【第3話】

「お迎え?」



 ユーシアは首を傾げると、



「それってアレ? 警察とか?」


「違います」



 スーツ姿の男は即座に否定すると、胸元に手を差し入れた。


 まさか『お迎え』というのは、地獄へのお迎えだろうか。いきなり拳銃を突きつけられて「テメェを地獄の底まで送り込む為の迎えだァ!!」とか言い出すつもりか。

 リヴも相手の行動を警戒しているのか、レインコートのフードの下で黒曜石の双眸を音もなく眇める。ぶかぶかの袖から自動拳銃が僅かに見えるので、相手が拳銃を取り出すより先に射抜くことが出来るだろう。


 ところが、相手が懐から取り出したものは拳銃ではなかった。



「私、こういう者です」



 手のひらに収まる程度の厚紙――いわゆる名刺である。

 その名刺には外国でも数多くの支社を展開する総合商社の名前が並んでおり、彼の役職名と名前も大きく分かりやすい文字で記載されていた。ユーシアもリヴも見覚えがある会社名である。


 2人揃って小さな紙に注目するユーシアとリヴは、



「株式会社ゲームファンタズマ……」


「会長秘書のミヤビ・クロオミですか」



 株式会社ゲームファンタズマといえば、世界的に有名なゲーム会社である。日本に本拠地を置き、海外に向けて幅広いゲームを送り出していると有名だ。

 幻想的な世界観と魅力的なキャラクター、有名な脚本家が手がけるゲームの数々は子供から大人まで魅了して止まない。ユーシアも株式会社ゲームファンタズマが出したソーシャルゲームなら手を出したことはあるが、ゲームソフトはあまり知らない。


 そのゲーム会社の会長秘書が、ユーシアとリヴに一体何の用事だろうか?



「さっきお迎えがどうのって言ってたけど、それと関係ある?」


「我が社が開発中でありますゲームを体験してもらおうと思いまして」



 スーツ姿の男――ミヤビ・クロオミは居住まいを正すと、感情の読み取れない黒曜石の双眸でユーシアとリヴを見据える。



「お2人にはぜひご参加してほしい、と会長からお達しです」


「それはそれは、光栄ですね」



 リヴは貰った名刺をビリビリに破き、紙吹雪のようにして「ふッ」と散らしてしまった。


 リノリウムの床に散らばる小さな紙片。通行人が嫌そうな表情でこちらを見つめてくるが、真っ黒いレインコートに全身を包み込んだ邪悪なてるてる坊主へ積極的に話しかける常識人はいない。みんなして見て見ぬふりをして足早に立ち去った。

 生憎だが、ユーシアもリヴもゲーム会社に興味はないのだ。今回は東京観光に訪れたので、ゲーム会社の新作ゲーム体験などという面倒臭いイベントは出来る限り拒否したい所存である。


 目の前で自分の名刺がビリビリに破かれたにも関わらず、ミヤビ・クロオミは引かなかった。度胸があると言えようか。



「困ります。会長はあなた方をぜひにと推薦しておりますので」


「では会長にこうお伝えください。『死ねカス、そんな暇があったら【自主規制】して寝ろ』と」


「ゲーム体験でいい成績を残せば豪華賞品が贈呈されますが」


「興味ないですね」


「参加していただけませんか?」


「お断りします」



 ミヤビ・クロオミとリヴによるお願いと却下の応酬が繰り広げられる中、ユーシアは退屈そうに欠伸をしながら勝負の行く末をぼんやりと見守ることにした。


 新作のゲームはどんな内容になるのか不明だが、ユーシアとリヴは米国のとある地方都市にて名前を馳せた大悪党である。殺害、強盗、恐喝など日本の法律に照らし合わせれば確実に死刑となるような罪を数えきれないほどの犯してきたのだ。

 そんな大悪党に「ゲームの体験をしてほしい」とお願いするのがそもそもの間違いだ。完璧に怪しい奴である。以前、リヴが携帯電話で読んでいたネット小説で殺人を強要する内容の小説があったような気がする。


 リヴもそろそろミヤビ・クロオミに対する殺害衝動が耐えきれなくなってきているのか、レインコートの袖からチラチラと黒光りする玩具が見えてしまっている。30秒以内にミヤビ・クロオミの眉間には風穴が開くかもしれない。



「りっちゃん、なにしてるの?」


「ユーシアさん、その方は一体どちら様ですか?」



 そんな時、ちょうど買い物を終えてきた女性陣が戻ってきた。


 好きなアニメのキャラクターが描かれた飴の缶を抱えてご満悦な様子のネアと、そんなネアに付き添うスノウリリィの疑問に満ちた眼差しが向けられている。今までの会話のやり取りを聞いていなかったので、今の状況を読めていないのだ。

