【第2話】
その男がネアにぶつかった時点で、ユーシアは動いていた。
「きんたろーう、きんたろーう……♪」
ボソボソとした口調で歌う頭のおかしな男をよそに、ユーシアは背負っていた傷だらけの箱を足元に落とす。
箱を蹴飛ばすと金具が衝撃で外れ、蓋が弾かれたように開かれた。ベルベット生地の台座の上に寝かされていたのは、純白にカラーリングされた狙撃銃である。その他にも三脚やスコープなどが同じように箱の中へ収納されていた。
即座に純白の狙撃銃を拾い上げたユーシアは、迷わず男の眉間を照準する。
「まかさり、かついで、わるものたいじ……♪」
血に濡れた斧を振り上げ、
「ネアさん!!」
スノウリリィが叫んだ瞬間が、ユーシアの中で何かが切り替わる音がした。
――ガァン!!
けたたましい銃声が鼓膜を叩く。
純白の狙撃銃から放たれた狙撃弾が、寸分の狂いもなく的確に男の眉間をぶっ叩く。撃たれた衝撃で男は背筋を仰け反らせ、その手から斧が滑り落ちて鈍い音を立てた。
仰向けで倒れた男は、健やかないびきを掻いて眠っている。銃弾を受けたはずの眉間は赤く腫れているだけで、特に目立つような外傷は何もなかった。
銃口から白煙が立ち上る純白の狙撃銃を下ろしたユーシアは、
「危なかったぁ」
「躊躇いもなく殺しました!?」
「人聞きの悪いことを言わないでよ、リリィちゃん。必要な犠牲だよ」
目を剥くスノウリリィに、ユーシアは明後日の方角を見上げて砂色のコートから煙草の箱を取り出す。
手のひらに収まる程度の大きさしかない煙草の箱は真っ黒で、荊の模様がぐるりと箱を1周している。コンビニや煙草販売店などの一般的な店舗では絶対に見かけないような煙草だった。
箱から取り出した白い煙草の先端を咥え、ユーシアは安物ライターを使って火を灯す。その手つきは慣れており、煙草を吸う様も玄人感が出ていた。
「ユーシアさん、船の中は禁煙ですよ」
「俺のは煙草じゃないもん」
「見た目が煙草なら煙草なんですよ、ちゃんと喫煙所に行ってください」
「やだね」
スノウリリィに注意されるも、ユーシアはそっぽを向いて甘い香りが特徴的な紙巻きを吹かすのだった。
この紙巻きが、ユーシアにとっての【DOF】だ。
ユーシア・レゾナントールは眠り姫の異能力を発現させた【OD】だ。自分が把握している異能力の詳細は狙撃銃で撃った相手を強制的に眠らせることが出来るもので、異能力を維持できている間は誰も傷つけることが出来ない。男の身体に外傷がなかったのは、ユーシアの【OD】としての異能力が適用されたからに他ならない。
ちなみに【OD】の異能力を使って眠らせた場合、起こす為にはユーシアがキスをしなければならないというクソみたいな制約がある。そんなメルヘンチックなことはせず、眠った相手の処理は相棒のリヴに任せているのだ。
「それよりもリリィちゃん、客室に行こうよ。荷物を片付けたいな」
「ユーシアさんが眠らせてしまった男の人はどうなさるおつもりですか?」
「そんな簡単なことを聞くの?」
ユーシアはゆっくりと煙草を吹かしながら、床に倒れ込んで眠る大男を顎で示した。
「ほらもうリヴ君が処理してるよ。永遠に目覚めないね、あれ」
「わあ!?」
あからさまに驚くスノウリリィは、床に尻餅をついたままポカンとしているネアを助け起こして距離を取った。
床に倒れた得体の知れない大男は、馬乗りになった真っ黒てるてる坊主の手によってあの世に強制連行されていった。太い首に突き刺さった大振りなサバイバルナイフを伝って鮮血が滴り落ち、敷かれたふかふかな絨毯を真っ赤に汚していく。
ユーシアの【OD】の異能力が発動しているからか、男は永遠に目覚めることはなく死んだ。便利なことに眠らせた相手はユーシアがキスをしない限り永遠に眠り続けるので、麻酔の代わりとして相手を死の世界に追いやる訳である。
すでに殺した大男の顔面にザクザクとナイフを突き立てるリヴは、
