3-5

 抱き合ったまま時間が過ぎていった。そろそろ大丈夫とレオンが言って、抱き合う時間はあえなく終わる。空調のない外で抱き合ったから、くっついていたところが暑い。クレハのシャツもお腹のあたりが汗で少し湿っていた。

 離れたレオンもシャツをパタパタと煽って、熱を逃がそうとしている。思っていた以上に長く休んでいたみたいで、気が付けば陽が少し傾いていた。

「そろそろ、帰ろうか」

 この時間も、もうおしまい。

 クレハはレオンと手をつなぎながらショッピングモールに戻った。エレベーターで立駐にむかうと、停めておいた車に乗り込む。エンジンをかけてシートベルトをした。レオンもシートベルトをしているのを確認して車を走らせる。

 基地の正面を通る大通りにはいると、運悪く渋滞に巻き込まれてしまった。黙ったままだと気まずいからレオンに話しかける。

「ねえ、レオン、この際なんだけど、ほかに行ってみたい所とかないの?」

「うーん、特にないかな」

「そうなの」

「でも、クレハと一緒にいれれば十分だ」

 思わずクレハは考え込む。レオンの自分との接し方が明らかにいままでと違う。身近な人が死んでしまったからだろうか。

「ならさ。家来る?」

 レフォルヒューマンは何も夜通しの外出が認められていないわけではない。インスペクターが同伴し、毎朝の検診に出られるように基地に戻ればお咎めはないのだ。

 ただ、さすがのレオンも迷っているようだった。

 男女二人が一つ屋根の下で夜を明かすことが、特別な関係でないと許されないことをわかっているかのように。

 ただ、クレハにとっては、レオンに対して気を許しているので全く問題がない。

「レオンが決めていいよ。一緒に居たいなら泊めてあげるし、必要ないなら基地まで送るし」


 結局、レオンはクレハと過ごすことを選択した。

 帰宅後、クレハが作った夕食をぺろりと間食したレオンはソファーに座ってテレビを見ている。普段、クレハなら全く見ないコメディアンのくだらないトークショーを興味津々に見入っている。ときおり、くすりと笑っているあたり楽しんでいるようだ。

 クレハも食器の片づけを終えるとレオンの隣に座った。いつも寂しさを感じさせた隙間だらけの空間は、今ばかりは、レオンが埋めてくれている。それだけで心が満たされた気分になった。

 お互い黙ったまま暫くたって、レオンがおもむろにテレビをけした。肩を寄せてきて、機械の腕がクレハの手を優しく握る。

「どうしたの?」

「……いや、こうしたい気分になって」

 僅かに戸惑いを滲ませながらレオンは言った。あまり目をあわせないところ、気恥ずかしいのかもしれない。

 もしかして、もっと愛情が欲しいのかな? それとも繋がりを求めているのかも。人というのは、他人との繋がりを断って生きていくことはできない。レオンは仲間のレフォルヒューマンとあまり関係がよくないから、その気持ちの吐き口が自分に向いているのではないか。

 断たれることのない強いつながり。孤独の戦場で生きるレオンにとって、必要なものであり最も不足しているもの。体のほとんどが機械になっても……。たとえ、兵器として生きていたとしてもずっと孤独ではいられないのだ。

 レオンは今日、やっとその気持ちに気がついたんだ。なら……。

「キスしてみる?」

 レオンの瞳がわずかにゆれた。

 自分でもなんでこんな言葉が出てきてしまったのかわからない。つながりを求められているのなら、手をつなぐだけでも良いはずだ。それなのに接吻を望んだということは、自分がまだ過去と決別できていないということである。あのときのレオンは二度と戻ってこないのに——。

「さすがにそれは……。インスペクターにそこまでしてもらうなんて」

「別にまずいことではないよ。レフォルヒューマンとインスペクターが恋人になってはいけない規約も法律もないし。レオンの体が機械になる前も後も、一番近くにいたのは私。愛し合うのも当然……。だから気にする必要なんてないよ」

「だけど、オレは軍の管理対象であることに変わりはない。所有権を持っているのは国であり、その中の都市であり、軍だ。オレは兵器なんだ。人間ではないし、二度と戻れない」

 レオンが悲痛に顔をゆがめた。涙が流れないのが不思議なくらい苦しそうな顔。変えようのない現実に思い悩んでいる。自分がレフォルヒューマンであるということでで、人として生きる権利をすべて投げうってしまっている。兵器を演じることで軍に必要とされる。そうすることでしか、レオンは自分の存在意義を唱えることができない。

 うつむくレオンの悲しげな表情が、レオン自身が、こうでなかったらよかったのにと訴えているようだった。

 クレハはそっとレオンの手首をつかんだ。両膝のあいだで力なくたたずんでいた機械の手がぴくりと反応する。クレハはその手をつなぐ。指を絡めるようにして。

「レオンは人間だよ」

 なお、かぶりをふるレオンにクレハは詰め寄る。

「だったらいま、何を感じているの? 安心しているんじゃないの? 私と一緒にいれて心地が良いんじゃないの。機械だったら、そんなこと絶対に感じたりしない。感じるのはあなたが生きているから。人であるからよ。だから、もう兵器として生きないで。せめて私の前では人でいて」

 クレハは機械の手をそっとほどくと、ソファーの上で膝立ちになる。レオンの頭を抱えるように抱いた。

「ごめんね。あなたが、レフォルヒューマンになる契約を結んだのは私なの。どんなかたちであっても生きていてほしかったから。だから私はあなたを人として見続ける。他の誰がレオンのことを兵器だと言っても私は、あなたの傍に居続けるから」

