5-10

 何度呼びかけてもレオンは起きようとしなかった。血圧が下がり、体温の低下も見られている。サポートAIが異常を検知したか、人工血液の注入が始まる。しかし、量が限られている。三分くらいならもつだろうけど、傷口があいているのでは今の状態が継続するだけだ。

「動けるレフォルヒューマンはいないのか⁉」

 グレゴリーの声で沈黙がおりた。傍に居る誰も、レオンを助けに向かえない。

「ライアン。あなた動ける?」

 隣で、レイサが訊いている。しかし、否定的な答えが返ってきたのか、レイサは、クレハの方を見てはゆっくり首を横にふった。

「援軍はいつ来る。到着まであと何分だ?」

「あと十分ほどです」

 オペレータが希望のない声で言った。

「グレゴリー、無駄だよ。ギガセンテとの会話から察するに、やつはレオンを返す気がない。仲間として取り込めないと分かった瞬間から、返さないつもりだったのだろう。おそらく、誰かが近づけば、暴れて中に入れようとしない。レオンがギガセンテにとどめをささないかぎり、レオンはあの中に残ったままだ」

 そんなこと絶対に嫌だ。

 考えるんだ。出血を止める方法を。レオンが再び立ち上がれるようにする方法を。この時、クレハは、レオンを生かすことしか考えていなかった。レオンが機械化したあの時に誓ったのだ。彼を絶対に死なせないと。

 クレハの頭の中にひとつの可能性が浮かび上がった。他に方法を模索したが、思いつかない。この方法には確実性がないし、レオンの苦痛を考えると、すぐに手を動かすことが出来なかった。

 迷いながら情報端末を操作する。手が震えた。タッチパネルとキーボードの操作がまごつく。

「クレハ。見つけたのね」

 レイサが優しく声をかけた。クレハは手を震わせながら彼女の方を向く。

「大丈夫。あなたは間違っていない。たとえこれで失敗したとしても間違っているのは、この不条理な世界なのだから」

 そうだ。この人はあの時もその言葉で背中を押してくれた。不条理な世界に立ち向かうと決めた。それは、レオンを取り戻すため。

 もう一度彼と生きたい。生きて一緒に人生を彩って歩んでいきたい。それが私の戦う意味だ。

 手の震えは収まった。すぐに準備を整える。

「レオンの体内にアドレナリンを注入します。続いてキニスゲイアを循環させます。うまくいけば、レオンの覚醒を促せるはずです」

 ラガトは頷いだ。

「もうそれしかないな。やってくれ」

 アドレナリンは、ドーパミンの一種だ。痛みを鈍化させる効果と、覚醒作用がある。そして、キニスゲイアの発生する熱によっての腹部の止血。これがうまく合わされば、レオンを再び立ち上がらせることが出来る。

 ——お願い立って、レオン。



 レオンは倒れたまま、体の異変に気付いた。寒さが支配していたからだが暖かくなっている。軽くて身体が浮かんでいるような感覚だった。

 そうか。クレハがやったんだな。

 レオンはその感覚の正体が何なのかすぐに理解した。そして、自分に課せられた使命も。


 オレは二人を守らなければいけない

 命だけじゃなく、二人の人生そのものだ 

 あのとき途絶えさせてしまった二人の人生を

 もう一度取り戻すんだ


 レオンは、ゆっくりと仰向けになると、手をついて立ち上がった。

『まだ立つか』

「お前ら機械は壊れちまえばもうそこで終わりだ。だけど、オレたち人間は生きてさえいれば何度でも立ち上がれんだよ。お前らなんかにオレたちは屈しない。何度でも抵抗してやる」

 ふらつきながらも左手でⅬ31を構える。今度は躊躇なく引き金を引いた。残りの全弾九発をすべてギガセンテのコアに命中させる。銃創からシアンの機血が流れだし、下の機器類に垂れてくる。

