の部屋に何があるのか分かったものじゃないけどね」
「行く価値はあるんじゃないですかね。僕たちと違って他の【OD】はちゃんとした招待を受けて豪華客船に乗った訳ですし」
「そうだね。夕ご飯の調達もあるし、ついでに行ってみようか」
「ええ」
すると、閉ざされていた浴室の扉が内側から僅かに開かれて「あれ、帰ってきたんだ」などという声が聞こえてくる。
扉の隙間から顔を覗かせたのはユーリカだ。サングラスにマスクという不審者スタイルでユーシアとリヴをお出迎えである。浴室を占拠して一体何をしているのかと思えば、何やら嗅ぎ覚えのある匂いが扉の隙間から漂ってきた。
ユーシアは眉根を寄せ、
「浴室を占拠して何してんの。自分の部屋に戻ったら?」
「意地悪なことを言うなよ、お前の【DOF】を調合してやってたってのに」
ユーリカは「ん」と扉の隙間から手を伸ばしてくる。
彼の手のひらに乗せられていたものは、ユーシアが【DOF】として使用している煙草の箱と同じものだった。浴室を占拠したのは、匂いが出てしまうのでお菓子を食べているネアが嫌な気分にならないようにという配慮によるものだろう。
ユーシアは煙草の箱を受け取ると、
「ありがとう、まだ余裕はあるけど予備として持っておくよ」
「【DOF】を切らしたら大変だぞ」
ユーリカは僅かにサングラスをずらしてユーシアを見上げると、
「【OD】にとって【DOF】はもう切っても切れないブツだ。幻覚にやられて頭おかしくなって死にたくなければ切らすなよ」
「はは、考えておくよ」
ユーシアは煙草の箱を砂色のコートにしまい。
「リヴ君、今日のご飯は何が食べたい?」
「ある材料で考えられるものを」
「台所事情に優しいね」
「僕はいつでもどこでもあらゆるものに優しいでしょう?」
「ロリ以外には割と厳しいよね」
ネアの為に苦くないお菓子の選別をしていたスノウリリィが「また行くんですか?」と首を傾げる。
「うん、今日のご飯の調達をしなきゃいけないし」
「ご飯の用意でしたら私もついていきます。ユーシアさんとリヴさんだけにお任せしていたら申し訳ないです」
「ネアちゃん、そこのメイドさんを何としてでも押さえつけておいて。絶対に」
「今日のご飯が殺人鬼の作るフルコースになりかねないので。ネアちゃん、重大な任務ですよ」
「がってんだ」
「何でですか!?」
スノウリリィの腰に抱きついて行動を阻害するネアに親指を立てて健闘を祈り、ユーシアとリヴは食事の調達の為に再びショッピングフロアを目指すのだった。
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