第31話 過去は変えられた

 数学の時間が終わって廊下に出ると、奥の使われていない教室の前に猫背の楓が立っていた。ぼうっと立ってるとやっぱり怖い。


「どう思う?」


 分厚い眼鏡の奥の目を見開いて、楓は聞いてきた。僕たちは教室の中に入った。


「えっ?何が」

「あの、あざと女だよ」


「やめてよ……なんで増田さんのこと悪く言うの?」


 楓を窓際まで引っ張って声を潜めた。


「なんであんな目立つことするかなぁ〜あの女」

 

 増田さんは満点のテストを95点ですって申告した。


「じゃあ聞くけど、君はなにを見ているんだ? 増田さんのこと守りたくないのか? 気付かないのか?」


「そんなこと言われたって……上原君を気にかけているんだからいいだろ?」


「でも河井は増田さんのこと好きなんだろう?」


 う、うん……多分。

 と僕が言うと……。


「多分?!」


 よくわからない。好きは好きだけど……みんなで仲良くしているのも楽しいし。正直あっちの友達より気楽なんだよ。

 なんて言うんだろう……携帯がなくて楽なのもあるし。それに上原くんの未来を聞いてしまったら、それどころじゃないし。それに……増田さんてさ……。


って僕はぶつぶつ呟いた。


「だよな、おばさんっていいたいんだろ?だって令和では約五十歳になるもんねぇ」

 楓がほくそ笑む。


 それは考えないようにしてるのに……。


「いや、そうじゃなくて」

「まぁ、いい。とにかく目立ちすぎる。まさか、可愛いなぁ増田さん。かっこいいなぁ最高、なんてのんきに思ってたんじゃないだろうな?」


「…………」

 思ってたけど。


 ボリュームのある天然パーマの髪を楓は自分でくしゃくしゃにした。


「あーもう、これだから。僕はなんのために君にいろいろ話したんだ」


「あっ、楓。そうだ聞きたいことがある。こっちの世界に来て……最初に会ったのは誰なのかなって」


「……そんなことはどうでもいい。増田さんは一部のクラスの奴らから目をつけられているんだぞ」


「そうなの?」


「さっきの増田さんの行動をかっこいいと思う奴もいれば、鼻につく奴もいるんだよ。増田さんのこと睨んでたじゃないか」


 楓が一歩、僕に近づいた。

「見てなかったよ」


「あの日……社会の時間、僕と増田さんが一緒に転んだ時……」

 上原の8点のテストのときのことか。


「山岸たちが、僕に話しかけてきたんだ。転んでくれてありがとう、眼鏡君って」


「ゴンが出ていったからじゃないの?」


「目立ちたがりな女に制裁加えたのすごい〜とか、山岸のグループが話してるのが聞こえた」

 うわ……嫌な感じ……。


 ねえ……と楓が少し寂しそうに言った。


「河井くん……僕たちそろそろ、未来に帰ったほうがいい」


「はっ?……どうして?」


 びっくりした。未来での上原君の自殺はどうなるの?僕のおじさんの事故はどうなるの?

 なにも解決してないんじゃないの?


「わからないけど、長くいるべきじゃないと思う」


「上原君はいいの?君が世話になった人の息子さんだろ?」


 そのときだった。使われてない教室に、上原君が入ってきた。


「あっ、上原く-」


 あっ……。


 上原君の背中を押しながら、増田さんも後から入ってきた。


「河井君、楓君」

 上原君は少し驚いて言った。


「二人ともここにいたの?」

 増田さんもちょっと照れくさそうに言った。


 ああ、そうだよな……。

 いや、そうだろうなってわかってはいたんだ。


 楓は黙って空き教室から出ていった。僕も慌てて後を追った。

 楓は薄暗い階段の踊り場で立ち止まった。


「河井君、上原君の過去は大幅に変わったと思う。もう僕はここにいる意味がないかもしれない」

 

「え?」


「見たでしょ?あんなに幸せそうじゃないか」


 それって上原君は二ヶ月後、夏休み明けは登校拒否はしないってことか?その後、自殺しないルートになったってことなのか?


「いや、ちょっと待ってよ」


「大丈夫、君の問題も解決すると思う」


「なんでわかるのさ」


「河井君、老人会館を夕方見に行こうよ、最近行ってないだろ?」


 僕は黙っていた。

 そろそろかなと思うんだと楓が独り言のように言った。


「河井君……ななめなの?」


「なにが?」


「ご機嫌が」


 僕は楓の腰のあたりを蹴っ飛ばした。



 ****



 老人会館の前で僕は一人、膝をついていた。隣の楓は呆然と立ち尽くしている。


「なんでだよ……」


 西里老人会館の階段は、もう取り外されることはないだろう。


 階段が抜け落ちて、壊れかけた箇所はペラペラのトタン板で修繕されてしまっていた。

 


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