第2話

 竜崎は平和のバラ園に来ていた。

 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)開催時に造成され敷地面積は約6000平方メートルある。万博記念公園の文化ゾーンの中心にあり隣接する施設としては、北に日本庭園、西に国立民族学博物館、東に大阪日本民藝館、南に太陽の塔と挟む形で万博記念公園日本庭園前駐車場(旧万博記念美術館跡)、現在も万博当時の大屋根の一部があるお祭り広場がある。世界9ヵ国(ベルギー、カナダ、ドイツ、フランス、ニュージーランド、デンマーク、イギリス、アメリカ、日本その中で現在ニュージーランドを除き代わりにオランダが作出)から寄贈された希少な品種などのバラ約140品種・約5600株があり、カナダ政府からモントリオール万国博覧会で寄贈されたカエデの木が植えられている。植えられている薔薇の品種の中には、薔薇の中でも最高傑作といわれる「ピース」や、バラの名門メーカーのディクソン社が博覧会前の1967年に美智子妃に捧げた「プリンセス・ミチコ」と「アイリッシュ・ミスト」などがある。


 街に暗雲が立ち込めていた。吹田駅の裏手はホームレスの塒となる公園があった。ベンチでホームレスの鈴木が空を見上げていた。鈴木は西村まさ彦に似ている。5年前、50歳のとき会社をリストラされた。再就職の為にハローワークに通ったがどこもハズレ。結局、ホームレスになるしかなかった。社会の汚さを思い知り、社会の歯車になることに嫌気が差した。

 最初は人目が気になったが5年もすると慣れた。上司からのグチ、接待、会社の重圧の中で溺れるよりはマシだと思った。もう、秋も終わりだ。ちゃんとした塒を探さないといけないな。

 そのときだ!黒い服を着た17、8の少年たち5人が乗り込んできたのは。手には鉄パイプや木刀、バールなどをそれぞれ手にしている。小柄な者、太った者、長髪、金髪、スキンヘッド。

 5人に共通するのは目が死んでいることだ。鈴木は奴らの獲物が自分であることに気づいた。

 逃げろ!もう一人の自分が叫んだが、体が恐怖で動かない。

「きたねー公園だ」と、チビ。

「ゴミを狩ろうぜ?」と、デブ。

 5人が鈴木を囲む。テントの中にはホームレス仲間の河合と戸田がいる。

 おい!河合、戸田!助けてくれよ!!心の中で叫ぶが、2人とも出てこない。

 ふんっ!人間なんてこんなもんだ。

「รำคาญ(Rảkhāỵ)」と、長髪。こいつ、タイ人なのか?鈴木は渉外担当者だったので、外国語はそこそこ理解できた。รำคาญ(Rảkhāỵ)は、タイ語でイライラする。

「กรุณาหยุด(Kruṇā h̄yud)」

 やめてくれよと、タイ語で鈴木は言った。

「เสียงดัง!(S̄eīyng dạng!)」

 金髪が「うるさい!」と、鉄パイプで鈴木の腕を殴った。スキンヘッドが痛みに堪えてる鈴木に蹴りを入れる。それを皮切りに奴らの攻撃はエスカレートした。ドカドカ!!ボカボカ!!

