3-4
ショッピングモールの立駐に車を残したまま、徒歩で公園へ向かった。森林エリアには、クヌギやコナラが植わり、散策路が張り巡らされている。熱いほど燦々と注がれる陽の光から守ってくれるように重厚にそびえたつ樹木の間をクレハは、レオンを連れて歩いた。影色によどんだ舗装路を歩くと、自分という存在が軍人としての自分から切り離されたように感じる。立て続けにレオンを戦地に向かわせ、自分も業務に没頭する。そんな疲弊してしまうような空間は、ここにはない。こういった緑の中を歩くという行為は、自分が思う休日というイメージに最も近い気がする。
そういえばレオンはどの人の休日パターンが知りたいのだろう。活力にあふれ、休日は趣味に没頭する人のパターンなのか、それとも日々の業務で手一杯で、休日にはとことん気を緩める人のパターンなのか、それとも恋人がいる人たちのような……。
かーっと顔が熱くなった。
やっぱりレオンと基地外で一緒にいると思い起こしてしまう。高等学生の頃思い描いた、今となっては夢物語のような、生活の様子を。
熱くなった頬を木陰が冷ましてくれるのをレオンよりもすこし先を歩いて待つ。すると、後ろでレオンが呟く。
「ここは、心地がいいな」
「数少ない緑だもんね。室内みたいに冷たい風がなくても気持ちがいいよね」
「ああ。心が洗われるみたいだ」
木々が作り出す空間は、現実世界の殺伐とした戦場から切り離されて存在しているように感じる。木々が木漏れ日を落とし、近くでは、人工池の噴水が高々としぶきをあげている。広場では、小さな子供たちが駆けまわり、その様子をその子供たちの親なのだろうか、数人の大人が駆けまわる子供たちを見やりながら談笑している。
お昼を食べた後でそろそろ眠たくなるころあいかなと思って、レオンの方を気遣うように見やる。レオンは、少し眠たそうにあくびした。
「そろそろ、帰る?」
訊くとレオンは、首を横に振った。木々が作り出す新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
「もうちょっとだけ、ここにいたいな」
「そんなに気に入ったんなら、毎週連れてきてあげようか?」
クレハにとっても、レオンに憩いの場ができるのは好ましい。死と直結するような戦場に出向いているレオンは、常に自分の死と向き合っている。その意識が遠ざかる時間ができるのなら、手間を惜しんでも連れてくる意味はあるはず。
「そうだな。最近みたいに余裕があるときは、お願いしようかな」
しばらく園内の散策路を歩いた。
木立の中を歩くのは、気分は良いけれど、むやみに歩きまわっても疲れるだけだ。フードコートを出てから既に一時間が経っている。さすがにそろそろ座りたかった。
道中で、散策路付近に休憩用のベンチが設置されているのは、確認できている。もう少し歩いてベンチがあったらそこで休憩しよう。
それから五分くらい歩いてクレハは、ベンチを見つけた。散策路から少し外れた樹木の下のところ、すぐそばが大きく開けていて、そこから公園の真ん中にある人工池が見えた。池の水面が陽の光をたゆたわせて眩しい。クレハは思わず目を細めた。
しかし、のどが渇いた。
「のど渇いたたよね。飲み物買ってくるね」
「ああ、悪い」
クレハは、あたりを見回す。二度三度見回して、近くで公園の職員がワゴンカートで飲み物を販売しているのを見つけ、荷物をベンチにおいて財布だけをもってワゴンカートへ一直線に向かう。
「Ⅼサイズのクリームソーダを二つ、ください」
「Ⅼサイズ二つですね。味はどうします」
という、販売員の問いに対して、メニュー表を見て即座に回答する。
「じゃあ、メロンとダークチェリーで」
クリームソーダという軍人には似つかわしくない飲み物を注文したのは、そのカートで売っていたのがそれしかなかったからだ。カートに張り付けてあるメニュー表を見たとき別のところで買おうとも思ったのだが、くるりと見回して近くにあったのはクリームソーダのカートだけだったので、諦めて買うことにしたのだ。本当だったらアイスティー一択である。
「二つで三〇〇ウォルです」
という職員に代金分の硬貨をわたすと、飲み物を受け取る。紙製のドリンクホルダに収まった透明な容器には、たっぷりの着色料で色付けされたソーダが七割ほどを占め、浮んだ氷の上には、いまにも溶けそうなバニラアイスが乗っている。
クレハが戻るや否や、レオンは、まるで不可思議なものを見るような目でメロンソーダを凝視する。クレハは、わたしてから気がついた。
おそらく記憶のある範囲でレオンは、ソーダどころか炭酸水を見たこともその存在自体も知らない。液体から気泡が生まれ、浮き上がってくるこの液体が口の中でどんな挙動をとるのかまったく知らないのだ。
そんなレオンにソーダを買ってくるという自分の配慮のなさに歯がゆさを感じたけど、仕方がない。これしかなかったんだもの。でも、レオンがどんな反応をするのかは気になる。
「それ、飲み物なの?」
「ええ、ソーダっていうの。二酸化炭素のガスが溶けているの」