『それが答えか。残念だよ。……君だけは、死んでもらわないといけないんだ』

 ピッとなにかが作動する音が聞こえた。

『自爆モードが作動しました。総員直ちに脱出をしてください』

 ——っく、まだ間に合うか……。

 レオンは駆けだした。止血された傷口を左手で抑えながら、いまだせる全力で駆けた。

 階段を降り始めるころには後ろで爆発が始まった。機器類を覆っていた金属板の欠片が真横を駆けた。爆風に背中を押され、体が浮き上がる。吹き飛ばされたレオンは、階段を下りた先の壁に叩きつけられた。すぐ真横。手を伸ばせば届くところに扉がある。

 火炎が近づいてくる。中の酸素を喰らいつくそうと迫っている。その状況で扉を開けたらどうなるか、レオンも知らないわけではなかった。ただ、僅かな可能性、運というものに頼るしかなかった。

 レオンが扉を開けた瞬間、火炎は勢力を増してレオンを呑み込んだ。

 

 レオンと連絡が取れなくなって、数分。クレハは情報デバイスの画面を見ることが出来なかった。レオンの生命兆候バイタルを示していた画面には、大きく計測不可の文字が表示されている。それはつまり、レオンのパワースーツが機能を停止してしまっているということだ。 

 視覚カメラの最後の映像には炎が映っていた。背中側から前方にかけて覆いかぶさる炎をクレハは、見てしまったのだ。

 もう、ギガセンテは完全にとまった。回収隊も向かっている。どうか、間に合ってください。



 空は黄昏になろうとしていた。日が傾いて金色の砂漠の砂をより一層輝かしく見せている。

 レオンは体を砂に埋め、顔だけを砂から出した状態で空を眺めていた。砂に体を入れたのは、紫外線から体を守るためだ。スーツがはじけ飛んでしまったから、回収隊がくるまで凌ぐために自分で埋もれたのだ。顔だけ外に出しているのはヘッドパーツだけが残ったので砂に埋める必要がなかったからである。

 後ろの方では、ギガセンテの躯が、いまだに黒煙を吐き続けている。

 ふと、一人分の足音が近づいてくる。足音はすぐそばで止まると、その主は、ヘッドパーツで表情の見えない顔をのぞかせた。

「レオン、すごい爆炎の中から出てきたね」

「ユーインか。いつから見ていたんだ」

「ちょうど君がギガセンテの中から飛び出してきたところさ。ドローンの映像で見たよ」

 ユーインは、レオンの身体とちょうど重なる位置に防護シートをかぶせた。

「一人で抜け出せるかい?」

「いや。厳しい。もういろいろと限界だ」

「だろうね」

 ユーインはシートの中に顔から肩までを突っ込む。そこから腕を伸ばし、砂を掻きだし始めた。やがてレオンの身体の圧し掛かってた重みが消えた。だからユーインには見えたのだろう。レオンの身体がどれだけひどい有様なのか。

「うわ、今回もひどいね。また、死ぬことを厭わずに戦ったな」

「途中まではな。でも最後はちゃんと生きるために戦ったよ」

「ほんとかよ」

「ああ」

「にしてはひどい状態だけど」

「それだけ、苦戦したってことだ。オレが生き残れたのはクレハのおかげだよ。彼女が、キニスゲイアをうまくコントロールしてくれなければ、オレは死んでた」

「コントロールってどんなふうに?」

「あいつ、出血が止まった時点でキニスゲイアを一度止めたんだ。それで、オレがコアを破壊した後、自爆勧告が出てからまた、発動させたんだよ。その結果、外に出るまで、何とかスーツがもって、爆炎を直接うけなくて済んだってわけだ」

「そうか。それはよかったね。あとでお礼を言っておかないと」

「ああ……」

 レオンは防護シートにくるまれ、ユーインに担ぎ上げられたまま迎えのヘリに乗った。実際には、担ぎ上げられてから数秒で眠ってしまったから、これはレオンの憶測でしかない。だけど、これだけは事実だ。レオンは、ちゃんと生還した。