「ここから出てけよ、ゴキブリ!」と、スキンヘッド。スキンヘッドが砂利の上に倒れた、鈴木にトドメを食らわそうと木刀を振り上げた。

「ゴキブリはてめーらだ!」

 その声にスキンヘッドは動きを止めた。

「アンッ!?」

 スキンヘッドが振り返ると、金髪のウルフヘアが立っていた。どことなくキムタクに似ている。

「てめぇ、誰に向かって……」

 金髪が鉄パイプをウルフヘアの顔面目掛けて突き出した。ウルフヘアは鉄パイプを右手で掴み、奪い取った。「なっ……」声もなくウルフヘアは金髪の腹に鉄パイプを叩き込む。

「ぐわっ……」

 金髪の目ん玉が飛び出しそうになる。地面に崩れ落ち、悶え苦しむ。

「ふんっ、まるでゴキブリだな?」

 ウルフヘアは冷たく言い放つ。

鳩尾みぞおちに入ったようだな? 分かるよ、俺もやられたことあるから」

「てめぇ!!」

 仲間をやられたことに怒った4人が次々に襲いかかる。ウルフヘアは次々に奴らを薙ぎ倒していった。長髪の蹴り上げた足を捉え、バランスを崩したところを逆に蹴り倒す。

 次にフードをかぶったデブがバールを構え、ウルフヘアの前に立つ。

「よくも、メーオを!」

 長髪の名前はメーオというらしい。

 ウルフヘアの背後には木刀を持ったスキンヘッドが回り込んだ。

「挟まれたな!?これで、てめぇも終わり……」

 デブが言葉を言い終える前に、ウルフヘアは鉄パイプを奴の頭に振り落とした。

「豚が、しゃべるな!」

 脳天をやられたデブは「ウゴァッ!!」という叫び声と共に気絶した。

 チビが下段払いを放つ。素早い動きでウルフヘアは攻撃を回避。

「やるな!?」

 さらにウルフヘアは鉄パイプでスキンヘッドの木刀を払い落とす。それを取ろうとしたスキンヘッドの背中に鉄パイプが降ってくる。スキンヘッドは血を噴き出しながら砂利の上に倒れた。スキンヘッド、デブ、長髪、金髪……4人が戦闘不能となった。

「どうする? まだ、やるか!?」

 ウルフヘアはチビに詰め寄った。

「いっ、いえ、申し訳ないことをしました。よかったら、お名前をお聞かせ願いたい」

嵐山らんざんだ」

 

 メーオとチャーンはタイでの就職に失敗して、日本に向かった。吹田でスキンヘッド(南井淳平)、チビ(望月裕太)、デブ(林知宏)の3人と知り合った。

 タイは「微笑みの国」、バンコク都は「天使の都」と呼ばれているだけに、諸外国と比較して安全なイメージが強く「平和な国」といわれることもあるが、外国にいるという意識が希薄であったり、日本と同じ感覚の状態でいると、何らかのトラブルに巻き込まれた際に適切に対応することができず、事態を悪化させてしまうような例が報告されている。


 タイ国家警察の『タイ国犯罪統計2010年』によると、殺人事件(未遂含む)の発生件数が8,932件、強盗(傷害を伴う窃盗含む)の発生件数が758件、強姦事件の発生件数が4,255件となっており、性犯罪は米国と同等規模、アイスランドやイギリスよりは少ない。2007年から2010年の世界平和度指数では、調査対象の149か国の中で124位と低い評価を受けており、平和度が低い国とされる。観光客の犯罪被害状況は多種多様であり、集団スリ、抱きつきスリ、置き引き、長距離バスでの盗難、睡眠薬強盗などがある。


 経済の安定や外国企業の積極的な進出を背景にした1980年代以降の高度経済成長はすさまじく、1985年から1995年にかけての10年間、タイは年間平均9%の経済成長率を記録した。しかし、アジア通貨危機(1997年)によって経済は停滞した。この際にタイは1ドル/25バーツに固定していた固定相場制を廃止。1998年1月には1ドル/56バーツにまで値下がり、経済規模は10.2%も悪化した。

 この危機は、特にタイの財閥の同族支配廃止や、外国資本の参入につながった。しかし、タイは外国への輸出を積極的に行ったことから1999年、経済成長率は再び4%台を記録、2003年には6%台を記録し、好景気に逆転した。この好景気を背景に中流階級の台頭が起こっている。クーデターによるあおりも受けたため2008年は2.5%とやや伸び悩み、2009年はリーマンショックもあり-2.3%とマイナス成長も2010年は7.8%と再び高成長。このように年ごとに経済成長にばらつきがあり、80年代後半から90年代前半に見られたようなすさまじい経済成長からはやや落ち着いている。


 タイ統計局によると、2009年の世帯当たりの平均所得は月2万903バーツ。1人あたりの平均所得は月6,319バーツ。バンコク首都圏の平均世帯所得は月3万7,732バーツであり、地域別で最下位のタイ東北部の平均世帯所得は月1万5,358バーツとされる。

 

 正確には就職に失敗したのではなく、犯罪に手を染めて就職に失敗したのである。


 2013年9月13日、メーオがチェンマイの24歳の主婦を自宅内で殺害。現金2,500バーツ(1万)を奪って逃走。被害者は妊娠9ヶ月だった。


  9月27日、チャーンがプーケットの28歳の主婦を自宅内で殺害。現金1,262.04 バーツ(5000円)を奪って逃走。隣室で眠っていた生後3ヶ月の乳児は無事だった。