 おっと、非常にまずい状況で帰ってきてしまった。この状況を利用しないのはビジネスマンとして失格である。



「お連れ様ですか? 実はユーシア・レゾナントール様とリヴ・オーリオ様に新作ゲームの体験をお願いしておりまして」


「おいコラ、何ウチの女性陣に気安く話しかけているんですか。殺しますよ」



 急に標的を変えてきたミヤビ・クロオミに、リヴは分かりやすく殺意を向ける。下手をすればそのまま袖から自動拳銃を引っ張り出しそう。


 新作ゲームという魅力的な単語を聞いたネアは、翡翠色の瞳をキラキラと輝かせてユーシアとリヴを見やる。

 純粋無垢な精神を持つ彼女であれば、絶対に食いつく内容の話である。この反応は予想できたことである。ユーシアは胸中で頭を抱えていた。



「おにーちゃん、りっちゃん。げーむやろ!!」


「あのね、ネアちゃん。こういうのって絶対に怪しいと思うんだ」



 ユーシアは興奮気味なネアの肩を叩き、説得を試みる。



「俺ね、リヴ君が読んでいたネット小説で何度も見たことがあるんだよ。これって絶対に逃げられない場所へ連れて行かれて殺し合いを強要されるんだよ」


「おにーちゃんもりっちゃんも、まいにちやってたでしょ?」


「やばーい、否定できなーい」



 純粋無垢な精神を持ち合わせる少女に言われてしまうと、ちょっと心の柔らかい部分が抉れてしまうので何も言い返せなくなってしまう。だって事実なのだから仕方がないのだ。

 リヴもネアに指摘された痛い現実に「ヴッ」という変な声を漏らして膝から崩れ落ちていた。心優しい通行人が心配そうに駆け寄ろうとしたが、全身をレインコートに包み込んだ変人に話しかけたくないのか、どこか躊躇いがちに遠目から何故か見守っている。


 ネアは「やろ? やろ?」と執拗にユーシアとリヴをゲーム体験に参加するように誘い、



「ねあもやりたい!」


「ゲームとは一体どのようなものですか?」


「リヴ君ってばネアちゃんのおねだりには甘いんだからねぇ」



 即座に起き上がったリヴがミヤビ・クロオミへ掴みかからん勢いで質問をし、ユーシアはそんな邪悪極まるてるてる坊主を眺めて苦笑した。

 本当に概念女児でも純粋無垢な精神を持つ幼女には甘い顔をするてるてる坊主である。真っ黒てるてる坊主なんて全然可愛くねえのに。


 ミヤビ・クロオミは少し背筋を仰け反らせながらも、



「船上での謎解きゲームみたいなものです」


「戦場?」


「船の上ですね。舞台は一応、豪華客船という設定にしてあります」



 ミヤビ・クロオミの回答を聞いたユーシアは、



「つまり、日本の豪華客船で謎解きゲームしながらバカンスが楽しめるって認識でOKなの?」


「シア先輩、バカンスにこだわりますね」


「当たり前じゃん。もうあの忙しない日常はやだよ、たまにはのんびりしたい」



 ユーシアだってたまにはゆっくりと羽を伸ばしたいところなのだ。毎日が忙しいのだから、殺人とか血みどろな過去を忘れてのんびりしたい。

 だからこうして日本を訪れたのに、新作ゲームの体験とかで慌ただしく過ごしたくない。まあ豪華客船で謎解きゲーム的なものだったらまだマシだろうか。


 リヴは「まあ、そうですね」と同意を示し、



「たまにはいいかもしれませんね。悪党にも休息日が必要ということで」


「だよね? いやー、リヴ君はやっぱり分かってるなぁ。さすが俺の相棒だわ」


「言い方がムカつくんで殴っていいですか?」


「よくない」



 唐突に暴力的な思考へ振り切ったリヴに、ユーシアはちょっとだけ距離を取った。無意味だとは思うが、すぐに殴られないだけまだいい。



「では参りましょう。もうすぐ船が出発しますので」


「心の準備もさせてくれないの?」


「行きますよ、シア先輩」


「イダダダダダダダダダダ、リヴ君待って俺の髭はリードじゃないんだから引っ張るの止めて千切れちゃう千切れちゃう」



 無精髭を掴むリヴに痛みを訴えながら、ユーシアはずるずると引き摺られていくのだった。

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