 病院の白い天井はいつ見ても、いい気分にはならない。それを見たということは、すなわち、自分の身体をいじくられた後だということである。

 レオンは、胸の上に重みと熱があるのに気が付いた。視界の下の方でちらりと琥珀色が映る。

 ——クレハ……。

 床に膝をついて、レオンの胸を枕にした状態で寝息を立てている。どうやら眠ってしまっているみたいだ。気持ちよさそうにすやすやと。起こしてしまうのが忍びなく感じてしまう。

 レオンは、クレハの頭をそっと撫でた。

 そういえば、クレハが触れてきているということは、肌の張替手術とかが終わってだいぶ時間が経過したのだろう。随分と長い時間寝てしまったようだ。

 クレハは、最初のほうは気持ちよさそうに喉を鳴らしたが、徐々にうっとおしそうに頭を動かし始めた。やがて彼女の瞼が持ち上がり、琥珀の瞳と目が合う。

 クレハは、最初状況が理解できなかったみたいだった。目をぱちくりとさせるも、微動だにしない。やがて頬の色が血色の良い色に染まる。

 ばっと、起き上がるクレハ。顔を両手で抑えながらあーとか、うーとか言葉にできてない音を駄々洩れにしている。

「違うのレオン。これは、その、決してレオンの胸の音を聞いてたんじゃなくって」

 なるほど、鼓動を訊いていたのか。確かに、昏睡状態で生きていることを実感するには、いい方法だと思う。やっぱりこれだけ危ない目にあっていると鼓動を感じたくなるのかもしれないな。

 レオンはそっと手を伸ばした。

 もうそういう関係になってもいいのに。自分の気持ちが表に出ているのを見られて恥ずかしがっている彼女を見ていると、愛おしさが込み上げてきた。

 クレハの腕を掴んで引き寄せる。

「ちょっとレオン!?」

 クレハはバランスを崩し、もう一度レオンの身体に覆いかぶさった。

「もっと、聞いてていい。オレもその方が落ち着くから」

 彼女はとまどいつつも、頭を胸の上においた。

「クレハ。いつも傍に居てくれてありがとう」

「なに言ってるの? インスペクタ―なんだから当たり前じゃん」

「違う。オレが機械化する前からの話。いつもオレが苦しい時に傍に居てくれた。だから、ありがとう」

「記憶……蘇ってたんだ」

「ああ」

 突然クレハが顔を持ち上げた。顔が近づく。磁石のように唇が触れ合った。クレハは、まるで愛でるように何度も唇を重ね合わせる。

 やがて、離れたとき彼女は、照れくさそうにはにかんだ。

「そう言うのは平然と出来るんだな」

「うん。だって、初めてのが強烈だったんだもん」

 レオンは、記憶を遡った。確かにあのキスの仕方は、記憶から消すのが難しいぐらいの強烈さがあったと思う。

「悪い」

「ううん。別に。もとからあなたの傍に居続けるって決めてたから」

 もう一度唇が触れ合う。今度は愛でることはなくすぐに離れた。

「レオン。おかえり」

 クレハは、飛び切りの笑顔を見せた。レオンも表情がほころぶ。

 この時、レオンは、記憶を失くした二年分の『ただいま』を言った。

 二人の時間は穏やかに流れていった。



 澄んだ空の青色と、枯れた大地の金色の狭間に立っていた。レオンは、新品同様に修理されたパワースーツを纏っている。近くに生命の姿はない。代わりにトリムアイズが砂の山脈を作りながら近づいてくるのが見える。

『レオン。聞こえる?』

「ああ、聞こえているよ」

『トリムアイズが接近中よ。おそらくイレギュラー個体だから気を抜かないでね』

「ああ、わかっている」

 レオンはある決意を胸にフォトンブレードを握る。オレには守るものがある。大切で一生かけて守り通さないといけないかけがえのないものだ。

 だからもう死ねない。

 必ず生き残って、また会いに行く。

 たとえ、アルテミアがどんな機械獣を送ってきたとしても必ず。

 トリムアイズが砂山から姿を現した。レオンはフォトンブレードを灯火した。

 レオンは戦場を駆ける。愛する人たちの今と未来を守るため。




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