 💀3人死亡


 10月16日、メーオとチャーンがバンコクの25歳の未婚女性を自宅内で殺害。現金2.500バーツを奪って逃走。


 盗んだ金はゲームに注ぎ込んだ。いわゆるゲーマー人口は約2,800万人であり、タイのゲーム市場の規模は約270億バーツ(約900億円)ともいわれ、そのうちモバイルゲームが71%を占めている。

アジアにおけるタイのゲーム市場規模は、日本、中国、韓国に続く形で拡大しており、新規ゲームのリリースも増加傾向にある。

 

 10月23日、メーオとチャーンは逃がし屋、セーウンに金を払い、日本へと逃げてきた。

 3つの事件ともタオルで被害者の首を絞めて殺した。


 嵐山は5人の凶漢を雇った。

「嵐山帝国の為に忠誠を誓います」

 林は砂利の上に土下座をした。

 林、南井、望月の3人は学校にもロクに通っていない。ゲーム中毒で勉強が嫌いだった。

 メーオはタイに嵐山を呼んでおもてなしすることにした。

 セーウンは温水洋一に似ていると嵐山は思った。

 バンコクではサッカー、ムエタイ、国際式ボクシング、セパタクロー、競馬なども盛んである。 サッカーではタイ・プレミアリーグのいくつかのチームが本拠を置き、ムエタイではラジャダムナン・スタジアムやルンピニー・スタジアムといった権威ある専用スタジアムがある。

 

 嵐山たちはカオサンロードにやってきた。

 外国人バックパッカーの溜まり場として知られる。「カオサン」とはタイ語で「白米」の意味だが、元々はこの周辺に米問屋が多かったことに由来する。300メートルほどの通りにはバックパッカー向けのホテルやゲストハウスが軒を連ね、レストラン、インターネットカフェ、旅行会社、古本屋、ランドリー、衣料品店、土産物店等、旅行者に必要な店がずらりと並ぶ。


 生絞りのオレンジやタイ風ミルクティーなどの飲料や果物、パッタイ、ガイヤーン、ロティ、ケバブ、食用の虫などを売る屋台が多い。中には海賊版のCDやDVDを売る店や国際運転免許証や国際学生証など身分証明書の偽造を引き受ける怪しげな店やタトゥーやパーマ、タイマッサージをする店なども存在し、混沌とした情景を醸し出している。セブンイレブンやファミリーマートなどのコンビニやマクドナルドやバーガーキング、サブウェイなどのファーストフード店、スターバックスなどの喫茶店なども、通り沿いやその周辺に存在する。またこのようなバックパッカー向けの施設が多い地区は、並走するラムブトリ通り、T字路を形成するチャクラポーン通りなどへ拡大傾向にある。


 タイ国内を旅行する者のみならず、ミャンマーやカンボジア、あるいはインド、ネパールなどを旅行するバックパッカーもまずカオサンロードに拠点を置き、情報収集や航空券の購入をする事が多い。タイはこれらの国々よりも政情が安定しており、また航空券の手配やインターネット接続が容易なためである。このため世界中のバックパッカーがここに集まり、旅行者の中にはカオサンをバックパッカーの聖地と呼ぶ者も多い。


 しかし近年、エアアジアやノック・エアなどバンコク発着の格安航空券がネットで買えるようになり、以前程航空券の手配のためにカオサンを訪れる人は少なくなっている。更にインターネットの普及により、旅の情報を得るためにカオサンを訪れたり、宿泊したりする人の数は減少している。そのため、カオサンを訪れる客層も、旅の情報収集やチケットの確保といったことを目的とする本来のバックパッカーから、西洋人や洋風喫茶、レストランの多いカオサン通りそのものを観光地とする旅行客にシフトする傾向にある。


 ただ、航空券以外の旅行パーツ(長距離バスや現地ツアーなど)の手配は、業者が小規模でネット予約できる英語サイトを開設できないことも多いため、依然としてカオサン通りの存在価値は大きい。


 1990年代以前は現地のタイ人の中ではそれほど知られた通りではなかったが、近年パブやクラブ等が続々と開店しタイ人の若者が、日本でいう原宿のような感覚で訪れるエリアとなっている。これらのパブやクラブ内には、100インチ規模の大型スクリーンが設置され、ハリウッド映画や、MTVなどが放映されることが多く、タイにいるということを忘れさせるほどである。また、大音量で音楽を流す店が多いのも特徴である。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る