「上にのっているのはなに?」
「アイスクリームよ。牛乳に油と砂糖をたして凍らせたもの。そのまま食べてもいいし、したに沈めて溶かしてもいい」
クレハの説明を疑わしい面立ちで聞き終えると、レオンは恐る恐るストローに口をつける。
ストローの中を緑色の液体がとおりぬけ、口に到達した瞬間、レオンは、びっくりしたように肩をすくめた。炭酸の刺激に動揺しているのか、レオンは口の中の液を、吐き出すわけでもなく、飲み下すわけでもなく、どうしたらいいのか解らないという具合にこちらを見つめてくる。
その何とも言えない顔を見てクレハは、噴き出して笑った。
「そのまま飲んで。べつに害はないから」
レオンが、再度ストローに口をつけたのを見て、クレハも自分のを飲みはじめる。ダイレクトな砂糖の甘みが口の中を埋め尽くし、遅れて、ダークチェリーのさわやかな酸味が甘みを中和する。爽やか香りが鼻をとおり、炭酸ガスの気泡が口の中ではじける。飲み下せばのどを気泡が踊りながら流れていき、その刺激が妙に心地いい。十代前半まで炭酸ジュースは飲んでいたけど、それからはほとんど口にしていない。
クレハは、懐かしい気分になった。すると、またレオンとの日々を思い出してしまい、慌てて頭から意識を振るい落とした。
呑み終わったプラカップを近くのダストボックスに入れて、しばらくベンチで休んだ。
シェルターでは風が吹かないから木々はゆれない。葉擦れの音がまったくしない木陰でただ、目の前の人工池を眺めていた。
近くで小鳥が鳴いている。平穏な時間だけが揺ったりとすぎてゆく。
この時間がもうしばらく続いてほしい。切に願ってしまう。
不意に、隣に座るレオンが、手を握ってきた。
どうしたの? と尋ねると、思いもよらない回答が返ってくる。
「今日見た映画さ。レットが最後の方に人々を守ろうとしてたじゃん。あれって、少女がレットのことを機械としてじゃなくて家族として接してたからだと思うんだ。日常的に手をつないだり、ハグしたりしてさ。ちょっとずつ人の心を理解していったんだと思う。
でも、オレがいま持っている記憶では、手をこんな風につないだことも、抱きしめられたことは一度もない。あんなふうに抱きしめられたら、人のことをもっと理解できるのかなって思うんだよな」
「やってみる?」
「え?」
返ってきた言葉が思ったものとは違ったのか、レオンは驚いたようにクレハを見やった。さすがのレオンも、抱き合うという行為が、不特定多数の人間とするようなものではないことを理解しているらしい。だけど、クレハにとっては今更感があった。記憶を失う前のレオンと抱き合ったことがあるから、たとえ今この場所でレオンから熱い抱擁をされたとしても抵抗するような不快感は感じない。それに一度は心を開ききった存在だ。いまさら気を使う方がどうかしている。
「別に私は、あなたとハグしたことがあるから全然、大丈夫だよ」
「じゃあ、お願いする」
クレハは座ったまま、体だけレオンの方に向け腕を目一杯広げた。レオンが体を寄せてきたところを両腕でがっしりと捕まえる。機械化した所のごつごつと、皮膚の柔らかさが混在する体を優しく抱擁した。
「どう。なにか感じる?」
好きだったら高揚するよね。ドキドキするよね。クレハは、レオンの返答をまった。だけど、かえってきた答えは、クレハが望んだものとは少し違った。
「―ん、よくわからないな」
どうやら違ったみたい。クレハは高まった気分をしゅんと抑えこむ。
そういえばと、クレハは二年前のことを思い出す。
レオンから抱きしめられたのは、想いがつうじあったその一瞬だけだった。レオンが人として生きた、最後の日の一度きりだけだ。
もっと、こんなふうにくっついていたかったな。
レオンの体温を感じる。その幸福感と、二度とやり直せないんだ——というほろ苦い焦燥感が胸の中で喧嘩している。いま、レオンは何を思っているんだろう。そう思って、口を開く。
「ねえ、レオン」
「ん?」
「こうやって、くっついているとほっとしない?」
「んー、たしかにするような気がする。安心するというか優しい気持ちになるというか」
「こんなふうに他の人のやさしさを感じると、ほっこりするでしょ。私はレオンに優しい気持ちになってほしい」
「それって、愛情を持てってこと? さっき広場にいた親子みたいに」
「うん。私はやっぱりレオンには、人として生きてほしい。破壊を目的とする兵器ではなくて、人情の豊かな人として」
「昔のオレはそうだったのか?」
「どうだったかな」
と、クレハ首をかしげた。いま思い出すと、レオンは優しさを振りまくタイプではなかった気がする。どちらかというと、志が高くて、一度、目標を立てると完遂するまで突っ走っていくタイプだった。人間関係も自分に追従してくるか、向かった先で出来たものしか必要としない。だから、人情が豊かだったと言えないと思ってしまう。
「私には優しかったんだけどね」
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