第13話 理科の時間 2

 燃え上がるガスバーナー。


 凄い顔をしてる矢作を見て、僕はやばいって思って、怖いけどゴーゴーと燃えているガスバーナーから顔をできるだけそらし、なんとか回したんだ。


 でも絞りを回しても回しても、火は小さくならない。バカになっちゃったみたいに。


「あれ、どっち?」

 もうみんなの声も頭に入ってこなくなった。

 そのうちに右に回せば消えるのか、左に回せば消えるのか、回しててわからなくなってきた。


 次に回してみて、これ以上火が大きくなったらどうしよう。

 もういっそのこと科学室から逃げ出したい。帰りの会も出ないで、家に帰りたい。


 いや、もうどこか知らないところへ行きたい……誰か……。


 ついに矢作が歩いてきて、僕をどつき、さっさと火を消した。


 魔法のように簡単に消えた。


 これはもう殴られるって思った。


 でも矢作は僕をキツく一瞥し、そのまま歩いて行ってしまった。

 これで終わりならまだマシだったんだけど、悪いことって続くんだな。


 僕は放心状態だった。なので、その後の事はあまりよく覚えてないけど、実験は無事に終っていた。そして片付けになった。


 僕はなぜか坂上と二人でビーカーなどを洗っていた。本当は奴には近づきたくはなかったけど、そんなことを言っている場合でもなかった。


 そして、坂上が洗ったビーカーを、僕が受け取ろうとしたそのとき-。


あっ……。


 僕の手から滑り落ち、ビーカーはゆっくり床に落ちていった。

 ガラスの割れる音は小さかったけれど、科学室によく響いた。


最悪-


 この先の人生で一度だけ時間を自由にできるなら、もうここで使ってしまって、ビーカーを割らないようにしたいと思ったほどだった。

 それかポルターガイストが起こって、全てのビーカーが宙に浮き、床に叩きつけられてほしかった。


 同じ班の女子が、すぐに僕の腕を後ろに引いて、床に落ちているガラスの破片を集めだした。準備係の男子もしゃがんで片付け始めた。

だいたいこいつが「河井、逆」なんて、大きい声で言ったのすごく迷惑…………なんて思う僕は、本当にダメ人間だ。


 僕も早く拾いたくて、しゃがもうとした。


「河井」


 矢作に呼び止められた。

 今度こそ絶対殴られる―


「お前は座っていろ」


 このときの居心地の悪さっていったらなかった。みんなが片付けているのに僕だけ座っていた。馬鹿みたいだ。あの坂上楓ですら、なにか片付けていた。

でも殴られないで良かったと思った僕もいる。本当に僕はかっこ悪かった。


 生徒たちが科学室を出て行く直前、僕は矢作に呼び止められた。


「正座しろ」


 そして入り口の扉のところに、一人正座をさせられた。みんなが次々科学室を出て行く。そのとき全員が僕を憐れんだ目で見る。


 矢作は僕の頭の上で、ガスバーナーのホースをくるくる回していた。あぁ、打たれるなと思ったそのとき……。


「ビーカーを割ってしまったのは、僕も悪いんです」

 

 坂上楓が急に矢作に話しかけた。

 この状態で、先生にこんなふうに話しかける生徒は他にはいないと思う。本当にこいつ空気が読めない。

 もちろん、このときはいい意味で空気が読めないと思った。


「僕が黙ってビーカーを渡したから」


 楓が落ち着いた口調で言った。なぜかこのとき、ずいぶんと彼が大人っぽく見えた。

 矢作は少し間をおいた。


「…………あぁ、あなたビーカーも割りましたね。忘れてました」


 そう言うと、矢作は僕の頭をガスバーナーのホースでぺたんと一回打った。頭は全く痛くない。けど心は痛い。


 そのとき僕の大好きな増田さんが、ちょうど目の前を通った。もう死にたい。


「なに突っ立ってるんですか。早く行きなさい」

 矢作に言われて、楓はふらふらと廊下に出ていった。

 僕は矢作と二人きりになった。矢作と二人きりになるなんて、後にも先にもこの時しかない。もう二度とごめんだ。このときは本当に怖かった。とにかく謝った。


「すみませんでした」


ガスバーナーのホースであと十回位殴ってください。


「何に謝ってるんです?」


 僕はなにも言えなかった。矢作のため息が聞こえた。


「あんな転校生に庇ってもらうの、格好悪いですよね」 

 

 矢作はゆっくり続けた。


「ちゃんとノート見てくださいね。実験の前に必ず見るんですよ。そういう努力が足りないんですよ」


 感動したときって泣けるけど、情けないときって、涙ってそう簡単に出ないことを僕は知った。


 泣く資格すらないと、このとき僕は思った。


 



 

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