第10話 転校生 坂上楓の話


 これは副学級委員の柏木が僕に教えてくれた話。

 僕が1989年の西里中学校にタイムスリップする少し前、5月の出来事だそう。

 転校生が来ると噂が広まった。


 職員室に提出物を届けに行った女子が、たまたま職員室前の廊下で聞いてしまった。

 響き渡る関西弁。


「うちのクラスに来る新しい生徒、名前なんやったか」

「……楓です」

「かえでぇ?またハイカラだわ」


 関西弁の独特のおばさん声はもちろん、うちの担任の山口。

 

「かえで?本当にうちのクラス?」

「間違いないよ、だって山口の声だよ」

 興奮する女子たち。


「あの声は間違わないわ」

「楓ちゃんて名前、可愛いに決まってるよね」


 廊下で話を盗み聞きしてしまった女子が、可愛いに決まっていると言ったのが良くない。その場にいた五、六人の生徒は転校生は女子だと思い込んだ。

 

 これはここだけの話となったらしいが、数日後にはクラス全員が、楓という名のとても可愛い女の子が転校してくることを知っていた。


****


 それから一週間後……。

 2年C組にとって、あまりにも残念なお知らせになった。


「転校生が来るのはなんや、あんたら知ってんの?」


 全員が黙っていた。

でも皆がにやにやして浮き足立っていたんだろう。 

「かなわんなぁ。どうして漏れたんや。極秘情報やったのに」


 いや、あんただよー


 まあ山口本人もにやにやしていたらしい。どうせ漏れるのはわかっていたんだろう。

 

「坂上君、バレてるみたいや。はよおいで」  


 ひょろっとした男子がのそのそと入ってきた。


 え?えっ、ええええ?

 誰この人?


 楓さんは?


 大きな黒縁眼鏡をかけた細くて猫背の男子。真っ黒の髪の毛はおばさんパーマみたいにもじゃもじゃしていた。目も髪の毛でほとんど見えない。

 可憐な転校生はどこに?


 こいつ、クラス間違えた?

 楓さんと反対になっちゃったのかな?と、全員が思ったらしい。


「坂上楓くんです。あっ、自己紹介するんか」


 担任が、久しぶりの転校生で一人だけ浮かれていたのが切ない。


「さ、坂上楓です」


 楓が挨拶しても、教室は静まり返っていた。


 山口が綺麗な字で黒板に名前を書いた。さすが国語の先生。

 坂上楓、間違いない。


「あかんな、忘れてしまうなぁ。久しぶりの転校生がうちのクラスなんてなぁ。ほんま嬉しいわ。楓君よろしくな」


 クラス全員が、お通夜のように静かに黒板の字を見つめていた。


「楓君、大丈夫やで。皆同じや、みんな緊張してるんや」


 いやいや、そんなんと違います。

 と、ツッコミを入れたくなった朝のホームルーム……。


****


 この話を聞いて、僕はめちゃめちゃ笑ってしまった。


 柏木から聞いて笑ったものの、じゃぁ楓のことは苦手ではなくなったかと言ったら、それはまた別の話。


嫌いだった。


 転校生って漫画やドラマの中だと、正義感が強くて、スポーツも勉強もできて、もちろん見た目もかっこいい。 

 そして、クラスで威張っている嫌なやつを倒して可愛い女子から慕われたりする。


 転校初日にわかったことだと思うけど、坂上楓は全く違う。


 体が弱くてろくに走れない。疲れてしまうのか、体育は校庭の隅に座って勝手に休んでいる。これには驚いた。


 でも先生も、体が弱い生徒にはなにも言えないんだな。いつもは怒鳴り散らすけど。


 ドッジボールをやれば、まさかの女子投げ。小学一年生の男の子だって、上から投げれるのに。

 楓は両手で下から斜めに思いっきり投げ、外野もいない遥か遠くへボールを飛ばしていた。

 そしてなぜか、スンとした表情で涼しげに立っている。どういう気持ちなの?自分でボール取りに行けよ!


 女子なら愛嬌もあるけど、男子がここまで下手でスンとしていたら許されない。


 勉強もたいしたことない……分厚い大きな黒縁眼鏡は一体なんなんだ!


 本当に意味がわからない。できるだけ僕は坂上楓には近づかないようにしていたのに……。


 増田さんと二人羽織の件も、思い出すと今もイライラする。


 そんなある日、向こうから僕に話しかけてきた。


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