(このくらいいいよね。レオンにだって人並みの幸せを味わう権利あるよね)

 レオンの顔が自分の間近にある。クレハは、唇をレオンと重ねた。

 一〇秒くらいだった。お互いの唇が重なり合っていたのは。お互いの肌の熱がとけあい、そのときだけは何とも言えない一体感を感じていた。クレハは、レオンの両肩に手をついまま、レオンは上半身をクレハに向けたまま。

 そのままの姿勢がきつくなって、クレハは姿勢を戻す。照れくさくて頬が熱い。

 レオンは、どんな表情をしているのだろう。不安に思いつつもちらっと視線をあげた。

 レオンの顔は、きっと照れくさそうに笑っている。そんな甘い空気が互いの間に流れていてほしい。

 だけど、そうじゃなかった。

 レオンの目は、上の空だった。部屋の壁と天井が作る隅っこを定まらない視線で見つめている。様子が変だ。

「ごめん、もしかして、嫌だった」

「いや、そうじゃなくて」

 初めてだったから驚いてしまったのかなと一瞬思ったが、それはちがった。レオンは戦慄していたのだ。こきざみに肩を震わせている。明らかに気が動転している。いくらクレハがレオンの顔をのぞきこんでもレオンの目は、クレハの目をとらえない。

 気をこちらに向けようと肩を揺らしても、レオンは上の方を見たままだ。まるで圧倒的な恐怖を前に身動きの取れなくなった人のように。

「どうしたの。ちゃんと話してほしい」

 クレハがレオンの手を握って、レオンはやっと顔をクレハに向ける。瞳孔が開ききった黒い瞳はまだ小刻みに震えている。それでも、レオンは何とか意識を向けようとしているのかクレハの手を握り返してくる。

「ちがうんだ。クレハは何も悪くない」

 どういうことなのか。それからいくら問いただしてもレオンは何も答えてくれなかった。

 やがてレオンの戦慄が収まる。少し一人になりたいと言うので、レオンをそのままリビングに残してクレハは寝る支度をすませる。レオンには、今夜リビングのソファーで寝てもらうことにして、一人、寝室に入ろうとしたところでレオンに呼び止められた。どうやら一緒には寝たいらしい。

 一緒にベッドに入って、不満ながらも体を寄せた。レオンの機械に支配された体でも熱を感じる。生き残ったところはいまでも必死に生きている。

 それなのにレオンの背中は小さく縮こまっている。何かに怯えている様子は変わらない。まるで、怖い夢を見たあとの子供のようだ。まさか、記憶をとりもどしてしまったのか。

「ねえ、レオン……」

「なに?」

 確かめようと思って声をかけたのに、クレハはレオンの震えた声を聴いて訊くのをやめた。

「やっぱりいい。おやすみ」

 信じてあげたらいい。きっと今は自分のなかで耐えようとしているんだ。落ち着いたらちゃんと話してくれるはず。

 クレハは隣で小さくなった背中に手を回した。小さな子供を寝かしつけるように、優しくなでてつづけた。


 レオンがさきに眠ったのか、自分がさきに寝落ちしてしまったのかは、わからない。気づいたら朝になっていた。カーテンの隙間からもれる白い光にクレハは目を細める。ベッドから起き上がると眠たげに眉根を寄せてカーテンをあけた。

 その光でレオンも目を覚ました。起き上がったレオンの顔色は平常通り。

「おはよう。よく眠れた?」

 レオンは頷いた。でも、どこか表情が暗い気がした。

 

 いくら、レオンの出動が後回しにされるとはいえ、毎朝の検診には出ないといけない。クレハは、特に仕事がなかったけど、送るために外出の準備をした。

 家を出て、マンションの外廊下を歩いて、エレベーター前で足を止める。下層階でとまっているエレベーターを待っていると、いきなりレオンに抱きしめられた。あまりに唐突だったから思わず抵抗してしまった。レオンの体からのがれようと、レオンの体を強く押した。でも体は、離れない。レオンの両腕が背中で固く結ばれて、はなそうとしてくれない。

「どうしたの?」

「ごめん」

 レオンの口からこぼれた言葉はあまりに弱々しかった。動けないほどのきついハグに、クレハは覚えがあった。

 別れの時の硬いハグ。レフォルヒューマンになる前に、レオンが最後にしてくれたハグだ。

「どうして謝るの?」

 首を傾げて訊いても、レオンはまた目をそらす。きっと、一人でどうにかしようとしているのだ。少しくらい頼ってほしいのに。

「レオン。いまは話してくれなくてもいい。でも、一人で抱え込まないでね。私はあなたの味方だから」

 レオンは、ありがとうとだけ言った。エレベーターが昇ってきてドアが開く。レオンの腕が力の抜けたようにほどけた。だけど、すぐに手をつないだ。

 

 基地に向かうまでの間、レオンはずっと暗い面持ちだった。クレハが気になることを問いかけても、全部はぐらかされてしまう。

 どうしてこんなことになってしまったのか、クレハは解らなかった。レオンが自分を嫌っていないことだけは解っている。距離を縮めようとしていたのも、恋人のような深くて強い繋がりを求めていたのも確かだった。

 なのになぜ……。

 クレハの胸の内に不確かな不安が居すわったまま、基地に到着した。レオンを検査棟まで送り届けてクレハも自分の執務室に向かった。

 報告書類を片付け、昼食のころ合いになって部屋を出た。窓から中庭をのぞき込んでもそこにレオンの姿はない。その次の日もレオンは、クレハの前に現れることはなかった。その翌日になって、クレハの情報デバイスに一通のメールが届いた。

 それは、レオンのインスペクターから解任されたことを知らせる簡素な通知書だった。


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