「ネアちゃんにぶつかっておきながら謝ることもせず、しかも斧で殺そうと画策するなど言語道断です。3回、いいえ30回は殺しても僕の殺意は尽きませんよ死ねクソ野郎」
「リヴ君、お肉を突き刺す遊びは楽しいかい?」
「暇潰しにもなりませんね」
それまで一心不乱に大男の顔面をナイフで切り刻んでいたリヴだが、ユーシアが声をかけた途端に態度をコロッと変えた。果たして彼の本性はどちらか。
大男の顔面は、リヴが雑な整形を施してしまった影響で判別できなくなっていた。眼球も、鼻も、口も、頬も、顔全体に深い切り傷が刻み込まれて真っ赤に染まっている。眠るように死んだはずが、とんだ死に様を晒すことになってしまった。
ユーシアは男の死体を見下ろすと、
「リヴ君、これどうするの?」
「海に投げ捨てましょう」
「俺はやだよ、こんな重たい荷物を運ぶの。狙撃銃より重いものを持つのは嫌なんだから」
「ご心配なく」
リヴはレインコートの袖から注射器を滑り落とす。
医療用に使われている注射器の中身は、透明な液体が揺れていた。鋭い針を首筋に迷いなく突き刺し、リヴは注射器の中身を身体の中に投与した。
その迷いない手つきで注入された透明な液体の恩恵を受け、リヴは死体となった男の腕を掴む。
「僕が処理をします」
すると、腕を掴んだ男の身体が見る間に縮んでいった。
リヴの【OD】としての異能力は親指姫である。自分の身長を親指程度の大きさにまで縮めるか、自分の手で触れた相手を親指程度の大きさまで縮めることが出来る非常に使い勝手の良い異能力だ。
その分、異能力を使用する為には濃度の高い【DOF】を必要とする。リヴの体内に注射器で投与された【DOF】の濃度は、ユーシアの持つ【DOF】のおよそ3倍だ。
ヒョイとまるでゴミでも拾うのように男の死体を摘み上げたリヴは、
「窓はどちらにありましたっけ?」
「作る?」
ユーシアは純白の狙撃銃を構えて首を傾げる。ユーシアの異能力が適用されるのは人間相手のみに限定されるので、壁などを壊すのは普通に可能だ。
「いやいいです。このまま客室から捨てます」
「まあ、仕方ないよね」
純白の狙撃銃を箱の中にしまうユーシアは、
「じゃあ客室に行こうか」
☆
客室の鍵を開ければ、意外と広い部屋がお出迎えしてくれた。
ふかふかなソファと人数分の日用雑貨、2人で利用するのにちょうどいい大きさのベッドが2台並んでいる。広さもそれなりにあるので、4人で利用するには適度な部屋と言えた。
さらに重要なのは窓があることだ。クリーム色のカーテンを開ければどこまでも続く青い海が広がっており、ほんの少しだけなら窓も開けることが出来る仕様になっていた。
「これで窓がなかったらトイレに流してやるところでした」
「詰まるでしょ、絶対に」
「詰まればいいんですよ、こんな奴」
客室に足を踏み入れたリヴは、早速とばかりに窓を開けて先程の男を放り捨てる。
手を離した途端に男の身長は元の大きさを取り戻したが、すでに彼の身体は海上に投げ出されており、そのまま暗い海に落ちていった。ここがどこなのか不明だが、海のど真ん中に落とされれば魚に食われて死ぬか海の底に沈んで腐り落ちるかのどちらかだろう。
リヴは手のひらについた血を一瞥し、
「うわ汚い」
「リヴ君、その手を俺のコートにつけたら眠らせるからね」
「え、シア先輩が優しくキスして起こしてくれるんですか? 役得ですね、ぜひお願いします」
「やるなって言ってんのよ」
何故か興奮気味にユーシアのコートへ血のついた手のひらを押し付けようとしてくる真っ黒てるてる坊主から距離を取りつつ、ユーシアは部屋に備え付けられた灰皿に咥えていた煙草を押し潰した。
さて、問題は山積みである。
どうにもこの船、嫌な予感しかしないのだ。先程の男の件も含めて、新作ゲームの体験と宣っておきながら別のゲームが展開されていそうな気配である。
例えるなら頭のおかしな連中だらけの殺し合い、とか。
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